貴女は小さなお姫様
ゴールデンウィーク二日目。
この日、桃乃は沙羅の家を訪問していた。
沙羅の家はカノンがある谷内崎駅から電車で最終地点の中和泉にある。駅からすぐ近くの高層マンションに沙羅は母親のエリザと二人で住んでいた。父親は航海士のため、年中ほぼ不在状態らしい。
「ようこそモモ。あなたのことは沙羅からいつも聞いています。会えて嬉しいわ」
見かけは青い瞳に白い肌の外国人だが、エリザはとても流暢に日本語を喋った。
はじめまして、と桃乃も挨拶をし、沙羅がエリザを紹介する。
「モモ。ママはね、若い頃、貿易会社の通訳兼秘書の仕事をしていたの。だからこんなに日本語が上手いのよ。今は進学塾で英語の講師をしているの」
エリザは明るい若草色のソファに桃乃を案内すると自分はその正面に座る。
「モモ、英語はお得意? 沙羅のお友達ならいつでも喜んでレッスンさせていただくわ」
「ありがとうございます!」
「さぁじゃあまずお茶にしましょうか。ついさっきパイが出来上がったところだから」
「あ、じゃああたしが用意するね、ママ!」
「ありがとう沙羅。じゃあお願いね」
綺麗なガラスの器に盛られたエリザお手製のストロベリーパイを食べながら女三人の会話は弾む。桃乃はエリザのパイを手放しで誉めた。
「このストロベリーパイ、とっても美味しい! こんな美味しいパイ初めて食べました」
「ありがとうモモ。でもそんなに褒められるとなんだかくすぐったいわね」
エリザはそう言うと役目を終えたパイカッターをキッチンに戻すために席を立った。
「良かった! ママのパイをモモが気に入ってくれて! あ、でもモモのママも確かお菓子作りは上手なのよね?」
「うん。毎日のように作ってるけど、でもこんな感じのパイはまだ作ったことがないと思うわ」
キッチンから戻り、ソファに座ろうとしたエリザはそれを聞いて中腰の姿勢で動きを止める。
「モモ。よかったらこのパイのレシピをあげましょうか?」
「えっ、いいんですか?」
「えぇ。私のレシピで作るパイが広まったらこんな嬉しいことはないわ」
エリザは再び席を立つと、書棚の最上段にある数々のクリアブックから背表紙に『 Sweet 』と書かれているファイルを取り、中からストロベリーパイのレシピを取りだして桃乃に手渡した。
「ありがとうございます! お母さん喜んで作ると思います!」
「ねぇねぇモモ! ちょっと待って!」
とそこで沙羅が桃乃に一つの提案をする。
「モモのママに作ってもらうよりモモがチャレンジすればいいんじゃない?」
「あ、そうね。最近お菓子作りなんて全然していなかったから私がこのパイ作ってみようかな」
「で! その出来たパイ、冬馬にあげるんだよね!」
桃乃の腕をつつき、すかさず沙羅がからかった。
今の提案はこの台詞を言いたいがためだけに出したらしい。
「トゥーマ?」
二人の会話を聞いていたエリザが少しおかしなイントネーションで冬馬の名を口にする。
「ううん、ママ。『トゥーマ』じゃなくて『トウマ』よ。モモの彼氏なの。バスケットやっててね、背が高くてカッコイイんだ!」
「沙羅より高いの?」
「うん、もちろんだよママ! 背はこれぐらいだったかな?」
冬馬の背丈を沙羅は空中に手で指し示す。
「じゃあきっとトウマにとって、モモは大切なリトルプリンセスなんでしょうね」
エリザは祝福するように優しく微笑み、沙羅がその言葉に強く同意する。
「そうよさっすがママ! まさにその通り! 傍から見てるとね、冬馬ってモモのこと “ もう好きで好きでしょうがない ” って感じなんだよねー! この間あたしとモモが違う男の子に送ってもらおうとした時もね、冬馬がすごい勢いですっ飛んで来て、モモに “ 頼むから俺と一緒に帰ってくれ ” って言ったんだよ。あれカッコよかったな~!」
「さ、沙羅、もうやめてよ……」
恥ずかしさのあまり、桃乃は小声で抗議をする。
「モモは幸せな女の子ね」
エリザはティーカップを手に再びゆったりと微笑む。
「女性はね、自分が愛するよりも男性に深く愛された方が幸せになるものなのよ」
「おぉっと見事に出ましたぁーっ! ママの十八番の決め台詞~~っ!!」
その元気なパフォーマンスに桃乃とエリザがクスクスと笑う中、沙羅は急に真剣な声に戻るとエリザに尋ねる。
「でもねママ。女の人の方が男の人を一杯好きになる場合もあるでしょ? その場合は幸せになれないの?」
「そうね……」
エリザは透き通った青い瞳を瞬かせて娘の質問に答える。
「幸せにならない、なんて乱暴なことは言わないけど、でもママは女の立場や経験から言えば、やっぱり男の人の愛情が強いほうが円満にいくと思うのよね」
それを聞いた沙羅のテンションが急激に落ちた。
「……う~ん……そのママの理屈じゃ、あたしの恋は思いっ切り前途多難じゃない……」
「カナメって男の子のこと? ママ一度会ってみたいわね。今度連れていらっしゃい」
「え? 要を連れて来いって!? ダメだよママ! だってまだ全っ然まったくな~んにも進展してないもん! 片思いで終わる可能性も大ありなんだからウチに連れてくるなんて無理だよ~!」
エリザはティーカップをソーサーに戻すとなぜか楽しそうに話す。
「でもあなたに好きな男の子ができたことをパパが知ったら一体なんて言うかしらね?」
「そんなの決まってるじゃないママ! パパなら大きく頭を抱えて……」
『unbelievable!』
明るい日差しで一杯なリビングに沙羅とエリザの声が反響する。完璧な英語で綺麗にハモった母娘は同時に笑い出した。
「ちょっと沙羅、真似しないでちょうだい」
「ママこそ~!」
沙羅とエリザの楽しそうな会話のやり取りは続く。
「じゃあそう叫んだその後、パパはどうなると思う、沙羅?」
「そうだなぁ……。パパならそのままいつまでもおろおろしてそう! で、ソファの角辺りに小指をぶつけて『Oh! My God!』って呻くの!」
「パパならしそうよね」
「だからママ。まだパパには要のこと何も話しちゃダメだからね?」
「はいはい。分かってるわ。この事はまだ二人だけの秘密にしときましょ」
沙羅とエリザはまた声を合わせて笑った。
(沙羅のお家ってあったかいな……)
ストロベリーパイのレシピを手にしながら、素敵な親子関係を築いている沙羅とエリザの母娘を桃乃はソファの上で微笑ましく眺めていた。