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ひつじの片思い 【 後編 】



 かすかではあった。

 だがドアの向こう側に確かな人の気配を感じる。


 自室の前に立ち、冬馬は部屋のドアに手を伸ばした。

 乱暴、とまではいかなかったが少々強めに扉を開けると、部屋の中にいた人物が振り返る。

 冬馬はその人物を見て、「あっ」と声を漏らした。


「お前だったのか! 久しぶりだな!」


 するとグリーンのカーペットの上で行儀良く正座をしていた少女は、「ども」 と、冬馬に向かって小さく頭を下げる。


「元気にしてたか?」


 冬馬は左手に握っていた携帯電話を机の上に置くと、白杜中学時代の同級生だった杉浦(すぎうら) 未紅(みく)の側へと近づいた。

 未紅は冬馬が向かいに腰を下ろしたのを目で追った後、「うん。卒業式以来だね」と淡々とした声で答える。


「なぁ、今母さんに俺がお前との約束すっぽかしたって言われたけどさ、一体何の事だ?」


「……やっぱり」

 

 未紅はそう呟くと引き気味だった顎を素早く上げ、冬馬の顔を見つめる。


「な、何だよ?」


 未紅はしばらくの間無言で冬馬の顔を真正面から凝視していたが、やがてまたきちんと背筋を伸ばし、


「すっぽかしたのは事実だよ」


 と抑揚のない声で答えた。


「俺が? 俺、今日お前と会うなんて約束した覚えないぞ?」

「西脇くんに覚えが無くても私はそのつもりだった」


 未紅の睫がわずかに伏せられる。


「だって今年の二月十四日に西脇くんの家にチョコを届けに来た時、チョコと一緒に今日会いたいって手紙を入れておいたから」

「手紙…?」

「やっぱり見てないんだね」


 伏せられたままの長い睫が二三度小さく揺れる。


「わ、悪い。手紙が入ってたなんて知らなかった」


 しかしなぜか未紅はさほど残念そうな表情を見せず、「別にいいよ」と呟く。


「だって西脇くんは私以外にもたくさんチョコもらってたみたいだし、プレゼントの中身なんていちいち確認しないよね」


 そう言い終えると未紅はいきなり立ち上がり、


「帰る」


 と告げ、目の前の冬馬を見下ろす。


「今日、西脇くんが私と会ってくれないのは予想してた。でもきっと西脇くんなら会えないってちゃんと連絡くれると思ってた。だから手紙のことを知ってて会ってくれなかったのかが知りたかったから来ただけ。手紙すら読んでくれてなかったってことが分かったからもういい。じゃあ」


 冬馬は慌てて立ち上がると背を向けた未紅の右肩を軽く掴んだ。


「待てって! お前ん家まで送るよ」

「大丈夫。表通り通って帰るから」

「いや送るって。昔はよくお前ん家まで送ってやってたじゃん」


 その冬馬の言葉に未紅は一瞬黙ったが、「いい」と再度断るとそのまま部屋の外へと出て行く。


「お、おい、待てよ!」


 未紅を追うために冬馬は部屋を飛び出した。

 その数秒後、冬馬が机の上に置きっぱなしにした携帯電話から着信を告げる音楽が鳴る。

 点滅する画面上に桃乃の名が表示された携帯はしばらくの間鳴り続き、鳴り止むまでの間、静寂な部屋の空気をいつまでも乱し続けていた。





 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 





 外を漂う夜気は徐々に温度を下げ始め、その静けさと相まって時間が止まったような錯覚すら感じられる。そんな空気の中、冬馬は自分と並んで歩く未紅の頭部に視線を送った。


「お前、まだその団子頭にしてんだな」


 そう冬馬に話しかけられ、視線を真っ直ぐ先に向けて夜道を黙々と歩いていた未紅は、蚕がマユを破るような鈍さでゆっくりと斜め上を見上げた。


「ううん。高校に入ってからはもうしてない。今日は西脇くんに会えた場合を想定してこの髪型にしただけ」

「そういやその頭の団子、いつもきっちり左右対称だよな。それ、自分でやってんのか?」

「うん、そうだよ」


 未紅はそれぞれの耳の上で丸く小さくまとめた髪に手を当て、静かな声で続ける。


「……私さ、この髪型のせいで西脇くんにあだ名つけられたんだよね。私につけたあだ名、西脇くんはまだ覚えてるかな」


 一瞬だが冬馬の表情が固まった。

 その強張りを解くため、冬馬は多少不自然な笑みを強引に浮かべる。


「もっもしかしてまだその事怒ってんのか? でもお前のその頭見てるとさ、俺、どうしても羊を連想しちまうんだよ。昔のことだからもう水に流してくれって」

「ううん、いいんだ。別に当時だって怒ってなかったよ」

「マジで?」

「うん。私は羊ってあだ名、キライじゃなかった」


 未紅は頷く代わりに両手をくぼませ、弄ぶようにもう一度両サイドの髪束に触れた。

同じ大きさの左右二つの塊は、未紅の手のひらで押された分、ほんのわずかだが上下に緩やかに動く。


「西脇くんに “ ひつじ ” って呼ばれるようになってから、クラスの皆も私のことをそう呼ぶようになったよね。だけどそう呼ばれるようになってからクラスの皆と話しをするようになっていったし、西脇くんに感謝してた部分はあったかもしれない」

「そういやお前、クラスでいつも一人だったもんな……」

「あ、そこは勘違いしないでほしい」


 穏やかではあるが明快な意思がこめられた声が夜道に響き、冬馬の言葉を遮る。


「私、基本的に一人でいるのが好きなだけ。それは家でもそうだし、学校にいても同じだから。昔からずっとそう」

「ふぅん…」

「そういえば私はひつじだったけど、あの頃西脇くんは倉沢さんのことをモモタローって呼んでたよね」


 すぐ横を走り抜けて行った車のテールランプを目で追いながら未紅が呟く。


「そっ、そんなの昔の話しじゃん」

「西脇くんって、今、倉沢さんと付き合ってるんだよね?」

「なんでお前が知ってるんだよ!?」


 驚く冬馬に、「私、鳴美沢(なるみさわ)高校なんだ」と未紅が簡潔に答える。その声はあまり起伏の感じられない平坦なものだった。


「野々宮くんや横田くんや榎本くんと一緒。だから倉沢さんとのことは野々宮くんから聞いた」

「なんだ、野々宮たちと高校一緒なのか!」


 あっさりと疑問が解けたことに合わせ、中学時代の友人たちの名が出てきたために冬馬の声が弾む。


「うん。でも良かったね、倉沢さんと付き合えて。だって西脇くんは昔から倉沢さんのことが好きだったんだってね。それも野々宮くんが言ってた」

「ま、まぁな」

「昔からずっと想い続けてきた人と付き合うってどんな感じ?」

「どんなって言われてもなぁ……」


 冬馬は困ったような表情で顔をしかめた。そしてまるでその場所から答えを導き出すかのように、闇夜に浮かぶ朧月を見上げる。


「……正直、まだ全然実感が湧いてこない。俺と桃乃は本当に付き合ってるんだよな、って毎夜自分に問いかけてるよ」


 すると小さくではあったが、クスリという笑い声が聞こえた。


「なんだよ? 俺、なんかおかしいこと言ったか?」

「ううん」


 怪訝な表情になった冬馬を見た未紅は、「可愛いなぁと思って」と答えると、その口元に小さく微笑を浮かべた。一方の冬馬は気分を害した表情をまったく隠そうとせず、乱暴に前髪をかき上げる。


「なんかお前のその言い方ムカツくな」

「どうして」

「どうしてって……、なんかバカにされたような気がする」

「そ」


 未紅は一言そう呟いた後、


「でも西脇くんは私の手紙を読んでくれていなかったんだから、これぐらい大目に見るべきだと思う」


 と淡々とした口調で言い放つ。


「それは悪かったってさっきから言ってるじゃん」

「別にもういいけど」

「ところでなんで今日俺と会うつもりだったんだ?」

「今日、誕生日だから」

「誕生日? もしかして羊の?」


 うん、と未紅が頷く。


「へぇ、お前今日誕生日なのか」

「……それだけ?」

「何がだ?」

「おめでとう、ぐらいは言ってほしいんだけど」


 未紅にそうさりげなく指摘され、自分の気の利かなさに慌てた冬馬の口から「おめでとう」という言葉が早口で告げられる。


「ありがと」


 わずかだが未紅の口元の端が上がった。だがすぐに両の口角の位置を微笑から元の位置に戻し、話題を変える。


「そういえばさっき西脇くんのお母さんから聞いたけど、今日、倉沢さんと花火を見に行ってきたんだってね。さっき部屋で待たせてもらってた時、西脇くんと倉沢さんが帰ってくるところが窓から見えた。倉沢さん、全然変わってなかったね」

「そうか?」


 冬馬はわずかに考え込むような表情を見せ、異を唱えるかのように大きく両腕を組む。


「俺はすっげー変わったと思うけどなぁ……」

「それでね西脇くん、さっき二人を見た時に思ったこと正直に言ってもいいかな」

「は?」

「私、彼女がいる西脇くんが今日私と会ってくれると思ってなかったし、ずっと好きだった倉沢さんと付き合えて今は有頂天状態だと思ってた。……でも少し違った。なんか西脇くん、あまり楽しそうじゃない感じがした。もしかして理想と現実に大きな隔たりでもあった?」


「……お前には関係ねぇよ」


 未紅にそう指摘された冬馬の眉根が大きく曇る。すると未紅はその冷たい口調を弾き返すように、


「あるよ」


 とはっきりとした口調で断定すると、急に歩調を速め、冬馬の前に回り込んでその足を止めさせる。


「私、今年のバレンタイン、やっと勇気を出して西脇くんの家にチョコを届けた。西脇くんからは何の返事も無かったけど、私の気持ちは今も変わってない。だから、今の話は私にだって充分に関係あると思う」


 未紅はここで一旦言葉を切った。

 そして若干前かがみ気味だった姿勢を正して背筋を真っ直ぐに伸ばし、何かを決意したかのような表情で冬馬を見据える。


「ごめん。やっぱり思い切って言うことにする。今日来たのは西脇くんに言いたいことがあったから」


 そう言うと未紅はすぐ側にある駐車場の一角を指差した。


「西脇くん。私、あれでいい」


 未紅の指先が指し示す場所を目で追った冬馬の視界に、タイル敷きの地面に書かれてある “ 2 ” という大きな数字が飛び込んでくる。


「あれでいい? あの数字がどうしたってんだよ」

「私、倉沢さんの次でいい。二番目でいい」

「あ!?」

「分からないならもう一度言う。私、西脇くんの二番目の存在になりたい」

「ちょっ、ちょっと待て羊!」


 面食らった冬馬は、驚きのあまり散ってしまった意識を集めるように何度も顔を振る。


「お前自分の言ってること分かってんのか!?」

「大丈夫。よく分かってる」


 言葉だけでは足りないと思ったのか、未紅は真剣な表情でしっかりと頷く。


「駄目かな、西脇くん」


 静けさと強い意志を湛えた二つの瞳に捉えられ、冬馬は言葉を失う。


 すぐ側を時折走り抜ける車群が撒き散らしていく排気音が、閑寂な空気を揺らめかせる。

 だがその耳障りな騒音ですら、今の冬馬にとってはまるで遥か彼方での出来事のようにおぼろげな音にしか聞こえていなかった。



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