第6話 オロチの説明責任。祟り神の『ガチ恋』ストーキング!?
水の音がした。
静かな、とても小さな音。
石の壁を撫でるような低い流れ。
暗闇。
足元は冷たい。
でも、不思議と怖くない。
いや、本当は怖いはずだ。
真っ暗な水底に、一人でいるのだから。
『ありがとう』
誰かの声が、耳のすぐそばで囁いた。
女の子の声。
声の感じは私と同じくらいか、もう少し下くらい。
目を開けると、そこには「私」がいた。
でも、違う。
着物の柄も、髪の結い方も、時代が違う。
それなのに、顔立ちだけが妙に似ていて――。
『あなたも、底になったの?』
「……なってない」
夢の中なのに、はっきり答えていた。
『いいなぁ』
女の子はそう言って、笑った。
笑い方も、少し私に似ていた。
『わたしね、ちゃんと守ったんだよ』
暗闇の向こうで、水面が揺れるような音が少しだけ大きくなる。
『みんな、十分に満たされたはずだよ。家も、田畑も、残った。だから、「ありがとう」って言ってもらえるはずだったのに』
声が、すこしだけ震えていた。
『――なのに、いつの間にか、誰も来なくなっちゃった』
水が、冷たく足首を撫でる感覚がした。
『忘れられるってね溺れるより、ずっと苦しいんだよ』
胸が締めつけられる。
「ごめん」
反射的に謝っていた。
何に対しての謝罪なのかも分からないまま。
『ううん。ねえ――今度は、あなたが“底”になってくれる?』
『――代わってよ』
その瞬間、足首を掴まれた。
境内で感じたのと同じ感触。
冷たい、水の手。
その冷たさが骨まで染み込んでくるようだった
「――や、やめてっ!」
叫んだ瞬間、視界がひっくり返った。
「……はっ!」
ベッドの上で飛び起きる。
心臓が痛いくらい脈打っていた。
喉がカラカラだ。
額には汗。
見慣れた天井。
蛍光灯の白。
遠くで鳥が鳴いている。
夢。
――だったのかもしれない。
でも、足首に残る、ひやりとした感触はまだ消えていなかった。
時計を見る。
午前四時を差していた。
それからは寝ているのか、起きているのか分からない、まどろみの中で朝を迎えていた。
朝の光徳神社は、今日もやっぱり世界でいちばん空気が澄んでいる――らしい。
昨日みたいな目に遭ったあとだと、その「らしい」にちょっと説得力が増した気がする。
鈴緒の埃をはらって、賽銭箱の周りを掃き終えたころ。
境内の端っこの石祠の前に、ソイツはいた。
「おはよう、JK巫女」
黒いパーカーにだらしなく結んだ髪。
縦に裂けた瞳孔。
光の加減で、存在ごと薄くなったり濃くなったりしている青年――オロチが、石祠に腰をかけて、足をぶらぶらさせていた。
「色々とツッコミどころが多いけど……、おはよう、でいいの? 神様に」
「いいぞ。 それとも朝から『かしこみ~、かしこみも~』って言っときたいか?」
「神様が言うセリフじゃないんだよなぁ」
私がホウキの柄に体重を預けると、オロチは肩をすくめた。
「ま、龍蛇の神様っつっても、おれは親戚筋みたいなもんだからな。本家筋みたいに、四六時中ありがたがられると疲れるんだよ」
「はいはい、龍蛇の親戚筋さま」
「そうそれ。それくらいの距離感で頼む、JK巫女」
あっさり言われて、私はちょっとだけ笑ってしまう。
「で。昨日のアレ、これからも私の前に現れると思う?」
拝殿の石段をちらりと見る。
今はもう乾ききっていて、黒い水の影は残っていない。
「“アレ”とは、JK巫女の足首を掴みにきた黒い水のことでよろしいか」
オロチはあくびをひとつして、面倒くさそうに続けた。
「そう。アレ。そういう事もちゃんと教えるのが、サポーターの説明責任ってやつじゃない?」
「おお~、物騒な言い方するねぇ」
「……変な夢見た。水の中で女の子に会った」
一瞬、言うかやめるか悩んだが、伝えておかないと逆に不安になると思った。
「……そうきたか。なら、じゃあ話は単純だ。」
オロチが続ける
「向こうもお前もお互いに認知したからな。完全にロックオンだな。」
指でわっかを作り、その中から私を覗いている。
「認知……、あれはなんなの?」
「あれは、この地域の為に祈りを捧げた者の成れの果て、祟りかけだ。まだ形は甘いがな」
「祟りかけ……?」
「本気の祟りになる前。『崇められる神』ポジと『祟ってやる、このやろう』ポジで揺れてる状態だ」
言っている意味の半分くらいはよく分からない。
でも、昨日足を掴まれかけた感覚を思い出すと、冗談じゃ済まないことだけは理解できた。
「放っとくとどうなるの?」
「そのうち、本当に誰かの足を持っていく。川とか沼に落ちるやつが出るか、家の床下から水が噴くとか、まぁ色々だな」
頭の中でニュースサイトの見出しが浮かぶ。
『高校生、帰宅中に用水路に転落』『住宅街で突然の噴水現象』
「……うちの拝殿前から始まるのはやめてほしいんだけど」
「だから追い払ったんだろうが。礼はどうした、神社の娘」
そう言われて、私は少しだけ頭を下げた。
「……ありがと。鈴のこと、教えてくれて」
「よろしい」
オロチは満足げに頷く。
「ま、そのうち、概要だけじゃなく、きちんと説明してやるよ。『祓い士』ってやつがやるべきことも。――でも、今日はまず、ひとつだけ覚えとけ」
「なに?」
「変な水の音がしたら、すぐ俺を思い出せ。鈴を鳴らすか、祝詞を口にするか。『ここは私の領域だぞ』って、こっちから線を引き直してやるのが、お前の仕事だ」
――線を引き直す。
昨日、あの鈴の音で黒い水の手を吹き飛ばしたときの感覚が、少しだけ蘇る。
「……分かった。やってみる」
「それでいい、JK巫女」
「……というか、そのJK巫女って恥ずかしいんだけど。」
「じゃ、器、祓い士予備軍、ほうきで怪異ぶっ叩き女子、どれがいい?」
「普通に名前呼びはないわけ? 三ツ木夕凪って立派な名前があるんですけど?」
「神はその者を認めない限り、名を呼ぶことはない」
「あ、いきなり神ポジ」
「そういうことだ、JK巫女」
「……ま、いいや、わかったよ」
そこへ拝殿の脇から父の声が飛んできた。
「夕凪ー、そろそろ行け! 電車の時間だぞー!」
「はーい!」
私はホウキを片付けて、社務所に駆け込む。
鞄をつかんで外に出る前、もう一度だけ石祠の方を振り返った。
オロチは、指先だけひらひら振って見せた。




