貴方の代わりならいくらでもいるもの
「アンネ・トラヴァーク伯爵令嬢! 君は僕の婚約者でありながらこの薄暗い研究室に引きこもり、日々怪しげな研究に勤しんでいると伺っている!」
ここに来る前から用意していた文句を声高に叫びながらウォーレンは婚約者を見据えた。
しかし目の前の女性はなんらかの研究に没頭しているのか、緑色の液体が入ったビーカーをワインのスワリングのように手でくるくると回すだけでこちらを見ようとすらしない。
そのことがたまらなく腹が立つし、なにより――恐ろしい。
「き、聞いているのか!? まあいい、君のような女性はこの僕にふさわしくない! よってこちらのメイベル・ドミナン男爵令嬢と――」
そこまで言って初めてアンネのまるで底冷えするかのような鋭い瞳が向けられる。
「ひっ!」
「……どうしたの? 続きを」
「う、うるさい!」
瞳と同じく温度を感じさせない声音に一瞬たじろぐウォーレンだが、勇気を振り絞りなんとか当初の予定を口にする。
「と、とにかく、僕は彼女と、メイベル嬢と新たに婚約する! 君のような普段からなにを考えているかも分からない女とは婚約破棄だ!」
それだけでだいぶ神経をすり減らしたが、しかし言いたいことをやっと言えたことでどこが清々しくもあった。
「一度」
「は?」
「一度だけ今の発言を撤回する権利をあげるわ。泣いて謝るのなら今のは聞かなかったことにしてあげる」
なにを言っているのかこの女は。婚約破棄を突きつけられた立場にも関わらず、まさかこちらが後悔をするとでも思っているのか。
笑わせてくれる。氷のような女だと思っていたが、自分のことばかり優先していたせいで離れていく婚約者の心に未練を感じるとは、なかなかどうして可愛いところもあるようだ。
だがその程度で揺らぐ覚悟でこんなことを言い出したわけではない。
この先がどうなるかはまだ未知数だが、真に愛する女性を見つけてしまった以上は吐いた言葉を撤回するつもりはない。
「くどい! 僕に君とやり直す意志はない! あとで慰謝料でもなんでも支払うからいい加減僕を自由にしてくれ!」
「……そう、残念ねウォーレン」
わずかばかりの心変わりの余地も感じさせないように力強く宣言する。
とにかくアンネとは一刻も早く縁を切りたかった。
そしてそれもこの宣言をもって完了する、はずだった。
「――今回も実験失敗ですね」
と、隣に侍らせていたメイベルが唐突に口を開いた。
それはアンネ以上に平坦な、おおよそ感情を一切感じさせない口調だった。
「毎回毎回こうも簡単に他の女性に目移りをしてアンネ様に婚約破棄を押し迫る。実験段階では半々の予想なのにいざ実際になると別個体にも関わらず百パーセント同じ行動を取るのは不可解だと言わざるを得ませんね」
「め、メイベル、なにを言って……?」
連れ立った女性のまさかの豹変におののくウォーレン。
「本当よね。元になった素体があるとはいえ、環境や生育過程が違えば結果が異なるのは当然のはずなのに。なにがいけないのかしら」
メイベルの台詞を引き継ぐ形でアンネが続けた。
「貴方もそう思わないウォーレン?」
「ひ、ひい……っ」
これ以上アンネの、あの女の言葉を耳にしてはいけないと本能が言っている。
「本来それが素体の持つ性質なのだとしたら、私はイレギュラーが現れるのを気長に待つしかないのよね。億劫だわ」
よろよろと、一歩ずつ足が下がる。
「……ああそういえばウォーレン、先ほどの返事だけど」
今にもくず折れそうになる膝を、なんとか背後にあったカーテンを掴んで耐えるものの。
「婚約破棄の件、確かに受け入れたわ」
やはりカーテン如きでは預けられる体重に耐えきれずに根元からブチリと引きちぎれ、隠されていた向こう側が露わになり。
「でも大丈夫よ心配いらないわ、なにせ――」
盛大に尻餅をついたウォーレンの目に映ったのは大量の自分自身であった。
「――貴方の代わりならいくらでもいるもの」
そこでウォーレンの記憶は途絶えた。
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