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彼の焦燥 【 後編 】



「うん、これから冬馬と行くから。すぐ出られるようにしててね沙羅」


 そう告げると桃乃は部屋の中で携帯電話を閉じた。冬馬と揃いの機種にした橙色の携帯電話が窓から差し込む夕陽に反射し、一瞬キラリと光る。


「……これでいいかな……?」


 そうひとり言を呟いた後、桃乃はもう一度鏡に目をやった。

 淡いブルーの生地に幾何学模様の入った、膝丈まであるワンピース姿の自分がそこに映っている。若干右寄りに結ったポニーテールが小さく揺れた。

 あと十分後に冬馬が迎えにくるはずだが、待ちきれない。自分から迎えに行こうとバッグを手に取った。

 出かける前に何気なく部屋の窓から西脇家を見ると、もう冬馬は倉沢家の玄関先まで来ているのが目に入る。家の前で友達と遊んでいた葉月と何かを話しているようだ。



( あっ、もう冬馬が来てる! )



 桃乃は急いで部屋を後にした。玄関から外に出ると、冬馬がいち早く気付き、「よっ」と片手を上げる。


「あ、葉月ちゃんのお姉さん! こんばんは!」


 葉月の親友で同じクラスの石塚(いしづか)里美(さとみ)が背中の中心まである長い三つ編みを揺らして桃乃に挨拶をする。桃乃も「こんばんは、さとちゃん」と笑って挨拶を返した。

 普段からよく倉沢家に遊びに来るので、桃乃も里美を “ さとちゃん ” と呼ぶほど親しくなっている少女だ。


「お姉ちゃん! 今日ね、さとちゃん、ウチに泊まるんだよ! お泊り会なの!」

「あらそうなの? そういえばこの間葉月もさとちゃんのお家に泊まりに行ってたものね。ゆっくりしていってね、さとちゃん」

「はい! お世話になります」


 葉月とは違い、おとなしく礼儀正しい里美はぺこりと頭を下げて嬉しそうにそう答えた後、桃乃と冬馬に代わる代わる視線を送った。


「お姉さん達、これからデートですか?」 

「今更なに言ってんの、さとちゃん! もっちろんデートに決まってるじゃない! この二人、毎日ラブラブですごいんだよ!?」


 目を輝かせ、葉月が横から口を出し始める。


「夏休みに入ってからもういっつも一緒! でね、毎日のように会っているくせに、毎晩ケータイでメールのやり取りしてるの! スゴいでしょー!?」

「ちょっ、ちょっと葉月! 変なこと言わないでよ!」


 桃乃は顔を赤らめて妹を叱るが、葉月の暴露話は止まる気配を一向に見せない。


「ねぇねぇさとちゃん、聞いて聞いて! 昨日もねー、どっかに遊びに行って二人で夜遅く帰ったきたかと思ったら、なんとビックリ! お姉ちゃんと冬馬兄ちゃんはこの家の前でねー…」

「は、葉月!?」


 驚いた桃乃がそう叫んだ時、葉月の口が即座に大きな手で塞がれる。暴露話を止めたのは冬馬だ。


「……おい、葉月、お前まさか見てたわけじゃないだろうな!?」


 冬馬に口を押さえられ、葉月はしばらくもがもがと暴れていたが、なんとかそこから脱出することに成功すると、途端にまた以前の小悪魔に変身する。


「エヘヘッ、残念でしたぁ! バッチリ見てたよ~! しかし冬馬兄ちゃんってば大胆だよね~! 普通、彼女の家の前であんなことするかなぁ? 家の誰かに見られちゃうかも、とか考えなかったのー?」


 はっきり “ 見ていた ” と葉月に断言され、今度は冬馬の鼻も若干赤みを帯びる。


「葉月、見たのはお前だけか……?」

「ふふっ、どうかなぁ~? 見たかもしれないしぃ~、見なかったかもしれないしぃ~?」


 小悪魔は焦らすように返事を濁す。すると冬馬は無言で葉月の身体を後ろからがっしりと抱え込んだ。


「キャーッ! エッチー! 冬馬兄ちゃんってばどこ触ってんのよー!」


 慌てた葉月は桃乃に助けを求める。


「ちょっとお姉ちゃん助けてー! 冬馬兄ちゃんがウワキしてるよー!?」


 しかし昨日のことを家族に見られていたかどうかを冬馬以上に知りたい桃乃は当然止める事はしない。


「葉月、お父さん達も見てたの……!?」

「いいか葉月、正直に言え。言わないとくすぐり地獄が待ってるぞ。見たのはお前だけか?」

「……え、えーと……」


 二人がかりで詰問され、言おうかどうしようかと葉月は迷いをみせた。

 葉月の細い脇腹にスッと長い指が伸びる。これは本気でくすぐられる、と予感した小悪魔はついにここで陥落した。


「み、見てないよ! お父さん達は知らない! あたしだけ!」

「……本当だな?」

「ほっ、本当、本当! だってリビングにはカーテンかかってるし! あたしはたまたま二階に行く途中であの階段の小窓から偶然見たんだもん! 本当だよ!」

「……よし、分かった」


 拘束が解かれる。無事に解放された葉月はふーと大きく息を吐いた。


「いいか、葉月。昨日見たことは誰にも言うなよ?」

「えー!? 二人は付き合ってるんだから別にいいじゃん! 冬馬兄ちゃん、あれって言われちゃ困る事なの?」

「こ、困るってわけじゃねぇけどよ……」


 冬馬は鼻の頭を赤らめたまま、手持ち無沙汰な手をジーンズの後ろポケットに半分入れ、桃乃にチラリと目線を送る。視線を向けられたせいで桃乃の顔もさらに赤く染まった。


「あ、やべっ。俺財布忘れてきてる。ちょっと取ってくるわ。桃乃、ちょっと待ってろ」

「う、うん」


 ポケットに手をやったせいで財布を忘れている事に気付いた冬馬は急いで自宅へと戻って行った。

 話題に入れず、先ほどから除け者状態の里美が寂しそうな表情を浮かべている。


「ねぇ葉月ちゃん、さっきから皆で何のお話をしているか、さっぱり分からないんだけど……?」

「あっ! ごめんね、さとちゃん! 別になんてことないの! 昨日の夜にね、ここでお姉ちゃんと冬馬兄ちゃんがキスしてたってだけだから!」

「ちょっと葉月っ!」


 あっさりと里美に話してしまった妹に桃乃は慌てる。


「いいじゃん、今は冬馬兄ちゃんもいないし、女だけの秘密の会話なんだからさ!」

「うわぁ、お姉さんとお兄さん、ここでキスしてたんですかー!?」


 やっと話が飲み込めた里美の目が急に輝きだし、小学生相手にムキになるわけにもいかない桃乃は、赤くなっている困り顔を隠すために両の頬に手を当てる。


「そうなの! あのね、お姉ちゃんが家に入ろうとしたら冬馬兄ちゃんが呼び止めてね、戻ってきたお姉ちゃんをがしっと捕まえて、この門をこうお互いの間に挟んで……ってカンジで!」

「や~ん、ステキ~っ!」


 葉月の詳細な説明に里美の目がますます輝き出す。


「お姉さんの彼ってすっごくカッコいいですよね! 実は私、前から一度見てみたかったんです!」

「えっどうして?」


 桃乃の問いに里美は明るく答える。


「ね、葉月ちゃんは覚えてない? ほら今年のバレンタインの時にさ、ここで葉月ちゃんと遊んでたらいっぱい女の人が来て、みんなそこのおうちにチョコ届けてたじゃない! お姉さんの彼がそこの家のお兄さんだってこの間葉月ちゃんに聞いてから、どんなお兄さんなのかなーってずっと思ってたの!」

「あーあったね、それ! もちろん覚えてるよ! その中でさ、チョコをあたし達に届けてって頼んできた女の人いたよね?」

「うん、いた! 確かお団子ヘアの女の人だったよねっ」

「そうそう! 懐かし~!」



 ── 以前も葉月から聞いたことのあるこの話題。


 はしゃぎながら当時を懐かしむ葉月達の様子を桃乃は複雑な思いで眺める。

 その当時はまだ冬馬を避けていて、恋愛感情を持っていることを自覚していない頃。

 でも好きで好きでたまらない今は、過去の話とはいえ、決していい気持ちはしなかった。



「あっ、さとちゃん、冬馬兄ちゃんが戻ってきたからこの話はここで終わりね! あたしがくすぐられちゃうから!」


 財布を取ってきた冬馬の姿を目ざとく見つけた葉月が口の前に人差し指を立てる。里美もすぐに同じように人差し指を立てて了解の合図を送った。


「桃乃。そろそろ沙羅の家に行かないとライブに間に合わないぜ?」

「う、うん」

「どうした?」

「な、なんでもない! じゃあ行ってくるね、葉月」

「葉月、いい子で留守番してろよ?」

「また冬馬兄ちゃんはそうやってあたしを子供扱いするー!」

「ははっ、悪ィ悪ィ。じゃあな」


 沙羅の家に向かうため、駅前に足を向けた二人の背に、


「お姉ちゃーん、冬馬兄ちゃーん、デートに行ってらっしゃーい!」

「楽しんで来てくださいねー!」


 葉月と里美の声が駆け足で追いかけてくる。

 その晒し者的な見送りに、「今時の小学生っつーのはスゴいな」と冬馬が苦笑いを浮かべたが、幼い声はまだ執拗に二人を追いかけてくる。


「ねーねー冬馬兄ちゃーん! お姉ちゃんと手、繋がないのー!?」

「だってラブラブなんですよねー!?」


「……もう葉月ったら……」


 桃乃は恥ずかしさで小さく俯いた。


「あいつら、絶対に俺らをからかってるよな」


 言葉こそ悔しそうだったが、冬馬の横顔を見上げると今度は苦笑いではなく、正真正銘の笑みが浮かんでいる。


「……なぁ桃乃、リクエストに応えて見せつけてやろうぜ?」


「え?」と聞き返す間も無く、左肩に手を回され、お互いの身体の側面が完全に密着するぐらいにまでグイと引き寄せられる。

 と同時に後方でキャーキャーと騒ぐ、葉月達の派手な歓声が上がった。


「と、冬馬ってば……」


 軽くたしなめるも、冬馬の表情にはまったく反省の色がない。


「別にいいじゃん。俺ら付き合ってるんだからさ。…………だろ?」


 冬馬は最後の言葉に力をこめてそう告げた。茜色に染まるその真剣な顔に、桃乃の心は大きくときめく。

「うん」と桃乃が頷いたので冬馬の表情が心なしかわずかに緩んだ。

 中庭で絶叫した後の、あのランチの時のように。



「……ならいいんだ」



 冬馬はそう呟くと抱いている左手に力を込め、さらに桃乃を自分の側に引き寄せた。

 少しずつ小さくなっていた葉月達の歓声が背後でまた大きさを増す中、路地の中央で前方に伸びるニつの影は今は一つに重なり、二人の歩く速度に合わせてゆっくりと揺れ動いていた。




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