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鶴ヶ島崇神譚 ―祓い士 夕凪の覚醒―  作者: のら


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第27話 そして事実を知るもの

次の瞬間、重さの感覚が消える。

 身体がふわりと浮いて、またドスンと落ちる。

 冷たく、ぬめった水底の感触じゃない。

 濡れたアスファルトと土の感触。


 日は暮れはじめ、降りしきる雨は次第に強さを増しつつあった。

 顔を上げると、雨に滲む圏央道と関越の外灯の灯りが見える。

 雨が皮膚を叩く。この痛みが、逆にありがたい。

 生きてるって、こういうことだ。


「……出られた……?」

 肩で息をしながら周りを見回すと、そこは確かに、自分たちの街だった。


 ただ一点だけ違うのは、あの湿地帯の周辺だけは深い闇に閉ざされ、その内側が、あの底の世界のままだということ。

 さっき私たちが飛び出してきたのは、どうやらフィールドの縁のぎりぎりの部分だったらしい。


「はぁ……はぁ……生きてる……」

 千景がその場にへたり込む。

 私も、足の力が抜けて尻もちをついた。

 膝が笑っている。心臓はまだ暴れまわっている。


「オロチ……」

 闇に覆われた湿地帯を見やる。

 私たちが出てきた穴はもう塞がっている。

 中で何が起きているのか、もう私には見えない。

 ただ、水と雷の音だけが、ときどき反響してくる。


「戻ってくるって……言ってたよね」

 私は湿地帯から目を離せなかった。

 目を逸らした瞬間、全部が終わってしまいそうで。


「う、うん。言ってた……」

 二人で並んで、座り込む。

 私の手には、まだ邪鎮が握られていた。

 オロチに返された、大切な槍。

 強く握りすぎて、手のひらに柄の目が食い込んでいる。

 握っていないと、心までほどけてしまいそうだった。

 柄が、かすかに震えている気がする。

 中の戦いの余波が、ここまで伝わってきているのかもしれない。


 そのとき、雨音の向こうで、バシャバシャと激しく水を蹴る音がした。

 反射的に肩が跳ねる。

 敵じゃないと分かってても、身体が先に怯える。

「夕凪、千景ちゃん!!」


 振り返ると、衣冠いかん姿の父、篤信が土砂降りの中、駆け寄ってきた。

 装束姿で全力疾走してくる時点で、事態の異様さを再確認できた。

 父の手には雨で滲む祝詞紙が握られていた。

 指先が紙に食い込んで、破れそうなのに、その力が解かれる様子はなかった。


「……え!? お父さん!どうしてっ!?」


 父が私の目の前で膝をつく。

 その表情は焦燥と安堵がない交ぜになった、初めて見る顔だった。


「夕凪、千景ちゃん、大丈夫か!? どこかケガとかしてないか?」


「うん、ちょっと擦りむいたくらいで……、ていうか、なんでここにいるの!?」


「父さん、これでも一応神職者だからな。オロチから、ざっくりと夕凪が今やってることは聞いてたよ。祓い士の仕事には、神職者である以上、親でも口は出せないけどな」


 父の口から出た唐突な告白に、正直面食らっていた。


「……え? お父さん、オロチ見えてたの?」


 気になることは他にあるはずなのに、そんな質問が私の口をついて出た。


「あぁ。子供のころからな。ただ、アイツ滅多に出て来ることはなかったが、最近になって、色々と話した」


 父は、雨に濡れた顔をぬぐいもせずに続けた。


「夕凪が一人前の祓い士になる為の神憑きでの実戦だから、手を出すつもりは無かった。

 ただ、あまりに不穏な風が吹いたもんで、見に来たら、とんでもないことになってて―― なんとか、あの黒い結界を解いて、お前たちを助けようとしたが……、俺の力では無理だった」



 降りしきる雨の中、父は疲れ切った顔をしていた。きっと必死に祝詞を奏上し続けていたんだろう。その手には雨に濡れた祝詞紙が強く握り締められていた。


「そっか……、試験だから、それまでは黙ってみてろって言われたんだね、オロチらしいや。――お父さん、ありがとう、心配してくれて。」


 娘に甘い父がよく今まで黙っていられたなと、逆に信用されていたみたいで、少し嬉しかった。


「でも、私なんか相手にもならなかったよ。

 ……今はまだオロチが一人でサヤと戦ってくれてる。多分、試験は不合格かもね」


 私は少しうつむいた。


「そうか。でも、無事でなによりだよ、夕凪、千景ちゃん。

 ――ここは危ない。すこし離れよう。そして、中で何があったのか教えてくれないか」


 私たちは駐車場の端っこ、雨宿り出来る木の下に退避した。

 街灯の下に入った途端、逆に闇が濃く見えた。

 明るい場所にいるのに、背中だけ寒い。


 私たちはサヤのフィールドの中で起きた事を父に話した。

 サヤの過去、ノゾミの過去、そしてオロチの過去。

 そして、今、サヤとオロチが本来の自分たちの姿となって、「未来」を賭けて戦っている事を。

 聞き終えた父の視線が湿地帯じゃなく、もっと遠い場所を見ていた。

 たぶん、雨の向こうじゃなくて、時間の向こうを。


「――ノゾミ……、そうか、彼女のパートナーはオロチだったのか」


 父は何か思いに耽るように言葉を吐いた。


「……お父さん、ノゾミさんの事知ってるの?」 


「あ、いや、語り継がれる大昔の話さ、父さんも有名な話として聞いたことがあるだけだよ。

 ――たしか明治時代の後半あたりって言ってたかな?

 神さまと行動を共にする神憑きの中でも別格の最強祓い士で、『ノゾミ』って女性がいたって。」


 一瞬、雨音だけになった。それは私の頭が追いついていない証拠の空白だった。


「……え? 明治時代?」


「オロチって何歳なの!?」

 時間って言葉が、急に現実味を持つ。

 きっと神さまの時間は、人のそれと違う――分かってるはずなのに。


「確かに、そこもだけど。そんな長い間、オロチはノゾミさんを失った痛みを抱え続けてたんだ……」


「そりゃ、勝手にノゾミさん像を語られたくないよね。」


 雨が外灯の光を細かく砕いて、視界がちらつく。

 しかし、闇の境界だけは、砕けないままそこにあった。


「神憑きの祓い士って、祓い士の中でもエリート中のエリートだし、任務も過酷なものばかりらしい。

 そんな中、ノゾミ、オロチ、ペアは史上最強コンビと謳われていたが、その最強と呼ばれる人ですら任務で命を落とした。

 神職界隈では、神すらも彼女の死を嘆いたと言われているよ。」


 私と千景は幻視だけど、ノゾミさんを見てる。

 確かに、あの立ち振る舞いは女性としても、人としても憧れる。


「まして、その死の原因の一部にオロチ自身が関わったとなれば、アイツの喪失感は計り知れないな。――アイツ、神様のくせに、やけに人間っぽいし。」


 父の言葉が終わった瞬間、雨音だけが強く聞こえた。

 湿地帯の闇から、ときどき遠雷が返ってくる。

 そのたび、槍の柄がかすかに震えていた。


 千景は濡れた前髪を乱暴に払って、父の顔をまじまじと見た。


「てか、夕凪のお父さんはなんで、そこまで詳しいんですか?」


 さっきまでの震えが少しだけ引いている。

 代わりに、いつもの調子が戻りかけていた。


「あ、あぁ、恥ずかしながら、私も君たちと同じくらいの頃は祓い士候補だった。

 器としての資格まではあったが、祓い士としての能力は足りなかったんだ。

 こんな実地試験なんてのすら受けられなかったよ。

 ――だから、私は座持ちと祓い士達の裏方として頑張ることにしたんだ」


 父の目は、ときどき湿地帯の闇に向いた。

 祈りの人の目じゃない。状況を測って、いつでも動ける人の目だった。


「一応、父さんの名誉の為にも言うが、祓い士になれること自体が凄すぎる事なんだ。――だからさ、夕凪。お前は父さんの誇りだ。だからこそ、今は命を大事にしてほしい」


 父は気まずそうに笑いながら、私に手を伸ばしかけて、途中で止めた。

 触れたら、今の私は崩れる。そう分かっているみたいに指先だけが宙で迷っていた。


「――そっか。まぁ、まだ祓い士の見習いだけどね」


 父の言った「命」という言葉が、変に重く腹に落ちた。

 さっきまで死にかけてたくせに、今さら現実が追いついてくる。


「えー?そうかな?オロチ、私たちのこと名前で呼んでくれたじゃん、あれって認めてくれたってことでしょ?」

 千景はすっと横に寄ってきて、肘で私をつついた。


「……えっ?私の事、名前で呼んだの??」

 記憶を辿っても、どこで呼ばれたか覚えていなかった。


「マジで言ってんの?さっき呼んでくれてたじゃん、聞き逃したの??」


「気が動転してたんだと思う。マジで呼ばれた記憶ない」


 ちょっとショック……、いや、かなりダメージ入った。

 ちゃんと聞きたかった、オロチが初めて私の名前を呼ぶところを。


「あーぁ、これ、アイツ戻ってきたら、JK巫女の名前なんぞ言ってないって、開き直られるヤツだ~」


「あー、想像つくわ、それー」


 私たちはオロチが言いそうな言葉、やりそうな態度を真似て少しだけ笑いあった。

 それくらいに私たちの日常にオロチはだんだんと当然の存在になりつつあった。

 今は早く帰ってきて、またいつもの日常に戻りたい。

 そう思っていた。


 フィールドでまた強い雷鳴が轟き、ここまで気配が届いていた。


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