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笹に願いを <2>


 比良敷川沿いの道から、住宅街へと続く道に入った二人はどちらからともなく足を止める。 


「懐かしいね、冬馬」


 薄いピンク色の壁に 【 星の子幼稚園 】 と刻まれた建物を桃乃が見上げる。ここは幼い頃二人が通っていた幼稚園だ。

「卒園してもう十年か? 早いもんだよな」

 この時間には珍しく、園内にはまだいくつかの明かりがついていた。冬馬が門の前から園内を覗きこむ。

「おい桃乃。もしかしてあそこにいるの、ヨーコ先生じゃないか?」

「えっ? あ、本当! ヨーコ先生だ!」

 入り口ホールで一人の小柄な年配の女性が腰をかがめて何かをしている。

「何してるんだろうね?」

「なんか片付けているみたいだな。こんな時間まで大変だな……。挨拶するか?」

「うん、行こっ」

 カラコロと下駄を鳴らし、玄関先に駆け寄ると桃乃は入り口のガラス戸を開け、中に向かって呼びかける。


「ヨーコ先生!」


 中にいた女性が振り返る。

 現在はこの幼稚園で園長をしている三橋(みはし)曜子(ようこ)は、作業をしていた手を止め、よいしょ、と言う掛け声と共に膝を庇うようにゆっくりと立ち上がった。

「あら……あなたた達は誰だったかしら? 私の名前を知っているということはここの卒園生ね?」

「先生、俺らのこと忘れちゃった? 倉沢桃乃に西脇冬馬だけど。俺らは途中で入ったし、もう十年も前のことだから覚えてるわけないか」

「あらあら!」

 顔に少しずつ深い皺を刻み始めた曜子は桃乃と冬馬の顔をまじまじと見つめる。

「倉沢桃乃ちゃんに西脇冬馬くんね。えぇえぇ、もちろん覚えてますよ? 確か二人は同じ時期に揃って引越してきて、ここに年長さんで途中入園してきたんですよね。あの当時私があなた達の入園面接をしたのよ。覚えている?」

「そうだったっけ? 俺、全然覚えてねぇや。桃乃、覚えてるか?」

「ううん私も……。ごめんなさい、ヨーコ先生」

 そんな二人の返事にまた曜子は「あらあら」と言いながら微笑んだ。

「冷たいわね、と言いたいところですけど、でも私も今のあなた達を見て最初は全然分かりませんでしたから強い事は言えませんね。さ、二人ともよかったらこっちにお入りなさい」


 曜子の勧めで桃乃と冬馬は靴を脱ぎ、来客用のスリッパに履き替えると玄関先のホールにいた曜子の側へ行く。目の前に並んだ二人を見上げ、流れ去った月日を感じた曜子は嘆息した。


「本当に大きくなりましたね二人とも……。私の中ではあなた達はずっと小さな幼稚園児のままでしたから。でもよく見ると二人とも小さい頃の面影、ちゃんと残ってますよ」

「面影って、先生、マジで俺らの子供の頃のことちゃんと覚えてんの?」

 曜子は「えぇ」と答えると悠然と微笑む。

「若いあなた達にはまだ分からないかもしれませんが、人はね、老いてくるとつい最近の事はすぐに忘れてしまうのに、なぜか過去の事を鮮明に思い出せるようになるものなんですよ。不思議なことにね」

「へぇ……」

 と冬馬は感嘆の声を漏らした。

「それより先生、こんな時間まで何やってんの?」

「それがね、昨日園から帰るときに老眼鏡を忘れてしまって、さっき取りに来たんです。やっぱりこのまま月曜まで眼鏡が無いと不便でね」

「先生、もう老眼鏡かけてんの!?」

 冬馬はかなり驚いたようだ。

「そうよ。あなた達がそうやって成長していく分、私はおばあちゃんになっていくんですもの」


 曜子は上品に微笑んだ。目尻の皺が一層深くなる。


「それよりあなた達、牟部神社のお祭りに行った帰りかしら?」

「はい」

「先生、鋭いじゃん!」

 曜子は目を細め、桃乃を眺める。

「それぐらい分かりますよ。だって桃乃ちゃんは浴衣を着ているしね。その萌黄色の浴衣、とっても可愛いですね。赤い帯も映えているし、髪も綺麗にまとめてとてもよく似合ってますよ。それであなた達、神社でお願い事をしてきたの?」

「それがさ、先生。すっげぇ混んでて出来なかったんだよ。俺、願い事あったのにさ」

 口を尖らし、言いつけるような口調で冬馬は言う。

「あらそれは残念でしたね……」

 冬馬の訴えを聞いた曜子は少しの間思案した後、ホールの窓ガラスに歩み寄り、二人を手招きする。

「ほら二人ともちょっとここから園庭を見てご覧なさい」

 曜子に言われた通り、桃乃と冬馬も窓ガラスに近づいた。

 透き通ったガラスから眺めた園庭に、たくさんの笹竹が立ち並んでいる。

「一日早かったのですが、昨日ここでも園児達と七夕をしたんです。どう、二人とも良かったらここで願掛けをしていきませんか?」


「マジ、先生っ!? いいの!?」


 歓喜の声を上げる冬馬に曜子はゆっくりと頷く。

「えぇもちろんよ。あなた達は卒園生だしね」

「ラッキー! 先生、短冊ある!?」

「えぇ。ほらその右の棚にある青い箱にまだ少し残ってるから使ってちょうだい。ペンはそっちの部屋の机にありますよ」

「了解!」

 冬馬はホールの棚にあった紙箱から緑色の短冊を一枚取ると、さっさと隣の事務局に入っていってしまった。

「あらまぁ、何かよっぽどお願いしたいことがあったみたいね?」

 曜子は慈愛に満ちた笑顔を桃乃に向ける。

「すみません、先生……。ご迷惑かけて」

「まぁ桃乃ちゃん、まるで冬馬くんのお母さんみたいですね。それより桃乃ちゃんはお願い事しなくていいのですか?」

「はい。私はいいです」

 曜子が許可してくれたとはいえ、園児達の為に用意した笹竹に短冊を吊るすことに若干の抵抗があった桃乃はその勧めを断った。

「あらそう? 遠慮しなくていいんですよ?」

 再度曜子が桃乃を促す。

 その時、早速短冊に願い事を書き終わった冬馬が事務局の部屋から飛び出してきた。

「先生、じゃあ吊るしてくるぜ?」

「えぇ、えぇ、どうぞ」

 冬馬が握り締めている短冊に桃乃は目を向ける。しかしその視線に気付いた冬馬は裏返しに持ち直してしまった。

 願い事を自分に見せないようにしているように感じた桃乃は直接尋ねてみる。

「冬馬、何をお願いしたの?」

「……機密事項なんで言えない」

 真面目な顔で答える冬馬に曜子は笑う。

「だってどうせ月曜に片付ける時に私、見ちゃいますよ?」

「あぁ、ヨーコ先生なら別に見られてもいいんだ」


 冬馬は「じゃ、つけてくる」と言うと玄関からスニーカーを取り、廊下の途中にあるガラス戸から園庭に出て行った。窓から冬馬が短冊をつけている様子を見ていた桃乃に曜子が優しく語り掛ける。


「桃乃ちゃん、冬馬くんが笹に何をお願いしたのか知りたくありませんか?」

「えぇ知りたいですけど……私には教えてくれなかったし」

「私はなんとなく分かりましたけど、でも確信が持てないのでこっそり見ちゃいましょうか?」

「えっどうやってですか?」

「任せてちょうだい」

 曜子はフフッと笑うと事務局の部屋へ入っていく。出てきた時、その手には一本の長い蛍光灯が握られていた。そして冬馬が園庭から戻ってくるとまた手招きをして呼び寄せる。

「ねぇ冬馬くん。一つお願いしてもいいかしら?」

「なに?」

「二階の廊下のライトが切れちゃっているの。あなた背が高いし、この新しいのに付け替えてくれないかしら?」

「そんなことならお安い御用!」

 冬馬は曜子から剥き出しの蛍光灯を受け取ると二段とびで二階へと上がって行った。

「さ、桃乃ちゃん、いらっしゃい。ここにサンダルがあるからこれを使って」

 廊下のガラス戸を開けながら曜子が急かす。

 桃乃はパタパタとスリッパを鳴らして駆け寄ると、曜子と一緒に園庭に出た。

「確か冬馬くんがつけていたのってこの笹竹でしたね」

「はい」

「あらあら、あんな高いところにつけて……。さすが背が高いだけありますね」

 笹竹のかなり上部の方でひらひらと揺れている緑の短冊を二人は見上げる。

「もうこんなに暗いですし、背の低い私たちではちょっと見えないですね。じゃあ……」

 ゆっくりと園庭内を見回した曜子は、用具を入れてある物置からビニール傘を取ってくる。そして柄の方を上にして笹竹を引っ掛け、よいしょ、と言いながら手前に引っ張った。

 緑の短冊に書かれた冬馬の願い事が桃乃の前にゆっくりと下りてくる。


「あ……!」


 それを読んだ桃乃の呼吸が一瞬止まった。

「ほら、やっぱり私の思った通りの事が書いてありましたね」

 曜子は満足そうに頷いた。その拍子に傘の柄から竹がするりと逃げ、さわさわと音を鳴らしながら短冊は天の川の方角に瞬く間に帰ってゆく。

 それでも名残惜しそうにまだ上を見上げて動かない桃乃に曜子が声をかける。


「ねぇ桃乃ちゃん」


「はい?」

「桃乃ちゃんは覚えているかしら? あなたがお誕生会で話した自分の将来の夢のこと」

「私の将来の夢……」

 記憶の底をかき混ぜ、曜子から言われたキーワードを掬い出してみる。それをうまく掬い出すことには成功したが、なぜか桃乃は赤くなった。

「お、覚えてます……」

「私も覚えてましたよ。大抵の園児達は、その当時流行っている悪役と戦うヒーローや、魔法を使う女の子になりたいって言う子が多いんだけど、でも中にはとっても現実的な夢を語るおませさんもいるんですよね。あの時の桃乃ちゃんみたいに」


 曜子の最後の言葉に桃乃はますます赤面した。


「でね、桃乃ちゃんは知らなかっただろうけど、その後面白い後日談があったのよ?」

「後日談……ですか?」

「えぇ。皆でお誕生会をする前に、その月にお誕生日を迎える主役の子どもたちと私たち教師だけで先に体育館で一度リハーサルをしたでしょう? 桃乃ちゃんのお誕生会であなたの将来の夢を聞いた冬馬くんはね、自分の誕生会のリハーサルの時に、ひな壇の上で私たちにこう言ったんですよ」 

 幼い子供に童話を読み聞かせているような優しい声が、桃乃の元に静かに届く。



「 “ ぼくはももちゃんをお嫁さんにしたいです ” って」




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