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アイツは俺のもの


 ゴールデンウィーク一日目の昼過ぎ、倉沢家の玄関先に現れた冬馬はそのままインターフォンを押す。応答は無かったが、代りにすぐドアが開き、中から桃乃が出てきた。

 今日の桃乃はオレンジのホルターネックのキャミソールに同系色の半袖ニットカーディガンを羽織り、下は白のカプリパンツにミュール、という可愛らしい服装だ。


「おっ、その服いいなっ!」  


 開口一番の冬馬の言葉に、桃乃は顔を赤らめて胸元の辺りを慌てて手で覆い隠す。

「や、やだっ、あんまりジロジロ見ないでよ!」   

「なぁなぁこの首の後ろの紐、ほどけたりしないのか?」

「しないわよ! 冬馬、引っ張らないでよ!?」

「あぁ」

 と言いつつも冬馬はさりげなくその紐下の部分を触る。

「バ、バカッ、触んないでよッ! こんな所でほどけちゃったらどうすんのよ!」

「それもそうだな。俺以外の関係ない奴に見せたくねぇし」

「冬馬も同じなのっ!」

「ケチだなぁ桃乃は……」

「そういう問題じゃないでしょっ!?」


 桃乃と冬馬が何やら言い合いながら連れ立って出かけて行くのを、リビングの窓ガラスから葉月が興味津々の眼差しで見送る。


「……ねぇお母さん、お姉ちゃんと冬馬兄ちゃん、どこに行くの?」

「今日から始まる恋愛映画観に行くんですって。桃乃、前から見たがってたじゃない? 冬馬くんが一緒に行ってくれることになったみたいよ」

「ウソッ! それって思いっきりデートじゃない!」

「えっ、そうなの? 冬馬くん優しいから、映画一緒について行ってくれたのかとお母さん思ってたけど……」

 食器を片付ける手を止めて驚く千鶴に、葉月はけらけらと笑い出した。

「やっぱりお母さんって鈍いよね~。だってさ、一緒に映画を観に行くなんてまさにデートの王道だよ? それにこの間のバーベキューの時もさ、お姉ちゃんと冬馬兄ちゃん、な~んかおかしかったんだから!」




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 映画館は今日が封切りとあって混んでいた。

「ほら、桃乃」  

 桃乃は冬馬がすでに用意してくれていたチケットを申し訳無さそうに受け取る。

「私が観たい映画なんだから私がお金出すって言ったのに……」   

「いいんだって。初デートなのに彼女に金出させられるかよ。さ、行こうぜ」  

 冬馬は桃乃の手を引っ張って映画館の中へ入る。

「席はEの三十と三十一だろ…………ここだな。あれっ?」  

 先を歩いていた冬馬は番号が該当する座席を見て少し驚いた声を出した。

「この席くっついてんだな」

冬馬の後ろから席を覗きこんだ桃乃が言う。

「これってもしかしてペアシート……?」  


(さては兄貴か……)  


 こういう事には本当に気が回るよな、と思いつつも冬馬は内心で兄に感謝する。  

 今日のチケットは裄人が代りに取ってくれていたのだ。  

「さ、座ろうぜ。桃乃はそっちの奥のほうな」

「どうして?」

 冬馬は自分の片足を軽く一度叩く。

「俺、足はみ出しちまうから通路側の方がいい」

「あ、そうね」  

 ペアシートに腰を掛けた冬馬は、自分と桃乃の間に肘掛がないのがいたく気に入ったようだ。

「ここに仕切りが無いのがいいなぁ! な?」  

 冬馬は大きく足を広げて座り、片足を桃乃の膝にわざとトン、と当てる。

「し、知らないっ」  

 桃乃は両膝をピッタリ合わせて座り、恥ずかしさを隠すためわざとつれない返事をした。

 通路側の肘掛に左肘を置き、頬杖をつきながら心底つまらなそうに冬馬が呟く。

「相変わらず冷たいねぇ……」

  

 やがて上映が開始され、ゆっくりと場内が暗くなり始めた。秒刻みで時を追うごとに、館内は漆黒の闇に包まれてゆく。


 二人が観に来た【魂が()かれあう彼方で】という映画は、深く愛し合ったテツとヒトミという恋人同士がある事件がきっかけで離れ離れになってしまう所から始まる。

 互いの安否もまったく分からないまま無情にも数年の歳月が流れ、しかしそれぞれ相手のことが忘れらない主人公達はまるで何かの運命に引き寄せられるように、同じ日に同じ思い出の場所で偶然に巡り合うというラブストーリーだった。

 二人が離れ離れになる日の朝、その思い出の場所で主人公、テツは恋人のヒトミに向かって告げる台詞がこの物語の最初のクライマックスだ。



「……大丈夫、心配しないで。きっと僕らの魂はいつかまた必ず魅かれあうよ」  



 この時点で映画はまだ前半部分しか終わっていないのに、すでに館内のあちこちから女性の啜り泣きの声がかすかに漏れ始めている。桃乃の涙腺も、ハンカチが目元から片時も離れられないくらいに完全に開ききっていた。自分のすぐ隣で何度も涙を拭う桃乃が気になってしかたのない冬馬は、何度もその様子をチラチラと横目で眺める。


(しっかしなんでコイツってこんなに可愛いんだろうな……)


 すぐ横で、その大きな瞳に一杯の涙を溜めながらスクリーンを見つめている桃乃の表情を見ているだけで鼓動が意思に反して勝手に早まり始める。  

 早まる鼓動は抑え難い衝動へと変化し、その溢れ出る衝動が体中を巡り出し始めていた冬馬は無意識に人差し指で自分の足をせわしなく叩き始める。


 やがてそれまで流れていた哀しげな音楽が止まり、スクリーンはテツとヒトミが最後の一夜を共にするシーンに切り替わった。きわどいベッドシーンが惜しげも無くスクリーンに大写しになり、館内にヒトミが切なく喘ぐ声が大音響で何度も響き続ける。

 すぐ横に冬馬がいるせいでスクリーンを直視するのが恥ずかしくなった桃乃は、思わず軽く目を伏せた。


(……こういう時、平気な顔して観ていた方がいいのかな……)


 そっと視界の端で密かに左側を見てみる。

 背の高い幼馴染の整った横顔が、瞬くスクリーンの蒼い光で何度も照らされている。通路側の肘掛に片肘を置き、頬杖をついたままの冬馬は無表情でスクリーンを見つめていた。

 冬馬が堂々と観ているのでなんとなく安心した桃乃はもう一度スクリーンの方に目を向けた。するとその瞬間、膝に置いていた片手がいきなり暖かくなる。


「!?」


 一瞬の動揺の後、膝の上に視線を落とすと自分の左手が冬馬の右手に包まれていることを桃乃は知る。

 だが、上映中なので声が出せない。驚いた声を飲みこんで通路側を見上げた。しかし冬馬は桃乃の方を見ようともせず、先程とほとんど同じポーズでスクリーンを黙って見続けている。


 まだスクリーンではベッドシーンが続いていた。

 相変わらず冬馬はスクリーンの方を見たままで、驚きで硬直してしまっている桃乃の手をすっぽりとその大きな手で覆い、緊張を優しく解きほぐしてやるように時々軽く指を動かして桃乃の手を何度も握り直す。

 五本の長く骨ばった指が、優しく絡まってくる。

 まるで今スクリーンの中でテツから愛撫を受けているヒトミのような気分になり、桃乃の胸が大きく波打ちはじめた。


「と……」


 桃乃は小声で冬馬の名を呼ぼうとしたが、冬馬は一瞬だけ桃乃の方に目を向けると反対の手の人差し指を素早く自分の唇の前に立てた。

 もちろん “ 上映中だから静かにな ” という合図だ。

 仕方なく声を飲み込んだ桃乃は再び俯く。

 段々と強く熱を帯びていく自分の両頬に戸惑いながら。


 やがて長く激しいベッドシーンがようやく終わり、スクリーン上は別のシーンに切り替わった。

 しかし結局最後のエンドロールが流れるまで、桃乃の左手は冬馬にしっかりと握られたままだった。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 


「なぁ桃乃、あの映画、面白かったのか?」


 映画館のすぐ近くにあるオープンカフェでアイスコーヒーを飲みながら、冬馬がたった今観てきた映画の感想を桃乃に尋ねた。注文したアイスカフェラテにストローを差しながら、感動と興奮がまだ覚めやらぬ状態の桃乃は当然、と言わんばかりに瞳を輝かせる。

「もちろんよ! すっごく切なくて素敵なラブストーリーだったじゃない!」  

「へぇ~あんなのがねぇ……。桃乃、途中から最後までずっとボロボロ泣いてたもんな」

「冬馬、面白くなかったの?」

「俺ラブストーリーとか苦手なんだよ。背筋がムズムズする。それに男でああいうのが好きなヤツなんか滅多にいないと思うぜ?」

「……ゴメンね、つきあわせちゃって」  

 桃乃が済まなそうな顔で謝ったので冬馬は慌てた。

「いや違うって! そういう意味で言ったんじゃねぇぞ? ほら、映画はちょっとあれだったけど映画館はすごく良かったしな」

「言ってる意味がよく分かんないんだけど?」

「だからさ、映画館って中が真っ暗になるじゃん? その点が色々いいなぁと思ってさ!」


 映画の途中からずっと私の手を握っていたことを言ってるんだ、と即座に桃乃は思った。

 そしてあの時自分の中に湧き起こった感情を思い出し、恥ずかしくなった桃乃は冬馬をなじる。


「あっ、ああいうこと止めてよねっ!」

「なんでだよ?」

「な、なんでって……」  

 空のストローの袋を意味も無くいじりながら桃乃は口ごもる。

 冬馬はストローを使わず口を尖らせて直接グラスからアイスコーヒーを啜った後、平然と言った。

「あれぐらい別にいいじゃん。桃乃は見てたか? 俺らの斜め前のペアシートのカップル、映画の途中から何度もキスしてたぜ?」

「え!?  私知らないよ?」

「桃乃は映画に夢中だったからな……。実は俺も密かにチャンス伺ってたんだけどさ」

「とっ、冬馬ってば映画の最中にそんなこと考えてたの!?」

「だってヒマだったんだ。映画つまんねーんだもん」

「……もう冬馬と恋愛映画観に来ない……」

「あっ嘘! 嘘! あの映画、超面白かったぜ!?」

「またそんな嘘ばっかり言って!」  

 二人のテーブル近くを通りすぎようとしていた男の三人連れが桃乃の声に気付き、立ち止まる。



「……あれっ西脇!? それに倉沢さんじゃない?」



 通りがかったその面子を見て、思わず冬馬が椅子から立ち上がった。

「おっ、野々山じゃん! 横田と榎本も久しぶりだな!」

 野々山(ののやま)智樹(ともき)横田(よこた)(おさむ)榎本(えのもと)章弘(あきひろ)の三人は冬馬や桃乃と同じ、白杜中学時代の同級生だ。  

「あらら?」

 目の前の光景を見た智樹は上品な有閑マダム口調で冬馬をからかう。

「あのー、もしかして西脇さんってばおデート中だったのでございましょうか?」

 ニッと笑い、冬馬もそのノリに合わせる。

「あぁまんまとそのおデート中だぜ?」

「おぉっ! とうとうやったのか西脇!」

「やったじゃん西脇! 苦節何年だっけ? とにかく良かったなっ!」  

 治と章弘も冬馬に同時にねぎらいの言葉をかけ始める。

 四人の会話の意味が分からない桃乃はポカンとしながらその光景を眺めていた。そんな桃乃の様子を見た智樹が桃乃に話しかける。

「ね、倉沢さん。西脇の奴さ、中学の時からずーっと倉沢さんのこと好きだったんだよ?」

「違うっつーの。もっと前からだよ」

 心外そうな顔で冬馬がすかさず訂正をする。 

「あっ悪い、そうだったのか!」  

 智樹は慌てて軽く謝った後、話を続けた。

「でね、倉沢さん。倉沢さんってすごく可愛いのにさ、中学時代、俺らクラスの男子が全然寄っていかなかったの、なぜか知ってた?」  


 しかし桃乃の返事を待たずにその回答をすぐに治が引き継ぐ。


「それさ、実はこの西脇のせいなんだ。こいつさ、修学旅行一日目の夜にね、部屋でクラスの男子全員でワイワイ騒いでいる時にいきなり言い出してんの。『俺は倉沢桃乃が好きだからお前ら余計なちょっかい出すなよ?』って。あれは驚いたよなぁ?」  

 治は次に章弘の方に同意を求め、その言葉に「あぁ」と深く相槌を打ちつつ、章弘がさらに詳しく当時の状況を語る。

「あの時突拍子も無くいきなり西脇があんなこと言い出したからさ、部屋中が一瞬シーンとしたよな。あれは西脇が『アイツは俺のもんだ』って俺らの前で堂々と宣言したようなもんだったからなぁ。な?」


 再び智樹に解説の順番が回る。


「そうそう。でも西脇が相手じゃどっちにしろ勝ち目ないだろうし、俺らクラス男子全員、それで皆自然と倉沢さんにはノータッチになっていったんだよね。それどころか他のクラスで倉沢さんに告りそうな奴がいたらすぐに西脇に教えてやったりしてさ。なぁ西脇、友達思いな俺らに感謝してたか?」

「あぁ、勿論してたって」

「あっ、そういえばお前、まさか今もまだ倉沢さんのことをヘンな名前で呼んでるわけじゃないだろうなぁ?」

「そんなわけねぇだろ。もうちゃんと名前で呼んでるっての。ほら、デートの邪魔だからもうあっちに行った行った」

「ハハッ、西脇にとって俺らは招かれざる相手、ってとこだな」


 冬馬に追いたてられ、智樹が笑いながらテーブルから一歩離れる。


「じゃ、俺達かなりお邪魔みたいだからまたな。あ、そうだ西脇。お前もうケータイ持ってんだろ? 番号とメアド教えてくれよ」

「あぁ」

 少年達はお互いに携帯情報を教えあう。

「じゃ倉沢さん、お邪魔してゴメンね。またね」

「う、うん。またね」  


 三人が去っていってしまうと冬馬はポケットに携帯を突っ込みながら尋ねた。


「桃乃、お前ケータイまだ持ってないよな?」

「うん」

「なんで持たねぇんだよ? お前と連絡取りたい時すげー不便なんだよな」

「お父さんが許してくれないの」

「なんで?」

「ん、中学生がケータイで犯罪に巻き込まれた事件があったのを前にテレビで見て、それで心配だからまだダメだって」

「桃乃のおじさん、メッチャ心配性だからなぁ……」

 小さい頃から雅治のことをよく知る冬馬は溜息をついた。

「おじさんの気持ちも分かるけどさ、でもそろそろ必要じゃね?」

「そうなのよね……。葉月もずっと欲しがってるんだけど、うちのお父さん、こういうことには頑固だから……。そ、それより冬馬」

「なんだ?」

「さっき野々山くん達が言ってたこと、本当なの……?」

「あぁ修学旅行の話しか?」

 微塵も照れた様子の無い冬馬はヘヘッと明るく桃乃に笑いかける。


「マジマジ! あの当時お前の事好きな奴も何人かいたようだしさ、そろそろクラスの奴らに一発、釘刺しとこうと前々から思ってたんだ。おかげで野々山達みたいに協力者も出来てさ、あの時あいつらに気持ちをぶちまけといて良かったよ!」  


 それを聞いた桃乃はグラスから手を離し、赤くなって俯く。

 この背の高い幼馴染は「遠慮」という言葉なんてまったく知らないかのように、今日もグイグイと桃乃の心を押し開けてきていた。




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