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ずっとずっと好きだった


 沙羅と要が去り、そして誠吾の姿も完全に見えなくなった後、先に口を開いたのは冬馬だった。

「じゃ、帰るか」

「う、うん」

 桃乃は小さく頷いたが、自分の発する言葉が少しぎこちないことに気付く。そのことを冬馬に悟られないようにできるだけ自然さを装って話しかけた。

「冬馬、部活早退して大丈夫だったの?」  

「あぁ」

「そう。良かった。ならいいんだけど……」  


 しかし実際は違っていた。

 勝手なことを言い出したペナルティとして、明日の朝、体育館のコート磨きを冬馬一人でやるようにキャプテンの潤一から言い渡されていたのだ。冬馬はその事実を隠し、心配顔の桃乃を安心させるために「全然大丈夫だって。気にすんな」と大きく笑ってみせる。


「それよりこの道ってよ、人通りが少ないから夜は結構危ないらしいな。変質者が出るって噂もあるらしいし気をつけろよ?」

「うん。あ、あのね冬馬……」

「ん?」

「あの…………」

 謝らなくちゃ、心の中ではそう思っているのだが言葉が出てこない。


「きょ、今日は自転車で来てないの?」

 

 結局口から出てきたのはそれとはまったく関係のない話題だった。

「あぁ、昨日帰りに車の事故現場の跡を通った時、散らばっていたガラスの破片でタイヤがパンクしちまってさ。まだ修理してないから今日は電車で来たんだ」

「そ、そう」

「もしかして後ろに乗りたかったのか?」

「えっ」 

 あのクロスバイクにまつわる裏話を裄人から聞いている桃乃はその言葉にドキッとする。

「う、ううんっ……た、ただどうしたのかな、って思っただけ……」

「……そっか」  



 会話はここでしばらく途切れた。

 お互いこれ以上ないくらいに意識しあっているのに、言いたいことがあるはずなのに、それぞれの胸に溜めたままで二人はひたすら黙々と歩く。 

 先週裄人が車の中でこっそりと教えてくれた冬馬の裏話の数々が何度も頭の中に浮かんできた。その話しを思い出す度に桃乃の胸は何かにぎゅうっと掴まれたかのように苦しくなっていく。  



 やがて道の先に谷内崎駅の街灯が見えてくると冬馬は急に足を止めた。いきなり立ち止まった冬馬に桃乃も足を止めて振り返る。

「どうしたの冬馬? 学校に忘れ物?」

「……いや」

「じゃ、なに?」  

 冬馬は一つ呼吸を置いてから言った。


「桃乃、この間はごめんな……」  


 その謝罪にまた胸が苦しくなる。

 もうこれで何度あの夜の時を冬馬は謝ってくれているのだろう。私はあんな冷たいことを言ってしまった事をまだきちんと謝っていないのに。

 そう思い、いたたまれなくなった桃乃は急いで口を開いた。

「冬馬、私も」

「そんで、ありがとな」

「えっ……?」  

 今度は感謝の言葉を言われ、思わず桃乃は言葉を止める。

「じ、実は俺さ……」

 冬馬は一旦足元に視線を落とした後、意を決したように再び顔を上げる。


「俺、桃乃のこと好きなんだ……! メッチャメチャ好きなんだ! だから桃乃があいつとじゃなく俺と帰ってくれて、今スッゲー嬉しいんだ!」  


 そして冬馬は一歩桃乃に近づき、緊張気味の声で言う。

「な、急で悪ィんだけど俺のことどう思ってるのか教えてくれるか……!?」

 こんな場所で、しかもあまりにも突然の冬馬からの告白に桃乃は驚いて口ごもる。

「わっ、私……」

「桃乃、遠慮しないではっきり言ってくれていい。駄目でも覚悟できてる」

 冬馬は真剣な表情でそう言いきった。しかしその顔を直視できない。



(……返事しなきゃ……!)



 顔を赤らめて視線を逸らす。心臓の鼓動が激しすぎて痛いくらいだ。

 裄人にすべての話を聞いてから、いや、本当はあの日の朝、クロスバイクでそのまま追い越された時の胸の痛みで、すでに自分の冬馬に対する気持ちにはとっくに気付いていた。

 今の自分に必要なものはほんの一歩、前に踏み出す力。桃乃は俯いたままで精一杯の勇気を出し、自分の気持ちを伝える。

「……す、好き……よ?」

「マ、マジでッ!?」  

 嬉しさの余り、冬馬の声が裏返る。桃乃は小さくコクン、と頷いた。

「あの時、痛かったろ? ごめんな」

 桃乃の細い肩を冬馬はそっと掴む。

「うん……。後で見たら痣になってた……。でも、もういいの」  

 冬馬は済まなそうな顔でもう一度「ゴメンな」と言うと、優しく桃乃を抱きしめる。


「それより私の方こそごめんなさい…」  


 腕の中に抱きしめられているせいなのか、伝えたい言葉が素直に出せるようになっていた。

「なんで桃乃が謝るんだ?」

「朝、駅まで送ってくれた日…、『もう迎えに来ないで』なんて私言っちゃったから……」

「あぁそのことか……。確かにあれはちょっと堪えたけど、もうそんなことどうでもいいや!」  

 冬馬は明るく笑い、抱きしめている腕に力を入れる。

「なぁ桃乃」  

 冬馬が桃乃の柔らかい髪に顔を埋めながら囁く。


「キス、していいか……?」


「……!」  

 冬馬の腕の中で桃乃は息を呑む。

 確かに今周りに人影はまったく無い状況だが、いきなりのことで桃乃には心の準備がまったく出来ていなかった。しかし状況は緩やかに流れてゆく。


「目閉じろ」  


 耳元で冬馬が再び囁く。

「ま、待って」  

 冬馬から身を離そうとしたが離れた瞬間にまた強く抱きしめられた。その拍子に手からスクールバッグが離れ、地面に落ちる。

「ずっとずっと好きだったんだ。昔からお前だけを見てた」

「冬馬……」


「好きだ」  


 強く強く、痛さを感じるわずか一歩手前の強さで抱きしめられる。


「すっげぇ好きだ」


 冬馬から「好きだ」と言われる度に体から力が抜けていく。

「冬……」

「目閉じろ」  

 その言葉で思考までもが霧がかかっていくようにぼやけ、桃乃はおとなしく瞼を閉じ、気付くとごく自然に冬馬のキスを受け入れていた。                                      

 見えないはずの桃乃の閉じられた視界の中で冬馬の姿がぼんやりと映っている。

 桃乃が爪先立ちをしなくてもいいようにその体を大きく折って、冬馬はそっと優しく背中を抱いている。


 小さく震えながら体験する初めてのキス。

 桃乃の心臓は壊れそうなぐらいにドキドキしていた。

 やがて名残惜しそうに冬馬の唇がそっと離れる。  

 桃乃がゆっくりと目を開けると冬馬が再び抱きついてきた。


「あー俺、今メチャメチャ幸せッ!」

 

 冬馬はまるで無邪気な子供のように、想いが通じた喜びを体一杯に表す。  

 またすっぽりと腕の中に強く抱きしめられて、桃乃はあることに気がついた。



「……冬馬の体から裄兄ィと同じ煙草の匂いがする……」  



 それを聞いてギクリとした冬馬は慌てて桃乃から自分の体を離した。

「あっ! そっそれはえーと……、そうだ思い出したっ! そういやこの制服、昨日兄貴の部屋に置きっぱなしだった!」

「それで匂いが移っちゃったのね」

「そうそう、マズくて……じゃ、じゃなくて! ケムくて参るよ、兄貴の煙草はさ!」  

「裄兄ィの吸ってる煙草って外国の煙草なんでしょ? だからなんか独特な香りがするものね」

「そ、そうそう!」


(……もう煙草止めよう……)


 なんとかその場をごまかせた冬馬は大きく胸を撫で下ろし、煙草との決別を本気で決意した。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 




 次の日、土曜の早朝に男子体育館の中で熱心にコートを磨く冬馬の姿があった。  

 その様子を影から見ている人間がいる。


「あれっキャプテン、そんなところに立って何してるんですか? 今日は朝練休みの日ですよね?」


 体育館の扉を少しだけ開けて潤一が中の様子を見ていたのを、たまたま別の用事で学校に来ていた二年のバスケ部員が見つけて声をかける。その後輩の声に潤一は振り返った。

「おう、おはよう」

「おはようっす!」

「いやな、昨日一年の西脇の奴が早退したいなんて言うからさ、ペナルティーとして今朝ここに来てコート磨きを一人でやれって言ったんだよ。でもここを最後まで一人でやるのはキツイだろうと思って俺もさっき来てみたらほら、ちょっと見てみろよ」

 潤一は扉の隙間を親指でクイクイと指した。  

 体育館の中では嬉しくてたまらない、といった表情で冬馬が熱心にコートを磨いている。しかも時々「ヒャッホー!」などという陽気な掛け声まで出ているのだ。


「なんかメッチャ楽しそうですよね……」  


 潤一に言われて中を覗いた二年の部員が、潤一の言いたい事を代わりに言葉にする。

「……だろ? 西脇もそろそろ疲れてへこんでる頃かと思って来てみたんだが、なんであいつはあんなに嬉しそうにコート磨きやってんだ?」  

 解せない表情の潤一に二年の部員は楽天的に答える。

「なんかいい事でもあったんじゃないッスか?」

「そうなのかな……」  

 潤一は再び中を覗く。

「西脇冬馬、か……。あいつ、二週間前に入ったばかりの時はいつも眉間に皺寄せて気難しい顔してたくせになぁ……。今年の新入部員の中であいつの性格だけはまだよく分からんよ」


 思案顔でそう呟く潤一の耳に、体育館の中から「ヒャッホー!」と叫ぶ冬馬の陽気な大声が再び聞こえてきた。




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