続・四人の約束 < 1 >
その日の昼。
冬馬は要と一緒にカノン中央塔の中庭に向かっていた。桃乃はもう先に来ているだろうか、と考えながら。
「本当に悪かったな、冬馬」
横で要が今回の合コン替え玉事件についてもう一度謝罪をする。
「もういいって、昨日も何度も聞いたからよ。大体悪いのは兄貴一人なんだからさ。要は俺のためだと思って引き受けてくれたんだろ?」
「……あぁ。大筋はな」
「なんだ? 何か他に魂胆があったのか?」
「あぁ、実は少しだけな…」
要は言いにくそうに言葉を濁す。長い前髪の奥の目にためらいの色が浮かんでいた。
「もしかして合コンに出たかったのか?」
「いや違う」
即座に要は頭を振る。要にしては大きな動作だ。よほど心外だったらしい。
「椎名に振られたばかりなのにそんな気になれねぇよ」
「じゃ、なんだよ?」
「……ま、あの娘達にも聞いてもらいたいからさ、それは後で言うよ」
「あ? なんで今回の合コンのことで桃乃達に話すことあるんだよ? 大体沙羅なんて今回の事は何も知らないと思うぜ?」
「いや、この話は合コンとはもうほとんど関係ない話題なんだ。それより冬馬、お前と倉沢さんが 元に戻って本当に安心したよ。今日中庭に来るんだろ?」
「あぁ」
要とそんな会話をしながらも、頭の中では別の事を考えていた。
陽光が校舎内の白壁の至る所に反射し、その眩しさに冬馬は階段を目を細めながら降りる。
周囲が白い光に満ち溢れているせいで、またあの雪景色のシーンを思い出してしまっていた。
雪の中にうずくまった小さな背中。
冷え切った真っ赤な指先。
涙を堪えていた幼い桃乃の横顔。
初めて自分の胸中にその決意が浮かんだのは、桃乃の想いを知ってしばらく橋の袂で呆然と立ち尽くした後、雪上に点々と散らばった千切れた赤い包装紙の紙片を見た時からだった。
だがその決意を桃乃に告げることはなかなか出来なかった。
星空観察の夜の時も、菓子工場見学後の帰り道の時も、それは喉元まで出てきていたのに、結局伝えられなかった。そして月日は流れ、やっとそれを伝えるチャンスが再び巡ってきたのは昨夜のことだった。
桃乃を抱きしめ、冬馬は耳元でそっと囁く。
あの公園で、ありったけの想いをこめ、たった一言だけ。
── 絶対に忘れさせてやるから
兄貴の事をすべて。
俺が全部消し去ってやるから。
もう二度とお前の手を冷たくさせないから。
俺が側にいるから。俺がお前を守るから。
それはようやく言えた、何年も胸にしまってきた決意の言葉だった。
でも桃乃は。
何も答えてくれなかった。
軋む心が今にも潰れてしまいそうで、桃乃の髪を撫で続けることで必死にそれを押し留めていた。自らの力で止まる事の出来なくなった壊れた回し車のように、頭の中で淀む気持ちが果てしない堂々巡りを繰り返す。
── そうだ、桃乃をずっと好きだったから分かる。俺には分かるんだ。
……なぁ桃乃、お前が俺のことを好きだって言うのは──
「あ、もうあの娘達、先に来てるぜ」
要の言葉にハッと顔を上げる。
一階の廊下の窓から、桃乃と沙羅が芝生に座って談笑している光景が目に映った。
楽しそうに笑っているその横顔には幸せな表情が溢れている。
それを見た瞬間、足が勝手に走り出していた。
冬馬はずらりと連なる廊下の窓の一つを乱暴に開けるとそのまま窓枠を乗り越える。
「おい冬馬! お前靴どうすんだよ!」
しかしその要の声ももはや耳には届いていなかった。上履きのまま、芝生に降り立つと桃乃の元に駆け寄る。
「あ! 冬馬が来た~! 遅いよ~!」
冬馬が来たことに気付いた沙羅が大きく手を振る。全力で駆け寄ったせいでハァハァと息を切らせながら冬馬は桃乃の前に立ちはだかった。
昨日の夜の事を思い出したのか、桃乃は少しだけ恥ずかしそうに頬を染めてそんな冬馬を見上げる。
「おい桃乃ッ!」
荒い呼吸を整えようともせず、冬馬は桃乃の顔を指差し、大声で叫んだ。
冬馬の真剣な表情とその剣幕に、桃乃の表情は恥じらいから驚きへと変化を見せる。
「な、なに? 冬馬?」
「いいか桃乃っ! これから俺の尋ねる質問に心して答えろよ!?」
「え?」
冬馬の表情につられて桃乃の顔にも不安さが増し、「なになに? どうしたの冬馬?」と沙羅も何度も瞬きを繰り返している。
ゴクリ、と唾を飲み込むと、冬馬は一気に言い放った。
「すっげぇ速いスポーツカーと、のんびり走る遅いエコカー! お前、どっちがいい!?」
「……なにそれ冬馬? あ! なんかの性格占いとか?」
と沙羅が口を挟む。しかし冬馬はそれには答えず桃乃の返答を催促する。
「桃乃っ、どっちがいいんだっ!?」
「……う、うん……」
あまりの必死な勢いで重ねて尋ねる冬馬に困惑しながらも桃乃は答えた。
「……じゃあエコカーの方かな……?」
「なっなんでだよ!?」
冬馬の顔色が変わる。
「だって、あんまり速く走る車って乗ってて怖いもん」
「冬馬! 次はあたしにも聞いて聞いてー!」
すかさず沙羅がその質問にちゃっかりと便乗する。
「あたしはねっ、断然スポーツカー! ねっスポーツカーを選ぶとどういう性格なの? もしかして猪突猛進とかー?」
そこに外靴に履き替えた要が怪訝な顔で合流する。
「おい、冬馬。お前上履きのままはマズいって。教師に見つかったらうるさいぞ」
「あっホントだー! 冬馬ってば上靴じゃない! なんでー?」
「知らん。こいつ、急に廊下の窓から飛び出して行っちまったんだ」
答えない冬馬の代わりに要が返答する。
「ど、どうしたの冬馬……?」
拳を強く握り締め、小刻みに震えている冬馬に桃乃がおずおずと声をかける。
冬馬は弾かれたように天を仰ぎ、腹の底から搾り出すような声で絶叫した。
「…………ちっくしょぉぉぉぉぉ――っ!!!」
中央塔の中庭にやさぐれた咆哮が派手に響き渡る。
「冬馬……?」
「なに? なんなの?」
「おい冬馬、お前さっきからどうしたんだよ?」
今の冬馬の気持ちが分からない桃乃と沙羅、そして要の三人は唖然とその姿を見つめた後、お互いの顔を見合わせてただ戸惑うばかりだった。
絶叫に近い雄叫びが中庭を貫いた約十分後。
桃乃と沙羅、そして要の三人は中庭の芝生の上に座り、冬馬が戻って来るのを待っていた。
「……モモ、冬馬すぐに戻ってこられるかなぁ? あのまま職員室に連れて行かれて帰って来られなかったりして……」
「うん……」
桃乃は心配そうな表情をさらに濃くして中央塔の方角に目を向けた。するとその視線が二人分になる。
「しかしついてねぇよな。よりによって矢貫に見つかるなんてよ」
自分の足を邪魔そうに折り曲げて愚痴る要に、珍しくしんみりとした口調で沙羅がそれを受けた。
「誠ちゃんは熱血漢だからねー……」
「せいちゃん?」
聞きなれないその呼称に要が問い返す。
「矢貫先生のことだよ。あたし達、誠ちゃんって呼んでるの」
「……まさか面と向かってか?」
「うん、そうだよ?」
「すげぇな……。俺らがそんな呼び方したら間違いなく一波乱起きるぞ」
だが要はそう言いつつも、「ま、呼ぶ気もないけどな」と付け加えるのを忘れない。
「でも要、いつもそう呼んでいるわけじゃないよ? 体育の授業とかで先生がお手本見せる時に 応援コールで呼ぶの。“ 誠ちゃん、頑張って~! ” とか “ 誠ちゃん、ファイトー! ” とか。矢貫先生、後で怒るけどね。でもあたし達、いつもそうやってからかっているから、先生ももう慣れてきちゃってるのかも」
「平和なもんだな、そっちは」
「まぁね!」
沙羅と要の会話はまだ続いていたが、桃乃は中央塔の方角に頻繁に視線を送り続ける。
上履きで中庭に出ていたのをたまたま職員室に戻る途中の誠吾に見つかり、冬馬がそのまま連れ去られてからすでに十分以上の時間が経過しているにもかかわらず、未だ戻ってくる気配は無い。
(探しに行こう……!)
先ほどの冬馬らしくない、妙に切迫した様子も気になっていた。
いても立ってもいられなくなった桃乃は、大きなランチボックスを膝上から芝生に移動させる。
特大ランチボックスの中には二人分のクラブサンドがぎっしりと詰め込まれている。自分ともう一人はもちろん冬馬の分だ。今朝早起きをして一生懸命作ってきたそれを小脇に置き、急いで立ち上がる。
「どーしたのモモ?」
「私、ちょっと行ってくるっ!」
「エッ、冬馬を探しに? でもモモ、おとなしくここで待ってた方がいいよ。だって、もしすれ違いになっちゃたらさ…………あ! 来た来た!」
沙羅が指差す方角に急いで顔を向けると噂の張本人が左耳をさすりながら戻ってくるところだった。
「冬馬!」
桃乃は一目散に駆け寄った。そして右に比べると赤みを帯びている左の耳にそっと手を伸ばす。
「熱、持ってる……。大丈夫? 保健室に行く?」
「大げさだなぁ、桃乃は。矢貫にちょっと引っ張られただけじゃん」
先ほど絶叫でいくらか胸がすいたのか、冬馬は桃乃に向かってニッと笑ってみせた。自分に向けられたその笑顔や声の調子がいつもの冬馬に戻っていたので桃乃はホッと胸を撫で下ろす。
「さ、行こうぜ」
冬馬は自分の耳に触れていた桃乃の手を外し、そのまま握りしめると要と沙羅の待つ場所へと歩き出した。
倍ほども違う小さな手を掴んだ冬馬の手には少々不自然なほどの強い力がかかっている。
だがそれは痛みを感じるまでの強さではなかったので、冬馬の様子に安堵していた桃乃はそれを不審には思わなかった。