第21話 ノゾミ
「クソッタレが……」
オロチは唇を噛んだ。
禊槍を持つ手に力が入り、体を半歩下げる。
『ゆうなちゃんを、返して』
サヤの声が響く。
その声は深く沈みこむような重たさを持っていた。
「俺はこいつらの引率の先生なんだよ。はい、どうぞ。となるわけねぇだろ」
オロチはゆっくりと後ずさり、私と千景の前へ移動する。
オロチは打開策を考えているように見えた。
(このフィールド全体がサヤの意のままだ。
とはいえ、禊槍の半径一メートル以内にJKコンビを入れてしまえば、禊槍の守護の範囲。サヤも簡単には手出しはできまい。
――どうする。
禊槍の刃なら、このフィールドをこじ開けて、逃げることは出来る。
ただ、刻むための神通力をため込むタイムラグで反撃を喰らう可能性もある。
かといって、「アレ」だけはやりたくねぇ。
プランを幾つか考えたが、どれも欠点だらけだ。
俺ひとりなら、こんなヤツに負けねぇのに、守る戦いって結構しんどいな。
くそ……、どうすっかな。)
唐突にサヤがオロチを指差した。
『あなたの事も知ってるわ、オロチ』
サヤの小さな声が響く。
「そりゃ、嬉しくない告白だねぇ。残念だけど、彼女募集はしてねぇぞ」
『あなたも私と同じ――』
「――黙れよ」
サヤの言葉を遮るオロチの目は、今まで見たことがないほどに鋭かった。
「……空気が重い。押しつぶされそう」
千景が唾を飲む。
私も顔を上げて気付いた。さっきまでと明らかに密度が変わった。
「お前と同じなのは水に関わってるって点だけで、俺は崇神だ。
祟り側じゃねぇよ、一緒にすんな。」
『ふふ。でも、あなたの波紋の記憶は違うものを映しているわ』
サヤは笑う。
水面の上で、裸足が揺れる。
波紋が広がり、小さな水の輪が重なっていく。
『あなたと同じ。私も最初は「神さま」と呼ばれた。
でも、みんな忘れて。祠も壊されて、水すらも奪われた。
――残ったのは、底に沈む「何者でもなくなった、わたし」だけ』
「だから祟る。……そこまではよくある話だろ」
オロチは吐き捨てるように言った。
「お前の存在に気付いたからこそ、線の引き直しの為に、祓い士としてアイツは来たんだろ」
『出来なかったじゃない』
サヤはすうっと目を細めた。
『あなた自身も。――それから、あの祓い士も』
背筋に冷たいものが走るのを感じた。
出来なかった?
あの祓い士?
――サヤは何の話をしているの?
オロチの握る禊槍が、ぎりっと鳴った。
白い布が巻かれた柄が軋み、手の甲の血管が浮き上がる。
『……俺からの警告だ。それ以上、余計な話はするな』
オロチの声が低く、静かに響く。
『やめないわ。あなたと私は同じ水の神。
不思議ね、水の波紋を通じて見えるんだもの。
――あなたの中の後悔が』
同じ?
後悔?
――オロチの過去をサヤが見ている?
『――ノゾミ。
芯が強くて、優しくて、みんなの救い。
あなたのことも、ちゃんと救ったのに』
「……祟り神風情が、気安く、その名を呼ぶんじゃねえよ」
言葉の端に、初めて怒りよりも深いものが滲んでいた。
それは、喪失と悔恨で固まった何かのように。
私は息をのんだ。
オロチがこんな声を出すのを初めて聞いた。
『だって、見えるんだもの』
サヤの足元の水面がざわめきだす。
『あなたの中の、水の記憶。
――あの日のこと』
ぴちゃん。
水の輪が一つ、二つと重なる。
その中心から、黒い手がゆっくりと伸びてきた。
「ちっ……!」
オロチが槍で横に払う。
水が弾け、黒い手は霧散した。
――が、その霧は瞬く間に広がり、私たちを包んだ。
「……っ! ちょ、なにこれ!」
千景が叫ぶより早く、世界の輪郭が歪んだ。
視界が暗く滲み、誰かの声が流れ込んでくる。
『貴様ごときに俺を受け止められるか、祓い士!!』
『あなたを痛めつけてきた、そのすべてを受けとめて、あなたを救う!
オロチ! 私があなたの線をもう一度引き直します!!』
『ふん、やれるというなら見せてみろよ! おまえも一緒に沈めてやるよ!』
知らない声。
それと、ひどく荒れた、オロチの声がする。
滲む視界の先を、目を細めて覗こうとすると過去の景色が、ぱっと開いた。
◇◇◇
ひどい土砂降りの夜だった。
水が地面を叩き、泥が跳ね、川は溢れかえっていた。
田んぼも川も境目が分からないほど、ただひたすらに濁流がうねっていた。
その中に、黒い蛇がいた。
その巨躯をくねらせ、怒りのままに水を噴き上げている。
『もっと、流せ。
もっと全部、流れちまえよ、ハハハハハ』
それはオロチだった。
その姿は今の細身の青年の姿ではなかった。
怒りをそのまま増幅させたような、禍々しいまでの巨大な蛇神だった。
水は堤防を壊し、村々を飲み込み、家々の灯りを一つ、また一つと消していく。
その前に立ちはだかるように、一本の槍がつきたてられた。
『もうやめなさい、オロチ!』
雨の中で叫ぶのは、ずぶ濡れの祓い装束を纏った女。
濡れた前髪を祓いながら、龍頭のついた槍を片手に握り、対峙していた。
――ノゾミ。
さっき、サヤが言っていた名前。
何となく直感で、この祓い士の名前が「ノゾミ」だと分かった。
『やめるわけねぇだろ、祓い士。
散々ため込まされた分を返してやるよ、ありがたく受け取れ、人間様よぉ!」
蛇の目が笑う。
その尾が一振りされる度に、堤防が崩れる。
『あなたも、本心ではこんなことしたいなんて思ってなかったはず!』
『……は?うるせえよ』
槍の先端が、白い光を帯びていく。
禊槍だ。いや、私の禊槍と形が違う。もっと荒々しい形の槍――。
『何があったっていうの!!約束は明日だったはず!
明日、あなたとの線引きを決めて、光徳に座すって決めたじゃない!』
蛇は嘲笑う。
『座ぁ?
こんなとこ、もう座する価値すらねぇよ。
誰も感謝もしねぇ、誰も覚えてもいねぇ。』
大蛇は少し首をもたげ、ノゾミの顔を見下ろす。
『……終いにゃ、俺の大事なモノまで奪いやがった。
だったら、全部流して、まっさらにして――』
轟音。
水の柱が、ノゾミに襲い掛かる。
彼女は舞うように槍を振るい、線を重ねる。
一本、二本、三本。
白い線がまるで網のように重なり合い、水を受け止める。
それでも、刃となった水柱の欠片がノゾミをかすめる。
『オロチ。
それでも、私はあなたを見ているわ。
あなたの痛みも、想いも。
――違う?』
『……っ!』
蛇の動きが一瞬だけ止まる。
『怒りでも、呪いでもない。
「ここにいてくれて、ありがとう」っていう場所にするって――
二人で決めたじゃない』
その透き通るような声は、濁流の轟音の中でもまっすぐに通る。
ノゾミはすこし笑った。
血で濡れた口元には優しさがあった。
『だからさ、もう一回、線を引き直そうよ、オロチ』
次の瞬間、光が弾けた。
◇◇◇
「――っ!」
視界が戻るように、意識を引き戻した。
目の前にはサヤとオロチがいる。
サヤは変わらず黒い存在のまま佇み、一方で、オロチは肩で荒い息をしていた。
「今の――」
私の言葉が霧散する。その先が出なかった。
「俺の過去に触れやがったな」
オロチの声は低く、震えていた。
怒りのせいだけじゃない。
長い時間、心の底でそっと凍らせていた記憶を、無理やり掘り起こされた痛みが混じっていた。
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