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プロローグ ― 2 ―



( まったく冬馬ったら……! )


 カノン登校初日の浮かれた気分も、あの憎たらしい幼馴染のせいで一気に台無しになってしまった。

 イライラした気分を抱えたまま左側の白い校舎に入る。

 玄関を抜けたすぐの場所に大きなホワイトボードが設置してあるのが見えた。


 ボードに大きな紙が貼られてある。

 その前でキャーキャーと騒ぐ女子生徒達の大群。

 どうやらクラス分けの名簿が貼られているらしい。

 目の前で揺れ動き続ける大勢の人の波は一向に静まる気配が無く、身長百五十八センチの桃乃はなかなかその名簿を見ることが出来なかった。



「Wao ! すっごい人だかりね!」



 頭頂部上空から大きな声が振ってきた。

 桃乃がその声の方向をチラッと見上げると、ツインテールの亜麻色の髪がまず最初に目に飛び込んできた。

 背が高く、少し青みがかった瞳に抜けるような白い肌、そして微かなそばかす顔の少女は振り返った桃乃と目があうとにこやかに笑いかけてくる。


「Hi! あなたのクラスは?」


 いきなり話し掛けてきたその人懐っこそうな少女は桃乃に向かってウィンクをする。


「えっ、まだ分からないの。……よく見えなくて」  

「じゃ、あたしが見てあげる! あなた名前は?」

「倉沢桃乃だけど……」

「OK! ちょっと待っててね!」  


 桃乃より頭一つ分以上は優にあるその高身長を活かし、ツインテールの少女はボードを上から順に丁寧に目で追っていった。やがて少女の口から感嘆の声が上がる。


「モモ! あなた二組よ。あたしと一緒!」

 

 いきなり自分の名前を略称で呼ばれて桃乃は少々戸惑ったが、同時にこの底抜けに明るそうな少女にぐいぐいと惹かれだしていた。


「ねっ、一緒に教室に行こうよ!」

 

 少女が桃乃を誘う。桃乃は慌てて頷いた。

 ボード前の喧騒から逃れると二人は並んで歩き出す。

 桃乃が訊くよりも早く、その少女は自己紹介をした。


「あたし(みなみ)沙羅(さら)。沙羅って呼んでね! 桃乃ってちょっと呼びづらいからモモって呼んでいい?」  

「うん、いいよ。ね、沙羅さん、あなたって……」

「あ!」


 そう叫ぶと急に沙羅は顔の前で大きく右手を何度も横に振り、桃乃の言葉を遮る。


「モモ! だから “ さん ” はいらないってば!」


大振りのジャスチャーであまりにもキッパリと言われたので、桃乃は訊きたかった事を言う前にあらためて沙羅の名前をもう一度呼び直した。


「さ、沙羅」

「なに?」

「あのね、あなたって、ハーフなの?」


 一瞬の沈黙。


 それまでニコニコしていた沙羅の表情が固まったように見えたので桃乃は慌てて謝った。


「ご、ごめんね。もしかして訊いちゃいけなかったかな……?」

「ううん、ぜーんぜん!」  


 沙羅は再び大きく笑顔を見せる。


「うん、ハーフだよっ。パパは日本人でママはイギリス人なんだ」

「やっぱり。あなた色がとっても白いものね」  


 桃乃も幼い頃から色白な方だったが、肌の白さでは沙羅の方が明らかに上だった。


「でもさーモモ、その白さのせいでホラ見て!」

 と沙羅は自分の頬を指差す。

「こんな風にそばかすが目立っちゃうのよ。結構困ってるのよね~」

 

 大袈裟に肩を竦めると沙羅は大きくため息をついた。

 そのいかにも外国人的なオーバーリアクションがおかしくてつい桃乃はクスクスと笑ってしまった。


「モモ~、ここは笑うところじゃないよ? 女の子の美容の悩み話なのに~!」


 そう言いながら沙羅は腕組みをすると頬を小さく膨らませ、わざと膨れた真似をする。


「ご、ごめんなさい。沙羅のその身振りがちょっとおかしかったの」

「あーなるほどね! うちのママが普段から大振りのジェスチャーをよくするからついうつっちゃうの!」


 膨れっ面を止めた沙羅は、組んでいた両腕を外して背中に回して快活に笑う。

 登校当日にこんなに明るくて楽しい女の子と友達になれてなんて嬉しいな、と思いながら桃乃は沙羅と一緒に一年二組の教室に入る。

 ついさっきまであんなにイライラしていた気持ちはすでに遠くに吹き飛んで桃乃の脳裏から完璧に消え去っていた。    




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 




 一方その頃、冬馬も自分が四組だということを確かめて教室に入った所だった。  

 教室内に一歩入ると男・男・男の光景。  

 例え教室内の壁は真っ白でも中学の時とはまったく違うこの男臭い空気までは変える事が出来ない。

 一切の華が無いそのあまりのむさくるしさに冬馬はため息をついた。  


「そこを行くのは『シラトの星』じゃないか?」  


 冬馬の背後からややからかい気味の声がかかる。「シラト」とは冬馬や桃乃が通っていた白杜(しらと)中学のことだ。

 かかった声の方角に冬馬が目をやると、長髪ぎみでかなり細身の男が両足を机の上に上げてニヤニヤとこちらを見ていた。


「やっぱりシラトの星だ。西脇冬馬だろ?」

「……誰だお前」  


 腕組みをしながら薄ら笑いを浮かべて自分を見ている、この端正な顔のヤサ男が気に入らなくて冬馬はぶっきらぼうな返事をした。


「おいおい、出会い頭にそんなに睨むなよ。俺は柴門(さいもん)(かなめ)七海(ななみ)中だ」

「七海……」  


 七海中学は冬馬が白杜中学で所属していたバスケ部でよく対抗試合をしていた中学だ。


「白杜のバスケ部がこっちに来て練習試合をしてた時、よく見に行ってたんだ。お前、ここでもまたバスケやるのかよ?」

「あ? 別にお前には関係ないだろ」

「冷たいねぇ。これからは同じクラスメイトだぜ? 仲良くやろうや」

 

 切れ長の目にかかり気味な前髪を掻きあげると要は挑戦的な眼で冬馬を見据え、もう一度ニヤッと笑う。  

 その時、廊下の奥から甲高い靴音が響いてきた。  

 靴音は四組の前でピタリと止まり、同時に教室の扉がガラッと開く。

 そして再びハイヒールの音を高らかに響かせて一年四組の教室内に一人の女性が入ってきた。

 教室内に入ってきたその女性が、今朝方、正門前に立っていた教師だったことに冬馬は気付く。  

 むさくるしいこの男ばかりの教室にいきなり匂い立つような色香をふりまく女性が入ってきたので教室内は一時騒然となった。

 そんな男子生徒達のざわめく様子を肌で感じた緑は満足そうに微笑みながらカツカツと足音高く教壇に立つ。


「じゃあ皆とりあえず適当に座ってね。後で改めて席を決めるから」  

 そして緑は後ろの黒板に一旦体を向けると赤いチョークで「柳川緑」と書いた。

「ハイ、これが私の名前。柳川緑です。今日から私が君達の担任です。じゃあ一年間よろしくね」  


 緑がそう発言し終わった瞬間、教室の後ろの方から教壇に向かって声がかかる。



「先生は彼氏いるんですか?」

 


 発言をしたのは要だ。

「彼氏? 今はいないわよ。一応募集中って所かしらね」  

 緑はあっさりとそう答え、そのノリのいい発言に即座に教室中が湧きかえる。

「先生ー! 俺と付き合ってー!」

「先生ー、美人ッ!」

「ミドリ、愛してる~!」


 一年四組の男子生徒達はたちまち悪ふざけをはじめた。


「ちょっとちょっとー!」

 

 リップと同じパールピンクの長いネイルがピンと立ち上がる。


「私、これでも結構面食いなんだからね。先生にも選ぶ権利あるわよ?」

「じゃ、俺はどうですか、先生?」

 

 また要が口を開く。


「……そうね……」

 と緑は呟き、一番後ろの席にでんと座っている要の前にまでゆっくりと歩いてきた。

 黒のタイトミニからすらりと伸びる白い脚の動きに教室内の熱い視線が一斉に注がれる。

 緑は要の横にまで来ると細い腰に手を当てて、その顔を上から遠慮無く眺めた。


「……ウン、悪くないかも。君、なかなかいい男じゃない」

「そりゃあどうも」  


 要は自分の容姿を誉められても眉ひとつ動かさずに礼を言った。自分の容姿には相当の自信を持っているようだ。


「でもね……」

 と言いながら緑は腰の手を離し、机の上に乗せたままの要の両足をグイと掴みあげると自分の手前に引き寄せ、勢いよく放した。


「!?」  


 ダンッと大きな音と共に要の両足が床に着き、要の顔に一瞬驚きの色が走る。


「いい男はマナーもキチンとしてないとね。残念だけどあなたはまだ二流みたいね」

 

 要が自分をからかっていることにとっくに気付いていた緑はそう切り返す。 「二流」と言われた要の顔が一瞬険しくなった。

 緑はそんな顔の要を見下ろすとフフッと満足そうに小さく笑い、そして教壇に戻りがてら、冬馬の横に来ると足を止めて急に身をかがめる。


「ね、君もなかなかイイ線いってるわよ?」 


 いきなり耳横で話し掛けられた冬馬は驚いて椅子の上で身を引いた。緑は冬馬にしか聞こえないぐらいの声で更に囁く。


「……彼女から私に乗りかえる、なんてどうかしら?」

「ハァ!?」

 

 たじろぐ冬馬に緑はフフッと微笑み、教壇へと戻る。再び教壇に立った緑はもう完全に教師の顔に戻っていた。


「ハイ、じゃあまず出席を取ります。その後、クラス委員を決めますからね。私は愚図愚図するのが嫌いなの。さっさとやっちゃいましょう。じゃあ、安藤卓くん……」  

 緑の点呼の声が一年四組の教室内に響く。冬馬は今しがた耳横で緑から言われた台詞にまだ動揺していた。

 

( なんなんだ あの先生は!? )


 腕組みをした要が氷のような冷たい目つきで前方を見ている。

 その視線の先は冬馬の背中だった。

 だが自分の背中に要の冷たい視線が突き刺さっていることをこの時の冬馬はまだ知らなかった。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 その後、最初のホームルームを無事終えた緑はいつも通りヒールの音を高らかに鳴らしながら職員室へと戻る。                                  

 入学式後最初のホームルームなので戻ってきている教師はまだ一人しかいなかった。

 緑は職員室に一番に戻ってきていたその教師とは視線を合わさないようにして自分の席につく。

 すると緑の左隣の席のその教師が待ちかねていたように声をかけてきた。


「お疲れ様です! 柳川先生のお戻り、俺にはすぐ分かりますよ! ところでどうでしたか、今年の先生のクラスの新入生達は?」


 隣席の一年体育担当の矢貫(やぬき)誠吾(せいご)は、今から二年前にこのカノンに赴任してきた教師だ。

 鋭い目つきのその精悍なマスクとは反対に、あけっぴろげで気さくな性格で女生徒を中心に数多くの生徒に慕われている。

 緑は左側をチラッと一瞥するとすぐに視線を手元に戻す。

「そりゃあ私の足音はうるさいですからね。矢貫先生じゃなくても誰でも分かりますわ」

「おっ、なんだか今日はご機嫌斜めのようですね? ホームルームで何かあったんですか?」


 誠吾は団扇で自分に風を送りながら身を乗り出してくる。暦はまだ四月になったばかりだが、普段から暑がりの誠吾に団扇は必需品なのだ。


「あの矢貫先生、団扇をお使いになるのは結構ですけどこちらにまでばさばさと風を送らないでいただけます?」

「おお~っ、どうやら今日の緑姫は本格的にご機嫌が悪いようですね」

「……いつも言ってますわよね。そのふざけた呼び方止めていただけません?」

「はいっ、それはそれは失礼つかまつりました!」  


 誠吾は顔の横でビシッと敬礼をすると、椅子に座ったまま芝居がかった口調で大仰に頭を下げる。

 これ以上相手にする気も無くなった緑は誠吾を無視して携帯用の眼鏡をかけると、さっさと次の授業の準備に入りはじめた。

 あっさりとつれない態度をとられ、まだ緑と会話をしたかった誠吾は仕方なく緑の姓を呼ぶ。


「あの~柳川先生、今年の先生の坊主クラスはどうですか? 先生をてこずらせそうな悪ガキはいますか?」


 緑の脳裏につい先ほど涼しそうな顔で自分をからかった柴門要の顔が一番に浮かぶ。


「さぁ、まだ分かりませんわ」

「反抗しそうな奴がいたら遠慮せずに俺に言って下さい! 姫をてこずらせそうな奴は俺がビシッとシメときますから!」


 また誠吾が自分のことを「姫」と呼んだので緑は手を止め、眼鏡越しにジロッと誠吾の顔を見た。  

 緑に睨まれてまたうっかり「姫」と呼んでしまったことに気付き、誠吾は頭を掻く。


「す、すみません柳川先生……」


 そう謝った後、誠吾は嬉しそうな口調に戻って話を続ける。


「俺の担当クラスはお嬢の一年二組なんですけどね、皆可愛いくていい子達ばっかりですよ!」

 

 誠吾の言う「お嬢」とは “ 女子校舎 ” と言う意味で、職員間での隠語のようなものだ。緑は抑揚の無い声ですかさず今の誠吾の言葉に応じる。


「良かったですわね。矢貫先生は幼くて可愛らしい子が特にお好きですものね」

「せ、先生! ちょっと待って下さいよ!」


 途端に誠吾が目をむいて反論する。


「その言い方はちょっとないんじゃないですか!? まるで俺がロリコンみたいに聞こえますよ!?」

「あらそうでしたの? 私てっきりそうだと思っていましたけど」

   

 団扇の動きがピタリと止まる。容赦の無い緑の言葉に誠吾が一瞬たじろいだのだ。


「……ひっ、ひどいな先生は! あんまりですよ! 俺、今年の夏で二十七になるんですよ? 一回りも年の離れた女の子達にそんな感情持てないですよ!」

「あらそうですか。それは失礼しました」  


 緑は表情を変えずに冷たい声でそう答えるとまた授業の準備を始めた。  

 誠吾は納得のいかない顔で緑の横顔を見ていたが、やがて渋々自分の机に向き直った。



 二人の間に沈黙が訪れる。

 しばらくの間エアコンの作動する微かな音だけが職員室内を占領したが、誠吾は急にまた緑の方に向き直ると憤りを含んだ大声を出した。


「だっ大体ですねッ!!」

「キャッ!?」


 いきなり誠吾が大声を出したので緑は驚いて持っていたボールペンを床に落としてしまった。

 ボールペンは一度床で大きく跳ねた後、二人の後ろの方に転がっていく。

 緑が驚いた様子を見た誠吾は憤りを腹の底に押し込んで声の音量を下げた。


「……大体、教師と生徒の恋愛はここの一番の禁止事項じゃないですかっ……!」


 ありとあらゆる細かい規則があるカノンでは「職員と生徒の恋愛」は当然の如くタブー中のタブーだった。  

 誠吾は椅子からゆっくりと立ち上ると後ろに転がったボールペンを拾い、それをスッと差し出しながらじっと緑を見つめた。

 何かを言いたそうな誠吾の様子に気付かないフリをした緑は、ボールペンを受け取ると「済みません」とだけ礼を言い、静かにまた机に向かう。

 そんな緑の態度に誠吾はあらためて念を押すように言った。


「柳川先生、先生だってもちろん分かってらっしゃいますよね……!?」


 しかしそれに対する返事は無く、ただサラサラと緑がボールペンを走らせる乾いた音だけが二人きりの職員室内に静かに流れ続けていた。



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