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忘却と決意


 冬馬がコート磨きに精を出している頃、誠吾は梨絵が昨日入院した天万台(てんまんだい)病院に再び向かっていた。


(手ぶらで行くのもなんだな……)


 病院の側で営業している生花店を見つけ、一旦車を停める。店内に入ると店番をしていた十代とおぼしき少女が愛想良く誠吾を迎えた。

「いらっしゃいませ!」

「これから病院に見舞いに行くんで何か花を持っていきたいんだ。適当に選んでくれるか?」

「お見舞い用ですね、分かりました!」  

 長い髪を三つ編みにした少女は手慣れた様子でキビキビとした返事をする。

「あの、お部屋に花瓶はありますか?」

「花瓶? いやちょっとそれは分かんねぇな……」

「じゃあバスケットタイプでお花作りますね」

「バスケットタイプ?」

「こんな感じになります」  


 少女は壁際の棚に置いてあった商品を持ってきた。

 バスケットの中に粘土のようなものが詰められていてそこに花を生ける花篭タイプのようだ。


「これでも数日はお花もちますので大丈夫ですよ」

「あ、じゃあわざわざ作ってくれなくてもそれでいいよ」

「済みません! これ他のお客様からのご注文で用意してある商品なんです!」

「あ、そうなのか。じゃあそれと同じヤツを頼むわ」

「はい!」  

 早速空のバスケットとリボンが白いテーブルの上に置かれる。

「あのー、お花を贈られる方が好きな花とかご存知ですか? もし在庫があればそのお花を入れたいんですけど」

「あー、俺全然分かんねぇな……。でもそれをあげるのはちょうど君くらいの年の女の子だから君が好きな花を入れてくれよ」

「えっ私くらいの女の子に贈られるんですか? ハイッ、分かりました!」  


 少女はなぜか急に嬉しそうな表情になり、テキパキとバスケットを作り出した。  

 色とりどりの花を美しく生け、最後に大きなピンクのリボンを持ち手の部分に絡めて作業は完了する。


「お待たせいたしました!」  

 誠吾は代金を払うと似合わないバスケットを抱える。

「どうもな」と言い店を出ようとすると、少女は「ありがとうございましたっ」と大きく礼をした後におかしなことを言い出した。


「上手くいくといいですね!」


「へ?」  

 少女の言葉に誠吾は振り返った。笑顔一杯な少女はウキウキした声を弾ませる。

「年が離れた恋愛って私憧れてるんです! お客様はきっとこれから私ぐらいの年の女の子に告白しに行くところなんですよね? お客様の想いが通じるように、花言葉 『愛の告白』 のモスローズをここに一本入れておきました! ではまたお待ちしてまーす!」

「そ、そっか……ハハ……サンキューな……」  

 誠吾はひきつり笑いを浮かべ、この思い込みの激しそうな三つ編みの少女に軽く手を上げると花屋を後にした。



(想いが通じるように、か……。俺は通じなかったけどな……)  



 車に乗り込み、バスケットの中央に一本だけある柔らかいピンク色のバラに目をやりながら誠吾は思う。

 先週の金曜日、屋上でのあの出来事。  

 以前、アルコールが入った状態で緑に告白のような真似事をしたことはあったが、素面の状態であれだけ本気で想いを告げたのは初めてだった。

 しかし結果は緑に激しく拒絶され、終わりを迎えてしまった。  

 でも拒絶されるのは当たり前なんだ、と思いながら誠吾はハンドルを強く握りしめる。

 アクセルペダルを踏む前に助手席に置いたバスケットに再び視線を走らせると、籠の中のモスローズがエンジンの始動で小さく震え出し始めていた。何かに脅えているようにも見えるその儚い様子に、誠吾は自分の想い人の姿を重ねる。



(……もうあの(ひと)のことは忘れよう……。俺はそんな資格が無い人間なんだからな……)

 




 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 




 梨絵が入院している部屋は四階の一番端の個室だ。バスケットを抱え、誠吾は昨日の夜も一度訪れた部屋を再びノックする。

「どうぞ」という声が聞こえたので誠吾はドアを開けた。


「あっ矢貫先生……?」  


 午前の光が降り注ぐ病室のベッドの上に梨絵はいた。

「よぉ、具合はどうだ」  

 誠吾は梨絵の側に行くとベッドの脇にあったパイプ椅子に座る。

「これ、見舞いだ」

「わぁありがとう先生!」  

 梨絵はベッドから起き上がり、バスケットを受け取った。

「可愛いお花ばっかり! 先生が選んだの?」

「いや、花屋の女の子に全部まかせてやってもらった」  

 やっぱりね、と言うと梨絵はバスケットを手に小さく笑った。

「……笹目、検査はどうだったんだ?」  


 梨絵は一瞬黙ったが無理に明るい表情で答える。


「はい、体の中はもう全部綺麗にしてもらったから大丈夫です。出血が少し多かったので鉄剤を何日か服用することになりました。……あと、もしかしたらこの先赤ちゃんが出来にくい体になったかもしれないって言われました」

「……そうか……」  

 誠吾の声が沈んだ。

「矢貫先生、先生のせいじゃないんですから気に病まないで下さいね」

「でも俺がお前を無理やり体育に参加させたせいで……」

「いえ、違います。先生は私のことを思ってあの時ああ言ってくれたんでしょ? 先生そう言ってたじゃありませんか。だから後のことは全部私が決めたことで私の責任です」

「でもな、笹目」


「いえ先生、聞いて下さい」  


 梨絵は誠吾の言葉を遮る。

「……先生、実はあのまま体育に参加しなくてもたぶん私流産していたんです。妊娠に気付いた時、彼と一緒に行った産婦人科の先生に切迫流産の恐れがあるから家で静養するようにって言われていたんです」  

 梨絵は真っ白いシーツの上に静かに視線を落とした。

「でも私はそうしなかった……。いつも通り学校に通ってました。私、妊娠に気付いてから心のどこかで思っていたんです。このまま流産すればいいのに、って……。でもそう思っていたくせに体育への参加だけは絶対にしないでおこうと思っていました。それは自分から積極的にその行為に荷担するのがイヤだったからです。あくまでも普段通りの生活をしてダメになることを望んでいたんです」  

 目を伏せた梨絵は寂しそうな表情で淡々と喋り続ける。

「……彼はまだ今年大学に入ったばかりなんです。彼は産んでもいいよって、大学を辞めて働くからって言ってくれたけど、彼の家庭環境とかを考えるときっと彼に責任は取れなかったと思います。でも私はたった一人で未婚の母になる勇気は無かった……。毎日どうしよう、どうしよう、と思いながら学校に通ってました……」    


 梨絵の目からポロポロと大粒の涙がこぼれだし、その涙はバスケットの花の上に落ちて朝露のように光る。


「先生、私あの時バーに向かって走りながら思ってたの……。『これでやっと楽になれる』って……」

「笹目……」

「ごめんなさい、先生……。わ、私っ、先生にまで迷惑をかけちゃ……って……!」  

 誠吾は嗚咽する梨絵の背中を安心させるように二度優しく叩いてやった。

「笹目……体大事にしろよ。後のことは俺にまかせておけ」

「は…い……」

 しばらく梨絵は顔を手で覆い泣き続けていたが、やがてドアが開いて梨絵の母、笹目(ささめ)康江(やすえ)が入ってくる。


「まぁ矢貫先生!」  


 康江が誠吾を見て驚いた顔をする。昨日病院から康絵に連絡を入れた誠吾は軽く頭を下げた。

「梨絵、どうしたの!?」  

 娘が泣いていることに気付いた康江が慌てて泣きじゃくる梨絵の側に駆け寄る。

「あの、今は笹目一人にしてやって下さい……」

 誠吾はそう言うと康江に目で合図をして廊下に連れ出した。康江は周りに人気が無いことを確認するとすがるような目で尋ねる。


「矢貫先生! 梨絵は、梨絵はカノンを退学になってしまうのでしょうか !?」

 

 誠吾は苦しそうな表情でその問いに答えるのに一瞬躊躇する。

「それは……まだ分かりません……」

「なんとか先生のお力であの子をカノンに残して下さる事はできないのでしょうか!?」

「……俺はただの一介の教師でなんの力もありません……。ですが、今回笹目がこんなことになったのは俺にも責任があります。だから笹目のために精一杯尽力をつくします」

「どうかお願いします矢貫先生! このままカノンを退学になってしまったらあの娘は一体どうなってしまうのでしょう!? 先生、どうか、どうか梨絵を助けてやって下さい!」  

 康江の言葉に誠吾は黙って頷いた。

「では俺はこれで失礼します……」

「どうかお願い致します、矢貫先生……!」  

 体を半分に折り、康江は深々と頭を下げた。哀れな娘の行く末を心配する必死な母親の訴えは、誠吾にとってとてつもなく大きな重圧となってのしかかる。

 康江を安心させるようにもう一度大きく頷くと、誠吾は病院を後にした。駐車場から梨絵の病室を見上げた誠吾の視界に、たった今自分が置いてきた花篭が窓際に飾られているのが小さく見える。



(絶対助けてやるからな 笹目)  



 誠吾はそう固く決意すると重いプレッシャーを胸に足早に車に乗り込んだ。




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