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鶴ヶ島崇神譚 ―祓い士 夕凪の覚醒―  作者: のら


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第38話 背中は預けた


 雨は、ここだけ音が違った。

 降り続く雨のせいで、あちこちの道路が冠水し、通行規制だらけだったが、この場所だけは永遠に変わらない場所に思えた。


 ジャンクションの下は、空が狭い。コンクリの梁と梁が重なって、巨大な獣の肋骨みたいに見える。関越と圏央道が交差するその中心で、車の走行音が絶え間なく頭上を削っていく。


 ゴォォォ……。

 大型トラックが通るたび、地面が微かに震えた。


「……前回は感じなかったけど、ホントにヤバいね」

 千景が、声を潜める。


 私も同じことを思ってた。


「うん、この前は分からなかった事が今は色々感じる……。でも、まだ二日しか経ってないんだよね。」


「ほんと、そう。もう何年も経った気がするよ」

 千景の顔が引き締まったのが分かった。


 私たちの前をテコテコと四つ足で歩いていたウコとサコが立ち止まり、湿地帯の方を睨む。


「おい、あっち、気付いたぞ」


「たわわ、気を引き締めなさい」


 彼らの毛並みがピリピリと静電気を帯びるように逆立っているのが分かった。


 ポニーテールの根元に挿した、金のかんざしが熱を持つ。

 じわ、と皮膚の上に薄い膜が張る感覚。

 守りの気配が広がり、同時に「これ以上近づくな」と警告してくる。


「夕凪……熱い?」


「うん。……来てる」


 私が言い終わる前に、雨音の中にもう一つ、やわらかい音が混ざった。


 ぱしゃ。


 水を踏む音。

 でも、私たちの足元じゃない。


 その瞬間、前回とは規模の違うフィールドが形成されていく。

 それは、元溜め池の周辺を越え、湿地帯を越え、駐車場を越え、関越と圏央道を更に超えて形成されていく。


「……絶対に逃がさないって感じだね。」

 私はまだ姿を見せないサヤを睨む。


「上等。――私たち、この前と違うってとこ見せてやろうよ」

 千景は布袋から神楽鈴をひとつ取り出す。


『……おかえり』


 声は、耳じゃなく頭の中に入ってくる。

 甘く、優しく、でも温度のない声。

 私は、槍を握った。


「サヤ、出てきて!」

 私が大声で叫ぶと、黒い水面がゆっくりと盛り上がり始めた。


 黒い泥をまとって、白い足が現れ、黒髪が肩に張り付いて、ゆっくりと顔が上がった。

 ――笑っている。

 笑顔なのに、目だけが怒っていた。


『……あとちょっとなの』


 サヤは両手を広げた。

 頭上では雨が降りしきり、高速道路の案内表示板が濡れたコンクリを照らす。

 足元はぬらぬらと黒い水が汚染し始めている。


『私の場所、なくなったの。埋められて、潰されて、上に道ができた』

 サヤの声が震える。怒りというより、悲しみで。


 それが逆に怖い。


『でもね、ゆうなちゃん。だったら全部を私の場所にしちゃえばよくない?ふふふ……』


 千景が神楽鈴を真横に一閃振ると白銀の刃が生まれ、雨粒を切った。


「……そんなことはさせない。」


 千景の言葉に、サヤの笑みがほんの一瞬、崩れた。


『不思議ね。この数日で何があったのか知らないけど、ゆうなちゃんも、千景の魂の形も、どうしてそこまでくっきりとしているのかしら』

 

 今の私には分かる。

 そういうサヤの魂がチリチリと揺れている。

 それは私たちが変化したことによる困惑なのか、忘れられた事への怒りなのか、私と千景への妬みなのかは分からない。


 でも、その心の隙を私は逃さない。


 私は、すうっと一息して、肚の決めた。


「サヤ。あなたを止める。……止めて、崇神に戻します」


『止める?』

 サヤが首を傾げる。


『止めるのは、このふざけた世界でしょ?』



 水面がぱちん、と弾けた。


「来るぞっ!!」

 ウコの叫びがフィールドに響いた。


 次の瞬間、私の視界が二重になる。

 溜め池跡の黒い水の上に、もう一つの景色が重なった。

 青い空。水面に揺れる日差し。

 子どもの笑い声。


 ――懐かしい、匂い。


「……っ」

 胸が締め付けられる。


 これは、サヤの『見せる世界』。


 情で崩す、あの攻撃。


 だけど、かんざしが熱い。

 熱が、私を現実へ引き戻す。


「何度も同じ手が効くと思うなっ!」


 私は踏み込んだ。


 槍先はサヤを薙ぎ払う――はずだった。


 槍が、途中でふらりと逸れた。

 まるで見えない手が柄を掴んで、引っ張ったみたいに。


「っ……!」


『かわいいね、その槍の気まぐれかな?』


 サヤの指が、ぴ、と小さく動いた。

 水面が、糸みたいに伸びて、私の槍に絡みついていた。

 水なのに、縄みたいに硬い。


「夕凪! 右!」

 千景が叫ぶ。


 バシュッ!


 反射で体を捻った瞬間、私の背中をかすめて、泥の槍が飛んだ。

 溜め池跡の底の泥が、石や鉄筋などを纏って、尖った矢のようになっていた。


 キイイーーンッ!


 私を射止め損ねた矢を、千景は神楽刀で一刀両断にする。

 刀と泥の矢に混じる鉄くずや石が交わり、甲高い音を響かせた。

 半身になっても勢いそのままに、矢は背後のフィールドの壁に突き刺さって、泥が石のように固まり、そしてみるみるうちに壁と同化した。


 一歩遅れたら、私の身体に刺さってた。


「……油断禁物!ここ、全方位、サヤのミサイル射出場だと思った方がいいよ!」

 千景が小声で、そして、低く言う。


 サヤの力は、水だけじゃない。この場所にある、あらゆるものを使ってくる。


『ここは、私の胃の中みたいな場所。飲み込んだもの、全部あるの』


 サヤが足を一歩踏み出しただけで、水面が波紋を作り、泥がうねった。

 鉄筋が。ずるりと引きずられるように浮き上がる。


「強めなのが来るわよ! あんたたちお互いに背中を任せ合いなさい!」

 サコが叫ぶ。


 ウコが舌打ちする気配がした。

「夕凪、千景、中心を見失うな!

 バカでかいフィールドでも本体は一カ所だ!迷うな!」


 ――中心。


 サヤの中心。


 この沼のどこかに、核がある。そこを祓わないと、ずっと増殖する。


 私と千景はお互いの背中を合わせ、構える。


 息を吸い、槍を握り直す。


「こういうときってさ……」


 千景が少しニヤッとしている。


「『……背中は預けたぞ、相棒!』って言うのが、マナーよね?」


「そうね……それ、かっこいいかも」


 私たちが息を吐き、力を込めると、フィールドの壁のあちこちが盛り上がり始めた。


 そしてそれは、数え切れない銃口となる。


「来るよ!」


 千景の声に私は答えた。


「背中は預けるよ、千景っ!!」


「あたしの背中もよろしく、夕凪っ!!」


 サヤの右腕が、すうっと持ち上がり、人差し指がこちらを向く。


 そして、サヤは呟いた。



『……バンッ』

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