第39話 鉄と泥の弾丸
視界が、爆ぜた。
サヤの細い指先から放たれたのは、ただの水弾じゃなかった。
乾いた破裂音とともに、アスファルトを砕くような無数の礫が、私と千景を襲う。
「――ッ!!」
反応できたのは、時不知の庭での数千回の死に帰りがあったからだ。
私は反射的に禊槍を回転させ、目の前に光の盾を作る。
ガギギギギッ!!
槍の柄に伝わる衝撃は、水を受け止めた時のそれとは全く違っていた。
重く硬く、そして、痛い。
弾かれた礫が、足元のコンクリートをえぐり、火花を散らす。
「これ……鉄!?」
足元に転がったのは、錆びた鉄くずや、コンクリートの破片だった。
かつてこの場所が埋め立てられた時に混ぜ込まれた、建築廃材や不法投棄されたゴミ。
サヤは、この土地の「底」にあるもの全てを武器に変えている。
『痛いでしょ?』
黒い泥の上に立つサヤが、くすくすと笑う。
私と同じ顔。
私と同じ声。
なのに、その瞳だけが、底のない沼のように暗く濁っている。
『私が飲み込まされたもの、全部返してあげる』
サヤが腕を振るう。
泥の中から錆びついた鉄筋が何本も、まるで巨大な肋骨のように突き出し、私たちを囲い込むように襲い掛かってきた。
「させないっ!」
千景が叫ぶ。
彼女が振るう神楽鈴から、白銀の刃――神楽刀が伸びる。
キィィィンッ!
澄んだ音とともに、迫りくる鉄筋が両断される。
切断面が赤熱し、ジュッと雨に濡れる音がした。
「夕凪! ぼーっとしない!『 鏡』見てる場合じゃないよ!」
千景の背中が私の背中に、ドンッと当たる。
その温かさが私を現実に引き戻す。
そうだ。目の前にいるのは「もう一人の私」なんかじゃない。
止めなきゃいけない、悲しい神様だ。
「……分かってる!」
私は禊槍を構え直し、踏み込む。
泥の地面を蹴り、サヤとの距離を一気に詰める。
真正面から対峙すると、本当に鏡を見ているような錯覚に陥る。
泥にまみれ、怨嗟を吐くサヤ。
白い戦闘巫女装束を纏い、祈りを込める私。
もし、あの日森の奥で底に引き込まれていたらそちらに立っていたのは、私だったかもしれない。
「サヤ! もうやめて! こんなことしても、誰も喜ばない!」
叫びながら、私は槍を振るう。
襲い来る泥の触手を叩き落とし、サヤの懐へと潜り込む。
『喜ぶわよ!』
サヤの目が、至近距離で私を射抜く。
『――私が喜ぶもの』
ズオォォッ!
サヤの足元から、黒い泥の津波が噴き上がった。
近すぎた。
回避が間に合わない――そう思った瞬間。
「チリリリリリリッ!!」
けたたましい鈴の音が響き渡り、泥津波の動きが緩慢になる。
千景が私の襟首を掴み、強引に後ろへ引き倒した。
私の鼻先数センチを、泥の濁流が通り過ぎていく。その中には、鋭利なガラス片や釘が無数に混じっていた。
「……危なっ!!」
「ありがとっ、千景!」
「お礼は後っ!まだ来るよっ!!」
体勢を立て直す間もなく、追撃が来る。
今度は頭上から。
ジャンクションの梁に張り付いていた泥が、雨霰となって降り注ぐ。
「くっ……! キリがない!」
私は禊槍を頭上で旋回させ、千景は神楽刀で迎撃する。
けれど、サヤの攻撃は尽きることがない。
この一帯の地面すべてが、彼女の弾薬庫だ。
ゴミも、泥も、雨も、すべてが彼女の意のままに動く。
一方で、生身の私たちはジリジリと消耗していく。
呼吸が荒くなる。
雨を含んだ装束が重くなる。
――決定打がない。
「救う」ための戦いは、「倒す」ための戦いよりも何倍も難しい。
『弱いね、ゆうなちゃん』
サヤが、泥の波の上を滑るように近づいてくる。
その手には、黒く変色した泥が槍のような形に固められていた。
『救うとか、戻すとか。そんな甘いこと考えてるから、届かないのよ』
サヤが力任せに泥槍を投擲する。
――っ!!速い!
私は禊槍で受け止めるが、衝撃で手が痺れる。
『滅すればいいじゃない。 そんなので私に勝てると思ってるの?』
「……いやだっ!」
私は叫び返す。
弾かれた槍を握り直し、睨みつける。
「あんたを消して終わるくらいなら、私は祓い士なんてやめる!
一緒に帰るって決めたんだ! 光徳神社に!」
サヤの動きが、ぴたりと止まった。 虚を突かれたような顔。
けれど、次の瞬間、その顔は激しい怒りに歪んだ。
『……ふざけないで』
ゴゴゴゴゴ……。
ジャンクション全体が震え始める。
地面のアスファルトがひび割れ、そこからどす黒い水が噴き出す。
『帰る場所なんて、もうない! 私の場所はここだけ! この冷たくて暗い、ゴミ捨て場だけ! ここがお似合いなのよ、私には!』
サヤの絶叫とともに、地面が爆発した。
無数の鉄筋とコンクリート塊が、竜巻のように巻き上がる。
全方位からの飽和攻撃。
「夕凪! 固まってたら潰される! 走って!」
千景の声に弾かれ、私たちは左右に分かれる。
――しかし、その判断が裏目に出た。
『あなたは特に嫌い。――だから、逃がさない』
サヤの指先が、千景を追う。
鉄筋の束が、蛇のように千景の進路を塞ぐ。
「千景っ!!」
私が方向転換しようとした時、足元の泥が急に粘度を増し、足首を掴んだ。
――動けない。
「うそ、しまっ――」
千景の声が途中で途絶える。
ドォォォォンッ!
千景のいた場所へ瓦礫の雨が降り注ぐ。
土煙が舞い上がり、千景の姿が見えなくなる。
「千景ぇッ!!」
喉が裂けるほど叫んだ。
返事がない。
鈴の音も、聞こえない。
『まずは一人』
冷たい声が、すぐ耳元でした。
ゾクリとして振り向くと、いつの間にか目の前にサヤがいた。
私と同じ顔で、悲しそうに微笑んでいる。




