続・四人の約束 < 2 >
「災難だったな、冬馬」
自分の隣に腰を下ろした冬馬に要がねぎらいの言葉をかける。
「あぁ、まったくだよ。思いっきり引っ張られたからこっちの耳だけ伸びるかと思ったぜ」
冬馬の様子が普段と同じに戻っていたので沙羅も安心して口を挟んでくる。
「なんかすごく嬉しそうに冬馬の耳引っ張ってたよね、誠ちゃんってばさ」
「あ? せいちゃん?」
つい先ほどの要とまったく同じ音程で冬馬が問い返してきたので沙羅が盛大に吹き出す。
「あははは! 冬馬ってばさっきの要とおんなじこと言ってるよ~!」
爆笑する沙羅の横で要が「矢貫のことだ」と面白く無さそうに説明した。
「矢貫?」
冬馬は顔をしかめ、重ねて尋ねる。
「沙羅、まさかお前、矢貫に正面切ってそれを言ってるわけじゃないだろ?」
沙羅の笑い声が一段と大きくなった。
「まただ~! また同じだ~!」
我慢しきれずに一緒に笑い出した桃乃に、ますます冬馬は狐につままれたような顔になる。
「おい、なんで桃乃まで笑ってるんだよ? なぁ要、俺らがそんなふざけたあだ名で矢貫のことを呼んだらまずタダじゃ済まないよな? 鉄拳制裁じゃねぇか?」
女性陣の笑いのボルテージがここで最高潮を迎えた。
「Wao! スゴいスゴい! ここまでピッタリだよモモ!」
「本当! まったく同じよね!」
「ハ? 同じって何だよ?」
「……冬馬、もういい。いいからもう喋るな」
からかわれる事に慣れていない要は苦虫を噛み潰したような顔と声で冬馬を制す。
四人の間にいつも通りの空気が戻った。目尻に浮かんだ涙を拭きながらじゃあお昼にしよっか、と沙羅が昼食開始の口火を切る。
「あ、冬馬! モモね、冬馬にランチ作ってきたみたいだよ!」
「あぁ、知ってる。昨日桃乃がそう言ってくれたから俺、今日弁当持ってきていないんだ」
「なーんだ知ってたんだ? よーし! じゃあモモに負けないであたしも要にいいものあげようっと! はい、要! どーぞ! これ、ぜーんぶあげる!」
沙羅はポーチから淡い黄色に水玉模様地のラッピング袋を取り出し、要に差し出した。
「何だそれ?」
「開けてみてよ!」
要は面倒くさそうにガサガサと袋を開ける。中に入っていた物を見た桃乃と冬馬は同時に「あっ」と声を上げた。
「さ、沙羅、それってもしかして昨日家庭科で作った……」
右手の指先は要が手にしている袋、顔は沙羅に向けて桃乃が恐る恐る尋ねる。即座に自信満々の沙羅の返事が跳ね返ってきた。
「うん、クッキーだよ! 昨日は雨降ってて要に渡せなかったからね!」
「あ、あのね沙羅、そのクッキーすごく甘……」
「おっ! 手作りクッキーじゃん!」
桃乃の言葉を強引に遮り、冬馬が弾んだ声で熱心に後押しを始める。
「良かったな、要! なかなか美味そうじゃん! 早速食ってみろよ!」
「俺、甘いものは苦手だ」
素っ気無い口調でクッキーを食べようとしない要に沙羅がむくれる。
「ひどーい要! せっかく作ったのにー! ちょっとぐらい食べてくれたっていいじゃないのー!」
「甘いもん苦手でも少しくらい食ってやれって要! 沙羅が一生懸命精魂こめて作ったんだからさ。なぁ、桃乃?」
「え!? あ、あの……、う、うん……」
桃乃はコクリと首を縦に振る。冬馬に暗に同調を促され、沙羅の気持ちを考えればここは頷くしかなかった。例えあのクッキーが凄い出来栄えだったとしても。
「ほら、早く食ってやれよ! 一つ! 一つでいいからよ! な?」
冬馬は目を輝かせながらしきりにクッキーの試食を勧める。
「……じゃあ一つだけな」
仕方なく要は袋の口を大きく開け、中にあるショコラクッキーに手を伸ばしかけた。するとすかさず冬馬が「待て要!」と慌てて止める。
「黒じゃなくてそっちの白い方食え! 白い方! 絶対そっちの方が美味いから!」
「とっ、冬馬っ!」
桃乃は慌てて叫ぶ。冬馬の意図が分かるのはこの中では自分だけだ。なんとか試食を止めさせようとしたが、冬馬はそんな桃乃に向かって小さく片目をつぶる。その悪戯な表情にどきりとして続きを飲み込んでしまった。
「そっか、モモはもう冬馬にクッキー上げたんだ?」
沙羅が澄んだブルーの瞳を瞬かせながら尋ねる。
「う、うん……」
どうしよう、どうしよう、と思いながら桃乃はそう答えた。冬馬の指示に従って、要は袋の中から ホワイトクッキーをつまむ。
「こっちか?」
「そう、そっちだ!」
渋々、といった様子でハート型のホワイトクッキーが要の口中に消えていく。三人全員が身を乗り出して次に起こす要のリアクションを固唾を呑んで見守った。
ポリポリという音が消える最後まで完全な無表情でクッキーを食べきった要はボソリと言う。
「……なんだ、この糖尿一直線の食い物は」
即座に起こる大爆笑。もちろん冬馬だ。
「はははっ! 糖尿一直線ときたかっ!」
「ちょっとそれどういう意味よ、要! 美味しくないってことなの!?」
ムッとする沙羅に桃乃は慌てて説明する。
「沙羅、あのホワイトクッキー、すっごく甘いの!」
「へ? 当たり前じゃない。だってクッキーだもん」
「だからそれが……」
すかさずその後を冬馬が引き継ぐ。
「それがハンパじゃねぇんだって沙羅! 俺、昨日一つ目を初めて食った時、思わず絶句したぞ? 砂糖をそのまま食ってるかと思ったぜ」
「えー!?」
「ねぇ沙羅、ホワイトクッキーの方の生地にお砂糖何グラム入れた?」
「お砂糖の量? もうよく覚えてないよー!」
「ほら、私達、ホワイトクッキーも作る事にしたから生地を半分に分けたでしょ? あの時お砂糖も半分にした?」
「半分……? ……あっそっかー!! 半分にするのか! あたし、勘違いしてお砂糖、倍にして入れたよ!」
「えぇっ!? 倍もお砂糖入れたの!?」
このやり取りに要が小さく二度、頭を振る。
「……ということは今の話を総合すると、通常の四倍の砂糖が今食った白い菓子には入っているわけだ。しかし一体どういう解釈で半分の生地に倍の砂糖を入れようという思考になるのかが皆目見当がつかない」
「これは失礼しました~!」
沙羅はえへへ、と照れ笑いをし、ペコリと頭を下げる。その拍子に両脇のツインテールが大きく揺れた。
「要、もういいよ、それ食べなくても! ごめんね、甘いの苦手なのにそんな激甘なクッキー食べさせちゃって! それこっちにちょうだい!」
元気良く自分に向けて突き出してきた沙羅の右手に要はチラリと視線を送る。そしてふぅ、と息をついた後、傍らにあった烏龍茶の缶の中身を半分ほど一気に飲んだ。
「……一度受け取って口をつけたものを突っ返すほど礼儀知らずじゃない。一応貰っとくよ」
そのつっけんどんな言い草にまたツインテールが空中で大きく踊る。
「ちょっとちょっと要ー! “ 一応 ” ってなによ! それってびみょーに失礼なような気がするんだけど!?」
「気のせいじゃないか」
「気のせいじゃなーい! いいからクッキー返してよ! そんな失敗作、どうせ食べないんでしょ!?」
「いや、カロリーはそこそこありそうだし、山中で遭難した時の非常食には適していると思う」
「ひっ、非常食ー!?」
「あぁ。緊急食と名付けてもいいな」
「もっ、もうっ! 本当に失礼だよ! ……でも要って登山の趣味があったんだ?」
「いや、一切無い」
「ちょっとなによそれーっ!」
掛け合い漫才のようなこのやり取りに桃乃は笑い出してしまった。
「なぁ桃乃」
右隣に座っていた冬馬が桃乃を呼ぶ。
「なに?」
「耳貸せ」
わずかに身をそちらに傾けると、“ やっぱこいつらいいコンビだよな ” と低い小声が右の鼓膜をくすぐる。視線を上げて大きく「うん」と頷いた。
冬馬が笑う。
その瞳の奥にはかすかに寂寥の色が浮かんでいたのだが、その色が淡くなり始めていたせいで桃乃にはそれが純粋な笑顔としか映らなかった。