ケダモノな彼氏 <2>
「冬馬!? いい所に帰ってきた! あんた今日の夜、なんか用事あるの!?」
コート磨きを終え、自宅に戻ってきた冬馬に気付いた麻知子がリビングから飛んでくる。
「何だよ帰ってきていきなり」
「今晩ね、倉沢さん家の庭でバーベキューやるんだって! それでウチも良かったら一緒にどう? ってお誘いがきたのよ」
その瞬間、玄関先で靴を脱いでいた冬馬の体が小さく反応する。
「それで材料を用意する都合があるからさ、我が家の参加人数を千鶴ちゃんに連絡しなきゃならないのよ。冬馬はどうする?」
「い、行く行くっ!」
「肉好きのあんたなら絶対参加すると思ったわ!」
勢い込んで即答した息子の様子に噴き出すと、麻知子はすぐに倉沢家に電話をかけた。
「あ、千鶴ちゃん? あたしよ。あのね、ウチは三名参加させていただくわ。……え? あぁ裄人よ。今ケータイに連絡したら今日帰り遅くなるって言われたわ。また夜遊びよ、きっと。あ、それで材料の方はさ、……うん……うん……。じゃあそれは後で割り勘にしてね。絶対よ? あ、あとお酒はウチで用意させてね。……ううん全然。ちょうど頂き物の日本酒とビールがあるのよ。……うん、六時スタートね。じゃあ後でね」
麻知子はそう喋り終えると電話を切ったが、すぐ側にまだ冬馬が立っていたので不思議そうに息子を見る。
「どうしたの冬馬?」
「俺、なんか手伝うことある?」
「あぁそうね……、でも今回は千鶴ちゃん家からのお誘いだから。材料もあちらで用意するっていうし。あ! 冬馬、あんた買い物の荷物持ちでもしたら? 七人分の材料だから結構な荷物になると思うのよね」
「分かった。今シャワー浴びて着替えたらすぐ出られる用意する」
「じゃあ母さんはもう一回千鶴ちゃんに連絡しておくわ」
「あぁ!」
冬馬は弾むような足取りで二階へと上がっていった。
(冬馬ったら昨日の夜からスゴく機嫌がいいわよね……何かあったのかしら)
ここ最近、何かに苛々していた冬馬の姿を見てきた麻知子はそう思いながら再び倉沢家に連絡を入れる。二回コールの後、すぐに千鶴が出た。
「はい倉沢です。あら、麻知ちゃん?」
「あ、千鶴ちゃん何度もごめんね。実はさ……」
麻知子は手短に用件を伝える。
「あらそうなの? いいえ、助かるわ。買い物は桃乃に頼もうと思ってたから二人で行ってもらいましょ。じゃあ待ってるわね」
千鶴は受話器を置くとまた台所に戻った。三十分後、インターフォンが鳴ると千鶴はそのまま玄関に向かい、扉を開ける。
「こんちは」
玄関に立っていた冬馬を見て千鶴は微笑んだ。
「冬馬くん、わざわざ悪いわね。ちょっと待っててね。今桃乃を呼んでくるから」
千鶴は二階へ上がると桃乃の部屋をノックする。
「桃乃、ちょっといい?」
中から返事があったので千鶴はドアを開けた。机に向かって予習をしていた桃乃が振り返る。
「なに? お母さん」
「あのね、バーベキューの材料買ってきてほしいの。お母さん、今他の準備してるし手が離せないから」
「うん、いいよ。じゃ行ってくる」
「それで冬馬くんが一緒に買い物行ってくれるんだって。今、下で待ってるわ」
「エッ! 冬馬が下にいるのっ!?」
「ええ。冬馬くんって優しいわね。荷物持ちを買ってでてくれたみたいよ。じゃお願いね」
千鶴が部屋を出ていくと桃乃は慌てて二階の洗面台に向かった。そして自分の服装を簡単にチェックした後、急いで階段へと走る。
玄関内で待っていた冬馬が降りてきた桃乃を見て「よっ」と手を上げた。側に千鶴もいるので何とか平静を装って一定のリズムで階段を降りる。
降りてきた桃乃を見て千鶴はあら、と呟いた。
「あなた達今日はお揃いの格好ね。ペアルックみたい」
「は……? ただジーンズにTシャツっていうだけじゃない!」
時代錯誤な母の言葉に呆れと恥ずかしさが同時にこみ上げてくる。しかし千鶴は穏やかな口調で、 「でもお母さんにはペアルックに見えるんだもの」と微笑んだ。
「も、もうお母さんってば……!」
このやり取り自体が恥ずかしくてたまらない。冬馬がどんな顔をしているのかが気になり、そっと玄関先を目で追った。すると冬馬は肩を震わせ、片手で口で覆って必死に笑いをこらえている。それを見てますます恥ずかしさが増した。
「さ、行ってらっしゃい。早めに準備したいから二人とも急いで帰ってきてね」
「は、はーい……」
こんなことなら今日もっと可愛い服を着ていればよかったな、と思いながら千鶴に見送られ、冬馬と近くの大型スーパーへ向かう。
「手でも繋ぐか?」
歩き出してすぐの言葉に桃乃の顔は一気に赤くなった。
「イ、イヤよ。こんな人通りの多い所で……」
「別にいいじゃん、手繋ぐくらい。冷てぇなぁ桃乃は。俺らせっかくのペアルックなのにさ」
「も、もう! 冬馬ったらわざと言ってるでしょ!?」
「でもさっきのあれはサイコーに傑作だったよ。後で思い出したらまた笑っちまいそうだ」
顔を赤らめて怒る桃乃をからかった後、冬馬は右手で眠そうに目をこする。
「……桃乃。俺さ、昨日なかなか寝付けなかったよ」
「え、どうして?」
「どうしてって……決まってんじゃん! 昨日のこともう忘れちまったのかよ!?」
冬馬は驚いた顔で素早く桃乃の方に体を向ける。
「俺ら昨日キスしたじゃん?」
「バッバカッ! こんなとこで何言い出してんのよ!」
しかし冬馬は叱られたことなどまったく意に介していない様子で、まだ充血気味の目を何度も瞬かせる。
「……でさ、明け方にやっと寝付けたんだけど、朝起きたら昨日のこと全部夢だったんじゃねぇかと思って一人でビビッたりしてんの」
冬馬はバカみてぇだよな、と言いながらハハッと無邪気な顔で笑った。その屈託ない笑顔に胸の中心が締めつけられるような気持ちになる。
機械的に前に足を進ませながらしばらくの間桃乃はためらっていたが、やがて勇気を出して冬馬の手にそっと自分の手を絡ませてみる。
「……こ、これでいいの?」
桃乃の手が骨ばった大きな手にあっという間に包み込まれる。
「上出来ッ!」
そう言って桃乃の手を握った幼馴染は心の底から嬉しそうな笑顔を見せた。