第22話 邪滅槍
「俺の過去に触れやがったな」
オロチの声は低く、震えていた。
怒りのせいだけじゃない。
長い時間、心の底でそっと凍らせていた記憶を、無理やり掘り起こされた痛みが混じっていた。
『これが、あなたの中の底。あなたの本質――』
「黙れ。もう、お前と話す気はない」
『そうやって、目を背けるのね――』
「黙れって言ってんだろうが!!」
オロチは禊槍の石突を地面に叩きつけた。
そして、オロチが短く禊槍に祝詞を唱えるのが、はっきりと聞こえた。
「龍哭く穂先よ、禍つ神の座を断ち切り滅し給へ」
次の瞬間、槍が変わる。
柄を覆っていた白布がはじけ飛び、
その下から黒鉄色に鈍く輝く柄が現れた。
穂先は禊槍の白光ではなく、どこか赤黒い燐光を帯びた、鋭い穂先を光らせる。
圧倒的な存在感に息をのんだ。
さっきまで「線を引き直す」ために握っていた槍とは、全くの別物の気配。
「オロチ、それ――」
「悪いな」
私の呼びかけにオロチは振り返りもせずに言った。
「ちゃんと線引きして、収まるべきところに収めてやりてぇと、さっきまでは思ってた。
――けどもう、我慢ならねぇ」
その横顔は、笑っていなかった。
でも、目だけは奇妙に澄んでいる。
「これは、ノゾミが振るった槍だ。祟りを鎮めるだけの槍じゃねぇ。
邪を滅するための槍、邪滅槍だ」
『滅する……よほど自分の過去をさらけ出されたのが気に入らなかったのね』
サヤが冷ややかに笑う。
『あの人は、その武器であなたに座を与えたんでしょう?
それなのに、あなたはその武器で座を奪うなんて言い出したら――』
「お前にノゾミを語る資格なんざねえよ」
オロチの言葉は静かだった。
静かなのに、ぞっとするほど冷たい。
「お前はもう引き直さない」
その一言で、空気が変わった。
禊ではなく、断罪の宣告だった。
「俺の神託として、俺がお前を滅する」
そう告げた瞬間、邪滅槍の穂先が赤黒い光を噴いた。
思わず一瞬、目をつぶった。
そして、開いた時には、もうオロチが地を蹴っていた。
人とは思えない速さで真正面から突撃していくオロチ。
オロチが蹴り上げる水面は波打ち、その飛沫が私たちにまで届いた。
サヤは、いくつもの黒き水の弾丸を放ちながら水面を滑る。
槍と弾丸が、ぶつかり合う。
間合いを詰めていくオロチの邪滅槍の一閃が、サヤの足元の水面を切り裂いた。
飛沫が刃となり、サヤを掠めながら闇の中に散り、黒い霧となって宙に舞う。
『痛いじゃない!』
サヤが笑った。
手のひらを上にしたサヤの指が天に向かって曲げられる。
それを合図のように、オロチの足元から先端が鋭く尖った水柱が噴き上がる。
「他人の痛みも知れよ!根暗女!」
オロチは水柱の側面を踏み台にしながら、高く跳び上がり、上段から槍を振り下ろした。
赤黒い光が弧を描き、サヤの肩を掠める。
「――チッ、すばしっこい奴め」
『あはは、救われたオロチが、私を滅する資格なんてあるのかしらね!』
水面を飛び石のように飛び跳ね、オロチとの距離を開けるサヤの着物に、じわりと黒い染みが広がった。
血ではない。
彼女の中に渦巻く呪いそのものが噴き出してくるかのようだった。
『怒り、呪い、暴虐。ふふ、私たちには、こっちの方がお似合いだと思わない?』
「うるせぇんだよ、陰キャ!! 俺はてめぇを滅せれば、それで満足だ」
着地したオロチは大股に足を開き、腰を落とす。
右手には邪滅槍。
左手は拳を握り、何かを呟いていた。
いつもの祝詞とは違う、それは呪詛の様に聞こえた。
「――毒牙・蛇咬」
オロチがその名を告げる。
次の瞬間、オロチは蛇が身を捩じらせて突き進むように、サヤの間合いへと一瞬で滑り込む。
『あはは、速いね!オロチ!』
瞬時にサヤは身を翻すが、オロチの速さに対応出来ていなかった。
――バクンッ
オロチの大きく開かれた口から見える牙がサヤの右手を食いちぎる。
『――っ痛ぁ!』
サヤはそう叫びながら、ひゅんひゅんと水面を飛びながらオロチから離れる。
オロチを睨むサヤの右腕は、二の腕から下をオロチに食いちぎられていた。
『いたーい!腕なくなっちゃった!オロチ酷いよ!そこまでする?普通』
大声で叫ぶサヤを、オロチが睨む。
食いちぎった腕は無造作に水面へと投げ捨てられた。
「痛ぇふりしてんじゃねぇよ。そんな感覚あるわけねぇだろうが、バカが」
『あー、ま、バレるよね。同類同士じゃ、あはは』
サヤは楽しんでいるように見えた。
長い間、一人ぼっちで上ばかり見ていたのが、今は同じ目線に誰かいる。
それがきっと楽しかったのかもしれない。
存在の消し合いだったとしても。
『こんなの何回食いちぎられても、別に痛くも痒くも――』
『!?』
サヤの右腕がぬるぬると水が形を成すようにうねるが、形が元に戻りきれない。
サヤの腕に黒い染みが広がり、ぼろぼろと形が崩れていた。
『――なにこれ、元に戻らない!』
「……蛇の毒と同じだ。食いちぎったとこは俺の呪いが回る。
――簡単には再生しねぇよ」
暗いフィールドで、オロチの顔は見えなかったが、その怒りに満ちた眼光は遠くからでも、はっきりと映った。
「ノゾミの記憶を掘り起こしたツケは、きっちり払わせてやるからな。容赦しねぇぞ」
二人の戦いが凄まじく、私も千景も金縛りにあったようにその場から動けなかった。
『あっそ。女の子をキズモノにしといて、その態度ムカつく。こっちも本気出すから』
オロチが再び腰を落とし始めるやいなや、サヤも両手を前に差し出し、名を告げた。
『――泥波・縛手』
オロチが蛇咬を発動する直前、彼の足元から、底の泥が湧き上がり、無数の黒い水が螺旋状に渦巻き、禍々しい空気を纏った黒い手となる。
「――チッ!」
その手を避けるようにオロチは飛び跳ねるが、縛手は執拗に追いかけてくる。
両手に邪滅槍を握り、落下スピードに任せて迫ってくる縛手を斬り伏せる。
オロチはサヤに背を向ける形で着地したのと同時に、向きを変える。
刹那、サヤの手がひらりと動く。
足元の水面から、黒く細い手が何本も無数に伸びた。
それはゆらゆらと形のない問いのように、オロチの体に絡みつき縛り付けた。
『そんなに怒らないで。私はただ知りたいだけなの。』
遥か先のサヤの声が響いた。
「最近のJK口調になったかと思ったら、今度はそれか。」
『どうして、私はここにいて、あなたは救われてるの?
なんで私は連れて行ってくれなかったの?
それって公平じゃないよね、オロチ』
「公平? 今さらそんなこと言い出すのかよ、お前」
オロチの声が荒くなる。
『オロチは暴れて、救われて。
――でも、最後、守れなかったじゃない。』
「おい……、やめろ。」
体を拘束されているオロチが何かを察したように暴れ出した。
「やめろ!――それは見せるな、おい!やめろっ!!!」
サヤは指先から黒い水を一滴、ふわっと浮かび上がらせると、指先でパチンと弾いた。
また視界が滲み、その奥から見たことのない景色が浮かび上がってきた。




