沙漠とネオン 【 前編 】
所変わり、ここは歓楽街の外れにあるイタリア料理店の前。本日、宰条大学の有志による合コンの二次会が行われた会場だ。
店の中から歩道に出た孝太郎は、夜空を見上げその場で大きな伸びをする。
「今日は飲んだなぁ……!」
今にも降りだしそうな空模様だったが、なんとかここまで持ってくれた。
重く立ち込めた暗雲の隙間から時折わずかに顔を覗かせる、儚く霞む丸い月。孝太郎が一番好きな形状の月だ。
天を仰ぎ見ると、そんな月と煌くネオン郡が猥雑な下界から共に眺められた。
日頃の行いがいいせいかもなぁ、などと調子のいいことを考える孝太郎の元に、合コンに参加していた他の男性メンバーの一人がやってきて声をかける。
「おい孝太郎! 早く来いよ、次行くぞ、次っ!」
「あ、悪い。俺パス」
孝太郎は顔の前で片手を立て、あっさりと断る。
「うぉい! なんだよ、まさかお前来ないつもりか!? 宴会部長のお前が来なかったらこの後どうやって盛り上がるんだよ!?」
アルコールの大量摂取で少々赤ら顔にはなってはいたが、孝太郎はサイドの髪を後ろにかきあげ、至極大真面目な顔で答える。
「どうやら今日は飲み過ぎた。このまま次に行くと俺は間違いなく猛獣化するぞ。それでもいいのか?」
「あぁ、構わん! いいから来い! もしお前が鬼畜と化して女を襲いそうになっても俺が止める! 命をかけて止めてやる! それにお前今回は幹事だろ!? 桜子は途中で帰っちまうし、幹事が両方いなくなるなんてありかよ!」
「ま、ありはありじゃないか?」
「責任感ねぇー!」
押し問答をしていた相手がそう叫んだ時、他のメンバーが店の入り口付近に心細そうに立っている真里菜を指差した。
「あの娘……、楠木さんだっけ? あの娘は来るのか?」
アイボリーのサマーワンピースが涼しげで小柄な体によく似合っている。
「あぁ、真里菜ちゃんか? いや、彼女はこれで帰るよ。裄人が送ってやるみたいだ」
「なにぃぃぃー! っつー事は、裄人も次に来ないのかっ!? あいつがいなかったら誰が俺達のアシストしてくれんだよ!?」
夜の帳を切り裂く仲間の雄叫びに、呆れた孝太郎は小さく溜息をついた。
「お前らな、いい加減にそうやってなんでもかんでも裄人に頼るのは止めろよ。あいつはお前らの世話役じゃないんだぞ?」
「何言ってんだよ孝太郎! お前だって今まで散々裄人にアシストしてきて貰ってるだろ!? 裄人が来ないのならお前だけでも絶対に連れていくぞっ! いいなっ!?」
しかし血を吐くような仲間の必死の願いも、今の孝太郎の耳にはまったく届いていない。
「いや今日はマジ無理」
と軽く片手を振る。
本日の合コンの真の目的はとっくに達成したので、今回に限りこの後の展開は正直もうどうでも良かったのだ。
(とりあえず第一段階は成功したな)
喚く仲間を尻目に店先で一人佇んでいる真里菜に目をやると、ちょうど店の奥から裄人が出てくる所だった。たまたまの偶然か、真里菜のサマーワンピースとよく似た色のカジュアルシャツを着ている。その裄人が真里菜に話しかけているその様子を孝太郎は無言で眺めた。
「じゃ、真里菜ちゃん、俺、車取って来るからここで待っててね」
裄人の言葉に真里菜は一度頷いたが、すぐに申し訳無さそうな表情になる。
「あ、あの西脇さん。本当にお言葉に甘えていいんですか? だってこの後、まだ皆さんはどこかにいらっしゃるんですよね?」
「うん、でも真里菜ちゃんをこんな時間に一人で帰すわけにはいかないし、俺は全然構わないよ。じゃすぐに戻るからね」
裄人は身を翻し、軽やかな足取りでレンガ敷きの歩道を駆け抜けていった。
この二人の一部始終を黙って見ていた孝太郎にまたメンバー達が次々に絡みだす。
「なんだよ裄人の奴、車で来てたのかよ!? だからあいつ今日は全然飲んでなかったのか! 策士過ぎるぜ!」
「それより孝太郎、考え直してくれって! 次の店ではお前の力がいるっ! 例のあの唄を頼むぜ!」
「おーそうそう! お前があれを唄うとよ、女にまったく縁の無い、切ない男の哀愁みたいな空気がじんわりと漂ってさ、女の子のハートを直に揺さぶるからな!」
「……おいお前ら」
あまりの言われように仏頂面で孝太郎は腕を組んだ。
「黙って聞いてりゃ、どういう意味だよそれは? それじゃまるで俺がモテない男そのものみたいじゃんか」
「おぉスマン! 言い方が悪かった! いわゆる母性をキュンとくすぐるっつーの? とにかく効くんだよ、お前のあの唄はさ!」
「だから今日はパスだって言ってんだろ」
「この冷血男め! あっ分かったぞ!? おい孝太郎! お前、裄人が帰るから二次会に来ないんだろ!? お前ら本当はデキてんじゃねぇのか? 禁断の恋かぁ?」
「アホか」
いい加減に酔っ払いの相手をするのがバカらしくなってきた孝太郎は、場を切り上げるために偽りの本音を漏らすことにする。
「分かった。じゃあ本音をぶっちゃける。実はここだけの話だけどさ……」
すぐ側にいる女性陣に聞こえないよう声を潜める。
「……気に入った娘が一人もいなかったんだよ」
「だからっつって一人でアバヨはねぇだろ!?」
「そうだ! いいから黙って付き合え!!」
「それコータロー!! コータロー!!」
男性メンバーによる熱狂的な “ 孝太郎カモンコール ” が始まった。
いつもの孝太郎なら宴会部長の名に恥じないよう即座に場に迎合し、「おっしゃあー! 行ったるかぁ!」と叫んでいるところだが、今夜の自分にはまだやらなければならないことが残っている。
「済まない、同志たちよ! 諸君らの健闘を心より祈る!」
シューズの踵を合わせて敬礼し、直立不動の体勢を取った孝太郎は、熱いコールを寄こす男性メンバー達に激励の言葉を贈った。途端に酔った男達の口から即座に噴出する、怨嗟の大合唱。
「友情ナッシングかよー!」
「敵前逃亡は重罪だぞー!」
「孝太郎ッ、お前の血は何色だぁぁーっ!」
ブーイングの嵐を軽く受け流し、「またな」と告げると孝太郎はメンバーに背を向けて足早に歩き出す。もうその表情はいつもおちゃらけている普段の孝太郎ではなかった。
時間がない。
裄人がここに戻って来るまでのこの数分間がラストチャンスだ。
今回の合コンは自分が計画したのにもかかわらず、桜子にゴネられたせいで結局は裄人の手をわずわらせる事になってしまった。
本当は嫌だったろうに、わざわざ顔を出してくれた裄人の弟にも迷惑をかけた。
だからここが最後のチャンスだ。最後くらいは俺があいつを援護してやりたい。
孝太郎は固い意志を胸に店先で佇む真里菜の元へと近づく。
── 裄人にしては今回の娘は随分ゆっくりと攻めているな、と最初は思っていた。
だがそれは意図的に裄人が長期戦に持ち込もうとしているのではなく、真里菜にどうやって対応していいのか決めあぐねている、という事実に気付く。
あの裄人がだ。
それは孝太郎が初めて見た親友の姿だった。
ある日、孝太郎は何気なく尋ねてみる。
「なぁ裄人。お前さ、もしかしてあの楠木って娘にマジで惚れたんじゃないのか?」
茶化して尋ねたその問いに、いつもの裄人なら「そうかもな」と軽く合わせてくるはずだった。
しかし裄人は困惑した表情で、
「う…ん、どうなんだろう、自分でもよく分からないんだ」
と返してきた。
そして星の数ほどもいると揶揄されていた、たくさんのガールフレンド達との遊びも先月から激減している。そんな裄人の様子をすぐ側でつぶさに見てきた孝太郎はやがて決意した。
俺が合コンを企画して、裄人の為に楠木真里菜をなんとしてでも呼び出そう──、と。
◇ ◆ ◇
「まぁーりーなーちゃんっ!」
背後からいきなり孝太郎に声を掛けられ、「ひゃっ!?」と小さく叫ぶと真里菜はぴょん、と前に飛び退った。そのユーモラスな動きに、先日偶然通りがかったペットショップのウィンドウ先で見た、珍種の小型動物を思い出す。
(なんつったけな、あのちっこい動物。確か中東が原産地だったような……)
その動物の名前を思い出そうと孝太郎は考え込む。
「あ、あの……なんでしょうか、加賀美さん?」
視線を宙に漂わせ、孝太郎が黙り込んだのでおずおずと真里菜が答えた。
「あっ、ゴメン。あのさ……」
と続きをいいかけた孝太郎だったが、また目の前の真里菜を見て言葉を止める。
男性にじっと見つめられる経験に慣れていない真里菜はますます不安げな顔になった。
「……真里菜ちゃんて身長何センチ?」
唐突に出たその質問にまだ警戒のオーラを出しつつも、律儀な真里菜は「ひゃ、百五十三センチです」と答える。
「百五十三!?」
孝太郎は嬉しそうな声を出した。
「前から小さい娘だなぁと思ってたけどさ、君といると俺、自分がすごく背が高くなったような気になれるよ!」
真里菜に対し微妙に失礼な発言だが、“ 一番欲しいものは? ” と聞かれて迷う事無く「身長」と答える孝太郎にとって、それは掛け値なしの本音だった。
「あの、私、以前に加賀美さんとお会いしたことありましたか?」
“ 前から ” と言われた真里菜が反応する。
「あ、そっか」
孝太郎は本題に行く前に軽い雑談から会話をスタートさせることにした。
「いや、直接は無いけどさ、学内で君の事をたまに見かけたことあったんだ」
そうだったんですか、と真里菜が答える。
「あのさ、真里菜ちゃんって今日が初めての合コンだったんだろ?」
「はい。そうです」
「実は今回俺が幹事だったから気になってさ。どうだった? 面白くなかった?」
「いっ、いえ!」
真里菜は慌てたようにふるふると首を横に振った。
小柄な動きは、ペットショップの店先にいたその小動物にやはりどことなく似ている。
「私、合コンというものに初めて出たのですがとても面白かったです。皆さん本当にお優しい方ばかりで……」
ウェーブのかかった茶色の長い髪もその動きに合わせてふわふわと揺れた。
こういう場合、男の優しさはあくまで表面的なもので、その奥深くには下心エキスというものががたっぷりと染みこんでいる場合がほとんどだ。だが純情な真里菜にこちら側の内部事情をわざわざ暴露する必要性も見当たらない。
本当に箱入り娘なんだなぁ、と感心しながらも、孝太郎はもちろんそれを表情には出さなかった。
「それを聞いて俺も一安心だ! あ、これから裄人に送ってもらうんだろ?」
「はい。でも……」
再び真里菜の表情が曇った。
「私、本当に西脇さんのお言葉に甘えて送っていただいてもいいでしょうか……?」
「あぁ、いいんだって。裄人の方からそう言ったんだろ? だったら遠慮する必要なんかまったくナッシングだぜ?」
孝太郎が太鼓判を押したせいで真里菜の曇っていた表情が少し和らいだ。
伏し目がちだった長い睫が大きく上向く。
「あ、あの……、西脇さんってとってもお優しい方ですよね」
悪くないその反応に孝太郎の顔から笑みがこぼれる。
「だろっ!?」
「一緒にいらしていた弟さんに合わせてお酒も飲んでらっしゃいませんでしたし、何より気配りがすごいです。私にも、周りの方にも」
「あぁ、酒の方はあいつ車で来ているから最初から飲む気は無かったみたいだけどな。でも真里菜ちゃんの言う通り、あいつの気配りの細やかさは確かにすごいよ。なんたって、別名、サード・アイだからな」
「サード・アイ……?」
真里菜が首をかしげる。
「あぁ。三つの目を持つ男、って意味さ。マジであいつの頭の後ろにはもう一つ目がついてるんじゃないかって思うことがあるよ」
孝太郎は裄人が走り去った方角に視線を移す。しかしその姿はとっくに見えなくなっていた。
駐車場の方向に顔を向けた孝太郎の鼓膜に、真里菜の言いにくそうな声が届いたのはその時だ。
「……あ、あの、それと西脇さんって“ 合コン王 ” っていう別名もお持ちなんですよね……?」