愛情の比重 【 前編 】
週末のライブから二日が経ち、カノンでは四日間の日程で希望者のみ参加の夏期講習が始まっていた。
それぞれの場所で講習を受けた後に四人は中庭に集まり、桃乃と沙羅が持参した手作りのランチで昼食を取る。昼食中の話題は要のライブの件で持ちきりになっていた。
「要、すごいカッコよかったよ~! あたし痺れちゃった!」
「客のノリも悪くなかったよな。次は SPLASH BILLOW 目当ての客も増えるんじゃないか?」
「私の前の女の子のグループ、しきりに要くんのことカッコイイ、カッコイイって言ってたわ」
三人は口々に要のライブを褒め称えた。しかし何故か当の要は気難しそうに俯き、考え込んだ表情をしている。
「どうした要? バンドのメンバーとトラブったのか?」
「……いや……」
要のテンションの低さに三人は顔を見合わせる。
「もしかしてなんか悩み事ー?」
沙羅が要の顔を覗きこむ。
「ねっ、もしそうならあたし達に話してみたら? 心がスッキリするかもよ!」
すると要は急に顔を上げて沙羅の顔を見返した。
その視線があまりにも真剣だったので、沙羅は一瞬不意をつかれたような表情になる。
「な、なに? どしたの要?」
「……お前に話があるんだ、ちょっといいか?」
「あたしに?」
「ついてきてくれ」
要はそれだけを告げ、先に立ち上がり校舎の方角へと歩き出す。
沙羅は食べ終わったランチボックスを慌てて片付けながら冬馬の方を見た。
「一体なんの用だろ、要?」
「いや、俺もなにも聞いてないぜ?」
「そっか。とりあえず行ってくるね!」
「あっ沙羅、待って」
桃乃が沙羅を呼び止める。
「じゃあ私たちは先に帰ってるね。その方がいいんじゃない?」
「おうそうだな! 明日も講習あるんだし、今日は別々に帰ろうぜ!」
「あははっ! 冬馬って本当に分かり易すぎだよ! よーし、そしたらあたしは要に送ってもらおうっと! じゃあまた明日ね! お二人さんはどーぞごゆっくり~!」
沙羅はランチボックスの入ったバッグを手に立ちあがると、すでに遥か先を歩く要の後を追って走り去って行った。
中央塔の中に入ってゆく二人の背中を見送った後、桃乃も昼食の後片付けを始める。
「今日のお弁当美味しかった?」
「あぁ、メッチャうまかった! サンキューな!」
冬馬は嬉しそうに礼を言った。そのほころんだ笑顔に桃乃の胸にも幸せな気持ちが溢れる。
「でも急にどうしたんだろうね、要くん? なんだか少し憂鬱そうな顔もしてたし」
「さぁな……」
中央塔の入り口に冬馬も目を向ける。もうそこには誰もいなかった。
「あっ、そうだ桃乃。ちょうど良かったぜ。お前に話あったんだ。再来週の土日は予定空けておいてくれよ?」
「どこに行くの?」
「兄貴からの誘いだ」
「裄兄ィの?」
「あぁ。霧里高原に行って一泊してこようってさ」
「えぇっ泊まるの!? 私たちと裄兄ィと三人で!?」
「……いや」
冬馬は口ごもり、一瞬だけ目線を逸らすと早口で告げる。
「兄貴さ、最近彼女出来たみたいなんだ。その人と四人で」
「えっ裄兄ィ、彼女出来たんだ?」
「……気になるか?」
冬馬の声のトーンが落ちる。再び桃乃に向けられた眼差しは、わずかだが探るような目線だった。しかしそれに気付かない桃乃は「ううん。どうして?」と気軽に問い返す。
「……別に。聞いてみただけだ」
冬馬はパック牛乳のストローを口に咥えたが、結局中身を啜る事無く、続きを語る。
「あの合コンの件で罪滅ぼしをしたいんだってよ。兄貴がその彼女を霧里高原に誘うらしいんだけどそれに一緒に行こうってさ。そんで向こうに着いたら早速別行動らしいぜ」
その最後の部分を聞いた桃乃は笑い出した。
「なんか裄兄ィらしい! 私たち、裄兄ィに利用されてるような気がする!」
「……やっぱ桃乃もそう思うか? 罪滅ぼしなんて言ってるけどさ、いかにも兄貴のやりそうなことだよ。その彼女にさ、『 俺の弟と、弟の彼女も一緒に行くから是非! 』 なんてうまいことを言って誘うんだぜ、きっと」
冬馬はここで面白く無さそうな顔を止め、急に自らのフォローを始める。
「なんか兄貴にいいように利用されてるような気はするけどさ、向こうに行ったら別行動だっていうし、俺、桃乃と霧里高原に行きたいからOKしちまったんだ。で、でも誤解すんなよ!? 部屋はもちろん男と女で分けるって兄貴も言ってるし、俺もその辺りは渋々だけど了解してるし、桃乃の家にも兄貴と一緒にその事をちゃんと説明に行くからさ! な、いいだろ!?」
後半の必死な説得に桃乃は笑いをこらえながら頷く。
「うん、いいよっ」
「よ、よし! 決まりだな!」
冬馬はホッとした表情を浮かべた後、手を伸ばして桃乃の片頬を軽く撫でた。
「おっと西脇~! ちょいと教育的指導させてもらっていいかぁー?」
女子校舎から渡り廊下を通って中央塔に戻ろうとしていた誠吾が冬馬のその行為を見かけて、ニヤニヤと笑いながら中履きのままで二人の側に寄ってきた。
「げ、矢貫……」
冬馬は慌てて撫でていた手を元に戻す。
「西脇~! お前、教師の城と呼ばれるこの中央塔の中庭でなかなか大胆な真似をしてるじゃないか? あぁ?」
「ちょ、ちょっと顔に触っただけじゃないですか! それよりこの間は俺の耳をあれだけ引っ張ったくせに、靴そのままでここに出てきていいんスか!?」
「ごまかすなよ西脇! “ ちょっと顔に触っただけ ” だと? じゃあ俺も倉沢に同じようなことやってもいいんだな?」
「ダ、ダメッスよ!」
「ハハッ、おい倉沢! お前の彼氏はかなりの束縛タイプみたいだなぁ?」
「あ…、え、その……」
桃乃が顔を赤らめる。すると誠吾はますます顔をニヤつかせて二人の前まで来るとそこにしゃがみ込んだ。
「……でもよ、お前らみたいなカップルは、このカノンでは肩身が狭いよな……。でももう少しの間だけ我慢しろな。今にこの俺がここの古くせぇギスギスした校則を根元からぶっ壊して、爽やかな男女交際が出来るように変えてみせるからよ!」
「じゃあ早く変えて下さいよ先生。それっていつになるんスか?」
「あんな西脇、今までずっと化石のように存在してきたもんをぶっ壊すっていうのは並大抵の苦労じゃねぇんだぞ。今日明日で変えられるわけないだろうが」
「でも俺らがいる間じゃないと意味ないんスけど」
「……あと二年半以内にか……」
誠吾は考え込む。
「それはちょっと難しいかもな」
「なんだ、期待しようと思ったのになぁ。せめて休み時間くらいどっちも校舎も自由に行き来させてほしいよな。なぁ桃乃?」
桃乃もコクリと頷く。
誠吾は後頭部をがりがりとかきむしりながら一つため息を吐いた。
「確かにな……。まぁ俺も頑張るよ。じゃあせっかくのところを邪魔して悪かったな」
誠吾が芝生から立ち上がりかけたところを冬馬が呼び止める。
「先生は夏期講習の担当じゃないですよね? どうして来ているんですか?」
「あ? そりゃあ仕事があるからに決まってんだろ。お前ら生徒と違って俺ら教師は夏休み中もちょくちょくここに来ているんだよ」
「へぇ、そうなんですか。俺はてっきり柳川先生が来ているからだと思いましたよ」
その言葉に誠吾の左眉が一瞬ピクリと上向きになる。
「な、なんのことだ西脇?」
「だって先生は柳川先生とデキてんですよね?」
「なッ何いッ!?」
たった今までの余裕しゃくしゃくの態度はどこへやら、一転して誠吾は動揺し始めている。
「もう俺らのクラスでは有名ですよ? それどころか最近ではもう先生方は一緒に暮らしてるっていう噂も出てきてますし」
「だだだ誰が言ってんだ、そんなこと!?」
冬馬は肩をすくめる。
「さぁ噂ッスから」
「……あ、あの、私のクラスでも同じ噂があります……」
桃乃も言いにくそうに小さい声で告げた。
「で、先生、本当のとこはどうなんですか? もう一緒に暮らしてんですか?」
「くっ、暮らしてるわけないだろうが!」
誠吾は焦った表情でガバッと立ち上がった。
「い、いいか西脇! お前その噂しっかり消しておけよ?」
「はぁ? なんで俺が?」
その返事に誠吾はその場に再びしゃがみ込み、声をひそめながら言う。
「……ここでは職員同士の恋愛は禁止されてんだ。だから妙な噂を流されたらすげー困るんだっ、この俺がっ!」
「でもデキてるのは事実なんスよね?」
誠吾は断固否定しようとしたが、元々隠し事の苦手な性格の為に感情がストレートに顔に出てしまった。そしてそれを見抜いた冬馬が「やっぱデキてんだ」とすかさずツッコむ。
「ちっ違うっ! 西脇、これ以上変な噂を絶対に流すなよ!? いいな!?」
「へーい。了解ッス」
片手を挙げて応じた冬馬を確認した誠吾は、今度は桃乃の方に向き直る。
「倉沢もだぞ!?」
「は、はいっ」
「よ、よし……。じゃあな……」
一気に意気消沈した誠吾はすごすごと中央塔に戻って行った。その丸まった背中を見て冬馬が桃乃をからかい出す。
「おい桃乃、今だ! “ せいちゃん、頑張ってー! ” って大声で呼んでみろ!」
桃乃は慌てて首を振る。
「い、いやよ! 冬馬が呼べばいいじゃない!」
「ははっ、そうだな、たぶん今なら俺が呼んでも鉄拳制裁を受けないだろうな。でも桃乃、これで俺らはあの先生の弱みを握ったぜ。桃乃の苦手な長距離走の授業の時にこのネタ使ったらどうだ? お前だけ特別に走るのを免除してもらえるかもしれないぞ」
「そんなこと出来るわけないじゃない!」
「じゃ俺が使うかな」
「何言ってるの。冬馬は体育が大好きなのに、一体どこで使うつもり?」
「あ、それもそうだな……」
「ね?」
二人は顔を見合わせて笑いあった。
だが中庭でのこんな和やかな雰囲気とは一変し、中央塔の屋上はまったく正反対の空気に包まれ始めていた。