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笹に願いを <1>


 七月七日、夏の宵。


 水平線めがけて滝のように流れる銀河を挟み、織姫と牽牛が逢瀬すると伝えられる七夕の夜だ。しかし新暦のこの日では、織姫星ベガはまだ東の空の半分ほどの位置で、牽牛星アルタイルにいたってはまだ東の空に昇って間もない。

 そんな少々見栄えの劣る夜空の代役を務めるかのように、牟部神社の境内では様々な色が満ち溢れていた。

 所狭しと軒を連ねる露店。

 その先に吊り下げられた色鮮やかな提灯や小型電飾が、祭りに訪れた人々の好奇を誘う。

 そんな眩い光が照らす石畳の上を楽しげに行き交う群集の中に、桃乃と冬馬も完全に溶け込んでいた。

 桃乃の右手は冬馬の左手の中だ。しっかりと握られている。


 ── カラ、コロと軽やかな音。


 赤い漆塗りの下駄は石畳の上で上品な音を奏でる。

 その音が耳に届く度、普段着慣れていない浴衣を着ているせいもあって、桃乃の心は落ち着かない。 


「桃乃、金魚すくいでもやるか?」


 夜店の一つで冬馬が足を止める。

「ううん、いいよ。だって金魚取っても家に水槽ないもの」

「じゃあクレープ食うか?」

 すると桃乃は困り顔で左手で握っているビニールの袋を、ほんの少しだけ上に掲げる。

「だって冬馬もうこんなに買ってくれてるじゃない。私こんなに食べきれないよ?」

 その中にはわた飴、ベビーカステラ、リンゴ飴などの食べ物勢に加え、冬馬が射的で取った真っ白なネコのヌイグルミが袋から顔だけを覗かせ、すました顔で二人に同行していた。


「食いきれないなら葉月にやれよ。あいつなら喜んで食うだろ」


 冬馬は笑いながら桃乃の手を引き、二人はさらに奥に進む。

 やがて目の前に広がった光景に桃乃が思わず「綺麗!」と声を上げた。

 境内の一番奥まった場所を中心に沢山の笹竹が用意され、色とりどりの願いをこめた短冊が吊り下げられている。それらがさわさわと夜風にはためいているその光景は、どことなく幻想的な雰囲気すら醸し出していた。


「しかしすごい数だな」


 そう言いながら笹竹の群れを眺めていた冬馬は、上の方で風になびいていたある短冊にふと目を留める。手を伸ばし、枝をしならせてその短冊を強引に手元に引き寄せると、しばらくの間それをじっと見つめていた。

「なにが書いてあるの?」

 下駄の先を斜めにして爪先立ちになり、冬馬のTシャツの袖に掴まると横から覗き込む。

 幼い子供が書いたのであろう、たどたどしい文字の一部が視界に入ってきた。天の川に向けたその願いを、桃乃は声に出して読み出す。


「えっと、“ ぼくはおおきくなったら…」

 

 しかしまだ桃乃が読んでいる途中なのに、冬馬は掴んでいた短冊から手を離してしまった。しなっていた枝が戻る反動で、短冊は元あった高さにあっけなく急上昇してゆく。


「あ!」

 慌てて上を見上げたが、たくさんの笹の葉に隠れて桃乃の位置からその短冊は見えなくなってしまった。

「もう、私まだ読んでなかったのに……。あれになんてお願いが書いてあったの?」

 しかし冬馬はその質問には答えず、いきなり別の提案をしてきた。


「俺らも短冊書いていこうぜ?」

 

「え?」

「桃乃だって願い事の一つくらいあるだろ?」

「うーん……、でもほら、見て?」

 桃乃は境内の右隅にある社務所を指差した。

「申し訳ありませんがこちらで用意した短冊はもう残りわずかです!」

 と何度も叫んでいる声が聞こえ、そこには大勢の人が群がっている。

「あんなに混んでいるし、用意した短冊もあとわずかですって言ってるもの。小さい子もまだ並んでるし、譲ってあげなきゃ」

 冬馬は残念そうな唸り声を上げた。

「短冊無いのかよ……。こんなことなら用意してくりゃよかったな」

「そんなに叶えて欲しい願い事があったの?」

「まぁな。俺の最終野望みたいなもんだ」

 そう言うと冬馬は腕時計に目をやる。

「もうこんな時間か……。そろそろ帰るか? あまり遅くなるとおじさんとおばさん心配しちまうだろうからさ」

「う、うん」 

 でも本当はまだ帰りたくなかった。

 しかし家の心配をしてくれている冬馬に、自分の気持ちを言い出せない。

「足、痛くないか?」

 神社の鳥居を出たところで浴衣姿に下駄履きの桃乃を冬馬が気遣う。

 はぐれないように、という名目で繋いでいる手にわずかに力をこめられ、鼓動が早まる。

「うん、大丈夫」

「まだ歩けるんならこっちだ」

 冬馬が桃乃の手を引く。冬馬が進もうとしている道は二人の家に戻る道をわずかに逸れるルートだった。

「えっ、どこに行くの?」

 振り返り、冬馬が笑う。


「ちょっとだけ遠回りして帰ろうぜ?」


 頬が染まる。

 すぐにその言葉の意味を理解した桃乃は小さく頷いた。

 少しでも長く一緒にいたいのは同じ気持ちだった。


「比良敷の川沿いの道を通るか」


 この街で一番大きい河川、比良敷川の側を二人は手を繋ぎながら歩く。

 川の上流から吹いてくる夜風が心地良い。


「楽しみだよな、今度ここの花火を見に来るのさ」

 歩くペースを桃乃に合わせ、冬馬はゆったりと歩を進める。

「沙羅なんかすげぇテンション上がってたじゃん? 絶対あれは要も来ることになったからだぜ」

 桃乃は「そうだね」と同意し、小さく笑う。

「でもさ、あいつら、結構似合いだと思わないか?」

「うん、二人とも性格が全然違うから初めは合わなそうな気がしたんだけど、今は私もそう思う」

「要が沙羅に振り回されちまうんだよな。でも最近じゃあいつも慣れたのか、沙羅に冷静にツッコんでる時があるじゃん」

「でも沙羅にはあまり通じてないような感じだけど……」

「あぁ、それは言えてる」


 川べりをゆっくりと歩く二人はやがて花火を打ち上げる中州のポイントに差し掛かる。


「桃乃は去年見に来たのか? 比良敷の花火」

「うん。見に行ったよ」

「誰とだよ?」

「クラスの女の子達と。総勢六人で」

「いいよなぁ……、俺も一緒に見に行きたかった」

「冬馬、去年見てないの?」

「あぁ。俺部活があったし」

 その返事に桃乃は心の中でそっと思う。


( じゃあ冬馬は知らないんだ、あの花火の噂のこと )



 ── 去年、この街の夜空に四百メートル級の大輪の華が咲いた。


 それは比良敷の花火大会のクライマックスに華々しく打ち上げられた新作花火。

 “ ロマンスフラワー ” だ。

 この新作花火が観衆に披露された明くる日、各新聞では夜空に咲いた満開の様子を一面で大々的に掲載し、その規模と美しさは大いに話題を呼んだ。

 そして夏も終わり、この花火の話題が人々の脳裏から消え去ろうとする頃、大勢の観客の心に残したあの夜の感動が形を変えて新たな都市伝説として甦る。それは、


 “ ロマンスフラワーを恋人同士で見に行くと、その二人は将来結ばれる ”


 というものだった。


(今年は冬馬と一緒にこの花火を見るんだ……)


 今度は頬だけではなく、顔全体が熱くなってくるのを感じる。

 桃乃は顔の火照りを落ち着かせようと胸元に手を当て、冬馬に気付かれないように何度も小さく深呼吸を繰り返した。

 

「そうだ桃乃。俺、お前と付き合ってる事、この間親に言ったよ」


 空に滲むように浮かぶ細い三日月を見上げながら冬馬が口を開く。

 ドキリと波打つ胸を抱えて隣を見上げると、川べりを吹く夜風が冬馬の前髪を静かに揺らしていた。

「おじさんとおばさん、なんて言ってた……?」

「それが拍子抜けするぐらいあっさりとしてんだ。母さんからは “ いい娘なんだから絶対大切にしなさいよ ” って言われて、オヤジは一言 “ そうか ” って言われただけだった」

「そうなの……。良かった」

「桃乃は俺と付き合っていること言ってるのか……?」

「うん。でも話す前にお母さんに先に見抜かれちゃったの。それでお母さんからお父さんに話したみたい」


 今度は冬馬の顔が心なしかわずかに強張る。


「そ、それでおじさん、なんか言ってたか……?」

「ううん、特に何も。今日も冬馬とお祭りに行く時にお父さん家にいたんだけど、何も言われなかったし」

「そっかぁ……」

 冬馬は心の底からホッと息をつく。

「実は付き合い反対されたらどうしようかと思ってたんだよな……」

「全然大丈夫だよ? お母さんなんかすっごく喜んでるし」

「俺の母さんもだ。こういう時、親同士が知り合いっていうのいいよな」

「そうだね」

 

 密かに気になっていた相手の親の反応をそれぞれ知り、安堵した二人の顔に自然と笑みがこぼれた。




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