残された彼女
ボート乗り場で合流し、ペンションへと戻ってきた四人は一旦それぞれの部屋へと分かれる。
桃乃と同部屋に入った真里菜が二台あるベッドを指さし、「桃乃ちゃん、どっちで寝たい?」と希望を聞いた。
「どっちでもいいですよ」
「じゃ、私がそっちの方でいい?」
「えぇどうぞ」
「ありがとう」
真里菜は礼を言うと、窓際のベッドに自分の荷物を置く。
「夕食って六時半だったわよね。まだ一時間ぐらいあるけど桃乃ちゃんはそれまでどうするの?」
「そうですね……。冬馬と一緒にこの辺りを散歩しようかな」
「さっきも山の方を二人でずっと歩いてたんでしょ? 疲れてない?」
「はい。真里菜さんは裄兄ィと出かけないんですか?」
真里菜はほんの少しだけ寂しげな表情で微笑んだ。
「うん。もう裄人さんとのお話は済んだから。桃乃ちゃん、私、シャワーを浴びるから部屋の鍵だけかけていってくれる?」
「は、はい。分かりました」
真里菜がシャワールームへと消えてゆくと、部屋のドアがノックされる。
扉を開けた桃乃の目の前に立っていたのは裄人だ。その表情は少し物憂げに見える。
「あ、裄兄ィ」
「桃乃ちゃん、ちょっといいかな」
「なに?」
「ここじゃ話しづらいんでついてきてくれる?」
裄人は自分の背後を親指で指して、部屋の外で話をしたいというジェスチャーを見せた。
急いで部屋の鍵をかけ、桃乃は先を歩き出している裄人の後を追う。
「裄兄ィどうかした? なんか元気ないような気がする」
「あ、分かる?」
駐車場の方角に歩いている裄人は力ない表情で笑った。
「実はつい先ほどとうとう完璧に振られちゃったもんで」
「えっ真里菜さんに!?」
「うん。こうなるだろうなって薄々予想はしてたんだけどさ、いざその時が来るとやっぱり思うことはあるよね」
「どうして振られちゃったの!?」
「んー、俺が頼りないからじゃない?」
「理由聞いてないのっ!?」
先ほど “ 話は済んだ ” と真里菜が言った意味が分かったが、裄人の軽い態度に呆れた桃乃は強い口調でそう問いただす。だが裄人はわずかに困ったような笑顔を見せるだけだ。
「裄兄ィ、理由を聞いてもう一度ちゃんと話し合った方がいいよ! だって真里菜さんは裄兄ィを嫌いな風に見えないもん!」
「……いやいいよ。俺、諦めだけは結構いいもんで。結果が見えているのにそこをどうにかならないかって必死に足掻くのは苦手なんだよね。カッコ悪いだろ?」
「そういうのが裄兄ィの駄目なとこだよ! それってただ逃げてるだけじゃない! カッコ悪いとかじゃなくて単に自分が傷つきたくないだけでしょっ」
桃乃のその指摘に裄人は苦笑を浮かべた。
「五つも年下の女の子に説教されちゃったか。俺より桃乃ちゃんの方がよっぽど大人かもね」
「またすぐそうやって茶化す!」
「俺のことはいいんだよ。さ、乗って」
「車でどこに行くの?」
「下にあるコンビニ。煙草切らしちゃったんだ。ここの自販機に俺の吸いたいヤツが売ってないんだよ。またすぐに戻ってくるからさ、付き合って。それに車の中なら冬馬にも話を聞かれないし」
「う、うん…」
高台にあるペンションから山道を降り始めてすぐに裄人は本題を切り出した。
「さっきさ、俺らそれぞれ別れて行動したじゃん? あの時冬馬の様子ってどうだった?」
「どうだった、って言われても……」
「俺のこと何か言ってた?」
「裄兄ィのこと? ううん、特には言ってなかったけど、でも私が裄兄ィと真里菜さんの事を話したら、なんで知ってるんだって驚いてた」
「…………」
裄人はしばらく黙ってハンドルを握っていた。
そして到着したコンビニの前に車を停めると、先ほど起った出来事を桃乃に告げる。
「その話なんだけどさ、さっきあいつと部屋に入った途端に、なんであいつに話したんだってすごい剣幕で詰め寄られたんだよ」
「冬馬が? どうして冬馬が怒るの?」
「うーん……、実は真里菜ちゃんと別れる事になるって話、お前だけに言っておく、って言っちゃってたんだよね。だからかなぁ……」
「でもだからって冬馬がそんなにムキになるのおかしいよ」
「やっぱ桃乃ちゃんもそう思う?」
その時、桃乃の携帯が鳴り始める。
携帯に目を落とした桃乃は、「冬馬から電話が来た」と裄人に伝えた。
「あ、それは出たほうがいいな。俺煙草買ってくるよ」
「うん」
裄人は車を降り、コンビニの中へと入ってゆく。
急いで携帯を耳に当てると、若干焦った様子の冬馬の声が聞こえてきた。
『 桃乃か? 今どこにいる? 今お前の部屋に行ったら真里菜さんから外に出かけたって言われたぞ? 』
「今裄兄ィの車で下のコンビニに来てるの」
電話の声が突然聞こえなくなった。
「冬馬? もしもし?」
『 ……兄貴と? 』
硬さが増したその声に「うん」と桃乃が答えると、
『 今そこに行く 』
との返事だけが戻ってきた。
「えっ!? ちょっと待って! まさか歩いてここまで来るつも…」
しかし話している最中で電話は切られてしまった。そこへ裄人が戻ってくる。
「裄兄ィ、今冬馬がここに来るって」
「ここに?」
「うん。歩いてここに来るつもりなのかな?」
「それ聞かなかったの?」
「だって聞いている最中に切られちゃったんだもん」
「あんな上からここまで歩いてきたら大変だと思うけどなぁ……。じゃ途中まで上がろうか。そのうちあいつとすれ違うだろ」
「うん、じゃあ冬馬にそのこと連絡するね」
桃乃は冬馬の携帯を鳴らす。だが冬馬はなぜか電話に出ない。
「裄兄ィ、冬馬電話に出ない」
「携帯置いて出ちゃったのかもな。とりあえず上がるよ」
しかしペンションへと続く山道を上り続けても冬馬の姿は見えない。
「おかしいな……。もうすぐ着いちゃうぞ。まさかあいつ、反対側の道を降りたのかな」
「えっ反対側ってあのすごく細い裏道みたいなところ?」
「うん。でもあっちの道を徒歩で歩くと危険だと思うし、それはないと思うけどね」
そこへ桃乃の携帯に冬馬から着信があった。すぐに出る。
『 桃乃今どこにいるんだよ!? 』
「今、ペンションに戻ってるわ。冬馬とすれ違うと思って。冬馬こそどこにいるの?」
『 俺もうコンビニに着いてるぞ!? 』
「えっもう!? どうしてそんなに早く着いたの!?」
『 ちょうど下に行く車があったらここまで乗っけてもらったんだ! もういい! 兄貴出してくれ! 』
桃乃は電話を耳から離し冬馬の伝言を伝えようとしたが、先に裄人が口を開く。
「あいつ、俺に代われって?」
「うん」
「ちょい待って。そこに停めるから」
裄人は山道の脇にあるスペースに車を停めると、桃乃から携帯を受け取る。
「冬馬か? お前、今、下にいるのか?」
その後裄人はしばらく黙っていた。
激昂した冬馬が喋っているのが桃乃にもかすかに聞こえるが、話している内容までは分からない。
「じゃあお前が乗せてもらった車、たぶんペンションの裏側の道から下に降りたんだよ。俺はそっちじゃない方の表の道から上がってた。だからだろ。……いや、いいって、そのままそこにいろ。今また戻るからさ。……え? いや、お前の言いたい事も分かるけどさ…」
車でもう一度降りると裄人は話しているが、冬馬はそれを拒否しているようだった。
憤って話をしている冬馬の話を裄人はしばらく黙って聞いていたが、やがて諦めたように息を吐く。
「分かったよ。じゃあ今俺も歩いて降りるからさ、お前も上がって来いよ。そしたら途中で会えるだろ?」
まだ冬馬は何かを言っている。
「……あぁ、分かってるって。桃乃ちゃんはここで待っててもらうから。それでいいんだろ? ……うん、じゃあな」
冬馬との会話が終わった裄人は通話を切ると、「はい」と桃乃に携帯を返した。
「裄兄ィ、私ここで待つの?」
「うん。ちょっと冬馬と話があるからさ、ここで待っててね。終わったらあいつと一緒にここに戻ってくるからさ」
裄人は端的にそれだけを告げると車のエンジンを切ると車外へと出て、坂道を下へと歩いて降り始めた。置いてきぼりにされた桃乃は自分も急いで車外へと出る。
「裄兄ィ! 冬馬と何の話なの!?」
裄人は坂道の途中でゆっくりと振り返った。そして穏やかな笑みで淡いブルーのサマードレスを着ている桃乃を眩しそうに見る。
「……大きくなったよね、桃乃ちゃん」
「な、何よいきなり!?」
「向かいに住むちっちゃい女の子だとずっと思ってきたけど、いつのまにかそうじゃなくなってたってことか。冬馬にとっても、俺にとってもね」
裄人はそう告げると、
「そこで待っててね。絶対についてきちゃダメだよ?」
と言い残し、桃乃に背を向けて軽快な足取りで坂道を駆け下りていった。