第25話 守った未来
「見せるなって、言っただろうが……」
邪滅槍を持つオロチの拳は強く震えていた。
『いつだって人の傲慢さの犠牲になるのは、良心を持った者ね。そうでしょ?
私も、ノゾミも、誰かのために――』
黒く、暗く濁ったサヤの目が笑っているのか、泣いているのか――窺い知ることはできなかった。
『考え方によっては、やらなくても良かったのよ。でも、それを選んだ。
自分から? 周りの圧? 私はどうだったかな。もう覚えてないわ。でも、そうする必要が本当にあったのかどうか、ノゾミも彼女じゃなきゃダメな理由は――』
「もう、やめてよ!!」
私は無意識にサヤの言葉を遮っていた。
「ひどいよ、サヤちゃん。誰だって忘れたい思い出とか、しまっておきたい思い出なんてたくさんあるでしょ。オロチはそんな辛いことだって自分なりに乗り越えて、今も神様として、皆を見守っているのに……。なんで、そんな傷つけるようなことするの!」
「――!」
その言葉にオロチはノゾミの幻を見た気がした。
(……ふっ、そういう真っすぐな物言い。つくづくアイツそっくりなんだよ、お前)
「それに、その時の決断だって……重たい決断だって、誰かに対する想いがあったからこそなのに、その自分の想いすらも否定――」
サヤは少し笑いながら遮った。
『ゆうなちゃんには分からないのね。――無かったことにされるほうの痛みが』
「そ、それはっ――」
その言葉の続きは、心の中のどこを探しても出てこなかった。
『どんな記憶であっても、覚えていてほしいのよ。
分かる? 私の明日より、大切な人の明日を選んだ。例え、それが――」
「もういい、黙れ。貴様にもうそれ以上を語る資格も、必要もない」
オロチの怒りに呼応するかのように邪滅槍の龍頭の口から赤黒い霧が出始める。
「俺の過去に干渉するのも、過去を思い出させるのも、ムカつくで済ませられるが、ノゾミの想いを自分の考えで語るのは、もはや許せん。」
オロチの瞳孔がきつく絞られる。
「俺は、一番守りたかったものを守れなかった。
だがな、そうまでしてノゾミが守った未来と、そこに生きる者たちを守ることが、俺にできるノゾミへの餞なんだ。ノゾミはお前が語るような想いを持つ人間では断じてない!」
そう言うと、オロチは体を捩じらせ、舞うように槍を横薙ぎに振るった。
それはまるで、幻視で見たノゾミのように。
サヤが放った術、縛手の黒い水の手は、バラバラにちぎれ、霧散していく。
だが、一本だけが、予想もしなかった方向へ伸びていた。
『ふふっ、油断大敵だよ、オロチっ』
サヤはあざ笑う。
「――っ!」
私の首に黒い水が絡みつく。
「ゆ、夕凪ー!」
千景が叫ぶ。
「て、てめぇ、サヤ!!」
助けに行こうとするオロチの前に無数の縛手が行く手を阻む。
「――!! 離せ、この野郎!!」
それは薙げば、薙ぐほどに現れ、行く手を阻んだ。
『オロチ、あなたなんかどうでもいい。わたしはゆうなちゃんだけ貰えればそれでいい』
その表情に笑みは全くなかった。
「……っ」
(苦しい、まるで水の中に落ちたみたい。振りほどきたいのに、この手、掴めない)
意識が遠のきそうになる中、隣で千景が泣きながら、ゴソゴソと何かをしているのが見えた。
次の瞬間。
――ちりーん
千景が力いっぱいに神楽鈴の柄を私の首元の縛手に突き立てた。
すると、熱した鉄を水に差し込んだように、じゅっと沸騰するような音を立てて、黒い手はもだえ苦しむように、その手を広げながら、霧となった。
『――あ。なによ、あの子。ただのおまけだと思ってたのに』
その言葉の軽さと裏腹に、サヤの存在感は仄暗く渦巻いた。
それはどす黒い、私と千景の関係性への嫉妬と敵意に近い感情だった。
「げほっ、げほげほ……、あ、ありがとう、千景……」
息が止まりかけた体は重く、私は、その場で膝をついた。
「ふえぇえ……、なんとなく効くかなと思って、ダメ元でやってみて、よかったぁ」
千景はその場にへたり込んだ。
「う、うん。意外と神楽鈴って万能だね、オロチの言ってたとおりじゃん」
かろうじて、掠れた声が出せた。
縛手を薙ぎ尽くしたオロチが私の元へ寄り添い、私の手を取って立ち上がらせる。
「大丈夫か? 立てるか?」
「千景のおかげでなんとか……」
まだ少し足元がおぼつかなく、震えた。
「意外と機転効くんだよな、メガネっ娘。」
オロチがニヤッと笑いながら、千景に目線を送った。
「意外と、は余計だけど、ありがとう」
千景も恐怖でおぼつかないながら、少し笑った。
「――おい、千景、ソイツよろしくな。守ってやってくれ」
――え
今、名前呼んだ。
千景は驚いてオロチのことを二度見した。
そんな千景を意に介さず、オロチは手にしていた邪滅槍に一言、小さく呟いた。
「――槍よ、その力を納め給へ」
その言葉を聞き届けた邪滅槍は禍々しい光が解き、次第に邪鎮の白光色へと戻る。
「おい、これ返すわ」
オロチから手渡された禊槍は熱を帯びていた。
「こいつは、おまえが龍神に託されたもんだからな。いつまでも俺が持ってて良いもんじゃねえわ。――それに俺にはちょっと重い。」
そう言うとオロチは続けた。
「ちょっくら、アイツとケリつけてくるわ。んで、戦闘始まったら、ソイツでフィールドを破って、お前らは逃げろ。――槍に力は、もう入れてある。」
その言葉に私は、とてつもなくイヤな予感がして、オロチの腕を掴んだ。
「だめ、オロチ、ダメだよ。何かイヤな予感がする!
逃げようよ、ね? 一緒にいったん逃げよう」
私が掴んでいる手を一度見て、オロチは笑った。
「あー……そういうことか。」
オロチは天を見上げて目をつぶった。
「やっと分かったわ。なあ……夕凪、その言葉への返しはこうだ。」
初めて名前を呼んでくれたことにすら私は気付けないほど動揺していた。
「――退けねぇな」
私の手をそっと振りほどいて、サヤのほうへ向かう後ろ姿が一度止まった。
そして、背中越しにオロチの声が響いた。
「でも、俺はノゾミとは違う……。必ず戻る。絶対にだ。」
そう言うと、オロチはまた歩き出した。




