第42話 邪滅槍
「……チッ、マジで、しぶといヤツだな」
仁王立ちするオロチの視線の先、空間にぽっかりと浮かぶ巨大な黒い水の球体があった。
オロチの一撃を受けたはずのその球は、不気味にゆらゆらと波紋を立て始めると沸騰するように泡立ち、ぬるぬると形を変えていく。
泥が骨となり、肉となり、再びサヤの形を形成した。
しかし、再生したそのサヤも無傷ではない。
肩で大きく息をし、膝を震わせて立ちすくんでいた。
『はぁ、はぁ、……ホント最低最悪なヤツね、オロチって……」
サヤの表情に苛立ちが滲み出ていた。
――ダメージは入ってる。
あれだけの攻撃を受けて、平気なわけがない。
でも、致命傷には至っていない?
オロチは、ふぅと短く息を吐き、戦意を解くように肩の力を抜くと、こちらを振り返りスタスタと歩き出した。
そして、手にした禍々しい真紅の槍――邪滅槍を、まるでただの棒切れか何かのように無造作にポンと放り投げてきた。
「――わっと!?」
慌てて受け取る。
ズシリとした鉛のような質量が腕にかかる。
さっきまで私の手を焼いた、皮膚が溶けるような高熱は嘘のように消えていた。
今は代わりにドクン、ドクンと槍そのものが生きているかのような力強い脈動だけが伝わってくる。
「修行の成果だな、やっぱ邪滅槍も持てるようになったか、夕凪」
オロチはニヤッと口の端を吊り上げながら近づいてくる。
「オロチ? なんで……」
「……あ? 俺の時間切れだ。それに、この喧嘩は俺のもんじゃねえ。祓い士の仕事だしな」
オロチはひとつ深呼吸をし、悪戯っ子のようにニヤリと笑う。
「時間切れ?……どういうこと?」
「……槍の力を借りれば、普通よりは復活を早められる。だから、俺は身を隠した――」
話している間にも、オロチの輪郭が揺らぎ始める。
彼が纏っていた神々しい狩衣がキラキラと光る金色の粒子となって大気に溶け出し、零れ落ちていく。
「運良く、お前らが『時不知の庭』に行ってくれたから実質2日で戻ってこれたんだが、残念ながら、戦いから離れていた俺と、呪いの力が強まってるサヤとの力の差が現状、あまり無いのは分かってた。だから、序盤から『神力ブースト』を掛けた。いわゆる能力解放だな」
光の粒子が完全に霧散すると、そこには狩衣姿の威厳ある神ではなく、いつもの着古したパーカー姿の青年が立っていた。
「で、そのタイムアップが来ちゃったっつーことだ。だから、あとはヨロシク。 ――こっちにゃ、祓い士が贅沢にも二人もいるし、相当、削ってやったんだ。 新米でも二人掛かりならイケるだろ」
「当たり前じゃん! さっきのは油断というか、判断のミスがあっただけ! 次はイケる!」
隣で千景がフンッと鼻息荒く答える。
強がりにも聞こえるが、その瞳に宿る光は消えていない。
「……千景、ここじゃ死に帰り出来ないかんな、軽々しく死にそうになるなよ」
「……う、全部見てたの?」
千景の言葉に、オロチは「やれやれ」と呆れたように肩をすくめながら、視点を逸らす。
その視線の先には、腕を組んでこちらを見守るウコとサコがいた。
「わりぃな、ウコ、サコ。夕凪たちが世話になった。 随分と親身になって、鍛え上げてくれたみたいで助かったわ」
オロチが笑いながら礼を言うと、サコが嬉しそうに、けれど厳しさを残した表情で真っ先に返事をした。
「フフッ、オロチ、あたしらに借りが出来たわね。何してもらおっかな、フフフ」
「オロチ、教えるべきことは、ちゃんと教えておけ。こいつら知らない事が多すぎだったぞ」
二人は頼もしく腕を組みながら、師匠の顔で私たちを見ている。
「へいへい、感謝しておりますよ」
軽く手を挙げて応えると、オロチは真剣な眼差しでこちらに向き直った。
「オロチ、今のサヤはどういう状況?」
私の問いに、オロチはサヤの方を鋭く睨みつけながら答えた。
「ダメージは相当入ったはずだ。ただ、ヤツの核までは断ち切れなかった。 ――予想外の強さだったが、今のサヤならお前ら新人二人で十分行けるはずだ」
オロチは顎をしゃくり、私が握る邪滅槍を指差した。
「そいつは、全てを消し去る牙だ。 崇神に戻したいお前の気持ちは分かるが、アイツは無理だ。 ここは悪いが、神として、お前に命じるよ」
オロチの目つきが変わった。
それは友としての優しさではなく、荒ぶる神としての冷徹な眼差し。
「あの泥人形を、跡形もなく滅しろ。分かるな? もう迷う場面じゃない、夕凪」
――滅しろ。
その言葉は冷たく、重く、私の胸に響いた。
元に戻すのではない。
救うのでもない。
完全に、消滅させるということ。
でも、オロチの瞳の奥には、私を試すような、あるいは全ての希望を信じて委ねるような、強い光があった。
私は、掌に食い込むほど強く邪滅槍を握りしめる。
禍々しい赤黒い刃が、私の決意に応えるように明滅する。
触れるもの全てを破壊する、神殺しの槍。
その重さは、命を奪う責任の重さだ。
サヤを見る。
彼女は泥の中で、憎悪と虚無が入り混じった目でこちらを見ている。
私と同じ顔で。
私と同じ声を持つ存在。
「……行こう、千景」
「……うん」
千景が、割れた眼鏡を指で押し上げ、神楽刀を構える。
その横顔に迷いはない。
私も呼応するように、邪滅槍を一度ひと振りして、切っ先をサヤへと向けた。
決着をつける。
足に力を込め、地面を蹴ろうとした――。
その瞬間だった。
私の頭の芯に、バチンッ! と落雷の直撃を受けたかのような強烈な衝撃が走った。
痛みを感じる暇すらない。
思考が断裂し、視界のスイッチが切られたように世界が突然、真っ暗になった。




