小さな秘密 【後編】
「どっ、どうしてそんなこと言うの!?」
すると要はボードに視線を落としたままで答える。
「そんな海洋学校なんて無い」
沙羅の顔色が変わる。
「ひっどい要! そんな嘘ついて!」
「先に嘘ついたのそっちじゃん」
「あ……」
要にそう指摘されて沙羅は視線を落とし、黙り込んだ。
「おい、そんな困った顔するなよ。別に俺にはなんの関係もないし、俺に本当の事を言わなくてもいいけどさ、もしかして倉沢さんにもこの嘘ついてるわけ?」
困った顔のままで沙羅は小さく頷く。 そんな落ち込む様子を初めて見た要はとりあえずフォローに回った。
「あのさ、嘘つくならもっときちんと背景を作って嘘ついたほうがいいぜ? 今回みたいに父親が航海士って言うのならせめてどの海洋学校出身かぐらいまでは決めておけよ」
要はそうアドバイスすると再び絵を描き出す。沙羅は絵筆を止めたままで呟いた。
「ねぇ要……。モモ、あたしが嘘ついてること知ったらショック受けるかな……?」
「さぁな。俺、倉沢さんじゃねぇし」
「あたしね、この間モモに “ 親友なのに隠し事してた ” って文句言ったんだ。それなのに、あたしが嘘ついてたの知ったらモモはきっとショックだよね……」
「あぁ、それならショックかもな」
要はオリエンタルグリーンの絵の具をパレットに足しながら沙羅の質問を適当に受け流す。
「やっぱりそうだよね……」
しかし横で沙羅が本気で考え込んでいるのを見て要はその動きを止めた。
「……今もしかして倉沢さんにカミングアウトしようか考えてる最中か?」
沙羅は心底驚いたように叫ぶ。
「要ってすごい! エスパーみたい! なんであたしの考えていること分かるの!?」
「今までの話しの流れからいったら普通誰でも分かるっての」
「うん決めた! あたし、やっぱりモモに言うことにする! だってモモはカノンで初めてのベストフレンドだし、この間は家にも遊びに来てくれたし……! 実はずっとモモにこの嘘ついていたの気になってたの。でもなかなか言い出すキッカケがつかめなかったんだよね。ありがとね、要の言葉で決心ついた!」
「おいおい、決心って……そんなにヘビーな話なわけ?」
「うーん、ヘビーかどうか分からないけどモモみたいに普通のアットホームな家庭で育った子にはちょっと理解しずらい話しかなー、と思って」
「へぇ……」
それを聞いて急に要の好奇心がうずいた。
「な、やっぱりその話し俺にも教えてくれないか?」
「うん、いいよ! あたし要のこと大好きだし、やっぱり好きな人には自分のことを包み隠さず知っておいてもらいたいし!」
沙羅がいきなりまた告白めいたことを言い出したので要は慌てて顔を逸らした。
「あのね要、あたしのパパね、航海士じゃなくて社長さんなの。『サウス・トレーディング』って貿易会社の。知ってる?」
「聞いたことあるような気もするな。社名の由来は苗字からか?」
「うん、そう。ちなみにパパは二代目社長なんだけどね」
「ふぅん、じゃ、あんたは大会社の社長令嬢ってことを隠していたわけだ」
「うぅん。違うよ」
沙羅は絵筆を再び取り、絵を描きながら続きを話し出す。
「あたし、厳密に言えば今は南沙羅じゃないしね」
「それどういう意味だ?」
「パパとママって結婚してあたしを産んだ後、まもなく離婚しちゃったんだよね」
沙羅の絵筆は言葉と共に淀みなく動き続ける。
「パパのお父さん、つまりあたしにとっては一応お爺さんになるんだけど、そのお爺さんがサウス・トレーディングっていう貿易会社を興したの。パパがまだ専務だった頃、その会社で働いていたのがママ。で、二人はその内愛し合うようになって、やがてママはあたしを身ごもったらしいの。でも周りの人が、特にそのお爺さんが、パパ達の結婚を絶対に認めなかったんだって。でもパパは強引にママと籍を入れて結婚しちゃったの。そしてあたしが産まれたんだ」
要も同じように絵筆を動かしながら黙って沙羅の話しを聞いている。
「だからあたし、パパ達が離婚した後もそのまま南の姓を名乗れてるんだよね。もしママが未婚であたしを産んでいたら、たぶんあたしの名前は『 Sarah・Oliver 』になっていたと思う」
「なんで親は離婚したんだ?」
「お爺さんがパパを勘当しようとしたから。本当は当時パパの結婚相手はもう決められていたんだって。でもパパはそんな決められた結婚よりママを選んだの。そしたらお爺さんはパパを勘当して会社からも追い出す、と言ったの。パパはそれでもいい、と突っぱねたけど、それを抑えたのがママだったんだ。ママは “ 実の親子が争うのはもうこれ以上見たくないから ” って言ってパパと離婚することを選んだの。“ 私には沙羅がいるから大丈夫。だからあなたは立派に会社の跡を継いで新しい家庭を築いて下さい ” って言ったんだって」
沙羅は汚れた絵筆を水で洗い、次の彩色に取り掛かる。
「パパは最初断固それを拒否したんだって。でもママの決心が変わらないことを知って、最終的にはママと離婚することに合意したの。これがあたしの生い立ちの経緯」
「……確かに少々ヘビーな話しだな」
そう呟く要に沙羅は明るく笑った。
「でもね、身を引いたママも偉いけどパパも凄いんだよ! ママと離婚してその後会社に戻ったパパは結局その決められた人との結婚を断って、今でもずっと独身のままなんだよ! 前に会った時にパパ、言ってたわ。“ 愛しているのは生涯ずっとママ一人だけだ ” って」
「両親、再婚はしないのか?」
「うん。その辺は子供のあたしにはよく分からない。パパは今は社長になったけど、まだお爺さんが会長として会社にいるしね。だから出来ないのかも」
「ふぅん……」
「それであたし、パパとは会えるのはせいぜい年に三、四回なの。パパの仕事がすっごく忙しいせいもあるんだけどね。でもこんなこといきなりモモに言うのも気が引けて、つい、いつも他の人にも話してきたように “ 航海士してる ” なんて嘘言っちゃったんだよね……」
「でもよ、今あんたの話を聞いた限りじゃ別にあんたの両親は憎しみあって別れたわけでもないみたいだし、倉沢さんがそれで引いたりするようなことはないと思うぜ? 嘘をついたことが気になっているんだったら思いきって話したほうがいいんじゃないか?」
沙羅はいつもの沙羅らしく、「うん、そうする!」と元気良く答える。
「あ、後ね、あたしにとってこの“ 沙羅 ” って名前ってとっても大切なんだ。この名前をつけてくれたのってパパなの。だからね要、ちゃんとあたしの名前呼んでよ。それに男の人に呼ばれるとなんだかパパに呼ばれてるような気になれるんだよね!」
「……それでそんなに名前を呼ぶことにこだわってたのか。なるほどな。しかしそんなこと聞いちまったらますます呼びづらい」
「ダ~メ! こういうことは最初が肝心なの! 後回しにすればするほどドンドン気恥ずかしくなっていっちゃうもんだよ? さっきの冬馬みたいに最初にパッと言っちゃった方が言いやすいんだから! じゃ要、早速練習ね! ホラ、沙羅って呼んでみてよ! ほらほら!」
要は少し沈黙した後、自分の絵筆を乱暴に水入れに放りこんだ。
「……ま、それはまた今度な」
「もう、要ったら~!」
沙羅は悔しそうに大きく頬をふくらます。
(面白いヤツだな、コイツ)
からかうと自分が予想した通りの反応を次々に取るので、要は内心で密かに面白がり始めていた。
しかしガッツのある沙羅はまだ諦めずに食い下がる。
「いいからさっさと呼びなさいよ~! “ さ ” と “ ら ”のたった二文字だよ? ほら!」
「あぁ、また後でな」
「か~な~め~!」
要はハハッと笑いながら沙羅の絵筆を取り上げる。
そして「少し手伝ってやるよ」と言いながら勝手に沙羅の絵に修正を加え始めた。