突きつけられた難題
「おい裄人ーッ !」
宰条大学のキャンパスを悠々と歩いていた裄人に、同じ学部で悪友の加賀美孝太郎がかなりの慌てた様子で駆け寄る。
「どうした孝太郎、そんなに焦って?」
六月下旬の初夏の風を身に浴び、裄人は涼しい顔で足を止めた。ようやく追いついた孝太郎は息を切らしながら早口で捲くし立てる。
「おいヤベーよ! 今度の合コン、流れちまうかもしれないぜ!?」
それを聞いた裄人はこれ以上ないくらいの爽やかな笑顔で微笑んだ。そして身長差を活かし、百六十六センチの小柄な孝太郎の首に素早く片腕を巻きつける。もちろん顔は依然として微笑んだままだ。
「ぐはっ! ゆっ裄人、何すんだよ!?」
「おいおい、ひどいな孝ちゃ~ん! 今回は君が手配してるんだろ? 合コン隊長の名が泣いちゃうよ?」
「バッバカッ! 何言ってんだよ! 合コンが流れそうなの、お前のせいなんだぞ!?」
裄人に後ろから抱え込まれた形になった孝太郎はジタバタともがきながらも必死で叫ぶ。
「俺の?」
驚いた裄人がロックしていた腕を離す。
軽い酸欠不足に陥っていた孝太郎は慌てて何度も深呼吸をし、新鮮な空気を肺の隅々にまでたっぷりとまんべんなく送り込んだ。
「ゴホッ……、ったく自分は合コン王のくせによく言うぜっ。しかし相変わらず女が絡むと容赦ないよなぁ裄人は」
「それより孝太郎、俺のせいってどういうことだよ?」
「それがさ、今回の合コン、女の子の手配しているの桜子なんだよ」
「えっ、それマジ!?」
裄人の声のトーンが変わる。
「マジだよ。お前が昔あっさりと振っちゃったあの桜子さ」
裄人は「参ったなぁ……」と言うと頭に手をやる。
安部桜子は宰条大学の英文科二年に籍を置く学生で、以前、裄人も参加した合コンで知り合った女性だ。
その合コンで裄人をいたく気に入った桜子は猛烈なアプローチをしたのだが、それまで美人の誘いを断ったことのない裄人がなぜかその時は桜子の誘いをつれなく断ってしまっていたのだ。
「あいつさ、合コンのメンバーの中に裄人がいるって知ったら、急に “ 気が乗らないから止めようかしら ” なんて言い出してきてんだよ。どうする?」
「どうするったって……」
「なぁ、なんとか合コンやれるようにお前が桜子を説得してくれよ」
「俺が!?」
焦った裄人は半歩後ろに下がる。
「無理無理ッ! クラッシュして黒煙が燻っている車に大量の純正オイルを浴びせかけるようなもんだよ!」
「ハハッ、なら豪快な火柱が立ってちょっとしたキャンプファイヤー状態になるだろうな。裄人、なんなら俺、お前らの側でマイムマイムでも踊ってやろうか?」
「茶化してる場合かよ、考太郎……」
消沈する裄人を十五センチ下から見上げ、考太郎は幼児のように口を尖らす。
「でもよ、どっちにしたってこのままじゃ女の子集まんないぜ? お前ほどじゃないにしても桜子の顔の広さは裄人もよく知ってるだろ? 俺が声かけた他の奴らもすげぇ楽しみにしてるんだ。だからここはひとつ、お前が桜子のご機嫌とってさ、なんとか合コンできるようにしてくれよ?」
「う~ん……」
裄人は唸りながら腕組をし、本音を吐露する。
「俺、あの人苦手なんだよな……」
「分かるぜ裄人。美人だけど性格超キッツイからなー桜子は……。でもよ、俺達はお前と違って、久々の女の子達との魅惑の一時を一日千秋の思いで待ちわびているんだ。だからとにかく頼むわ。第二の方で桜子を待たせているからさ、今すぐ行って説得してきてくれよ、な?」
「……ん~……」
やがて観念したような小さなため息が孝太郎の耳に届く。
「……まぁとりあえず話してみるよ」
「よしっ、よく言ったぁ! 桜子に引っぱたかれそうになっても、お前は逃げ足速いから大丈夫だ! もし万一の時は俺がお前の骨を拾ってやる! だから安心して特攻して来い!」
「お前、人事だと思って好き勝手なこと言うなよ……」
「でも裄人、お前も今回の合コンに相当賭けてんだろ? 桜子の火炎地獄から無事に生還できたらよ、その後に待っているのは夢の桃源郷だぜ! なっ!?」
孝太郎なりに考えた必死の励ましも、今の裄人にとってはまったくの逆効果だ。
段々と気が滅入ってきた裄人は片手で顔半分を覆う。
「孝太郎、もし話が流れても恨まないでくれよ……?」
「いや、お前ならやれるッ! 俺は信じてるぞ! いつもの必殺絶妙トークで一発ビシッと決めてこいッ! 頑張れ裄人ーッ!」
「じゃあ行ってくるよ……」
考太郎の励ましを背に裄人は嫌な予感を抱えつつ、学内にあるパーラー、第二カフェへと足を向けた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
宰条大学の第二カフェは天井が低めの作りなので、中に入った裄人は一層背が高く見える。
ウッド調のカフェ内には明るい木漏れ日が窓枠からふんだんに降り注ぎ、まるでスポットライトのように裄人の顔を照らしていた。各テーブルでお茶をしていた女性達は誰もがお喋りを中断して、自分達の側を通り過ぎる裄人に見惚れている。
「あ、これ君の?」
テーブル脇に落ちていたハンカチに気付いた裄人は足を止め、それを拾い上げると近くにいた女性に差し出した。
「は、はい! ありがとうございます!」
ポーッと頬を染めてハンカチを受け取った女性に「どういたしまして」と優しく微笑みかけるとさらに先を進む。やがてカフェの一番奥でエスプレッソを飲んでいる一人の女性の姿を見つけた裄人は、その側にスッと近寄った。
「……あら、お久しぶり」
かなり短めのショートカットで気の強そうな女性が冷たい声をかけてきた。
「ども、桜子さん」
裄人は多少引きつりながらもにこやかに顔に笑みを浮かべ、挨拶をする。
「今見てたけどあんたって相変わらず女にだけは愛想がいいわよね」
さっそくの容赦ない言葉だ。その隅々にまでに棘がある。
「そんな……。落ちていたハンカチを拾って渡しただけだよ」
この南極ばりの極寒な雰囲気をなんとか緩和しようと、裄人は精一杯優しく切り出した。
「あの、実は桜子さんに話があるんだけど……」
「あら、あなたが私に? 何かの間違いじゃないの?」
その言い方はまだ意地悪さがかなりの幅をきかせている。
「またまた桜子さん、俺を苛めないでよ」
「あら苛めたのはあなたの方でしょ? この私を振るなんて失礼な真似をしたの、あなたが初めてなんだから」
「ハハ……敵わないな桜子さんには……」
「裄人、最初に言っとくけど今回の合コンは無しよ」
冷たく、しかし威厳を感じさせる声が響く。まるで女王のような声だ。
桜子は小さなカップを手に、裄人を弄ぶようにニヤッと笑った。
「あんたの恋愛成就のお手伝いをするなんて真っ平ごめんだからね」
「桜子さん、俺以外にも参加する奴いるし、皆すごく楽しみにしてるんだよ。そこをなんとかお願いできないかな?」
桜子はフン、と言わんばかりに顔を斜めに向ける。
「嫌よ。大体あんたの魂胆、とっくに分かってんのよ?」
「俺の魂胆?」
「ウッキーの欧州文化概論……」
桜子が言い放ったこの言葉に裄人は内心でギクリとする。
“ ウッキー ” とは宰条大学で教鞭をふるう、浮田教授の学生間ニックネームだ。
「裄人。あんた、確かこのゼミ取ってるわよね」
「う、うん」
「あんたの今回のターゲットはこの特殊ゼミで一緒の真里菜でしょ。どう?」
「あ……」
桜子にピタリと当てられて裄人は言葉に詰まった。
「やっぱりね。おかしいと思ったのよ。あの孝太郎がさ、今回の女性メンバーに、秘書課の楠木真里菜も絶対呼んでくれってうるさかったからね。問い詰めたら男のメンバーに裄人がいるって聞いてさ、それでピンときたのよ」
「さすがです、桜子さん……」
「まずはそこに座りなさい。そうやって上から見下ろされてると気分悪いわ」
桜子は視線で自分の目の前の椅子を指した。
裄人がおとなしく座ると桜子は急に冷たい表情を緩めてフフッと笑い出す。
「……でも交換条件次第では女の子集めてもいいわよ? もちろん真里菜も呼ぶわ」
「えっ本当に?」
「えぇ。この桜子さんに二言は無いわ」
桜子はもう一度フッと笑い、裄人に向かって流し目線を送った。
そのねぶるような妖しい視線に、現在、女豹に捕らえられた哀れな小動物の位置にいる裄人は硬い椅子の上で身を竦ませる。
「で、その交換条件とはなんでしょうか……?」
「いい!? 私の交換条件はただ一つッ!」
桜子はその強烈な目力で裄人を射る。
「裄人、あんたには弟いるのよね? その弟を一緒に連れてきなさいっ!」
「えっ! 弟を!?」
「そ。あんたの弟ならきっと可愛いでしょ? 私、最近年下にも興味出てきてんのよ。あんたが弟を連れてくるって約束するのなら、女の子は責任持って集めるわ。どう?」
「ど、どうってそれは困るよ! 弟にだって都合あるしさ。それに俺の弟には今カワイイ彼女ができたばかりなんだ」
「彼女がいたって別にいいわよ。二股三股かけてる奴なんか一杯いるじゃないの。裄人、あんたを筆頭にね」
「ちょっと待ってよ桜子さん! それは誤解だよ! 俺は彼女が出来たらその子としか付き合わないよ? 色んな子と遊んでるのは彼女がいない時だよ」
「なんですって!?」
その裄人の台詞を聞いた桜子の右眉が、即座に斜め四十五度に吊り上がる。
「裄人、あんた私を振った時、確か彼女いなかったわよね!? じゃ何ッ? 私はあんたの遊び相手の価値も無かったと、そう言いたいわけねッ!?」
ニスが綺麗に塗られた樫の木のテーブルが小さく震えた。憤った桜子がその表面を激しく両手で叩いて立ち上がったせいだ。
今にも自分に掴みかかりそうな桜子の前で絶妙トークを繰り出す暇も与えられない裄人は、焦りつつも必死にフォローを開始する。
「いやいやいや! そういうことじゃない、そういうことじゃないんだよ桜子さん! 確かに桜子さんはすごく美人だと思うし、素敵な人だと思うよ? ただ……」
「ただ!?」
「お、俺のストライクゾーンではなかったというか、その……」
「つまり、私はあんたの好みのタイプではなかったっていうことね!?」
「……う、うん。まぁ平たく言うとそういう感じかな……?」
桜子は苛立ちを露骨に表情に出し、再び椅子に腰をかけると足を高く組み変える。
「そうよねっ、裄人って髪が長くっておとなしそうなタイプの女がお好みだもんね! 真里菜もそうだしさ!」
「少し落ち着いてよ、桜子さん……」
桜子は横に顔を背けたが、視線はしっかりと憎い相手を捉えたままだ。
「でも裄人、いくらあんたでも真里菜はそう簡単に落ちないと思うわよ? 噂で聞いたんだけど、真里菜って典型的な箱入り娘でさ、中学から高校まで一貫して女の園で過ごして来たせいで男の免疫ゼロみたい。だからガードの固さは鉄壁らしいわ」
「あぁそうなんだ……。なるほどね……」
今までの自分のアプローチに対しての真里菜の反応の数々を思い出して、裄人は一人納得する。
「じゃ、私は用があるからこれで失礼するわ。あんたが弟を連れてくるって約束するなら、合コンはめでたく開催よ。ダメなら今回はお流れ。決心ついたら早めに連絡ちょうだい。あ、それとここのお勘定お願いね」
桜子は伝票を裄人の前にパサッと放り投げるように置くと、さっさとカフェを出ていった。
「……例えるなら “ 行くも地獄、戻るも地獄 ” ってとこだな……」
カフェに残された裄人は張り詰めていた緊張を解くと、テーブルの上の伝票を手に取りながら大きくため息をついた。