同じ目線の二人
カノンの年間行事予定の中で、五月は比較的大きなイベントのない月だ。その中で唯一、校外で行う “ グリーン・スケッチ ” は、今月の最大行事でもある。
その名の通り目の前の自然をスケッチするという、教科で分類すれば美術が該当するこの行事は、学年毎に日にちをずらして毎年行われているものだ。
本日は一年生が参加する日で、桃乃と沙羅は女子クラス一組と二組合同のバスで隣同士に座り、お喋りに興じていた。
「モモ、あれからママのストロベリーパイ作ってみた?」
「うぅん、まだ。沙羅のママにレシピを貰った後に作ってみようかなって思ったんだけど、お母さんが喜んじゃってもう先に一度作られちゃったの」
「美味しかったー?」
「うん。でも沙羅のママの味にはまだちょっと及ばなかったかな」
「ママはあのパイの達人だからね~。で、モモはいつチャレンジしてみるの?」
「う~んどうしよう、この間食べちゃったばっかりだからなぁ……」
「モモが食べるんじゃなくて、冬馬にあげればいいじゃない?」
と沙羅は桃乃の腕を突つく。
「……なんか最近の沙羅って冬馬のことばかり言うよね……」
「だってさ、モモと冬馬が今どこまで進んでいるのか気になるんだもんっ」
「ど、どこまでって……」
座席シートの上で桃乃は小さくたじろぐ。
「まぁ当然キスぐらいまではもうしてると思うんだけど、その先はー?」
「さっ、沙羅ってば!」
慌てて桃乃は周囲を見回す。
「これだけ周りがうるさかったらあたし達の会話なんか聞こえてないってば。現にあたし、いつもより小声で喋ってるでしょ?」
確かに女子ばかり満載のこのバスは、周囲のやかましいほどの嬌声がサラウンド効果をプラスして見事な大音響を奏でている。
「でもさ、冬馬って本当にカッコイイよね。背はあんなに高いし、スポーツマンだし。顔だってもちろんいいもん。あとは性格がよければパーフェクトじゃない? 冬馬ってどういう性格なの?」
「冬馬の性格?」
桃乃は少しの間考え込む。
「うーん簡単に言うとね、とっても単純で、すっごく強引で、しかもケダ…」
うっかり『ケダモノ』と言いそうになった桃乃は慌てて口をつぐみ、残りの言葉を飲み込んだ。
「ケダ? それ何? なんかの造語?」
「なんでもないっ!」
「……?」
沙羅は青みがかった瞳を数度瞬きさせた後、妙に自信ありげな態度で大きく胸を反らす。
「でもねっモモ! あたしこの間冬馬を見て思ったんだけどさ、奥手でおとなしいモモにはね、ああいう冬馬みたいなちょっと強引なタイプが絶対お似合いだと思うよ!!」
「さっ沙羅! 声が元に戻ってるってば!」
車中で沙羅の一方的な恋愛話を繰り広げつつ、やがてバスはカノンから約五十キロほど離れた森林公園に無事到着する。
バスを降りた生徒達は全員森林公園前の広場に集合し、一年担当教師代表となった誠吾が、生徒達の前で各注意事項を簡潔に説明した。
「注意事項はそんなとこだ! じゃあ皆ここからボードを一枚ずつ持ってけな! 昼になったら各自で勝手に飯にしていいぞ! 絵を描く道具はちゃんと持ってきてるな? 二時半になったら、またここに集合だ!」
「時間は厳守! 絶対に遅れないでね!」
用意した画材の入ったダンボール箱の前で緑も最後の指示を出す。
一年美術担当の塚本信也もここぞとばかりに自分をアピールすることに余念が無い。
「皆~! 今日の画材のアクリル絵の具、使い方がよく分からなかったらいつでも僕に聞いてくれよぉ~!」
「よしっ、じゃあ解散!」
誠吾の号令で生徒達はそれぞれイラストボードを片手に公園内に散りはじめた。
「モモ、ボード持てる?」
「うんなんとか……。このボード大きいよね。持つの大変」
片手に昼食の入ったバッグを持っているため、空いたもう片方の手だけでA2のボードを小脇に抱え、画材道具も持たなければならない。小柄な桃乃には少々大変そうだ。
「じゃ早速景色いい場所探しに行こうか!」
沙羅が元気一杯な大声を出すとふいに後ろから声がかかる。
「おう、一緒に行こうぜ!」
桃乃と沙羅が振り返るとそこには冬馬と要が立っていた。
沙羅は目の前に現れた冬馬を見て叫ぶ。
「あ――っ! 噂をすれば冬馬だぁっ!」
「おま、デカい声だな……!」
まだ一度しか面識が無いにもかかわらず、大声でいきなり呼び捨てにされた冬馬は面食らっている。「冬馬っ、この間一度会ってるけど自己紹介がまだだったわね! 南沙羅よっ、よろしくね! あたしのことは絶対に沙羅って呼んでよね! OK?」
「お、おう……よろしくな……」
沙羅からほとばしるパワーにまだ気圧されている冬馬に向かって、要がこっそりと囁く。
「……な、こいつ相手にするとペース狂うだろ?」
「あれっ? 冬馬と要って仲悪かったんじゃなかったっけ?」
以前とは違う男二人の様子を不思議に思った沙羅がそう尋ねた。
「まぁあれから色々あってな……」
「そうそう。女には関係ない話だよな、柴門」
「へぇー、じゃあもう完全に仲直りしたんだ?」
「ま、そんなことはいいじゃん! ここじゃ昼休みか、こんな行事の時じゃないと男女一緒になることがないからさ、せっかくだから四人一緒に行動しようぜ? 桃乃、それに沙羅」
早速希望通りに冬馬に名前で呼ばれた沙羅は、嬉しそうに右手に持っていたバッグを高々と掲げて呼応する。
「うんっ! 行こ行こ! モモも勿論OKでしょ?」
「うん」
「倉沢さん」
要が桃乃に顔を向ける。
「西脇なんか昨日からすごく楽しみにしてたみたいだぜ?」
「そ、そう……なんだ」
どう返答していいのか分からずに桃乃が曖昧な返事をしたところに、ダンボール箱を抱えた誠吾が通りがかった。誠吾はニヤニヤと笑いながら固まっている四人に向かって「おーい、西脇と柴門!」と声をかける。
「なんスか、先生?」
返事をしたのは冬馬で、要は無言で視線だけを面倒臭そうに誠吾に向けた。
「お前達、そのまま倉沢と南を草陰に連れこんで変な真似をしようとするなよ?」
その誠吾の物言いに両名はカチンときたらしい。
「しないッスよ!!」
「……誰がするか」
それぞれの性格が如実に出た二人の台詞に、桃乃と沙羅は思わず笑い出す。
「それなら結構結構! 男女交際は清く正しく健全にな! 我がカノンのモットーだ!」
誠吾は高笑いをしながら余った画材の入った箱を抱え、バスの方へ去ってゆく。
「ったく、有給を目一杯使って帰ってきてからなんか妙に張りきってるよな、矢貫先生」
「まぁまぁ冬馬、気にしない気にしない! それより皆で張り切ってスケッチ場所を探しに行こうよ!」
沙羅の主導で四人は公園内に足を踏み入れる。
「桃乃、ほら、それ貸せ」
歩き出してまもなく、桃乃のボードを冬馬が横からヒョイと取り上げた。そして自分のボードとまとめて持つ。
「あ、ありがと」
「これでそっちの手空いたな」
冬馬はニッと笑うと、空いた桃乃の手を上から包み込むようにさりげなく握る。すぐ前を沙羅と要が歩いているこの状況で手を繋ぐという、冬馬のこの大胆な行動に桃乃の顔は瞬時に赤くなった。
「と、冬馬っ……!」
桃乃は小声で牽制したが、冬馬はどこ吹く風といった様子で、「スキンシップ、スキンシップ」と軽やかに答え、さらにしっかりと手を掴む。
「どしたの、モモ?」
沙羅が急に振り返る。
「なっ、なんでもないよっ?」
引きつりそうになる顔を平常モードに強制固定しつつ、桃乃はそう答えた。沙羅が振り返るよりも一瞬早く冬馬の手を振り払ったので、二人が手を繋いでいたところは間一髪のところで見つからなかったのだ。
「ふ~ん……」
沙羅はそう言いながら再び前方に体を向けようとしたが、その直前でいつのまにか特大ボードから解放されて身軽になっている桃乃に気付く。
「モモ、ボード持ってもらったの!? うわぁ~冬馬って優し~!」
羨望の声は木立の奥に吸い込まれていった。
そして沙羅は何かを言いたげな視線をすぐ隣を歩いている人物に向けて頻繁に送り出す。自分に向けられたそのあからさまな熱視線に、当然の事ながら要もすぐに気が付いた。
「な、なんだよ?」
「あのさー、あたしの記憶に間違いがなければ、要って確か紳士なんだよね?」
要は一瞬ひるんだ様子を見せた。
「お前、よくそんな事覚えてんな……」
「記憶力にはかなり自信あるほうなんだよね、あたし」
カノン正門前で初めて出会った時に、要が口にした紳士発言をまだ覚えていた沙羅は、尚もこの件に関して追求の姿勢を見せる。
「仮にもジェントルマンを名乗ったことがあるなら、普通こういう時はさー」
「分かったよ! 代わりに持てばいいんだろ、持てば!」
ここはおとなしく要求を呑んだ方が賢明と判断したのか、要は足を止めて会話を切り上げると沙羅の画材を取り上げた。
「やったぁ~! ありがと要~!」
(俺、やっぱりコイツが苦手だ……)
要は内心でそう思いながら自分と同じ目線を持つ、背の高い沙羅をちらりと見る。
そして喜ぶ沙羅を横目に渋々と二つのボードを小脇に抱えると、再び冬馬に「な?」と同意を求めた。
今の二人のやり取りを黙って見ていた冬馬も小さく頷き、わずかに同情を含ませた声で「そうだな」と答える。
「ねぇねぇ要。なに? 今の冬馬に言った “ な? ” って?」
「なんでもないっての」
「ダメ! 気になるから教えてよ!」
「いいから行くぞ」
要は大きな歩幅でさっさと先に歩き出した。
「あ! 待ってよ要ー!」
沙羅が慌ててその後を追いかける。そして隣の位置にまで追いつくと、
「ねぇもったいぶらないで教えてよ!」
と食い下がった。
「何をだ」
「だから、さっきの “ な? ” の意味!」
「別に深い意味は無い」
「ウソ! ケチケチしないで教えてってば!」
「俺は元々倹約家だ」
「ちがーう! そういう意味じゃなくてー!」
約七メートル先を揉めながら並んで歩くほぼ同じ背丈の要と沙羅。
(もしかしたらあの二人って結構お似合いかも……)
桃乃が二人に対してそう思った時、冬馬が「あいつら、何ケンカしてんだ」と呟きながらまた桃乃の手を握る。相変わらずのその強引ぶりに桃乃は小声で文句を口にした。
「と、冬馬っ、沙羅たちに見られちゃうってば……!」
「別に見られたっていいじゃん。なんで隠そうとするんだよ?」
「だ、だって恥ずかしいもんっ」
「恥ずかしがることじゃねぇだろ? 反対にあいつらに見せつけてやろうぜ!」
振りほどけないほどに強く手を握られ、せっかくおさまりかけていた頬の熱がまた一気に急上昇する。
とんでもないことを気軽に言い出すこの幼馴染の笑顔が憎らしいほど爽やかなのが、さらに桃乃の頬を紅潮させていた。