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自分が誰かの代わりでも



 兄が真里菜に振られるという話が、先ほどの車中での様子を見る限りやはりどうしても信じられない。


 冬馬は桃乃の手を離すと砂利道沿いに等間隔で打ち込まれている木杭にまで近寄り、杭の間に通されているロープを一跨ぎで軽々と越える。

 しかし崖下に近づき湖水に目を凝らしてみたが、さらに数メートル近づいた程度では裄人と真里菜がどんな会話をしているのかどころか、二人の表情すらもぼやけてよく判別できなかった。


「冬馬、どうしてそんな怖い顔してるの……?」 


 無意識に険しい顔をしていたらしい。

 後を追って来ていた桃乃が自分を見ている。焦った冬馬はまた桃乃の手をつかみ、急いで元の砂利道へと連れ戻した。


「危ねぇな! 足でも滑らせて下に落ちたらどうすんだよ!?」

「何言ってるのよ! 冬馬が急にロープを跨いで行っちゃうからついてきたんじゃないっ」

 思わず返答に詰まる。

「俺、そんな怖い顔してたか?」

「してたよ! 目つきが怖かったもんっ。ここにもすっごくシワが寄ってたし!」

 爪先立ちをした桃乃が、冬馬の眉間を人差し指で軽くつつく。

「あんなに怖い顔をして何を見てたの? まさか裄兄ィと真里菜さんじゃないでしょ?」

「な、なんでもないって。行くぞ」

「だからこれ以上先に行ったら約束の時間に戻れなくなるってば!」

「いいんだよ、少しぐらい遅くなったって。兄貴だって真里菜さんと遊んでるじゃん」


 まだ強引に先に進もうとした冬馬の背に衝撃的な言葉が届いたのはその時だ。


「でもあの二人、あんなに仲が良さそうなのに別れちゃうなんて信じられないよね……」


 心臓が恐怖に近い驚きで、ドクンと大きく拍動するのが分かった。

 強張った表情で素早く後ろを振り返ると、桃乃はまだ湖に浮かぶボートを見つめている。


「桃……」


 口の中が一気に乾きだしてきている。声がうまく出せない。


「なに?」

「な…、なんでお前その事知ってるんだ?」

「なんでって……、裄兄ィから聞いたよ」

「兄貴から!?」

「うん」



 ―― 衝撃は二重三重の波となって冬馬を襲う。


 あの時、兄は確かに自分に言った。「お前にだけは言っておく」と。

 しかし桃乃はこの事を知っていた。しかも兄から直接聞いていた――。



「い、いつだよそれ!?」


 頭の中が混乱し始めている。


「一昨日よ。裄兄ィから朝の集合時間の確認で連絡が来たの」


 冬馬の胸の内を知らない桃乃は素直に答える。


「一昨日……!?」

「うん。その時に裄兄ィが話してくれたの。真里菜さんと別れる事になるけど、旅行は四人で行けるから安心してねって。冬馬も裄兄ィからこの話を聞いてるんでしょ? でも私、まだ信じられないよ。だってあんなに仲良さそうなのに……」


 息が苦しい。

 呼吸が乱れそうになるのを抑えるのに懸命だった。

 “ 裄人と真里菜が別れる ”、この事実を桃乃が知っていたことが大きなショックとなって冬馬にのしかかる。


 ―― 例えあの二人が本当に別れる事になったとしても、まだ桃乃には知っていてほしくなかった。いつかは知る事だと分かっていても、せめて、今はまだ知らないでいてほしかった。

 数日前にカノンの屋上で親友に尋ねた自分の言葉が頭の中で響く。



( ……なぁ要、一度は消えた想いでも何かのきっかけでまた再燃することってあると思うか? )

 


 不意を装ってあんな事を尋ねたのは、この問いを要に否定してほしかったから。

 しかし自分と同じ答えを要も口にしたあの時、冬馬の胸の中には絶望に似た気持ちが湧き起こっていた。


 自分では消えたと思いこんでいたつもりでも、もし兄貴への気持ちが桃乃の中にまだ残っていたとしたら――。


 その後のことを想像した冬馬の背に、恐れに似た感情が走る。そしてその感情が、裄人に対して長年ずっと抱き続けてきたコンプレックスを物凄いスピードで黒く助長させてゆく。


「裄兄ィってさ、いつも優しいけど、時々何を考えてるか分からないところがあるよね。今だって真里菜さんと別れる事にショック受けてるように全然見えないし、それに……」


 桃乃が兄について何か言っているが、その先を聞き取ろうとしてももう言葉がほとんど耳に入ってこない。

 このまま兄に彼女がいなくなれば、いつかまた桃乃の気持ちも再び揺らぐことがあるかもしれない。

 そんな恐怖にも近い不安が体中を覆い、引き剥がそうとしても離れない。

 取り去ることのできない不安が、喉の奥底から塊となってせり上がってくる。ここで一瞬でも心が折れれば、絶対に黙っていなくてはならない事実が言葉となって溢れ出てしまいそうだった。

 強く奥歯を噛み締める。

 口にしてはいけない。今ここで桃乃に言ってはいけない。



  「二人が別れて嬉しいか?」


   そして 「俺は兄貴の代わりだろ」と。



 だがそれは事実だ。

 桃乃にとって俺は、好きだったが付き合うことの出来なかった兄貴の代わりなんだ。

 でもそれでもいい。それで構わない。

 桃乃が俺のものに、俺だけのものになるのなら――。



「……戻るか」

「えっ、どうしたの急に?」

「考え直した。やっぱ人を待たせるのは良くないよな」


 さりげない口調で素早く踵を返す。歩き始めると、桃乃が慌てて走り寄ってくる気配がした。


「もうっさっさと先に行かないでよ! 行くって言ったり戻るって言ったり、相変わらず自分勝手なんだから! 冬馬のそういうところ、昔から本当に変わってないよねっ!」


 むくれた表情を見せ、文句を言いながらも桃乃が左腕にしっかりと掴まってくる。

 そんな表情すら、今の冬馬にはただひたすらに愛しかった。左腕に手を伸ばし、桃乃の手に自分の手をそっと重ねる。



 ── 俺は兄貴の代わりなんだ


 

 口を固く結び、胸の中にある歪んだ気持ちをすべてぶちまけてしまいたい衝動を冬馬は必死に抑える。

 幼い頃からずっと想い続けてきてやっと手に入れた、この誰よりも大切な幼馴染を繋ぎとめておくために。



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