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風邪の症状=頭痛・悪寒 時々わがまま

作者: ホチ

 天気予報を見なかったのが仇となった。春はどこに行ってしまったのか、今朝の真冬のような冷え込みによって僕は目を覚ました。

 悪寒はあった。しかし今日は週末、今日一日さえ乗り切れば。と気合いを入れて出社したものの、まさか一日でこれほど悪化するとは想定外だった。昼食後の風邪薬の効果も虚しく、昼を過ぎた頃には僕の頭の中は鐘が打ち鳴らされっぱなしだった。

 「樋山君、顔色悪いけどあなた大丈夫?」

 心配そうに僕のデスクに顔を覗かせたのは、職場で僕の二年先輩にあたる及川さんだった。男性陣の間ではお堅くおっかないと評判だが、優しいしところもあるし細かいところにも気を回してくれる頼れる先輩だ。

 「ちょっと頭痛がするだけで大したことはありません。一応薬も飲みましたし仕事に支障はないと思います」

 支障大有りだが頭痛がするので早退したいとも言えない時期だ。

 「無理はしたら駄目よ。本当に厳しくなったら言って?みんなに迷惑かかるだけだから」

 「そうさせてもらいます」

 僕の返事に多少の不満を見せながらも及川さんは自分のデスクへ戻っていった。

 

 

 体調が悪いせいもあって仕事が思うようにはかどらず押してしまった。残業が死ぬほど堪える。症状が悪化していることは明白だった。

 それでもやりきった自分を褒めてやりたい。週末はしっかり自分を休ませてあげよう。

 帰ってからの段取りを痛む頭でぼんやりと考えながら退社の準備をしていると、「樋山君?」と自分が声をかけられていることに気づいた。

 「あっすみません。ぼんやりしていました」

 「何度も声かけたんだから」

 僕の後ろにいた声の主は及川さんだった。

 「申し訳ないです……」

 「いいわよ。それより樋山君も今帰り?」

 「はい、あとはタイムカード押すだけです。及川さんも残業ですか?」

 「そんなところね」

 「お疲れさまです」

 「それよりも樋山君、一杯どう?」

 及川さんはジョッキを傾ける仕草をとった。

 「すみません、今日はちょっと」

 こんな状態で酒なんて、自殺行為だ。

 「やっぱり」

 「え?」

 僕の断り方がまずかったのだろうか、及川さんは途端にしかめっ面に変貌した。

 「樋山君、あなた身体壊しているでしょう。昼も嘘を付いたわね?」

 「どうしてそう断言ができるんですか……?」

 「私はどうなのかと訊いているの」

 「……正直最悪です」

 「やっぱり。言わなきゃ駄目じゃない」

 「すみません。ですけど、なんで断言できるくらいわかるんですか?」

 「気になる?」

 「もちろん気になりますよ」

 端から見てもはっきりとわかるような仕事の仕方だったのだろうか。だとしたら最悪だ。課長はこういうことにうるさい人だから評価を下げられたかもしれない。

 「断ったからよ」

 「え?仕事はこなしてましたよね?」

 「これよ」及川さんは先ほどのジョッキを傾ける仕草を再度した。「樋山君、あなた誰かが飲みに誘ったら必ず参加するでしょ。だから私の誘いを断った時点で確信したの」

 及川さんは一人納得顔をしていた。

 「そんな。もしかしたらデートかもしれないじゃないですか」

 「それはないわ」

 全くその通りだが、こうもバッサリ切られてしまうと悔しいし悲しい。

 「さっきから断定ばかり。どうして言い切れるんですか」

 僕のささやかな攻撃に及川さんは困ったような笑みを浮かべた。

 「あなたいつもお酒の席で自分で連呼してるでしょう、彼女欲しいです~って。まさか忘れたとは言わせないわよ。それとも記憶にないのかしら」

 グゥの音も出やしない。

 「降参です。その通りですよ、デートなんてありえません」

 「素直が一番よ。それよりもごめんなさい。立ち話させちゃってつらいわよね?早く帰りましょう」

 正直その言葉を待っていた。


 及川さんと会社を出れば、外は今朝同様かなり冷え込んでいた。駅と会社までの距離は約五百メートル。この道のりがどうやら本日最後の勝負らしい。

 と思ったら違った。

 及川さんが道で手を挙げタクシーを拾うことに成功していた。

 「さ、乗りなさい」

 「いや、そこまでしなくても大丈夫ですから」

 「何言ってるの。こじらせてでもしたらあなたどうするつもり?」

 あまりの正論に言い返せるはずもなかった。これは僕が悪い。

 「私も乗ってあげるから」

 ――え?

 「何驚いた顔してるの、当然じゃない。車内でダウンされたら私の後味が悪いでしょ」釘を刺すように及川さんは続けた。「いい?変な期待なんて絶対にしないこと。あなたの身体は相当弱ってるから襲ってきても私が勝つからね」

 う~む。そう言われると逆に燃えてしてしまうのだが……。やめよう。とにかく今は一刻も早く布団に入って眠りたい。煩悩を取り払ってでも及川さんに付き添ってもらうのがベストだ。

 「それではもしもの時はよろしくお願いします」

 「こちらこそお願いするわ。もしもには頼むからならないでね」

 「善処します」

 タクシー独特のにおいに鼻が慣れたころには腰を下ろした安心感なのか、それとも隣に及川さんが座っているからなのか体調の悪さは少しであるが和らぎ、運転手への指示に煩うことはなかった。

 

 「うちに寄っていきませんか」

 あと数分で家に到着するというところで僕は意を決して口を開いた。なに、失敗しても全て風邪でどうかしていたと言い訳をすればいいだけだ。

 「だから乗るときも言ったじゃない。付き添うだけだって」

 及川さんの言葉の端には多少のあきれが混じっていた。

 「確かに言いました。だけどどこまで付き添うかは言ってません。恐らくですけど僕、家に着いたら玄関で倒れ込んでさらに悪化させる可能性大ですよ」

 「なに得意げに言ってるのよ」

 「だからお願いします、僕を看病してください」

 「わかった。樋山君って馬鹿なんでしょ?」

 「馬鹿じゃありません、風邪引きましたから」

 「それならアホね」

 「そうかもしれません」

 「……降参。だから樋山君、そんな目で見るのはよして。風邪のせいか知らないけど男の潤んだ瞳は気持ち悪いわ」

 「ってことは」

 「早く精算して降りなさい。まさかタクシー代を私持ちにさせるつもり?」

 「めっそうもない」

 僕は慌ててスーツの内ポケットから財布を取り出し、千円札を三枚抜き出した。

 

 「まぁ良しとしましょう」

 今日ほどマメに掃除をするタイプで良かったと思ったことはない。部屋は及川採点で及第点を頂けたようだ。しかし部屋にまで招いたのはむしろ失敗だったのかもしれない。緊張でさらに体調を悪化させてしまいそうだ。

 「お茶出しますね」

 「何言ってるのっ。樋山君は病人なのよ?早く汗拭いて着替えちゃいなさい。その間に何か食べるもの作っておいてあげるから」

 「及川さん料理できるんですか」

 後悔先に立たず。言い方をまずったと思うときは当たり前だがいつも言った後だ。今回も非常にまずいと口から発した後に後悔した。

 「ふ~ん、樋山君の私に対するイメージってそういうものだったんだ」

 「違いますっ。というかスミマセン!「料理も」って言おうとしたんです、ホントです。及川さんは仕事だけでなく家庭的でもあるんだな~って感心したんです信じてくださいお願いします」

 「樋山君慌てすぎ。大丈夫よ気にしてないから」

 ――果たしてそうだろうか。あの顔は冗談にしては笑えないぞ。

 「とにかく早く着替えてきなさいってば。そうじゃないと本当に怒るわよ?」

 看病というものだからてっきり体を拭いてくれたりするのかと淡い期待をしたが甘かった。と僕はユニットバスの中でひとり黙々と身体の汗を拭いていた。途中、突然及川さんがここに入ってくるという妄想もしたが、そんな嬉し恥ずかしイベントは起きるはずもなく、何もないまま僕の着替えは完了してしまった。

 風呂場から戻ると及川さんが渋い表情で冷蔵庫とにらめっこをしてい最中だった。

 「どうかしました?」

 僕の声に渋い顔そのままで及川さんはこちらを向いた。

 「どうもこうも酷すぎるわよ。部屋片づいているのは良いけど冷蔵庫まで綺麗に片づけてどうするの?食材の買い置きがまったくないじゃない」

 「ちょっと待ってくださいっ。これには言い訳をさせてください」及川さんは目だけで僕に許可をくれた。「今日は週末ですよね、なら買い物は普通だったら明日の休みにしますよね?ようするに僕は休みの日に一週間分の食材を買って使いきるタイプなんですよ」

 「なるほど、樋山君の性格からするば納得できなくもないわ。だけどそれなら今日の分はどうするつもりだったの?何もないじゃない」

 「飲みに行くつもりだったので・・・」

 「なるほどね……樋山君はもしもの時をまったく考えない生活をしているのね、危険だわ。現に今日は体調崩して飲みにも行けなかったし、治らなかったら明日買い物に行くことも出来ないじゃない。どうするつもりなの?」

 「何も言い返せませんよ……」

 体調崩して今もしんどいのにお説教ってなんだこれ?仕事中でもないのだからプライベートのことはほっといてくれ。と無性に腹が立ってきたとき、不意打ちに及川さんが弱々しい女の子の顔に変わった。

 「ごめんなさい、またやっちゃったわ。なんで私は相手を言い負かそうとするのかしら。自分が嫌になる……」

 及川さんのオドオドした姿、なんて貴重なんだ。と不謹慎な考えが頭に浮かんだ。

 「もしもの準備をしてないのはその通りなんだからしょうがないですよ。むしろ僕が反省しなくちゃいけないです」

 「違うの、言い方があるでしょ?私っていつもいつもきつく言ってしまって……」

 「ストップです」僕は及川さんを止めた。「ネガティブになる反省会は後にしましょう。それよりこの匂い、さっきから気になってたんですけどお粥ですか?」

 優しい匂いが胃袋をくすぐっている。どうやら食欲はあるみたいだ。

 「そうだった、焦げちゃうっ」

 コンロの前に立つ及川さんの後ろに回りのぞき込むと、鍋の中には湯気を立てた美味しそうなお粥ができていた。

 「よく僕が着替えていた短時間で作れましたね」

 「まぁ簡単だしね。お米はかろうじて残っていたし」

 「今度からはいろいろ買いだめしておきます」

 「あ、違うからね!今のは嫌みとかじゃないからっ!」

 「わかってますよ。及川さん良い人ですから」

 「……何よ、馬鹿にしちゃってさ」

 「とにかくお粥食べたいです、そんでもって寝たいです」

 「そうだったわね。早く食べちゃわないと」

 及川さんは僕から普段使う食器を確認し、いそいそとお粥をよそい始めた。「良かった……焦げてない……」というのは恐らく独り言だろうから流したが、無性に可愛くらしかった。強い女性のイメージが強かったが、なかなか可愛らしい部分もあるじゃないですか。

 「あ、美味い。及川さん料理上手いんですね」

 「ただのお粥だからその褒め方はあんまり嬉しくないわね」

 「そんなことないですよ。水っぽさや塩加減、お粥にだって色々ありますよ。これはどれも絶妙ですよ」

 「そこまで言ってくれるなら信じるわ。ありがとう」

 「及川さんは食べないんですか?」

 「私はいいわ。味は落ちるとかもしれないけど余りは明日の朝にでも食べてちょうだい」

 「助かります。……あの、あまり見ないでくれます?」

 折りたたみ式のちゃぶ台越しに僕の食べているところをずっと見られるのは変な感じだ。食べづらい。

 「そう?私は楽しいけど」

 「からかわないでくださいよ」

 「別にからかってないわよ。樋山君って食べ方綺麗だから……って急にぎこちなくなったわよ?」

 「だってそんなところ褒められたの初めてですよ?むずがゆいです」

 「あら本当?今までの子は見る目なかったのね」

 「今までの子って、そんな経験ないですってば」

 「えっ、じゃあゼロなの?」

 「そういうわけじゃないですけど……」

 「確かにさっきの食器棚にも気配がまったくなかったわね」

 納得だと及川さんは頷いた。

 「その通りですけど、そういうのってわかるんもんなんですか?」

 「樋山君、女を甘く見ちゃダメよ。僅かな痕跡だって見逃さない生き物なんだから」

 「はぁ……、気をつけます。機会があればの話ですけど」

 「あら、今日だって本当は危険なのよ?事情が事情だけど私が家に上がっちゃったわけだし嗅ぎつかれちゃうかもよ?」

 及川さんはケラケラ笑う。

 「安心してください。そんな予定はしばらくなさそうですから。実際この家に入った異性も及川さんが初めてです」

 「あら、光栄ね」

 とても余裕のある返事をされてしまった。もう少し動揺してくれてもいいのではという思いは自意識過剰なのか。

 僕が黙々と食事をし始めたのを見て、及川さんは腰を上げた。

 「あ、帰りますか?」

 「ちょっと必要なもの買ってくるわ。近くにコンビニある?」

 「ありますよ」

 道を教えながらも僕の脳裏では「お泊まりの用意か?」という期待が駆け巡った。もしかしてもしかするのか?風邪は移らないだろうか?と。我ながら阿呆としか言えない。

 「それじゃあ風邪に効きそうなもの買ってくるわね。樋山君は薬飲んで横になってなきゃだめよ」

 「すみません、何から何まで」

 「いいわよ。鍵、借りていくわね」

 わかってました。そういう買い出しに決まってますよね。

 と思いつつも「もしかしたら」という期待を胸に秘めながら僕は薬を飲んで布団に潜り込んだ。……一応シーツを整えてから。

 一日中体調が悪く、すでに体力は限界だった。おまけに食事をして薬を飲みすぐに寝床に入る。これで眠りに就かなければ嘘というものだ。例に漏れずもちろん僕も深い深い眠りについてしまった。――及川さんが帰ってくる前に。


 翌朝、寝汗でシャツはぐっしょりだったが僕の気分は非常に爽快だった。どうやら風邪は治ってしまったらしい。一日で治るとは我ながら自身の回復力に感心する。

 及川さんと何もなかったことについては悔やむ点も多いが、あの状態では結局何もできなかっただろうと自分に言い聞かせた。布団から上半身を起こすと枕のそばには買い物袋が置かれていた。ガサガサと中を見ると冷えピタからゼリー、栄養ドリンク、etc。風邪に効きそうなものがドッサリと入っていた。

 「すみません及川さん、治っちゃいましたよ……」

 天井に向かって僕は謝罪をした。

 そういえば戸締まりはどうなっているのかと玄関に向かうと施錠はきちんとされており、ドアには置き書きが張ってあった。

 「風邪に効きそうなものとりあえず買っておきました。食材はさずがコンビニ、ろくなものが無かったから買いませんでした。自分で治ったら買い物に出かけてください。あと、鍵は新聞受けに入れてあります。週明けに元気な姿で会いましょう」

 ありがたさと申し訳なさが溢れた。僕のワガママで付いてきてもらってうえにここまでさせてしまうとは。変な下心を見せなくて本当に良かった……。

 だけどやっぱり惜しいことをしたのかなぁと思いながらメモをドアから剥がすと、裏にも書き置きがあった。大きく「バーカ!」と。

 混乱したまますぐに携帯を開いた。十一時?結構寝たのだなと片隅でそんなことを思いながら及川さんに電話をかけた。この時間なら迷惑にはならないはずだ。

 「もしもし?」

 六コール目、及川さんに電話は繋がった。テンションが低いことに僕は軽く怯える。

 「樋山です。昨日はありがとうございました。それと寝てしまいすみませんでした」

 「いいのよ、私が寝てなさいって言ったんだから。それで身体の具合は大丈夫なの?」

 「はい、今さっき目が覚めたんですがどうやら治ったみたいです」

 「良かったじゃない、だけど私が買ってきたもの無駄になっちゃったみたいね」

 「いえいえ、すごく助かりますよ。今日はゆっくり寝るつもりなんで重宝します」

 「それなら良いんだけど……それとさ、話は変わるんだけどメモ見た?」

 来た。思わず身構える。

 「はい、鍵ありがとうございました」

 「裏も見た?」

 「はい……。すみませんでした!やっぱりすごい迷惑かけちゃいましたよね。変なわがまま言ってすみませんでした!」

 「そういうのじゃないわよ。私だって自分で納得して付き添ったのだから。でさ……私が帰って来たことなんにも覚えてないのね?」

 「すみません。布団に入ってからの記憶はないんです」

 「全然?」

 「はい。きれいさっぱり」

 そこで及川さんはため息をついた。

 「やっぱり書き置きの通りよ。バカ」

 「えっ!、僕何かやらかしましたか?」

 「知らないわ。それじゃあ切るから。会社には必ず完治させて来ること、いいわね」

 「ちょっと待ってください!お願いです、教えてください!」

 「女に言わせるなんて最低よ?」

 そこで電話は切れてしまった。

 何だその意味深な発言は!?気にしないなんて不可能じゃないか。僕が寝てから何かあったのか!?記憶はないけど僕は目を覚ましたのか!?

 なんでもいい、何か思い出せないのか――?記憶を必死に振り絞っている間、なぜか僕の左頬はずっとムズムズしていた。

読んでくださりありがとうございました。

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