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割れないタマゴ 【 前編 】


 三人を乗せた車は孝太郎のアパート近くの歩道沿いに滑り込むように止まる。

 孝太郎が車から降りてしまう前に、裄人は後部座席へ早めの釘を刺した。


「孝太郎、寝る前に必ず水飲めよ? コップに二杯以上だ、忘れるな」


 注意を受けた孝太郎は呆れたように大きく肩を竦める。

「お前ってまるで俺の奥さんみたいだよな! お前がいてくれれば、俺、一生独身でもいいかも!」

「だから茶化すなっての。心配してるんだぞ?」

「ハハッ、悪ィ悪ィ! あ、それと先に帰ったお前の弟くんによーく礼を言っといてくれな? 弟くんのおかげで無事に今日の合コンが出来たんだからさ」

「あぁ伝えとくよ」

「頼むぜ! 桜子にも相当絡まれてたし、弟くんには悪いことをしちまったからなぁ。今度なんか奢ってやらないとな」

 そう言うと孝太郎は助手席のヘッドレストに手をかける。


「真里菜ちゃーん! 俺のせいで家に戻るの少し遅くなってごめんな!」


「い、いいえ、そんな事ないです! でも加賀美さん、今日は早く寝て下さいね?」

 助手席から振り返りそう答えた真里菜の表情には、つい先ほどまであった孝太郎に対しての警戒色がほぼ無くなっている。

「やっさしいねー真里菜ちゃーん! ……でさ、さっき君にもう一つ言い忘れてたことがあるんだ。すぐに済むからちょっとだけ降りてもらっていーい?」

「えっ? はっ、はい。分かりました」

「サンキュ! というわけで悪い、裄人! 一分だけ真里菜ちゃん借りるぜ? さぁさぁ真里菜ちゃん、降りて降りて!」

 孝太郎に強引に促され、真里菜はおとなしく車を降りた。


「こっちこっち!」


 話す内容が裄人に聞こえないように、孝太郎は少し離れた電話ボックス前に真里菜を呼び込んだ。そしてわざと第一声は重々しい声で伝える。

「……いいか、よーく聞けよ真里菜ちゃん?」

「はっ、はいっ!」

「あいつがかなりのお勧め物件なのはもう分かっただろ? トイレ・バスは完全分離、しかも駅近でオートロックも完備ときてる優良物件だ! 保証人はこの俺が喜んでなるからさっ、安心して身一つでどーんと入居しちゃいなよ! きっとバラ色の快適ライフが待ってると思うぜ?」


 先ほどのトンカツ屋の例え話を思い出し、真里菜がクスリと笑う。


「ふふっ、加賀美さんって面白い例えをなさる方ですよね」

「まぁね! でも周りには、お前の言ってる意味分かんねー! ってよく言われるよ。俺はすげーいい例えだと思って言ってるんだけどさ」

 孝太郎は口の端をかすかに上げて照れたように笑うと、半ばゴリ押しに近い最終確認をする。

「で、で、どうだい!? 俺、入居保証人にならせてもらえる!?」

「……え、えっと……」

 返答を急かされた真里菜は次の言葉を言い淀む。

「じゃっ、じゃあまずはお試し入居でもいいからさっ! 現在こちらの物件は絶賛トライアル期間中ですよ!? 周囲の的外れな騒音なんか気にすんな! いざ部屋ん中に入っちまえば室内が快適すぎてそんなもん聞こえなくなるって! だから頭でグチャグチャ考えるより、ここは一先ず試してみようぜ! な!?」

「…………」

 孝太郎の再三のゴリ押しに真里菜は頬を染め、ほんのわずかだけ目を伏せた。

 しかしそれは返答に困ってではなく、小さく頷いたためだ。

「はい。これから西脇さんのこと、私の目だけでちゃんと見てみようと思います」

「よっしゃあーっ!」

 見事、月下氷人の大役を果たしきった孝太郎は大声で叫び、腰の前でガッツポーズをする。

 そして真里菜の両肩をガッシリと掴んだ。



「じゃっ裄人の事はよろしく頼むぜっ、ピグミちゃん!」



 驚いた真里菜がポカンと口を開ける。

「え、それって私の事ですか?」

「あぁ、たった今思い出したんだ! 正式名称は “ ピグミージェルボア ”! トビネズミ科の小動物でピョンピョンとノミみたいに跳ねてさ、すっげー可愛いんだぜ!? 今日から真里菜ちゃんの仇名はそれでいくよ! 変な仇名が裄人だけじゃ不公平だからな! じゃっお休みピグミちゃん!」

 肩に置いた両手を離し、孝太郎は最後にもう一度グッと小さくガッツポーズをすると、アパートの右端にある錆びた鉄製の階段を鳴らして自分の部屋へと帰っていった。

 真里菜は穏やかな微笑を浮かべてその後ろ姿を見送った後、裄人の待つ車内へと戻る。


「大丈夫? なんか孝太郎の叫び声が聞こえたけど……」


 心配そうに尋ねてくる裄人に、迷いが完全に吹っ切れた真里菜は明るく答えた。

「はい、大丈夫ですっ」

「そう? ならいいけど……」

 腑に落ちない表情で運転席に座り直した裄人の様子に、真里菜は明るい表情のままでクスクスと笑い出す。

「ん? どうかした?」

「西脇さん、これから私の仇名はピグミになりました」

「ピグミ? 何だいそれ?」

「加賀美さんが今決めて下さったんです。トビネズミ科の小動物なんだそうです。それが私によく似てるって」


「なっ……!」


 裄人は一瞬、言葉を失う。

「あいつ、わざわざ真里菜ちゃんを降ろしてそんな失礼な事を言ったのか!? ったく、しょうがない奴だな……。ごめんね、明日叱っておくよ」

「いえ、いいんです! すごくいい方ですね、加賀美さんって」

「そ、そう?」

「はい!」

 この時真里菜は孝太郎の他にもう一人の人物の名も挙げたかったが、その男性がすぐ目の前にいるので、それは口に出さなかった。




 ◇ ◆ ◇




「ごめん、ちょっと寄り道しちゃったから真里菜ちゃんの家に着くの、三十分くらい遅くなりそうだ」


 裄人は助手席で行儀よく座っている真理奈に帰宅時間の変更を告げる。

「家の方、大丈夫? 門限とか無い?」

「いえ、大丈夫です。今日は家に両親がいませんので」

「エッ!?」

 動揺がハンドルに直に伝わったらしい。アスファルトに刻んでいるタイヤのラインがガードレール側に微妙にブレた。

「ど、どうかしました?」

「い、いや…、なんでもないよ」


 動揺が身体の表面に滲み出さないよう、フロントガラスに視線を戻す。

 今日のところはこのまま真里菜を自宅に送り届けるつもりだったが予想外の事態だ。

 この先の行動を大幅変更すべきかどうか。

 綿密、且つ精細なシミュレーションを脳内で行った結果、弾き出された予想勝率は五分五分。裄人にしてはかなり低い確率だ。



( でも今日強引に事を運ぼうとして元も子も無くなるのもマズイしな…… )



 真里菜が箱入り娘で今まで男性と接する機会があまり無かった事を桜子から聞いていたため、今日は特にソフトな対応を心がけたつもりだ。その甲斐もあり、初めての合コンで緊張しているせいもあったのだろうが、最初は自分にたいしてどことなく警戒していたような真里菜も、途中からは笑顔を見せてくれるようにまでなった。

 希望的観測が多少入ってしまっているのは否めないが、今日の合コンで真理奈の自分への反応は決してマイナスなものではなかったと裄人は思う。前進こそすれ、少なくても後退はしていないはずだ。

 しかしせっかく好感触を持たれ始めたばかりなのに、ここでそれを水泡に帰すような迂闊な真似は出来ない。



 ── しかし親が不在という、千載一遇に近いこのチャンスをみすみす見逃してもいいのか?



 裄人は悩み続ける。

 ハンドルを握りながら一瞬だけチラリと隣を見ると、綺麗に手入れされた茶色のウェーブの髪に、薄化粧の真理奈の横顔が流れるネオンに照らされている。ホントに可愛いなぁ、と思いながら裄人の気持ちはまだ決まらない。


 街の中心地を抜け、郊外に入るとようやく渋滞から解放された。

 とりあえず真里菜の家の方角に向かいつつも、車は最終目的地が定まらないままで、ただひたすらに走り続ける。


 フロントガラスにポツリ、と一滴の雫が落ちてきた。

 とうとう雨が降り出してきたらしい。

 しかし降り始めの雨はまだ気が向いた時だけにしか落ちて来ない。本降りになるまでもう少し時間がかかりそうだ。


「雨が降ってきたね、真里菜ちゃ…」


 そう言いかけた助手席の方へ顔を向けた裄人の時間が一瞬凍りついたように止まる。

 本日の合コンでもいつも通りあちこちの座席へホストのように渡り歩いた裄人だが、常に真里菜の動向は気にかけていた。確か真里菜が最初の乾杯の時に口にしていたのはノンアルコールビールで、しかも二杯目からはソフトドリンクに変えていたはずだ。それなのに。


 いつの間にか真里菜は助手席でグッスリと眠り込んでいた。


 その寝顔を裄人は静かに見つめる。

 あどけない顔ですやすやと眠るその姿はとても愛らしかったが、同時に複雑な気分にもさせられた。

 


( アルコールのせいで眠ってしまったんじゃないなら…… )



 こうして二人きりの状態で男の車に乗せられているのに、こうもグッスリと眠り込むことができるのは、“ 余程信用された ” のか、それとも真里菜にとっての自分は、“ 意識外の存在 ” だからなのか。

 


 ── もし後者だったら。



 力なくハンドルを握り直し、裄人は大きくため息をついた。





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