散った夜華と一つの嘘 < 2 >
夜空に閃光が走る。
直後、雷音が轟き、漆黒の空に光の粒が無限に撒き散らされる。
連れ立った二つの人影は、その光を浴びながら桃乃と沙羅の方角に向かってゆっくりと歩を進めてきた。ギターケースを肩にかけ、伏し目がちで歩いてきた要は桃乃と沙羅の目の前にまで来ると一言も発することなくその場に立ち止まる。
「要くん、来てくれたんだ……?」
桃乃がそう声をかけると要は少しだけ顔を背け、軽く頷く。
「……練習の帰り道だったから寄ってみた。でもまさか見つけられるとは思ってなかった」
「なら携帯に連絡くれればよかったじゃん。たまたま俺がお前の姿を見つけたから良かったけどさ、この先なんて人だらけでメチャクチャなんだぜ?」
その場にしゃがみ、スニーカーの紐を結びなおしながら冬馬がそう声をかける。
「いや、通り道だっただけだから見つけられなかったらそのまま帰るつもりだった」
そう要が答えた時、
「まったく要は相変わらず素直じゃないわね~!」
一歩分だけの下駄の音を響かせて、沙羅が要の前に詰め寄る。すると要は身体を少し硬直させ、半歩後ろへと下がった。その要の動きに沙羅の瞳がわずかだが哀しげに曇る。だがすぐにいつもの明るい口調に戻って要をからかい出した。
「なんだかんだ言ってさ、要もあたし達四人で花火見たかったんでしょ~? 正直に言っちゃいなさい!」
「べ、別にそういうつもりじゃ」
「それにさ、元々この花火大会を四人で見に行くのは約束だったじゃない? あたしの記憶が確かなら、要は紳士だったはずだから約束守るのは当然だよね!」
「あ、あぁ……」
「よしっOK!」
少々強引な手法で要から肯定の返事を引き出した沙羅は、自分の持っていた巾着をクルリと一回転させて三人の前で笑顔を見せる。
「えっと……じゃあこうして無事に四人が集まれたということで! これからあたしが屋台にひとっ走りしてみんなにたこ焼きでも買ってくるね! みんなはここで待ってて! ではでは行ってきまーす!」
「あっ!? ちょ、ちょっと待ってよ沙羅!」
だが桃乃が呼び止めても沙羅は足を止めることなく土手を急いで駆け上がっていく。だが履きなれない下駄のせいか、その走り方は少々不安定そうだった。
「なぁ桃乃、この辺に屋台なんて出てたか?」
ぎこちなく走る沙羅の後ろ姿を目で追っていた冬馬が桃乃に尋ねる。
「ううん、見かけてないけど……」
「そうだよな……」
冬馬は思案顔でしばらく顎に片手を当てていたがやがてその腕をほどき、再び桃乃と要に視線を向ける。
「俺、沙羅について行ってくるよ。あいつ一人で行かせて何かあったらまずいしさ。要、桃乃を頼むな!」
そして要の返事を待たずに沙羅の姿を追って冬馬は走り去っていった。
光の帯が河川敷一帯に降り注ぐ中、この場に残されてしまった桃乃は一度控えめに要と視線を交わした後、しばらくその場に立ち尽くしていた。
数秒の沈黙の後、
「倉沢さん」
この状況を打破すべきと考えたのか、要が桃乃の名を呼ぶ。
桃乃が「なに?」と答えると、要は河川敷にいくつか作られている石素材の低い円柱を指差した。
「とりあえず座らないか?」
その提案に桃乃はコクリと頷き、桃乃と要は円柱群に歩み寄り、それぞれその上に腰を掛けた。
だが腰を下ろしたもののお互い何を話していいのか分からず、二人はまた無言でただ夜空に咲く花火を眺める。
「……こうして倉沢さんと二人きりになるのって初めてかもな」
それは次の花火が打ち上げられるほんの一瞬の静寂の時だった。夜空を見上げたままで要がぽつりと呟く。
「えっ、前にもあるじゃない?」
花火に見入りつつも軽い驚きの声で桃乃がそう答えると、今度は要が驚きの表情を浮かべる。
「前?」
「うん。要くんが女子棟に勝手に入ってきた時よ」
その答えを聞き、初めて要は小さく笑った。
「あぁ、倉沢さんと初めて会った時のことか。あれは無しで」
「あれは無しなの?」
まだ顔にわずかな微笑みを残したままで要がゆっくりと大きく頷く。
「あれは俺がどうかしてた時の頃だから」
「そっか、じゃあ確かにこれが初めてかもね」
「だから倉沢さんと今こうして二人きりになって今は正直戸惑ってるよ」
「どうして?」
「何を喋ったらいいのか全然分からない」
その要の返答に思わず桃乃は声を立てて笑った。
「いつも必ず冬馬やあいつがいたからな……」
この言葉を聞いた時、思わず桃乃は笑うのを止めて視線を空から要に移してしまった。今の要の声がなぜかとても寂しげに聞こえたからだ。
次は自分が何かを言う番だとは思ったが、何を言えばいいのか分からず、桃乃はただじっと要の横顔を見つめる。
「あいつが急にあんなこと言い出したのは俺のせいだよな」
自分に向けられている視線に気付いたのか、要は地面に視線を落とし、静かな口調で独白を続ける。つい先ほど浮かべていたわずかな微笑はすでに跡形も無く消えていた。
「俺が急に現れたから、あいつはこの場に居づらくなったんだよな。だからああやって無理に元気な振りをして……」
桃乃は無言で要の横顔を見つめていた。「ううん、そんなことないよ」と声をかけてあげたくても、先ほどの沙羅の不自然な様子を見ていればその言葉を発することはどうしても出来なかった。
沈黙が続く。
だがそれは桃乃と要の間だけのことで、二人の頭上や周囲では、振動音やざわめき、そして歓声が常に渦巻いていた。
「倉沢さん」
要が地面に落としていた視線をふいに上げた。
二人の視線が正面から合う。
要の瞳に花火の閃光が何度も映りこむその光景を見た桃乃は、“ こうして要くんと真っ直ぐに見合うのも初めてかもしれない ” と頭の片隅でふと思った。
「俺、嘘ついてたんだ」
要の瞳に映る色が緑から青へと変わる。
「嘘……って?」
意味が分からず、桃乃は鸚鵡返しのように要の台詞を繰り返した。
真っ直ぐに桃乃を見つめたままで、まるで覚悟を決めたかのように要が一つ大きく息を吐く。
そして呼吸を止めて言った。
「椎名と付き合ってるって言ったのは嘘なんだ」
「えぇっ!?」
このいきなりの告白に驚いた桃乃は思わず円柱から立ち上がってしまった。その拍子に桃乃の髪飾りが大きく揺れ、何色もの光が髪飾りに反射する。
「椎名さんと付き合ってるって言ったのが嘘……? ど、どうして? 要くん、どうしてそんなことをしたの!?」
だがこの問いに返ってくる返事は無かった。
要は組んでいた両の指をほどき、再び地面に視線を落とす。目を伏せたため、華色に染まっていた瞳が元の色へと戻る。
「教えて要くん! どうしてそんな嘘ついたの!?」
いつもの自分ならありえないような大きな声を出して桃乃は要に詰め寄った。
周囲にいた見物客がその声の大きさに振り返る。しかし桃乃にはすでに周囲など視界に入ってはいなかった。
「ねぇ教えてよ!」
小さくだが要の喉元からゴクリという音が鳴る。
長い沈黙の後、ようやく要は言葉を発したが、口にしたその理由は花火が夜空を切り裂く唸り音のせいで桃乃だけにしか聞こえなかった。
「ひどい……! ひどいよ要くん……!」
嘘をついた理由を聞いた桃乃の瞳に怒りの色が浮かぶ。
もう今の桃乃には周囲の音など何も聞こえてはいない。
今までで一番大きな爆雷音も、そしてどこか悲鳴にも似た見物客の大歓声すらも、まったく聞こえてはいなかった。
「あの時沙羅がどんなに傷ついたか、要くんには分からないの!?」
桃乃の真っ直ぐな瞳に三つの光色が揺らぎながら次々に映りこむ。
うなだれる要とそれを非難の目で見つめる桃乃の全身に、たった今夜空に鮮やかに散っていったロマンスフラワーの大輪の光の粒が、途切れることなく降り注いでいた。