第十四章 大政奉還前夜
一 二条城の夜
慶応三年十月。二条城の奥深く。
燭台の火が揺れる中、徳川慶喜は机に向かい、書状の山を前に沈黙していた。
慶喜(独白)
「血で抗えば、異国が介入する。
策で逃げれば、徳川の威は地に堕ちる。
我が一挙一動が、この国の行方を決するのだ」
廊下の向こうから密やかな声が響く。
家臣A「薩摩がまた浪士を京に入れております」
家臣B「長州も動きが活発に……戦の口火を切る気やもしれませぬ」
慶喜は目を閉じ、扇を握りしめた。
⸻
二 土佐藩の建白
その夜、山内容堂(土佐藩主)が二条城を訪れた。
容堂「将軍、いまこそ大政を奉還されよ」
広間に沈黙が落ちる。
幕臣たちは一斉に色を失い、声を荒げた。
老中「馬鹿な! 政権を返すなど徳川三百年の威信を自ら捨てる行為!」
別の老中「この期に及んで降るは敗北にほかならぬ!」
容堂は盃を置き、静かに告げた。
容堂「血を流して帝を汚せば、異国の軍艦は京に押し寄せましょう。
幕府が政を返すは、恥ではなく大義。
それこそ徳川が天下に示す最後の務めでございます」
⸻
三 影の周旋
その建白の裏には、勝海舟の書状があった。
勝「戦を避けねば外国の餌食。
血を避けねば国は守れぬ。
その策はただ一つ――政権を返すことにございます」
筆跡は力強く、迷いはなかった。
この意見を土佐に伝え、容堂の口から奏上させたのが坂本龍馬であった。
龍馬(影の声)
「大政奉還……わしの考えじゃない。
けんど、海舟先生が描いた道を土佐が奏上する。
わしはただ、間を取り持っただけぜよ」
龍馬の声は、どこまでも伝令役に徹していた。
⸻
四 薩摩・長州の圧力
同じ京の片隅。薩摩藩邸では、大久保利通と西郷吉之助が囁き合う。
大久保「慶喜が動かねば、討幕の密勅を得るのみ」
西郷「大政を返しても、討つ口実はいくらでも作れる。
じゃっどん、帝の御前で血を流させぬは、むしろ徳川のためになるかもしれん」
大久保「……薩長が勝つためには、慶喜の決断すら利用すべきか」
西郷は黙して杯を干した。
⸻
五 欧州の影
その頃、横浜ではフランス公使ロッシュが幕臣に囁いていた。
ロッシュ「慶喜公、フランスは幕府を支援する用意がある。近代軍制を整えれば、長州ごとき恐るるに足らず」
一方、英国公使パークスは薩摩藩士と杯を交わしていた。
パークス「幕府はもはや老いた獅子。未来は薩摩と長州にあり。
英国は君らを支持しよう」
京の空気は、まるで欧州の戦場のように張り詰めていた。
⸻
六 孤独な将軍
二条城奥、慶喜は再び独りになった。
机の上には土佐の建白、勝の書状、諸藩の報せが散乱している。
慶喜(独白)
「徳川を守るか、日本を守るか……。
この手で血を避けねば、国は異国に呑まれる。
だが政を返せば、徳川は潰える……」
蝋燭の火が揺れる。
その影は、将軍の顔を苦悩と決意の狭間に浮かび上がらせた。
⸻
✍ 補足(史実)
•土佐藩建白(1867):山内容堂が「大政奉還」を建言。背景には勝海舟の策があり、坂本龍馬はその周旋役。
•勝海舟:第一部同様、「血を避けよ」「策で国を守れ」と一貫して慶喜に影響を与えた。
•坂本龍馬:英雄化ではなく、あくまで「伝達役」「伝令役」として登場。
•外国勢:フランスは幕府、英国は薩長を支援。日本は大国の思惑の板挟みに置かれていた。
•二条城:慶喜が江戸ではなく京を拠点とし、ここで大政奉還を決断することになる。