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越えたい背中 <2>


「やった! 積もってるじゃん!」


 十歳の冬馬は弾んだ声を上げる。

 朝、寝ぼけ眼でカーテンを開けると外は一面の銀世界だったのだ。

 昨夜の気温がよほど低かったのか、いつもなら一晩であらかた溶けてしまう泡雪は、朝になっても消えずにまだかなりの量が地面に残っている。滅多に見られない光景に、見ているだけで胸がわくわくしてくる。目も完全に覚めた。


 朝食を取ると身支度を済ませ、今日の授業の忘れ物はないかランドセルの中身をチェックをした後、学校へ向かう。

 吐く息が白く煙る中、向かいの倉沢家をチラリと見たが玄関の扉が開きそうな気配はない。大体いつもこの時間に桃乃も外に出てくるのだが、今日はタイミングがずれてしまったようだ。



 ── でも今日はいいか。



 そう自分に言い聞かせる。今日は特別な日なのだから。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 


  

 通学途中でクラスの仲間と次々に会い、雪玉をぶつけあいながら登校する。今回降った雪は水分を多く含んでいるので、雪合戦には最高の雪質だ。


「あっ、冬馬! 二個同時投げは反則だぞ!」

「知るかよ! そっちが先にズルしたんじゃん!」

「ちくしょう! 皆、冬馬を狙え! あいつだけまだ一回も当たってないぞ!」

「お前らの玉なんか絶対当たんねぇよ!」


 賑やかで騒がしい笑い声が通学路を占領する。楽しくて仕方がなかった。

 でもこんなにも胸が踊っているのは雪が積もったせいだけじゃない。もちろんそれは冬馬自身、充分に分かっていた。


 今日は二月十四日。

 いつものように桃乃からチョコレートを貰えるだろう、と冬馬は確信していた。学校にチョコレートを持ってくることは固く禁止されていたから、桃乃は帰宅後に家に届けに来てくれるだろうな、とも。

 去年も、その前の年も、ずっとずっとそうだったように。

 桃乃は去年から手作りに挑戦しだしたらしく、貰ったチョコレートは表面がかなりでこぼこしていたが、逆にそれが新鮮で嬉しかった。

 


「冬馬ちゃん、おはよ」



 仲間と騒ぎながら登校していたので気がつかなかった。すぐ後ろから桃乃が来ていたのだ。

「よ、よっす!」

 すかさず仲間達が桃乃の呼び方を真似し、

「冬馬ちゃ~ん!」

 と一斉にからかい出す。

 しかし冬馬はそんな野次など全く相手にせずにすぐに桃乃の側に歩み寄った。

 するとからかい甲斐がない冬馬の様子に肩透かしをくらった仲間の一人が、ターゲットを変更してもう一度「冬馬ちゃ~ん!」とふざけながら桃乃に向かって雪玉を投げつけた。幾つかの氷の欠片が混じった子供の拳ほどの雪の塊は、桃乃に向かって一直線に飛んでいく。

「きゃっ……!」


 パシャン、と脆い音を立てて目標物に当たった雪玉はあっけなく砕けた。


 しかし命中した先は本来の目標物では無かった。

 仲間が雪玉を放り投げたところを見た冬馬が、すかさず桃乃の盾になって身代わりでそれを喰らったのだ。

 冬馬の左のこめかみに当たった雪はみぞれ状になって髪や肌にべったりと付着し、体温で溶けて水滴と化す。その水滴は頬をゆるゆると伝った後、顎の先で雫になってポタリポタリと雪面へ還ってゆく。

「と、冬馬ちゃん……」

 自分を庇った冬馬の背中を見上げて桃乃は呟く。冬馬は仲間を睨みつけると語気荒く叫んだ。


「止めろっ! こいつを狙うなっ!」


 その冬馬の剣幕に気を削がれたのか、仲間達は「……行こうぜ」とその場に二人を置いてさっさと先に学校へ向かってしまった。

「大丈夫か?」

 後ろを振り返った冬馬の顔に何かがそっと押し当てられる。

「ありがとう、冬馬ちゃん……」

 顔に当てられたのはハンカチだった。桃乃はそれを使って濡れてしまった冬馬の髪や顔を優しく拭いていく。

「だっ、大丈夫だってこれぐらい!」

 冬馬は慌てて身を引き、着ていた青いパーカージャケットの袖で何度も乱暴に左頬を拭った。

 自分の髪や顔を一生懸命拭いてくれる桃乃の顔が二十センチと離れていない正面だったせいで、顔が熱くなってきている。

 桃乃はまだ心配そうな顔をしていたが、「ほら行こうぜ」と冬馬が歩き出したので慌てて小走りでついてきた。


「ね、冬馬ちゃん」


 そう自分の名を呼ぶ桃乃に生返事をしながら、冬馬の胸中は複雑だ。

 クラスの仲間にからかわれるから、という理由からではないのだが、冬馬自身もそろそろ名前に「ちゃん」をつけて呼ぶのは止めてほしいと思っていた。だが一方で、桃乃がクラスの男子で名前を呼ぶのは自分だけだということに小さな優越感のようなものも感じていたのでなかなか言い出せずにいた。

 とはいえ、自分が「モモちゃん」と呼ぶのはもう気恥ずかしい。

 かといって「桃乃」と呼び捨てにする勇気もまだ持てなかったので、最近はできるだけ桃乃の名前を呼ばないで済むような会話になってしまっていた。


「ね、冬馬ちゃん。明日の夜は星空観察だね」

「あ、あぁ」


 今日の桃乃は襟元と袖口にボアのついた純白のコートを着ているせいか、隣で微笑むその姿はいつにも増して眩しく見える。もしかして今日の雪はこいつが降らせたんじゃないか、などとメルヘン的な考えが頭をかすめた。

 ちょうどいい話題を桃乃が出してきてくれたので、声が弾みすぎないよう、あくまで自然に、さりげなくを装いながら誘う。

「明日、百合ヶ丘公園に一緒に行くだろ?」

「うん、行こっ」

 よしっ、と内心でガッツポーズをする。

「今月って行事が多いよね。再来週は社会科見学もあるでしょ」

「あー、そういえばそうだな。菓子工場に行くんだっけ」

「うん」

 社会科見学、一緒に回れないかな。班が違うからそれはさすがに無理か。

 などと考えていたせいで、歩くリズムに合わせてゆらゆらと大きく揺れていた冬馬の手が桃乃の手に一瞬ぶつかる。お互いに手袋をしていなかったので、手と手が直に触れた。


「あっ、ごご、ごめん!」


 どもる冬馬に「ううん」と笑顔で返す桃乃。

 また自分の顔がわずかに熱くなったのを感じた。それが必要以上に桃乃を意識しているせいなのは分かっている。そして笑いかけられたぐらいでここまで幸せな気持ちになれる自分ってどうよ、と自嘲する。


「……手、寒くないか?」


 桃乃の右手に目をやりながら遠まわしに尋ねてみた。その小さな手はついさっきまで雪玉を握っていた自分の手よりも冷たかったから。

 だが次に言いたい言葉もすでに用意してあったのに、「ううん、大丈夫だよ」とあっさり返されてしまった。それでも冬馬はその用意した次の言葉をなんとか口にしようと、左手を握ったり開いたりを意味も無く何度も繰り返し続ける。



 だが結局、「手繋ごうぜ」とはとうとう最後まで言い出せなかった。



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