第44話 死地乱舞
「夕凪、右!!」
千景の鋭い警告が雨音を切り裂いた。
思考より先に肉体が反応する。
右足を軸にコンクリートを抉り、腰の回転だけで槍の軌道を修正する。
視界の端、雨のカーテンを突き破り迫る黒い弾丸。
躊躇いはない。
ただ、迎撃のイメージだけを描く。
穂先が唸りを上げた。
赤黒い軌跡が空中に走り、飛来する殺意を正確に叩き落とす。
硬質な衝撃音と共に火花が視界を白く染めた。
弾かれた弾丸は地面に落ちる前に溶け、アスファルトに黒い染みを作る。
物質ではない。
やはり、これはサヤの魂そのものだ。
――来る。
意識を切り替える間もない。
ジャンクション下、湿った排気ガスの匂いとオレンジ色の外灯が乱反射する世界。
現実とサヤのフィールドが混ざり合い、風景がノイズのように歪む。
その歪みの中心にサヤが立っていた。
私と同じ顔。
私と同じ輪郭。
けれどその瞳は、底のない深淵を映している。
「……ここからは、壊すつもりでいくね」
声は鼓膜ではなく、脳髄に直接響いた。
サヤの指先が指揮者のように跳ねる。
空間が膨張した
重力が狂う。
高速道路を走る車の走行音が不快な圧迫感となって頭上から降り注ぐ。
梁、柱、水たまり、そして空中の雨粒――そのすべてから無数の「銃口」が生えた。
「来るよッ!」
千景が神楽刀を抜き放つ。
清冽な鈴の音が、重苦しい空気を浄化するように響いた。
全方位からの弾幕。
鉄と泥の暴風が逃げ場のない檻となって襲いかかる。
だけど、今の私たちは「受け」には回らない。
前へと踏み込む。
私の意思より速く、邪滅槍が最短の「道」を描き出す。
弾幕のわずかな綻び、コンマ一秒だけ開いた死の隙間へ、赤黒い雷光となって身体を滑り込ませた。
槍が弾丸を弾くたび、腕に痺れが走る。
その痛みこそが現実に生きている証拠。
「上だ、夕凪!」
オロチの声に 脊髄反射で槍を頭上へ跳ね上げる。
雨に紛れた泥の槍が、脳天を砕こうと落ちてきていた。
衝突。
爆ぜた泥が視界を塞ぐ。
その黒い霧を突き破り、滑るようにサヤが肉薄していた。
速い。
水面を走っているのではない。影そのものと化して距離を潰している。
「――っ!」
彼女の指先が私の頬を掠める。
――迂闊に触れれば終わる。
直感が叫んだ。
「触らせない!」
千景が風のように割り込んだ。
神楽刀の一閃がサヤの腕を斬り飛ばす――はずだった手応えがない。
刃は水の幻影をすり抜け、空を切る。
幻視。
『ふふ、かわいいね。ハズレだよ』
嘲笑と共に、サヤの影がブレた。
まるで分裂したかのように。
「足元!」
オロチの警告が腹に響く。
足首の感覚だけを頼りに跳躍する。
一瞬前まで私がいた場所が盛り上がり、汚泥の龍の顎が、私を喰い損ねる。
「纏鎖・八岐縛!!」
地から這い出た汚泥龍に八つの蛇が巻きつき、縛り上げ、そして破壊する。
それは滝のように勢いよく落ち、黒い水飛沫を舞い上げる。
『……邪魔』
ノイズ交じりの苛立ち。
そのわずかな感情の揺らぎこそが、私たちが待っていた好機。
狙うは本体。そして核。
邪滅槍が共鳴し、切っ先が自然とサヤまでの道程の正解を指し示す。
「千景!!」
「――合わせる!」
神楽鈴が二度、三度と鳴る。
張り巡らされた結界の波長がズレ、サヤの弾幕が一瞬だけ機能を停止した。
その静寂を、私とオロチが同時に駆ける。
二条の赤黒い閃光。
雨粒すら蒸発させる速度でサヤの懐へ飛び込む。
――捉えた。
サヤの胸元、黒い水の膜を裂く。
『……痛い』
サヤが漏らした声。
幻影ではない、確かな痛覚。削れている、確実に。
だが、サヤの唇が三日月型に歪んだ。
『……なら、分ければいい』
影の質量が爆発的に膨れ上がる。
サヤが三人に分裂した。
同じ顔、同じ笑み。けれど宿る色が違う。
底知れぬ虚無の瞳。
慈愛に満ちた狂気の笑み。
そして、怒りを剥き出しにして、歪んだ口元。
「三対三……上等!」
私、千景、オロチ、三方に対して、同時に三人のサヤが敵意を向ける。
「来るよッ!!」
千景が叫ぶのと同時に三体のサヤが三次元的な軌道で襲い来る。
背後、正面、頭上。
死角のない完全な包囲網。
どれが本体か、迷えば死ぬ。
――迷うな。
胸の奥で、滅龍の鼓動が警鐘を鳴らす。
「千景、情の笑みを! 幻惑を崩して!」
「任せて!」
千景は迷わず地を蹴った。水しぶきが白い花のように咲く。
「オロチ、怒の個体! 力押しで来る!」
「心得た」
オロチが一歩踏み出すだけでジャンクションの柱が悲鳴を上げた。
ただの横薙ぎ。
それだけで衝撃波が生まれ、泥の槍を粉砕する。
残る一体――最も深い闇を宿したサヤ。
きっと、あれが核だ。
「お前は……私がやる!」
槍を握り直す。
穂先が哭く。
迸る赤黒い光が周囲の雨を瞬時に蒸発させる。
『ふふ。その先に踏み込める?弱虫さん』
サヤの指が伸びる。
侵食の恐怖をねじ伏せ、私はあえてその懐へ飛び込む。
肉を切らせて骨を断つ。
突き出された槍が、サヤの眉間を捉える。
――直前、世界が反転した。
液状化。 またすり抜ける。
『甘い』
背後に殺気を感じた時には、意識の端っこに冷たい感触があった。
振り向けない。間に合わない。
槍の柄を背後へ突き出し、直感だけで防ぐ。
鈍い衝撃。
サヤの動きが一瞬止まる。
『……チッ』
「そこだッ!」
全体重を乗せて踏み込み、体を捻る。
全神経を穂先の一点に集約させ背後のサヤへ邪滅の一閃を送る。
――ッ!!
だが、眼前に現れたのは発火寸前の銃口。
ゼロ距離からの射撃。回避不能。
――死ぬ。
そう認識した瞬間、横から滑り込んだ刃が弾丸を弾き、宙に霧散させた。
「やらせるかよッ!!」
慈愛のサヤをあしらい、飛び込んできた千景が即座に神楽刀を構える。
「助かった!」
「お礼はシュークリームでいいよ!」
反対側で轟音が轟いた。
オロチが怒りのサヤを纏鎖・八岐縛で地面に縫い付け、構えを取っている。
「毒牙・蛇咬」
言葉と共に空気が重く沈み、雨音すらも畏怖して消えた。
「――断ち切る」
黒い爆発。
残像すら残らない速さで距離を詰めたオロチの物理的な牙の破壊力が、怒りのサヤの形を消し飛ばす。
―― 削れた。
残るは二体。
本体であるサヤの顔から、余裕が剥がれ落ちていく。
それは怒りなのか、焦燥なのか、それとも微かな恐怖なのかは、表情から読み取る事は出来なかった。
『……たかが一人削ったくらいで調子に乗るな』
「こっちは命懸けなんでね!」
私は槍を構え直す。
千景が右翼へ、オロチが左翼へ。
綺麗なトライアングルを描き、それぞれ構えた。
狩りの陣形が完成する。
「サポートよろしく。ここからは更に一歩踏み越えるつもりでいくから」
私の言葉に、背後の気配が力強く応える。
追い詰められたサヤが身構え、そして――弾けた。
三体が溶け、無数の小さな影となって拡散する。
数百、数千の極小のサヤ。
雨粒と汚泥まじりの黒い水のひとつひとつが敵意を持って殺到する。
『――なら、全部埋め尽くす』
「数で押せると思わないで!!……千景!鳴らして!!」
「了解ッ! 」
――チリーン……
千景が神楽鈴を天へ掲げ、澄んだ音が波紋となって広がり、無数の影を音圧が弾いた。
「オロチ、一箇所に! 本体をあぶり出す!」
「造作もない」
オロチは足を開き腰を落とし、両手を合掌する。
「……地禍・八岐崩」
オロチを中心にフィールド外縁部から地面そのものが蛇の胴体のようにうねり、散らばった影が強制的に中央へ寄せ集めていく。
その混沌の中心。 一瞬だけ、怯えたように揺らぐ瞳が見えた。
「見つけた……」
全力で踏み込み、間合いを詰め、槍を構える。
邪滅槍が呼応し、赤黒い稲妻が龍の顎を形成する。
『……それ、嫌い』
サヤの悲鳴に近い拒絶。
「好きにならなくていい。ただ、終わらせる!」
逃げる間も与えない。
渾身の薙ぎが、サヤの体に届きそうになった瞬間、周囲の黒い影が全て、地に飲まれ、サヤ本体に戻り、彼女は真後ろに滑るように後退する。
「そう来るのは分かってたッ!!」
私はサヤが逃げた方向に高く跳び上がり、邪滅槍を構える。
それと同じくして、黒い大地を八本の濁流がサヤの両手両足を狙い、突き進む。
オロチの纏鎖・八岐縛が、サヤを縛り上げた。
『……あ……』
サヤの声が漏れた。
「千景!!」
「――もう逃がさないよ」
胸元で構えた神楽刀をそっと鳴らす。
鈴の音が収束し、オロチの八岐縛が強度を増し、サヤの逃げ道を完全に断つ。
『こんなもので勝ったつもり?』
サヤの最期の抵抗。
頭上の高速道路、行き交う人々の無関心な意識が流れ込んでくる。
世界が薄れ、認識が揺らぐ。
だが。
「夕凪!!」
「迷うな!!」
二人の声が私を現実に繋ぎ止める。
そして胸の奥、滅龍が静かに告げた。
――今だ。
「――滅龍ッ!!」
私は名を叫ぶ。
構えた邪滅槍の穂先が激しい光を帯びる。
槍の咆哮が雨音も、雷鳴も、全ての音を塗り潰した。
赤黒い閃光が、サヤの影を飲み込もうとしていた。




