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すべてを彼女は理解した


 冬馬から再び裄人の携帯電話に連絡が入った時、時刻は六時半を過ぎていた。

「あぁ冬馬か。準備OKか? じゃあ今から桃乃ちゃんを連れて行くよ。……そうだな、今ちょうど近くを走っているから、たぶん十分以内にはそっちに着けると思う。……あぁ、分かった」  

 そう告げると車外で煙草を吸っていた裄人は携帯電話を切り、周囲に目をやる。


「……なーんて言って、本当はとっくに現場でスタンバイ中なんだけどね」


 桃乃と百合ヶ丘公園の駐車場で待機していた裄人は、携帯をジャケットのポケットに戻すと、運転席のドアを開けて中にいた桃乃に声を掛ける。

「じゃ桃乃ちゃん、冬馬から連絡来たから、あと五分くらいしたら行っていいからね。あっ、そうだ。それとさっきも話したけどさ、くれぐれも冬馬のバイトのことを知ってる素振りを見せちゃダメだよ? あいつ、今回のバイトのことを桃乃ちゃんに言う気は全然無いみたいなんだ。実は俺、冬馬に固く口止めされてるしね。だから俺の身の安全のためにも、桃乃ちゃんはこの事を一切何も知らないことにしといてほしいんだよ。いい? できる?」


「……分かった……」


「あらら? 桃乃ちゃんなんかテンション低いなぁ。その顔、これから彼氏に逢いに行く女の子の表情じゃないですよ?」  

「だって……あんなとこ見ちゃったら私……」

「あ、もしかして胸がいっぱいなんだ?」  

 顔を伏せたままで桃乃は小さく頷いた。

「うん、気持ちはよく分かるけど、でも感動するのはちょっと待ってやってよ。冬馬のためにもね。あいつ、桃乃ちゃんを驚かせるためにあんなに頑張ってたんだからさ。ね?」  

 桃乃はもう一度コクン、と頷く。

 再び運転席に乗り込んだ裄人は車のエンジンをかけるとハンドルを握り、前方の灯りを眺めながらしみじみと言う。



「俺、冬馬が羨ましいよ」



「……どうして?」

「ハハッ、どうして ? ときましたか!」


 その素直な問いに、(やっぱり桃乃ちゃんはまだ分かってないな)と思いながらも、裄人は優しくその理由を説明しはじめた。


「あのさ桃乃ちゃん、この世界には何十億っていう数の人類がいるだろ?」

「う、うん」

「だけどそれだけ多くの人類がこの地球上にいてもさ、限られた人生の中で何もかも忘れてしまうくらい無我夢中になれる相手をその中から見つけ出す事って、実はかなり至難の技だと俺は思っているんだよね。でもさ、冬馬は桃乃ちゃんっていう、ここまで一生懸命に好きになれる女の子にこんなに早く巡り会えて、しかも今はめでたく両思いになったから、裄人お兄さんはとっても羨ましいわけですよ」


 運転席の上でフゥ、と青い吐息が漏れる。


「あーあ、俺って勉強面だけじゃなくて、とうとう恋愛面でもあいつに抜かされちゃったんだなぁ……兄の立場としては少々悔しいですよ」

 裄人は無念そうな声でそう言い終わるとハンドルをピンと人差し指で弾き、再び時刻を確認した。

「……もうそろそろいいか……。よしっ、じゃあピンチヒッターの騎士(ナイト)の役目はこれでおしまい! さ、冬馬待ってるよ、行っておいで。あ、あと十六歳のお誕生日おめでとう」



「ありがとう、裄兄ィ……!」  



 桃乃は裄人の車から急いで降りると一度も振り返らずに真っ直ぐに噴水の方角に走って行った。

 走り去ってゆく桃乃の背中を車内から見送り、本日一番の功労者は安堵の息を吐く。


「……さて、今度はこちらの番ですね」  


 携帯で女友達にこれから迎えに行くと連絡した後、裄人は軽やかに車をスタートさせた。





 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 空に夜の帳が降りた。

 百合ヶ丘公園にも様々な光が溢れ出し、公園内中央に作られた、ライトアップされた噴水が橙色の光を纏い出す。

 夕食時の時間帯のせいか、公園内は今はまばらな数しか人影がいない。噴水の近くのベンチに腰をかけていた冬馬は走ってきた桃乃の姿を見つけ、自分も慌てて立ち上がり駆け寄った。


「悪ィ桃乃! こんなに遅くなっちまって!」

 

 冬馬が片手で拝むようにして謝る。反対の手には水色の小さな紙袋が握られていた。

「……ううん、いいの……。よ、用事があったんでしょ?」

 自分を待っている冬馬の姿を見た瞬間からこんなに胸が苦しいのに、喋るとさらに桃乃の胸の苦しさは増してゆく。

「マジでごめん! でももう桃乃を家に送らなきゃいけない時間だな……」

「あのね、今日お母さんに八時までに帰ってくればいい、って言われてるの」

「マジ!? それじゃあと一時間くらいは話せるな! どっかで暖かいもんでも飲むか?」

「ううん。ここでいいよ」

「よし、じゃあもっと上の方に行こうぜ!」


 冬馬は桃乃の手を取り噴水の奥にある階段を昇った。水色の袋がユラユラと楽しそうに揺れている。

 丘の部分に上がり、綺麗に刈られた芝生の上に二人は腰を下ろした。この公園自体が高台の上に作られているので、眼下には二人が住む街の夜景が煌いている。


「ほら桃乃。これ誕生日プレゼントだ。誕生日おめでとう。先に一コ上になっちまったな」  

 十二月生まれの冬馬は桃乃に水色の紙袋を渡す。

「ありがとう……」  

 桃乃は胸一杯の感謝でそのプレゼントを受け取った。

「開けてもいい?」

「あぁ」  


 紙袋と同じ水色の包みを中から取り出すと桃乃はそれを丁寧に開ける。

 やがて「カワイイ……」という嬉しそうな声がその口から漏れた。  


 プレゼントの中身はシルバーのネックレスだった。

 その真ん中には小さな二つのハートが絡まりあってついている。


「ほら、桃乃見てみろよ」  

 冬馬は自分のシャツの上を少しはだけて桃乃に自分の胸元を見せる。そこには桃乃と同じ型のネックレスがつけられていた。

「俺の方にはそのハートマークの飾りついてないけどな」

 と言いながら冬馬ははだけたシャツを元に戻す。

「俺知らなかったんだけどさ、カノンじゃ指輪や装飾品って禁止されてるんだって? でもネックレスならシャツ脱がなきゃ分からないからこっそりつけてる奴、結構多いらしいぜ。ウチのキャプテンから聞いたんだ。でさ、キャプテンも彼女とお揃いのネックレスつけてるらしくって、それ聞いてプレゼントはこれにしようと思ったんだ。俺、桃乃には今まで大したもんをやったことなかったからなぁ。あんな石コロぐらいでさ」      

 冬馬はそう言うと満足そうに笑った。そしてそのまま夜空を見上げる。

「な、桃乃。覚えてるか? 昔この公園に星空観察に来ただろ?」

「……うん。小学生の時よね。シリウスがすごくきれいに光ってたのを覚えてる」

「確かあれ、四年の時で理科の野外授業じゃなかったか? 天体望遠鏡や双眼鏡を先生が持ってきて、真冬の時期だったからすっげー寒くてさ。桃乃、鼻の頭やほっぺを真っ赤にして夜空を見てたよな」  



 そう言われて当時のある光景が懐かしくも不思議な記憶とともに甦る。  

 小学四年の野外星空観察。  

 白い息を吐きながら青白く輝くシリウスを見上げていた桃乃の前に冬馬が駆け寄ってきた。



「ほら桃乃。これつけてろ」    



 当時十歳の冬馬が自分が巻いてきていたマフラーを外し、同じく十歳の桃乃に差し出す。  

「え?」

「顔、真っ赤だぞ。お前すぐに風邪引くからな。ほら」

「うぅん、いいよ。それ冬馬ちゃんのマフラーなんだから……」

 そう言われた冬馬は急にムッとした表情になり、遠慮する桃乃の首に生成り色のマフラーを強引にグルグルと巻きつけた。


「いいからつけてろって! それと俺の事を “ 冬馬ちゃん ” って呼ぶのはもう止めろよな!」


 そう乱暴に言い放つと、冬馬は他の男子と共にさらに公園の上に登って行ってしまった。  

 階段を駆け上がっていく冬馬の後姿を、マフラーにくるまれた桃乃は戸惑いながら見送る。


 今まで “ 桃乃ちゃん ” と呼んでいたのに、この星空観察の夜を境に冬馬は桃乃を呼び捨てにするようになった。そしてもう自分の事を “ 冬馬ちゃん ” と呼ぶなと言ってきたこの夜の事は、襟元に巻きつけられたマフラーの暖かい感触と相まって、五年以上経った今でも桃乃の記憶の中に不思議な感覚としてぼんやりと残っていた。




「桃乃、それ、俺がつけてやるよ」  



 冬馬の言葉で過去の回想が中断され、桃乃はハッと我に返る。

 手の中にあった水色のギフトボックスから大きな手がネックレスを掴み取った。


 冬馬は身を寄せて桃乃の首に手を回す。

 反射的に一瞬桃乃は身を硬くした。

 顔の横を両腕で覆われ、冬馬の大きい手の感触が体越しに伝わってくる。すぐ目の前のその広い胸を見るともうお互い十歳の小さな子供ではないことを桃乃は改めて感じていた。



「この金具ちっちゃくて付けずらいな……」  



 ―― 胸が痛かった。

 冬馬が何かを言うたびに、押し潰されるように、締め付けられるように、桃乃の胸は痛む。  

 このプレゼントを買う為に冬馬がどれだけ努力したかを知っている桃乃は、真下で揺れるネックレスを見るともう何も声が出せなくなっていた。


「よし、ついた!」  


冬馬が嬉しそうな声を出す。しかし俯いたままの桃乃を見て急に声のトーンが落ちた。


「桃乃、これ気に入らなかったか……?」  


 桃乃は黙って冬馬の両手を取った。

 そしてその掌をそっと自分の方に向ける。

 その手はところどころに豆が出来ていて、中には切れて血が滲んだ跡もあった。



「……これどうしたの……?」



「あぁこれか? バスケの練習でキャプテンにめっちゃしごかれてさ。でも全然大したことないよ」

 掌を隠すように下に戻しながら冬馬はさりげなく嘘をつく。

 ついに我慢し切れなくなった桃乃の肩が小さく震え出した。

「……冬馬の……」

「ん? なッ!? な、なにお前泣いてんだよっ!?」  



 桃乃の両目からは感動でポロポロと涙がこぼれ始めていた。



「冬馬の嘘つき……!」  

 桃乃はそう言いながら冬馬の胸にトン、と体をもたせかけた。

「嘘つきって……だからなんで泣いてるんだよ!?」  

「私……、私、分かったの……!」

「あ? 分かったって何がだよ?」



 桃乃は泣きながらその先を口にした。



 ―― もうなにもかも分かっていたつもりだったのに、あらためて桃乃は気付く。



 風邪を引かないようにマフラーを貸してくれたあの時だけではなく、いつも冬馬は自分の事を気に掛けていてくれたことを。  

 例えぶっきらぼうでも、少々押し付けがましくても、いつもこの幼馴染は、自分だけにとても優しかったことを。



 冬馬の胸に体を預け、しばらく桃乃は声を出さずに泣き続けた。



「なぁ桃乃、今のどういう意味だよ?」


 しかし桃乃はただ泣き続けるだけで、その問いには答えない。

 桃乃が泣いている意味が全く分からない冬馬は、困惑した顔で震えるその背中をただ抱いていてやることしかできなかった。  





 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 その日の深夜零時を過ぎた頃、帰宅した裄人にまた部屋のドアを開けて冬馬が呼びとめる。

 冬馬の部屋の中に入った裄人は上着を脱いで手に持ちながら心配そうに弟を見た。


「まだ起きてたのか冬馬。お前今日バイトで疲れてるだろ?」

「帰って来てからちょっと仮眠とったんだ。それより兄貴今日サンキューな」

「あぁいいよいいよ。気にするな」

「相手の人、怒ってなかったか?」  


 裄人は余裕の表情で笑う。


「大丈夫、大丈夫! 女性の扱いには長けてるから俺。それに実際桃乃ちゃん危ない目に遭ってたからさ、やっぱり俺が行って良かったよ」

「兄貴、そいつらどんなヤツだったんだ?」

「もう覚えてないな。顔も全然イケてなかったしさ。それに桃乃ちゃんも脅えてたし」

「……俺そこにいたら絶対そいつらぶん殴ってた」

「ハハッお前ならそうだろうな。俺は平和主義者だから彼らには穏便に引きとってもらったけど」

「あ、あとさ……」

「ん?」

 冬馬は裄人から視線を外し、言いにくそうに尋ねる。


「……お、俺が行くまで兄貴達どこに行ってたんだ?」


「どこに、って、公園付近を軽くドライブしていたよ。それがどうかしたか?」

「で、桃乃と何喋ってたんだよ?」

「何って、別にとりとめもない話題ばかりだったよ? 学校のこととかさ」

 視線を外したままで冬馬の質問は続く。


「……桃乃は俺と付き合うことになったこと、兄貴に何か言ってたか?」


「んー、その話はあまりしなかったなぁ。お前と付き合うことになったばかりだし、桃乃ちゃんも恥ずかしかったんじゃないか?」

「……ふぅん」

 冬馬は落胆した声を出さないよう必死に平静を装った。

「あ、それと俺のバイトのことは言ってないよな?」

「あぁもちろんだよ。だってこの間お前と約束したじゃないか」


 ポリグラフにかけても恐らく針は微塵も触れないのではないだろうかというぐらいの完璧さで、裄人は巧みに嘘をつく。


「それよりどうだ、桃乃ちゃんはネックレス喜んでくれたか?」

 その話題が出て冬馬の顔が再び困惑気味の表情に変わった。

「あぁ、一応喜んでたみたいなんだけどさ……、でもなんか桃乃の様子がおかしかったんだ」

「へぇ、どんな風だったんだ?」  

 本当は心当たりがあるくせにわざと裄人はそう尋ねる。

「それがアイツ途中でいきなり泣き出してさ、俺に “ 嘘つき ” とか、“ 冬馬は私にとってテツなんだって分かった ” とか言うんだ。俺、桃乃がなに言ってんだかサッパリ分かんなくってさ」  

 するとそれを聞いた裄人は驚いた表情で二、三度瞬きをする。




「へぇ……そうか……、桃乃ちゃんがそう言ったか……」  




 そう感慨深げに呟くと裄人はニコッと大きく微笑み、祝福代わりに冬馬の背中を左手で勢いよく叩いてやった。

「いやぁ~おめでとさんっ!」

「痛てッ!」

 右手を後ろに回し、叩かれた背中をさすりながら冬馬が顔をしかめる。

「な、なんだよ兄貴! いきなりぶっ叩きやがって! それどういう意味だよ!?」

「えーとですね、冬馬くん、君はもう一度 【 魂が魅かれあう彼方で 】 を一人で観に行ったほうがいいな。以上です!」  


 そんな心優しくも少々不親切なアドバイスを残し、自分の部屋に戻ろうとした裄人の背中越しに唖然とした声で呟く冬馬の独り言が聞こえてくる。




「……やべぇ……兄貴の言ってる意味も全然分かんねぇよ…………」  




 裄人はこみあげてくる笑いのために震えそうになる声を必死に絞り、「おやすみ」とだけ答えると廊下に出る。そしてその笑いを噛み殺す代わりに小さく両肩を揺らしつつ、静かに自室に戻っていった。




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