第41話 龍哭く穂先
大気そのものが嘶くように軋み、腹の底に響くような威圧感を伴った「あの声」が、フィールド全体に轟いた。
『――貸せ、夕凪』
その声は、耳ではなく、骨に響いた。
低く、懐かしい重低音。
「……え?」
禊槍は、まるで意志を持った生き物のように脈打ち、私の掌を焼き焦がすほどの熱を放つ。
次の瞬間、私の手は弾かれ、そして槍は宙を舞った。
シュゴッ!
弾け飛んだ槍はくるくると回転し、禍々しく、荒々しい、赤黒い稲妻がバチバチと迸らせながら、描いた放物線の軌道のままに落下し、地に刺さった。
『……ヒーロー気取りってやつね。ムカつく……』
サヤは周辺に雷撃を走らせる槍を睨みながらもじりじりと後ずさりながら距離を取る。
彼女の展開していた「底」のフィールドは、槍を中心に侵食されるように軋み、悲鳴を上げている。
そして、声が響いた。
それは、かつてノゾミさんの記憶の中で聞いた、あの呪詛にも似た祝詞。
『――龍哭く穂先よ、禍つ神の座を断ち切り、滅し給へ』
ドォォォォンッ!!
落雷のような轟音とともに、黒い爆発が起きた。
爆風に煽られ、私は視界を遮られる。
舞い上がった土煙と火花の中で、影が揺らめいた。
誰かがガシッと片手で掴み取る。
煙が晴れていく。
そこに立っていたのは、見慣れた黒いパーカー姿ではなかった。
闇を纏ったような漆黒の狩衣。
肩には、赤い蛇の鱗を模した文様が妖しく光っている。
伸びた黒髪が荒れ狂う風に乱れ、その隙間から覗く瞳孔は鋭く縦に裂けていた。
その姿は、サヤの幻視で見たノゾミさんと戦っていた頃の姿そのものだった。
サヤの泥も、鉄の雨も、彼の周囲数メートルには近づくことすらできず、蒸発していく。
「……オロチ」
オロチは、ゆっくりとこちらを振り返った。
その顔は少しやつれて見えたけれど、口元にはいつもの、人を食ったようなニヒルな笑みが浮かんでいた。
「よう、夕凪。ずいぶん派手に追い込まれたんじゃねえか?
せっかくのノゾミと《《オソロ》》の装束が台無しだぞ?」
その軽口を聞いた瞬間、目頭が熱くなって、視界が滲んだ。
文句の一つも言いたかったのに、安堵で声にならない。
『……瀕死だったくせに、戻ってくるの早すぎ』
一片の感情の機微も掴みとれない表情のまま、サヤの声が響く。
オロチは邪滅槍を肩に担ぎ、サヤを見据えた。
「ああ。まだのんびりしてるつもりだったけどな。
てめぇに、プレゼント届けるの忘れてたからよ、急いで戻ってきたわ」
『……プレゼント?』
サヤの艶の褪せた瞳が細められる。
オロチの瞳が、剣呑な光を帯びて細められる。
彼は一歩、泥の上を踏みしめた。
それだけでサヤの支配下にあったはずのフィールド全体が、びりっと痺れたように震える。
「ウチのメガネの祓い士を殺しかけてくれたお礼だよ。 オマケ付きのプレゼントくれてやるから、覚悟しとけ」
「……殺しかけた?」
私は言葉の意味を理解できず、呟く。
次の瞬間、瓦礫の山が勢いよく弾け飛び、その中心に守護光を放つ、ウコとサコの姿、そして倒れている千景が見えた。
「たわわは、まだまだ半人前ねぇ」
サコが皮肉たっぷりな笑みを浮かべながら、千景を見下ろしている。
「うぅ……いっだぁ……」
千景がむくりと起き上がり、よろよろと這い出してきた。
頭から血を流し、眼鏡も割れているが、命に別状はないようだ。
「ち、千景!――大丈夫ッ!?」
私は慌てて駆け寄る。
その姿を横目で眺めていたオロチが槍を構える。
穂先から放たれる赤黒いオーラが、龍の形をとって鎌首をもたげた。
「――さあ、祟り神殺しの時間だ」
――ザシュッ!
足音だけを残してオロチの姿が消えた。
瞬きする間に、彼はもう、サヤの目の前にいた。
『ッ!?』
サヤが咄嗟に泥の防壁を展開する。
だが、オロチの槍は止まらない。
ズバシュッ!!
一閃。
鋼鉄のように硬かったはずの泥の壁が豆腐のように切り裂かれ、消し飛ぶ。
余波だけで、背後のジャンクションの柱に亀裂が走った。
『きゃぁっ!』
サヤが悲鳴を上げて吹き飛ばされる。
泥の体の一部が削ぎ落とされ、黒い霧となって霧散した。
「おいおい、まだ挨拶しただけだぜ?ちゃんとプレゼント受け取れよ、サヤ」
オロチは追撃の手を緩めない。
空中を蹴り、壁を走り、三次元的な軌道でサヤを追い詰めていく。
その戦い方は、以前見た時よりもさらに荒々しく、そして迷いがなかった。
「……すごい」
私は呆然と見上げることしかできなかった。
これが、本来のオロチの力。本気の喧嘩。
千景が顔を上げ、空中で交錯する二つの影を見る。 赤黒い雷光と、黒い泥がぶつかり合う光景。
「……あいつ、ホントに戻ってきたんだね」
「うん。……しかも、なんか前より強くなってる気がする」
オロチが槍を振るうたび、サヤの構成していた「ゴミの武器」が粉々に砕け散っていく。
鉄もコンクリートも、彼の前では紙屑同然で 圧倒的だった。
けれど。 私は気づいてしまった。
オロチの背中から、微かに光の粒が零れていることに。
『なんで……なんでよ!』
サヤが絶叫し、周囲の瓦礫を全て浮き上がらせる。
巨大な鉄塊の嵐が、オロチを包囲する。
『あんたは救われたくせに! 私の邪魔しないでよ!』
「救われた、か」
オロチは足を止め、迫りくる鉄の嵐を鼻で笑った。
「……勘違いすんな。そのまえに俺は足掻いた。
足掻いて足掻いて、そして受け入れた。
――苦しんだ先に意味を見つけた。
それが分からないお前は大バカ野郎だ」
オロチが槍を一閃させる。
赤い閃光が走り、鉄塊の嵐が一瞬で消滅した。
その一撃が届くか否かの刹那、オロチはすでに走り出し、稲妻が走るような軌道で、サヤとの間合いを詰め、邪滅槍を薙ぐ。
虚を突かれたサヤだったが、鼻先、紙一重で交わしながら水面を滑るように後退する。
「……纏鎖・八岐縛」
オロチが空いている左手を地に当て、技名を発する。
地がうねり、黒い水面を割るように現れた八本の蛇頭の鎖がサヤを追う。
オロチもまたその後を追うように走り出した。
『――っ!!』
サヤは軌道を左右に変えながら、八岐縛に対し、黒い水柱を水面下から顕現させて撃破しながら後退する。
『――次から次へとッ!!』
追撃するオロチの左手がまるで遠隔操作をするように、スッと動く。
次の瞬間、残り2つとなっていた八岐縛の一つが左から回り込むように、もう一つは水面下に沈んだ。
『しつこいわねっ!!』
サヤが振り払うように両手を交差するように払うと、水面から斜めの左右一対の水柱が八岐縛を仕留める。
「――チェックメイトだ」
オロチの声とともに、水面から残りの八岐縛が現れ、更に八本に分かれた。
『――チッ』
サヤは舌打ちとともに回避姿勢を取ろうとするも間に合わず、八岐縛はサヤの両手両足、胴体、首、絡みつき、彼女の動きを奪った。
「受け取れっ!!サヤァッ!!」
地を蹴り、邪滅槍を構えたオロチがサヤめがけて槍を振り下ろす。
――オロチがサヤを滅してしまう。
無意識に私は叫んでいた。
「オロチ!!やめてぇーーっ!!!」
その声は死闘を繰り広げる二人には到底届かないことは分かっていた。
次の瞬間、サヤの体は氷が解けるようにその輪郭を崩した――と思った刹那、不定形の肉体は瞬時に荊棘の檻へと変貌する。
しかし、オロチの振るう邪滅槍は、それすらも砕き、サヤに一撃を叩きこむ。
「――終わりだっ!」
バッシャァァァーーッ!!
巨大な水しぶきが立ち上り、視界を遮った。
その中央、オロチが地に足をつけた姿勢から、そっと立ち上がった。




