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白い呪縛 【 後編 】



 二人は紫紺から紺碧へと移ろい始めた空の下を比良敷川へ向けて歩き始める。

 夏の間に何度か行われる花火大会の中で今夜が一番打ち上げ数が多い為、大きな通りにまで出ると浴衣姿の女性が急激に増えだしてきた。

 待ち合わせに遅れそうなので急いでいたのか、白地の浴衣を着た女性が冬馬を追い越そうとした際に軽くぶつかる。


「あっ、ごめんなさいっ!」


 女性は追い抜きざまに早口でそう謝ると、カラコロと早いリズムで下駄を鳴らし、人波を縫うように消えていった。少しの間その白地の浴衣を目で追っていた冬馬は、ふと何かを思い出したように横にいる桃乃に視線を落とす。


「そういえば桃乃の浴衣、この間のと違うな」


 それを聞いて淡い水色の生地にトンボ柄の浴衣を着ていた桃乃の瞳が大きく見開かれた。


「エッ! 今頃気付いたのっ!?」

「あぁ」


 あっさりと認めてしまった冬馬に桃乃は少々お冠だ。


「それって今まで私をよく見ていなかったってことよね……」

「あ! い、いや違うって! 見てた見てた!」

「嘘ばっかり!」

「見てったって! 七夕の時は確か緑だったよな?」

「違うわっ、あれは緑じゃなくて萌黄色っていうのよっ」


 形の良い顎をわずかに上げ、桃乃がそっぽを向く。


「それって結局は黄色が多少入った緑色じゃん……」


 そう反論した冬馬だが、形勢不利な自分の状態を分かっているためにそれはまるでひとり言のようだった。話しを逸らす為に冬馬は目の前を歩く人の群れを顎でしゃくる。


「な、なぁ桃乃、今日はかなり混みそうだから河川敷に着く前に沙羅と合流しておいたほうがいいんじゃないか? 沙羅に連絡取って集合場所を変えようぜ」

「うん、その方がいいかもね」


 桃乃は素直に頷き、黄色い巾着の中から携帯を取り出した。そしてアドレス帳の二番目に登録してある沙羅の番号を押そうとしたが、なぜかその指の動きが唐突に止まる。


「どうした?」


 携帯に視線を落としている桃乃の瞳に不安な影が薄く広がっていることに気付いた冬馬がそう声をかける。


「沙羅、大丈夫かな……?」


 肯定をしてほしそうなその声に答えようと冬馬は口を開きかけたが、桃乃は「今も無理してると思うの」と告げる。




 ── 俺、椎名と付き合うことになった




 夏期講習二日目の昼食を食べる前に、要が突然そう切り出した時の桃乃と冬馬の驚きは大きかった。


「なんだって!?」

「要くん、それ本当なの!?」


 即座にそう問い返した桃乃と冬馬に、要はわずかに顔を伏せて「あぁそうだ」とだけ答える。


「な、なんでだよ要!? だってお前、前に俺に言ってたじゃん!? もう椎名さんのことは完全にふっきれ…」


 冬馬の詰問が唐突に鳴り出した大きな拍手で遮られる。



「やったね要っ! おめでと~っ!!」



 やがて拍手を止めた沙羅は、今度は冬馬と桃乃に向かって大きく笑いかけた。


「モモ! 冬馬! あたしね、昨日要に振られちゃったんだ! でもこのまま四人で友達関係は絶対に続けようね! あたし、要のことは昨日できっぱり忘れたから! 本当だよ? もちろん杏ちゃんとも友達だし! だから冬馬もモモも全然気にしないでねー!」


 その笑顔はとても明るく見えた。だが、桃乃も冬馬もそれが本当の笑顔ではないことは分かっていた。

 本来無い場所から無理に作り出した笑顔。

 あの時の沙羅の笑顔は悲しみを隠すためにであることは明らかだった。


「そうだな……。あいつ絶対に無理してるよな」


 やるせなさそうに呟いた冬馬の後に、ポツリと桃乃は言う。


「今日、要くんは来ないんだよね……?」

「一応は誘ってみたけどな。でもたぶん来ないと思うぜ」


 要の立場で考えればそれは仕方の無いことだと頭では分かる。だが、「来ないだろうな」と冬馬にはっきりと言われ、桃乃は悲しそうな表情をそっと伏せた。


「桃乃」


 冬馬は繋いでいた手を一旦離し、俯いた桃乃の頭にそっと乗せる。そしてまるで自らにも言い聞かせるように、ゆっくりと力強く言った。


「こればっかりは当人同士の問題で俺らがどうこうできる問題じゃない。そうだろ?」


 桃乃が小さく頷く。黒髪につけられていた飾りが儚げに揺れた。


「だけど俺も少しは罪悪感があるんだ。もし、俺があの時椎名さんをライブに誘わなかったら、って思うとさ」

「……やっぱりあのライブがきっかけだったのね?」

「そうみたいだな」


 冬馬は比良敷川へ向けて行進する群集に視線を戻す。


「前に要から聞いてたんだけどさ、椎名さんはあいつが二度目の告白をした時、好きな人がいるって断ったみたいなんだ。でもライブで要が唄ったあの曲を聴いてたぶん気持ちが揺れたんだろうな」


 沙羅の事を思い、桃乃は小さく吐息をついた。

 瞳だけではなく表情全体が曇った桃乃を見て、冬馬は言いにくそうに告げる。


「……俺、沙羅に謝ったんだ」

「えっ、いつ?」

「要から話を聞いた二日後。夏期講習最後の日だ。俺、昼飯食う前に沙羅と一緒に購買に飲み物買いに行っただろ? あの時に」

「沙羅、なんて言ってた……?」


 冬馬は一瞬ためらうような素振りを見せたが、一気に喋る。


「あいつ、“ ううん、冬馬のせいじゃない、あの二人はきっとそうなる運命だったんだよ。そのタイミングがあのライブで早まっただけなんだよ ” って笑ってた」

「沙羅らしいね……」


 冬馬は「あぁ」と頷くと、再び桃乃の手を握る。


「だから後は時間が沙羅のショックを癒してくれるのを待つしかないと思う。俺らに出来ることは今まで通り、普通に沙羅にも要にも接することだと思うんだ」

「そうね……」

「いつか沙羅にもいい奴が現れるといいな」

「……うん」

「でも俺らの中でそれを一番強く願っているのは要だと思うぜ」


 沙羅の立場でばかり今回のことを考えていた桃乃はその言葉にハッとした。

 重い話題になったせいか二人の会話が途切れる。


「……冬馬、ちょっと歩くの速い」

「あ、(わり)ぃ。つい自分のペースで歩いちまったな」


 黙々と歩いていたために自然と早足になっていた冬馬は、歩幅を少し狭めて歩くペースを落とし、桃乃の手を握り直した。


「俺たちはいつも通りにしていればいいんだ」


 すでに終わっていたと思っていた話題をまた冬馬が唐突に口にする。

 口では当人同士の問題だと言いつつも、実際は冬馬もかなり気にしているんだ、と察した桃乃はこの話題を変えようと急いで別の話題を探した。


「と、冬馬、さっきは緊張してた?」

「さっき?」


 桃乃が急に話題を変えたので冬馬は怪訝そうな顔をした。

 だが両の頬をわずかに紅く染めた桃乃が視界に入り、つい先ほど倉沢家へ訪問した出来事を思い出した冬馬は、「……あー……」と間延びした返事をした後、「そうだな、すっげー緊張してた」と答えた。


「やっぱり? でも私もだよ。お父さんに行っちゃダメだって言われたらどうしようかと思ったもん。でも行くのを許してもらえて良かったよね」


 桃乃の笑顔に自然と冬馬の顔の口角も緩やかに上がった。

 だが、それも一瞬のことだった。


「全部裄兄ィのおかげだよね!」


 その桃乃の一言を聞いた瞬間、冬馬の表情が一気に強張る。しかし桃乃は変化した冬馬の表情にまだ気付いていない桃乃は楽しそうに続きを話し続ける。


「さっき裄兄ィがお父さんに霧里への旅行の事をきちんと話してくれたからだよね。私たち、裄兄ィにいっぱい感謝しなくっちゃいけな…」



「兄貴のおかげなんかじゃねぇよっ!!」



 立ち止まった冬馬が短く叫んだ。

 その強い声に驚き、桃乃は言い切っていなかった残りの言葉を飲み込む。


「なんでだよ、なんでそんなふうに思うんだよ……!?」


 今度は声量を大幅に落とした低い声が桃乃の耳に届き、大きく戸惑う瞳を冬馬の強い眼差しが真っ直ぐに捉える。


「と、冬馬……?」

「なぁ桃乃、お前…」


 冬馬がそう口を開きかけた時、



「いたいたぁー! モモー! 冬馬ー! こっちこっちー!」



 二人は弾かれたように声の方角へ視線を向ける。

 やがて人波の中から、大きく翻ろうとする浴衣のすそを気にしつつ、飛ぶように駆け寄ってくる沙羅の姿がそれぞれの視界に入ってきた。



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