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アイツには言わない


 倉沢家と西脇家の合同バーベキューは予定時刻を前倒しにして午後六時前から始まった。鉄板の上では緑黄色野菜や牛肉が所狭しと並べられ、威勢よく油が弾ける音と豪快な白煙がダブルで競演中だ。

 銘酒の一升瓶から啓一郎のコップに冷酒を注ぎつつ、雅治が尋ねる。

「啓さん、最近仕事のほうはどうなんだい?」

「うーん、僕の方は何も変わり映えしないなぁ。景気もあまり関係ないしさ。ま、役所勤めなんてそんなもんだよ」

 雅治と啓一郎はまずビールを一缶空けた後、今は日本酒を酌み交わしながらお互いの仕事の話に夢中だ。千鶴と麻知子はそれぞれ別ルートで仕入れた近所の噂話に花を咲かせている。



「桃乃、お前全然肉食ってないじゃん。ほら」  



 桃乃の紙皿の中の内容物が野菜ばかりなことに気付いた冬馬が牛肉を放りこむ。

「あ、ありがと」

 周りにお互いの家族がいるせいで桃乃の態度はぎこちない。

「冬馬兄ちゃん、お姉ちゃんがお肉食べないのってダイエットしてるからだよ」

 この場に裄人がいないのでどことなくつまらなそうな葉月が横から口を出す。

「桃乃、お前そんなことしてんの?」

「ち、違うったら。ちょっと食べる量をセーブしてるだけ」

 その返事を聞いた冬馬は眉間に大きく皺を寄せる。

「ったく、しょうがねぇな……」

 というや否や鉄板の上にあった牛肉をすべて取り、それを桃乃の皿の中に勝手に全投入した。

「ちょっ、ちょっとこんなにいらないってば!」

「いいから食え」

「なんで勝手に仕切るのよっ」

「ダイエットする必要なんて全然ねぇじゃん。それ以上痩せられたら困る」

「ねぇねぇなんでお姉ちゃんが痩せたら冬馬兄ちゃんが困るの?」  

「い!?」


 葉月の鋭い質問に冬馬の箸が空中で一瞬止まる。


「……そ、それはだな……、やっ、痩せすぎは健康に良くないと思うからさ。な、なぁ桃乃!?」

「わ、私に聞かないでよっ!」  

 そんな二人の様子をじっと葉月が食い入るように見つめる。

「なーんかおかしいなぁ……」

「な、なにがよ?」

「なんかおかしいよ、二人とも」

「い、いいから葉月も肉食べろ!」  

 冬馬は場をごまかすように葉月の皿にも新しく焼けた肉を入れてやった。まだ納得していない表情で箸を再び手に取った葉月はその肉を見た瞬間、文句を言う。

「もう冬馬兄ちゃん! ホラ、この肉まだ生焼けだよー!」

「マジ!? 悪ィ悪ィ!」

「もうお姉ちゃんの面倒ばかりみてるからだよっ。ちゃんと新しいお肉で焼き直してよねっ」

「分かった分かった、責任持って焼くから機嫌直せ」  

 冬馬は葉月のために鉄板に新しい肉を置いてやる。そして「桃乃、それ全部食えよ?」と再度念を押した。 



 一時間半後、バーベキューが終了する。後片付けを終え、西脇家の面々が向かいの家に帰りはじめた。

「千鶴ちゃん今日はお誘いありがとう。楽しかったわ」

「ううん、こちらこそ」

 帰り間際、冬馬が「じゃな」と声をかけてくる。桃乃も「うん」と返事をし、遠慮がちに手を振った。

 すると一旦は倉沢家の玄関先まで出ていた冬馬は急に踵を返し、急ぎ足で桃乃の側に戻ってくるとその耳元に口を寄せ、「……もうダイエットなんかすんなよ?」と囁く。冬馬の低い声が直接左の鼓膜に響いてきて、桃乃の胸がドキリと小さく波打った。

「わ、分かったわよ」

 その返事を聞いた冬馬は満足げにニコッと笑うと再び「じゃーな!」と言って啓一郎達と一緒に自宅に戻っていった。

 心を落ち着かせるためにふうと息をつき開け放したままの玄関扉から家の中に入ると、葉月が二階から自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

「お姉ちゃーん、ちょっとあたしの部屋に来てー!」

「どうしたの葉月ー?」

 桃乃はそのまま二階の葉月の部屋に向かったが、室内を見て驚く。

「どうしたのこれ?」

 なんとフローリングの床一面にビッシリと葉月の服が並べてあったのだ。

「明日あたし裄人兄ちゃんとデートじゃない? 明日はどの服にしたらいいと思う?」

「あー……そういうわけね……」  

 呆れつつも真剣な妹のために桃乃は明日の服を一緒に選んでやった。ようやく着ていく服が決まり、床に座り込んでいた葉月が嬉しそうに立ち上がる。

「よし! これで明日のコーディネートは完璧! ありがとね、お姉ちゃん!」  

「いえいえ、どういたしまして。明日はいい天気みたいだからきっと楽しいドライブになるんじゃない?」

「裄人兄ちゃんとなら何をしたって楽しいんだけどね! あ、そうだ、ねぇお姉ちゃん、それよりちょっと聞いてもいい?」

「なに?」

「やっぱりダイエットって男の人は喜ばないのかな? 冬馬兄ちゃんさっきちょっと怒ってなかった?」

「さ、さぁ? 冬馬は女の子の気持ちなんて分かんないのよ、きっと」

「でもさ、お姉ちゃんのこと心配して怒ってた感じがしたんだけど」

「そっ、そう? 葉月の気のせいじゃない?」

「そうかなぁ……」  

 恋愛事に関しては異常に勘の鋭い葉月の追及をかわすために桃乃は話題を逸らす。

「葉月、お風呂入るでしょ? 先に入った方がいいんじゃない?」

「うんっ先に入るー! あたし今日早く寝なきゃいけないもんっ。明日に備えなくっちゃ!」  

 葉月はそう叫ぶと元気良く部屋を飛び出して行った。その姿を見送り、葉月の部屋を出て自室に戻るとベッドに腰をかけ、そっと自分の唇に人差し指を当ててみる。つい数時間前にこの場所で冬馬にされたように。


 元々幼馴染で気心も知れているとはいえ、昨日冬馬からの告白をOKしてからはまるで水門を開け放った直後のように冬馬は一気に心の中に入り込んできている。    

 自分の中の冬馬への想いが、昨日よりも確実に、そして急速に大きくなっていることに、桃乃はほんの少しだけ動揺していた。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 




「たっだいま~っと!」  


 今夜のバーベキューを欠席した裄人は今日も新車生活をたっぷりと満喫して上機嫌で帰ってきた。

「裄人! もう十一時過ぎてるのよ! 家の前で空ぶかしは止めなさい! ご近所迷惑でしょ!」

 寝ようとしていた麻知子が玄関に出てきて裄人を叱る。

「あ、あぁ。分かったよ、母さん」

「まったく夜遊びばっかりして……」  

 ブツブツ文句を言う麻知子を背に、裄人はさりげなく二階へ避難した。

 階段を昇り終えて自分の部屋に入ろうとすると、反対側の部屋のドアが小さく開き、その隙間から冬馬が顔を出す。



「兄貴。話しがあるんだけどいいか?」



「話しッ!? なっ、なにかなぁ!?」  

 冬馬の気持ちや裏話の数々を桃乃に喋ったことがバレたと勘違いした裄人が大きく一歩後ずさる。

「いいから来てくれよ」

 しつこく促され裄人は仕方なく冬馬の部屋に入った。


(あぁどうかぶん殴られませんように……)  


 何事にも平和主義な裄人がそう願いながら恐る恐る部屋に入ると、冬馬は素早くドアを閉めて勉強机の椅子にドカリと座った。

「な、兄貴。俺、ネックレス買いたいんだけどさ、どっかいい店教えてくんない?」

「ネックレス?」

「あぁ。俺そーいうのよく知らないからさ」

「どうすんだよ、そんなもの買って?」

「あげんだよ」  


 裄人の勘が即座にピン、と働く。


「もしかして桃乃ちゃんにか!?」  

 冬馬はちょっと照れたように「あぁ」と頷いた。同時に裄人は困惑した顔になる。

「おいおい冬馬、いきなりプレゼント攻撃か……。いや確かにその手の攻撃が思い切り通用する女の子もいるよ? でも桃乃ちゃんはどうかなぁ……。俺はむしろ逆効果で引いちゃうような気がするんだけどなぁ」

「なんで桃乃が引くんだよ」

「だってさ、いきなりそんなのあげたって桃乃ちゃん驚くだろ?」

「だから驚かせたくてやるんだよ」

「いやだからさ、その前に物事には順序があるだろ? いきなりプレゼントなんかしないでさ、ちゃんと自分の気持ちとか、そういうのを伝える方が先だと俺は思うよ?」  


 すると冬馬は頭の後ろで手を組み、余裕混じりの表情を浮かべる。


「俺、伝えたぜ?」

「伝えた? 桃乃ちゃんに?」

「あぁ」

「で、で、OKだったわけっ?」

「OKじゃなかったらプレゼントなんかするかよ」

「あ、そっか! そうなのか……そうかそうか……!」  

 すべてを理解した裄人は納得の表情で二度頷くと、冬馬の肩に片手を置く。

「よかったなぁ、冬馬!」

「サンキュー」

「今日だけ特別だ! お祝いに一本どうだ?」  

 裄人はジャケットのポケットから煙草を取り出し、冬馬に勧めた。

「いや、いい。もう煙草は止めたんだ」

「へぇ変われば変わるもんだなぁ……」  

 裄人は煙草を再びポケットに戻しながらしみじみと弟の変化を噛み締める。

「じゃあ俺の知ってる店、幾つか教えるよ。ところで冬馬、お前、金の方は大丈夫なのか?」

「あぁ。俺バイトしようと思ってんだ」

「なんだ金無いのか? なら俺が貸してやるよ」

「いや、いい。手持ちの金は多少あるんだ。でもそれって親に貰った小遣いだろ? それじゃあ意味ないんだよ。自分で稼いだ金であいつに買ってやりたいんだ」


 冬馬は今日書店で買った雑誌に目をやった。

 その雑誌の表紙にはアルバイト情報誌の大きなポップ調のロゴが踊っている。


「なるほどね。感心な心がけだな。それに自分でバイトした金でプレゼント買ったこと伝えたらきっと桃乃ちゃん、すごく感激するだろうな」

「あいつにそんな事わざわざ言うかよ。俺の気が済まないからそうするだけで、んな事いちいち言ってプレゼントなんかやったら滅茶苦茶カッコ悪いし、すげぇ押し付けがましいじゃん」

「そうか、桃乃ちゃんにはバイトのことを黙ってか……偉いッ! でも冬馬、カノンってバイト関係はうるさくないのか?」

「実は届け出が必要なんだ。そんでちゃんとした理由ないとなんだかんだと色々うるせぇらしいんだよな……。だから黙ってやっちまおうと思ってる。どうせ短期間のバイトだし、たぶんバレねぇだろ」

「お前が大学生だったら家庭教師のバイトの口を色々紹介してやれるんだけどなぁ」

「いや、どっちにしても家庭教師なんて普通長期間だろ? 二、三日だけなんてムリじゃん」

「まぁなー。じゃあ冬馬、短期間でそこそこ金が入ってくるってバイトって言ったらさ……」

「肉体労働しかないんじゃねぇの?」

「なんか勿体ないよな。お前せっかく頭いいのになぁ」

「ま、でも俺基本的に体動かすの好きだからそれはいいんだ」  


 冬馬はアルバイト情報誌を手に取るとパラパラと中を見る。


「五日までになんとか金貯めて買いに行かないとな……」

「あれ、五日って桃乃ちゃんの誕生日だったっけ? ちゃんと桃乃ちゃんの予定押さえといたか?」

「その辺は抜かりねぇよ」

「お前にしてはやるじゃん!」

 兄弟はお互いの顔を見てニヤッと笑う。

「そういえば兄貴、明日葉月とドライブに行くんだって?」

「あぁそうだった! うっかり忘れるとこだったよ。それで明日の午前の予定入れてなかったんだ。助かったよ冬馬。すっぽかしたら葉月ちゃん激怒しちゃうからな」

「葉月、すっげー楽しみにしてたぜ。今日のバーベキューも兄貴来ないからつまんなそうだったしな」

「ハハッ、モテる男のつらさ、お前には分かんないだろうなぁ。なにせ年齢問わず、色んな女性に好かれちゃうもんでね」

「別に分かんなくてもいいぜ、そんなもん」

「お前は昔っから桃乃ちゃん一筋だもんなぁ。でも上手くいって本当によかったよ」

「それと兄貴、俺がバイトすることは桃乃には絶対言わないでくれよ?」

「分かってますって! じゃおやすみ」

 自室に戻った裄人は、着ていたジャケットを脱いでクリーニングブラシで丁寧に埃を払った後、クローゼットの扉を開ける。    


(冬馬が桃乃ちゃんからOKの返事貰えたのはたぶん俺の功績だな……。ま、アイツが喜んでるところに水を差すのもなんだし、今回は裏方に徹しておいてやるか)      


 クローゼットにジャケットを片付けながら裄人はそう決める。

 襟元のボタンを外しながらローテーブルの上に目をやると、今朝持って行くのを忘れた煙草が、封も開けられず手付かずの状態で置かれてあった。

 裄人はその新品の煙草に優しい眼差しを向けるとフッと微笑を浮かべ、「俺も負けてられませんね」と陽気に呟いた。




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