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本当は分かってた


「なぁ桃乃、いい加減に教えてくれって。気になって絵に集中できないじゃん?」

「何言ってるの。どうせ冬馬は真面目に描く気なんてないじゃない」

 二人は絵の製作に取り掛かかりつつも、先ほどの「ケダ」の意味についてまだ無益な押し問答を続けていた。

「これだけ問い詰めても口を割らないってことは相当な悪口なんだな」

「そっ、そんなことなっ……きゃっ!?」


 草原に桃乃の焦り声が響く。

 西の方角からかなり強めの突風が吹き、両膝を軽く曲げて座っていた桃乃のチェックスカートが風の悪戯でフワッと大きく捲くれあがったのだ。


「お、ラッキー!」

「とっ、冬馬! 今見えたの!?」

 桃乃は恥じらいで頬を染めながら慌ててスカートを押さえる。

「いや実はギリギリで見えなかった。かなり際どいとこまでいったんだけどなぁ。惜しかったぜ」

 下着を見られたのかと思った桃乃はそれを聞いてホッと胸を撫で下ろす。

「しかしほっそい脚だよなぁ。ちゃんと食ってんのか?」  


 紺のハイソックスから太もものラインにかけて不躾な視線が飛ぶ。

 桃乃はボードをピッタリと膝の上に乗せて前かがみになり、その視線をブロックするのに必死だ。


「じろじろ見ないでよっ」

「まさかまだダイエットなんかしてるわけじゃないだろうな?」

「し、してないってば」

「ならいいけどよ」  

 2Bの鉛筆を手に取り、冬馬は諭すように言う。

「いいか、桃乃は充分に細いんだからヘンなことすんな。それにダイエットするとまず胸の肉から落ちてくるって言うだろ?」

「えぇっ、そんな理由で私にダイエットするなって言ってたの!?」

「ちっ、違うって!」

 冬馬は慌てて手を振った。

「どっちかっていうと胸は無いよりあるほうがいいような気がしたからさ、つい、言ってみただけだって!」

「……ふ~ん」

 ふつふつとこみ上げる怒りを抑えつつ、桃乃は顔を背ける。

「じゃ、冬馬は柳川先生みたいに胸が大きくてスタイル抜群の人がタイプなのね」


 カノンに登校した二日目の朝、緑が冬馬の胸をネイルで軽く突いたシーンを思い出した桃乃は、軽いやきもちからわざとそんな言い方をしてしまった。


「何言ってんだよ! 俺のタイプは桃乃で、お前以外絶対にありえないの!」

 分かってねぇなぁ、と呟くと冬馬はボードに向かって適当に絵を描き始め、ラフスケッチもそこそこにアクリル絵の具に手を出す。

「えっもうそれで下書き終わりなの!?」

「あぁもういいや。面倒だ」

「しょうがないわね……。美術赤点になっても知らないからね?」  

 桃乃は親切心からそう注意をしたが、冬馬は黙ってパレットに絵の具を次々に出し続けている。


「……冬馬、ごめんね」


「なんで謝るんだよ」

「だって冬馬ちょっと怒ってるもん」

「別に怒ってねぇよ。ただ、桃乃はなんにも分かってないんだなぁと思っただけさ」

 軽い苛立ちのせいか、ギュッと力をこめて冬馬は絵の具の蓋をきつく締めた。

「私が分かってないってどういうこと?」  

 冬馬は持っていた絵の具をすべて箱に押し込むと桃乃の方に顔を向ける。



「……桃乃、初めて俺らが出会った時のこと覚えてるか?」



「うん覚えてるよ。この街に引っ越してきた時、先に引越し終わってた冬馬の家に私達が挨拶に行った時でしょ?」

「覚えてたか。俺さ、幼稚園の頃の記憶はもうだいぶ薄れちまってるけど、桃乃と出会った時の記憶は今でも鮮明に覚えてる。おじさんとおばさんが俺ん家に来てさ、おばさんはまだほんの赤ん坊の葉月を抱いてたな。そんでおばさんの後ろに隠れながらお前がおどおどとこっち見てて、俺とお前の目が合ってさ」

「私小さい頃引っ込み思案だったから……」

「あの時、お前の顔見た瞬間一目惚れしたんだぜ、俺」

「えっ、そうなの!?」

「あぁ。桃乃が初恋なんだ、俺のな」

 そして冬馬はいきなり大声を出した。



「で! それからずーっとお前のことが好きなんだっ! 分かったか!」  



 そう叫ぶと冬馬は視線をボードに戻し、ザカザカと大胆に絵筆を走らせてボードの下半分を黄緑一色に塗り潰し始める。桃乃は今初めて知ったその事実に驚いて、ただただ呆然と冬馬の横顔を見つめていた。



(冬馬……そんな前からずっとずっと私のことを好きだったの……?)



 適当に絵筆を流して彩色をしていた冬馬は、やがて桃乃が自分の横顔を見上げていることに気付いた。

「だからさ、柳川先生がタイプじゃないかとか、頼むからそういう訳分かんねぇ事を言わないでくれよ。俺はお前しか見てないんだからさ」

「う、うん」

 桃乃は頬を染め、素直に頷いた。

 しかし冬馬は少しも嬉しそうな顔をせず、代わりにフゥとため息をつくと低い声でボソリと尋ねる。

「……なぁ、桃乃の初恋の相手って誰なんだよ?」

「わ、私の!?」

「俺じゃないよな?」

 探るような冬馬の視線を避け、桃乃は目線を下に落とす。冬馬はそんな桃乃を見ながら思いきったように言った。



「当ててやろうか? …………兄貴だろ?」



「……!」

 桃乃の体がピクンと小刻みに揺れ、反応する。

 その反応を見た冬馬は膝の上のボードを脇に投げるように置き、手を頭の後ろに組んでドサリと草原に寝転がった。

「やっぱそうか……」

「む、昔のことだってば!」

「……いつ頃から好きだったんだ?」

「しょ、小学校に入ってしばらくしてから…かな。裄兄ィはもう中学に行ってた頃」

「ふぅん……」

「ほ、ほら、裄兄ィって優しかったから……。もちろん今も優しいけど」



「……俺、本当はなんとなく分かってたんだ、桃乃が兄貴のことを好きだったってさ」



 冬馬は寝転んだままで空を見上げ、ゆっくりと流れる綿雲の群れを眺める。

「桃乃は俺やクラスの男子なんかまるで眼中に無さそうだったもんな。なのに兄貴と話してる時、いつもお前すごく嬉しそうなんだ。そうだ、今の葉月にそっくりだったぜ」

「…………」

 幼い頃、裄人と話している時の胸の高揚感や、姿を見ただけで嬉しかった気持ち。

 そんな当時の自分と妹の葉月の姿を重ね合わせ、その通りだと思った桃乃は黙り込む。

 冬馬は上空の雲から視線を外さず、ためらいがちに聞いた。



「……お前、もしかして今も兄貴の事……」



「違うってばッ!」

 寝転ぶ冬馬に向かって桃乃は大声で否定する。

「今言ったでしょ? 昔のことだって! 確かに裄兄ィの事は好きだったけど、私中学入ってすぐにそんな気持ち無くなったもん」

「なんでだよ?」

「裄兄ィが色んな女の人といっぱい付き合っているのを毎日見てたらなんとなく冷めちゃったの」

「ふぅん……」

「昔のことだからね?」

「あぁ」


 しかし冬馬は空を見上げたままだ。


「冬馬、ショックだった……?」

 すぐ横で吐息が一つこぼれる。

「分かってたんだけどな……、分かってたけど、実際にこうやって桃乃の口から聞いちまうとやっぱダメージでかい」

「冬馬……」


 冬馬の瞳に抜けるような色の青空が映りこんでいた。

 本来なら爽やかなはずのその色は、今の冬馬の瞳に映ると悲しみの色に変わってしまっているようで、桃乃の胸は切なくなる。


 ちゃんと言わなくっちゃ、と桃乃は決意する。

 さっきは言いそびれてしまった今の自分の気持ち。冬馬に抱いている想い。

 そして自分にとって一番大切な人は誰なのかを。

 桃乃は一呼吸置くとボードから手を離し、そっと草の上に置く。


「冬馬、あのね」


 オレンジのクロスバイクの後ろに乗り、広い背中を見上げながら感じたあの時の風。

 カノンの帰り道に抱きしめられ、震えながら交わした初めてのキス。

 ふいに手を握られ、ドキドキしながら見た恋愛映画。

 そしてあんな過酷なアルバイトをしてまでプレゼントしてくれたあのネックレス──。


 走馬灯のようによぎるそれらのシーンは、月日で数えるとまだほんの一ヶ月とわずかのことなのに、もうずっとずっと前の出来事のような気がしていた。


「私が今一番好きなのは冬馬だからっ……」


 座ったまま体の向きを変え、そう伝える。

 やっと素直に、そして本心から自分の気持ちを言えたせいか、胸がスッと軽くなった。

 冬馬から告白され、「私も好き」と答えた時より、今は数倍も、数十倍も、この幼馴染のことを好きになっている。日を追うごとに、そしてこうして側で時を重ねるごとに、自分の中で冬馬への想いが揺らぐことの無いものに変わっているのを桃乃は今はっきりと自覚していた。

 冬馬はこの告白を聞いた途端、生気を取り戻した目を輝かせてガバッと上半身を起こす。


「桃乃が俺に “ 好き ” って言ってくれたの、やっとこれで二回目だなっ!」


 そう叫ぶ表情には満面の笑顔が戻っていた。

 喜び勇んだ冬馬はそのまま桃乃の手を取り、その体をグイと引き寄せる。

 瞬時にこの先自分の身に起こる展開を察知した桃乃は、慌てて冬馬の体を押し返し必死に抵抗した。


「ダ、ダメッ冬馬! こっこんな所で! 誰かに見られたらどうするの!」

「誰も見てないって。柴門達もあんなに遠くにいるしさ」

「ヤダ! ダメッ!」

「いいから暴れんなっての」


 この二人の場合、男と女だけではなく体格も違いすぎる。

 結局小さな抵抗はものの数十秒で組み伏せられ、二人きりの平原で強引に抱きしめられた。

 冬馬の顔がゆっくりと近づき、反射的に桃乃は強く瞼を閉じる。


「……んっ……」


 新緑の微風が触れ合っている二人の黒髪を優しく揺らす。

 この瞬間、周囲の時がすべて止まったような錯覚すらした。

   

「桃乃……」


 一度軽く唇を離した冬馬が桃乃の名を呼ぶ。

 目を開けようと薄く視界を開くと「まだだ」という声が聞こえ、再び唇が押し当てられる。

 冬馬の唇から漏れる熱い息を感じ、桃乃の心臓の鼓動はこめかみに響くぐらいの強さで、熱く脈打ち始めた。

 

「んんっ……」


 まだかすかに抵抗していた力がここで完全に抜ける。

 おとなしくなった桃乃を冬馬は愛おしそうにさらにきつく抱きしめた。

 触れ合う唇がお互いの体温と鼓動を敏感に感じ取る。

 長い長い二度目のキスからやっと解放された桃乃はその感覚に痺れていた。


「おい桃乃?」


 唇を離した後もまだ呆然としている桃乃に、心配した冬馬が顔を覗き込んで呼びかける。

 その声でやっと我に返った桃乃は顔を赤らめながら冬馬をなじった。

「も、もうっ、本当に冬馬はいつもいつも強引なんだからっ!」

「これぐらい全然いいじゃん。今俺ら付き合ってるんだぜ? この間だって桃乃に何も出来なかったんだしさ」

「この間って……?」

「桃乃の誕生日の日だよ。俺さ、あの時最低でもキスの一つは絶対してやるって思ってたんだけどさ、お前、公園の上に行ったら泣いてばっかで全然そんなことできるような雰囲気じゃなかっただろ」

「あ、あれは、だって……!」


 あの夜、冬馬の胸で大泣きした自分の行動を思い出し、桃乃は恥ずかしさで俯く。


「そういや、なんであの時あんなに泣いたんだよ」

「な、なんでって……」

 あのアルバイトの件は絶対に言うことは出来ない。

「だってすごく嬉しかったの、あのプレゼント」

「そう言う割りにつけてないのな」

「だっ、だからそれは没収されたくないからって言ったでしょ?」

 冬馬はまた草原に寝転がった。

 目の覚めるような青い色が再びその瞳の中に宿る。



「……没収されてもいいからつけててほしかった」

 


 その言葉は鋭利なナイフのように桃乃の胸に突き刺さる。

「今、俺の事を好きだって言ってくれたけどさ、たぶん俺と桃乃ってお互いを好きな温度が全然違うんだろうな。いつも俺一人が空回りしてる感じがする」

「ううん、そんなことない! ただ私は冬馬とはもうちょっとゆっくりお付合いしたいな、って思ってるだけだよ」

 その桃乃の言葉を聞いた冬馬の顔がまたわずかに曇った。



「……兄貴の事を完全に忘れるまで、か……?」



 メビウスの輪のようにループするこの話題。

「だからそういう意味じゃないってば!」

 もう一度桃乃は大声でそれを否定した。

「あのね、私達確かに小さい頃からの幼馴染だけど、お付合いはまだ始まったばかりでしょ? なのに冬馬ってば私の気持ちなんて全然考えないで、いつも今みたいに強引なんだもんっ。それがイヤなだけなのっ!」

「……俺、強引か?」

「すっごく強引!」

「ふぅん……」


 きっぱりとそう断言され、冬馬は自分の今まで取ってきた行動を思い返して見る。


「桃乃、それってようするに “ すぐに獣になるな ” ってことなの……」

 そこで冬馬は何かに気付いたらしく、あっ、と叫ぶと、片肘をついて半分ほど身を起こす。

「さっきの『ケダ』ってよ、もしかして “ 獣 ” ってことか!?」

「そう」

 コクリと頷いた桃乃を見て、失意の冬馬は草原にバッタリと大の字に倒れ込む。

「おい、また俺をケモノ扱いかよ……。勘弁してくれって……」

 冬馬の憮然とした表情とは反対に、桃乃はくすくすと楽しそうに笑いだした。

 参ったな、と呟きながらも、冬馬はその笑顔に完全に視線を奪われている。


「冬馬」


 笑い終えた桃乃は片手を冬馬の胸の上にそっと乗せた。

 トクントクンと一定な鼓動が右の手のひら全体に静かに伝わってくる。

「あのネックレス、明日からちゃんとつけるから。でも没収されないように気をつけるね」

「……あぁ」

  自分の胸に置かれた桃乃の手を包み込むように握りしめ、冬馬はそう答えると安心したように微笑んだ。




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