第12話 つるゴンじゃない!? 巨大龍神の威圧と、オロチの無茶振り
雷電池は、今日も静かにそこにあった。
池の縁には、小さな社と説明板。
市民が一息つける東屋や子供たちが遊べる広場がある。
なんてことはない街中の公園だ。
だけど、何かが違う。私が知ってる雷電池公園とは違うどこかに来た印象。
土曜の昼間なら、誰かしら居てもいいのに誰もいない。
すぐ裏手は国道だから、行き交う車の音が聞こえてもいいのに、それすらもしない。
異次元
その言葉が一番しっくりときた。
水面には、薄曇りの空がぼんやり映り込んでいる。
空気の重さ。
水の匂いの濃さ。
足を一歩踏み出すごとに、胸の奥がきゅっとなるような圧迫感。
「……ここ、本当に雷電池?」
千景が神楽鈴を握りしめたまま、ぽそっと言う。
オロチは、池の縁まで歩いていくと、何のためらいもなく水際に立った。
そして、そのまま一歩、前に出た。
「ちょっと待って、沈む――」
叫びかけて、言葉がそこで止まる。
オロチは沈まなかった。
池の水面に、すっと足を乗せて、そのまま立っている。
水が波紋を広げるたびに、彼の足元に白い輪がいくつも浮かぶ。
「人間は真似すんなよ。沈むからな」
「真似できるかっ!」
オロチは水面の上で立ち止まり、右手をゆっくりと上げた。
掌を、空ではなく、水のほうに向ける。
小さく、低い声で、なにかを呟きはじめた。
祝詞とも違う。
けれど、確かに「ことば」だと分かる響き。
空気が震えた。
池の水面が、ざわ、と逆立つ。
さっきまで鏡みたいだった水面が、中央から盛り上がっていく。
「っ……」
私と千景は反射的に一歩後ずさった。
盛り上がった水が、幹のように太くなっていく。
それは大樹の幹みたいに、どんどん高く、太く。
周囲にそびえる木々と、ほとんど変わらない高さになったとき――。
それが、龍の姿になった。
水でできた龍、なんて生易しいものじゃない。
濡れた黒鱗が、ひとつひとつ光を反射している。
長い首。角。牙。金色の瞳。
その巨大な龍が、池の上からぐぐっと頭をもたげ、こちらを見下ろしてきた。
「……うわ」
千景が、心からの声を漏らす。
つるごん要素は、どこにもなかった。
強いて言えば、腹のあたりの模様が、ちょっとだけ親しみやすい丸みを帯びている気がしないでもないけど――それを口にしたら、命を縮めそうな威圧感だった。
『誰かと思えば――オロチか』
龍の声は、直接頭の中に響いてきた。
低く、雷鳴の残響みたいな声。
『引きこもりのお主が、ここに姿を現すとは。珍しいこともあるものだ』
「随分な言いようだな、御本家様よぅ」
オロチは肩をすくめる。
「こっちもこっちで忙しいの。色々とな」
『そうは見えぬが』
「マジで、ガチニート神様か」
思わず心の中でツッコむ。
そうは見えないけど、って本家様にまで言われる蛇神って、どうなの。
『して。今日は何用だ。
よほどの事がなければ、お主が顔を出すこともなかろう』
「おー、察しがいいね、さすが神様」
オロチは、池の縁のほうを振り返り、こちらを顎で指した。
「こいつ。光徳の娘で、祓い士候補」
龍神の視線が、ずるりと私に向いた。
縦に割れた瞳孔が、まっすぐ私を射抜く。
それだけで、膝が笑いそうになった。
「……っ」
喉がひゅっと細くなる。
龍神は私を一瞥した。
『オロチ』
雷鳴のような声が、再びオロチに向く。
『この街のどこかで、祟りかけの水神がいるな』
「さすが、御本家、御名答。ソイツに、うちのJK巫女がストーキングされててねぇ。
そろそろ、こっちも動かねえと、次は何してくるか分かんねぇ位には危機的かもな」
――ストーキング。
命に関わるストーキングって言葉のミスマッチ。
でも、実感としては妙にしっくり来た。
「でもさ、ご存じの通り、光徳には神具がないわけよ。
だから、御本家様。例のアレ、貸してもらえねえかな、って」
『アレ』
龍神の目が、わずかに細くなる。
『邪鎮の禊槍か』
「そうそう、それそれ」
オロチはあっさり頷いた。
「今、誰も使ってねえだろ?
今の鶴ヶ島には祓い士いねぇんだし」
『……オロチよ』
龍神は、ゆっくりと首を傾けた。
『こやつは、窓となり得る器か?』
「んー、まあ。俺の見立てじゃ、間違いねえ」
オロチはあくびをかみ殺しながら言った。
「少なくとも、『線』に触れる手と、『境い目』を怖がりすぎない頭は持ってる」
『ならば――』
雷電池の水面が、静かに揺れた。
『試しに応えさせろ』
雷電池の上の空気が一気に冷気を帯びて張り詰めた。
「……やっぱそう来るよな」
そう呟いたオロチが、こちらを振り返った。
「な、予想通りだろ? JK巫女」
「予想通り過ぎて、笑えないんだけど」
『オロチ』
龍神の金色の瞳が、今度は蛇神を射抜く。
『己はどうする』
「俺? うーん……」
オロチはわざとらしく腕を組む。
「手は出さねえよ。言葉だけなら、まあ、ちょっとは」
『ならばよい』
龍神は、わずかに頷いた。
『それと』
金色の視線が、今度は千景のほうへと流れた。
『そこのメガネの娘。既に開眼しておるな』
「え、あ、はいっ!? えっと、えっと、藤金千景です!」
千景がガタガタっと一歩前に出て、変な敬礼をする。
『名はよい。光徳の娘の傍らに立つ者として、鈴を持つことを赦す』
「……開眼済みオカ研、正式認定ってこと?」
「よかったな、メガネっ娘。サポートロール確定だ」
「やった、支援職だ!」
「ゲーム感覚やめろ」
そんなやり取りをしているうちに、逃げ遅れた気分になってきた。
龍神の視線が、再び私に戻る。
『光徳の娘』
一語一語が、胸の奥に重く染み込んでくる。
「……光徳神社、三ツ木夕凪です」
膝が震えないように気をつけながら、一歩前に出る。
大幣を両手で握り、背筋を伸ばした。
「龍神様の禊槍を、お借りしたくて、参りました。
どうか――よろしくお願いします」
できるだけちゃんとした言葉を選んだつもりだったけれど、声が上ずってしまう。
龍神は、長い瞬き一つ分だけ沈黙した。
『禊槍を持つに足る魂か――しかと、試させてもらう』
その言葉が合図になった。
雷電池が、ぐらりと揺れた。
「来るぞ!油断は一切禁止!集中しろ」
オロチの檄が飛んだ。




