狂戦士
王女が空いている隣の席を勧めると、シャルロットが歩いてきて座った。
「おお、シャルロット。久しぶりだな。」
前の席に座っていたザルファラ国王が振り返ってシャルロットを見つめる。
シャルロットが頭を下げる。
「あなた!軽率なことを……」
隣にいたザルファラ国王の妃であり、エクセルシアの母であるケイラが国王の服の襟を引っ張る。
「分かった、分かったよ。それじゃあ、楽しく遊んでおいで。」
「はい、国王陛下。ありがとうございます。」
ザルファラ国王が前を向き、エクセルシアが競技場を眺めながらシャルロットに話しかける。
「学校に入ってから初めてじゃない?一緒にコロッセオを見物するの。」
「はい、そうです。」
「昔を思い出すなあ。小さい頃は一緒に座って、おしゃべりしたり、ふざけながら見物したっけ。」
「そうですね……」
エクセルシアが微笑みながらシャルロットの手を握る。
「昔みたいにはいかなくても、話し相手になってね、シャルロット。」
シャルロットはエクセルシアをじっと見つめ、ゆっくりと頷いた。
「さて、それでは試合を始めます!最初の試合は冒険者ギルドでも名の知れた男、マゼル・グラント!そして彼の相手はオリカルマロント王国の侯爵家!俺のスピードに追いつける者はいない、速剣の鬼才デベレン・ド・マルクロス!」
観客たちの歓声が響き渡り、すぐに合図とともに試合が始まった。
&&&
コロッセオの控室。
座っている椅子が震える。
「緊張してはいけないとはいえ……」
こんな大きな試合に参加するのは初めてだ。
いや、そもそもこういう試合に参加すること自体が初めてだ。
前世では仲間たちと共に施設に送り込まれ、ひたすら訓練だけしていたのだから。
「俺の相手は……」
控室に貼られた対戦表を見た。
「ハーメルン……ベグマス……」
誰かは分からないが、ここに参加している以上、相当な強者であることに間違いないだろう。
期待なのか、不安なのか分からない感情が胸の奥で渦巻いている。
「まあ、どうせ起こったことだ。しっかりやるしかない。」
自分の平凡な人生がかかった試合。
緊張のせいで台無しにするわけにはいかない。
「それにしても……」
目を閉じると、サイレント・ヴィジランテの映像が浮かび上がる。
その中で、路地の画面が目に映る。
赤いローブをまとった奴ら。
カオス・ウェイブの連中が地面に何かを描いている。
「魔法陣か?」
どんな魔法陣を描いているのか。
何か事を起こそうとしているようだ。
「夜にちょっと動き回る必要があるな。」
俺が約束したのは、王女の血を持ってくることだけだ。
奴らの邪魔をしないという条項はどこにもない。
このまま放置しておけば、バートレイヴンでも学校と同じようなことが起こりかねないから、処理しておいた方がいいだろう。
それに何よりも――
「やられっぱなしでいるわけにはいかない。」
相手が拳を振り上げたなら、こっちも拳を振り上げるべきだ。
それこそが平等ってもんだろう。
このままやられるだけでは、俺の性に合わない。
「さて、結果が出ました!今回の試合の勝者は『マルコ・アークベル』!」
観客の歓声が控室の中まで響いてくる。
「マルコ……マルコ……」
対戦表を見ると、自分の前の試合の選手だ。
ということは、次の試合は俺――いや、正確にはマーヴィン・クロフという選手だ。
「マーヴィン・クロフさん!」
進行役が中に入ってきて俺を見つめる。
「マーヴィン・クロフさんで間違いないですか?」
「はい、そうですが。」
「仮面とローブを着けて出場するつもりですか?」
「それではダメですか?」
「ダメではないですが……その場合、優勝しても顔が知られず、誰かが成りすます可能性が……」
「構いませんよ。」
成りすましたいなら勝手にやればいい。
むしろ俺にとってはその方が助かる。
木を隠すなら森の中。
俺と同じ格好をした人間が増えれば増えるほど、俺にはさらに都合が良くなる。
もし見つかったとしても、「マーヴィン・クロフの真似をした」と言えば済むことだ。
「おお、これは良い考えだな?」
優勝した後、マーヴィン・クロフという正体不明の男が着ていたローブと仮面をそのまま着用して歩き回れば、人々は俺ではなくマーヴィン・クロフがやっているのだと勘違いするだろう。
「分かりました……ではこちらへどうぞ。」
&&&
『今年のコロッセオもつまらないわね。』
エクセルシアは腕を組みながら、魔法使いたちが出てきて、あちこち壊れた競技場を修復している様子を眺めていた。
「さっきの試合、結構よかったですね。」
シャルロットが微笑みながら彼女に声をかけると、彼女は首を横に振った。
「特にそんなにわくわくする試合ではなかったわ。」
さっきの試合に出場していたマルコ・アークベルという冒険者。
さすがA級冒険者だけあって実力は抜群だったが、エクセルシアの心を揺さぶるほどの強さは見せなかった。
恐らく、相手がそこまで強い相手ではなかったからだろう。
『あの人と互角に戦える相手なんているのかしら……』
もし彼が優勝したとしても、今年のコロッセオはそこまで。
特に彼女が出る必要はないと思われたので、今回の特別イベントは諦めるつもりだった。
「さて、競技場の復元も終わったことだし!それでは次の参加者を呼びましょう!」
さっきの素晴らしい試合で大いに盛り上がった観客たちが歓声を上げる。
「では、紹介します!今回の試合!俺が参加した理由はただ戦うためだけだ!亡国ミンストの狂戦士、ハーメルン・ベグマス!その相手は名前も明かさず姿も隠す!無名の冒険者、マーヴィン・クロフ!」
両側から二人がゆっくりと歩き出し、競技場へと上がる。
「今回の試合も簡単に終わりそうね。」
エクセルシアは競技場に上がった二人を見つめながら言った。
ハーメルン・ベグマスという狂戦士。
顔まで覆う銀色の兜に、下半身だけ革の防具を身につけた巨体。
腰に担いだ巨大な斧はその身体以上に大きかった。
一方、反対側の黒いローブに仮面をつけた人物は、ハーメルン・ベグマスよりも背が低く、手に持つ武器は短剣一本だけだった。
「……?」
エクセルシアは返事をしないシャルロットの顔を見つめた。
知り合いなのだろうか。
シャルロットの眉間が少ししかめられている。
「知っている人なの?」
「あ……いえ、違います。」
シャルロットらしくもなく、少し戸惑った声で答える。
「正直に言ってもいいのよ。どっちが知り合いなの?ハーメルン・ベグマス?それとも相手のマーヴィン・クロフ?」
「それは……」
シャルロットは顔を背けてどこかを見た。
彼女の視線を辿ると、彼女と同じ制服を着た学生たちが椅子に座って笑いながら試合を観戦していた。
「多分……違います。見た目は似ていますけど、服や仮面のデザインが違います。それに何より……あの人はコロッセオのような場所に出るのは好まないと思います。」
「ふうん~、そう……?」
シャルロットがそこまで興味を示す人。
一体どんな人なのか。
エクセルシアは気になった。
「魔法を使うのは自由!怪我をさせるのは許されるが、相手を絶対に殺してはなりません!それでは説明はこの辺にして、試合を始めましょう!」
「「わああああ!」」
観客たちの歓声とともに試合が始まる。
最初に動いたのはハーメルン・ベグマスだった。
「はあああ!」
怪鳥のような叫び声を上げながら、斧を振りかざして突進してくるハーメルン・ベグマス。
その瞬間、マーヴィン・クロフが小さな声で呟く。
遠くにいるため何を言ったのかは聞こえなかったが、彼の身体に透明な陽炎のようなものが揺らめくのが見えたので、使ったのは魔法のようだ。
斧が魔法を使うマーヴィン・クロフの頭に向かって振り下ろされる。
ゴオオォォン!
大きな音と共に、土埃が立ち込める。
「うーん?」
ほんの一瞬の出来事だった。
土埃を抜けてくる姿すら目に見えなかった。
まるで瞬間移動でもしたかのように、マーヴィン・クロフがハーメルン・ベグマスの腰のあたりに現れて短剣を振るう。
ザシュッ。
深く切り裂かれた傷口から血が噴き出し、ハーメルン・ベグマスが驚いた表情で斧を再び振り上げ、マーヴィン・クロフに向かって振り下ろした。
ドカン、ドカン!
何度も何度も彼が巨大な斧を振り回すたびに、マーヴィン・クロフは残像を残してハーメルン・ベグマスの背後や脇に現れ、短剣を振るって傷を負わせ続けていた。
「このネズミ野郎め!」
体中が血で覆われているからなのか、それとも興奮で血圧が上がっているからなのか、ハーメルン・ベグマスの体が徐々に赤く染まっていく。
そしてしばらくすると、熱を帯びたハーメルン・ベグマスの体から赤い煙が立ち上り始めた。
「出たぞ!狂戦士の技、バーサーカーの怒り(Berserk Rage)!」
バーサーカー・レイジ。血に飢えた狂戦士だけが使える技だ。
血を見れば見るほど動きが加速し、力もまた強大になる。
ハーメルン・ベグマスは腰からもう一本の剣を取り出した。
巨大な斧を右手に、剣を左手に持ち、猛スピードでマーヴィン・クロフに突進する。
「ドカン、ドカン!」
「おお……」
エクセルシアが興味深そうな目で競技場を見つめていた。
二人の動きはどちらも相当な速さだった。
狂戦士は血を失い、目の前に血がさらされるほど速く、力強くなると言われているが、相手のマーヴィン・クロフは暗殺者ですら追いつけないほどのバーサーカーの怒りを発動したハーメルン・ベグマスの攻撃をほぼ回避していた。
二人の強者による互角の戦い。
観客たちも引き込まれたように息を潜め、その戦いを見守っていた。
『これこそ私が求めていたものだ……!』
彼女の体内の血が沸き立つほどの強さを持つ二人。
今すぐ競技場に飛び込んで、彼らと戦いたい衝動に駆られた。
「フハアアア!」
ハーメルン・ベグマスが狂気を帯びた咆哮を上げながら、マーヴィン・クロフに連続攻撃を仕掛ける。
しかし、全く当たらない。
自分が力負けしていると理解しているのか、マーヴィン・クロフは斧や剣を受け止めるつもりすらなく、ひたすら懐に潜り込み、短剣を振るい続けた。
「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ!」
苛立ったハーメルンは頭を仰け反らせて叫び声を上げた。
先ほどの叫びとは違う響きだった。
狂戦士の咆哮(Berserk Cry)。
一瞬だけ相手を恐怖に陥れ、動きを止める狂戦士の技だ。
それと同時に、マーヴィン・クロフが小さな声で呪文を唱えた。
すると、透明な何かが地面からせり上がり、ハーメルン・ベグマスの腕と脚を掴んだ。
「グアアア!」
ハーメルンは目を血走らせながら、透明な物体を引きちぎろうとした。
しかし、その力をもってしても透明な物体は彼を解放せず、マーヴィンはゆっくりと歩み寄り、彼をじっと見つめると、首元に全力で拳を叩き込んだ。
「ドカン!」
気絶したハーメルン・ベグマス。
マーヴィン・クロフが背を向け、ゆっくりと競技場の外に向かって歩き去ると、審判が目をこすりながら競技場に上がり、ハーメルン・ベグマスの状態を確認して叫んだ。
「す、勝者!無名の冒険者、マーヴィン・クロフ!」
一瞬の静寂の後、観客たちの歓声が競技場を埋め尽くした。
「はあ……はあ……」
エクセルシアの心臓が高鳴っていた。
先ほどの戦いを終えたばかりのマーヴィン・クロフ。
彼のもとへ駆け寄り、自分の力と速度をぶつけてみたかった。
「お嬢様?」
「え?」
エクセルシアが胸を押さえ、汗をかいていると、シャルロットが心配そうな表情で彼女を見つめていた。
エクセルシアはぎこちなく笑った。
「ううん、大丈夫よ。」
円形競技場に倒れていたハーメルン・ベグマスを、安全員たちが担架に乗せて運び出し、ハーメルンの斧で破壊された競技場を魔法使いたちが修復し始めた。
「シャルロット。」
「はい?」
「あのマーヴィン・クロフって人……優勝するよね?」
「優勝……ですか?」
シャルロットがマーヴィン・クロフが入っていった競技場の出口を見つめながら、ゆっくりと頷いた。
「恐らく……可能でしょう。」
&&&
「思ったより早く終わったな?」
ちょうど日が沈み始めた夕方、俺はニールと一緒に先生に連れられてホテルへ向かっていた。
「本当に面白かったよね!」
「うん。みんな、どうしてあんなふうに戦えるんだろう?」
「俺たちも魔法を習えば、あんな戦い方ができるようになるはずさ!」
アリアがニールと話をしている。
「それで、エドワードはどこに行ってたんだ?」
「俺?」
「コロシアムに入れなかったんだろ?男爵家の身分だからとかで。」
「コロシアムにそんな規則があるわけないだろ!?」
こいつの憎たらしい口を縫い付けてやりたい気分だ。
「じゃあ、どこに行ってたんだよ?」
「生徒会の生徒たちと一緒にいたんだ。」
「生徒会?」
「ああ、俺がここに来られたのも、シャーロット先輩に『学生たちを守れ』って言われたからなんだよ。」
「なるほど〜。」
俺の嘘にニールが簡単に引っかかり、納得して頷く。
「残念だな。一緒に観戦できたら良かったのに。」
「俺だって見てないわけじゃないさ。ただ生徒会の連中と一緒にいただけで、コロシアムでの決闘は俺も全部見たよ。」
「本当か?!それじゃあ、どの試合が一番良かった?」
『最後に余計なことを言っちまったか……?』
俺は戦っただけで、他の人の試合は見ていない。
だから、俺が言えることは一つしかない。
「マーヴィン・クロフってやつの試合……が一番良かったかな、多分。」
「お前もか!?」
ニールが俺の手を掴み、目を輝かせる。
「あの人、本当にすごかったよな?」
「私もあの人の戦い方が一番気に入った。」
アリアも同意しながら頷く。
「どうして?」
「みんな上手に戦ってたけど、マーヴィン・クロフって人は、私たちが知らない魔法を使って戦ってたじゃない?他のみんなもきっと驚いてたと思うよ。あの狂戦士が突然動けなくなったんだから。」
『突然動けなくなったってことは……』
どうやら俺が使った魔法は見られなかったらしい。
まあ、透明なうえに遠くから見てたんだから、見えるわけがないよな。
「その魔法ってなんだったんだろう?」
二人は腕を組んで考え込むが、答えが出ないのか、深いため息をつく。
『あれは……ロープ・バインドだよ……』
俺がハーメルンに使った魔法。
ただのロープ・バインドだ。
以前、シャーロット先輩から逃げるときに先生が教室で使ったあのロープ魔法、バインドだ。
学校に戻る前に練習しようと買った魔法書。
その付録に簡単な魔法がいくつか載っていたから覚えたんだけど、俺が使ったバインドは、ファイアボールを使ったときみたいに透明なものが飛び出してきた。
「さあ、みんな注目!」
アレイラ先生が叫ぶと、生徒たちは先生に視線を向ける。
「今の時間は……だいたい5時くらいだから、7時まで自由時間をやる。そっから遅れて帰ってきたやつは、全員荷物まとめて学校に送り返すから、時間厳守しろよ。それじゃあ解散!」
「やったー!」
生徒たちは歓声を上げ、友達同士で四方八方に散っていく。
「エドワード、お前はどうする?」
ニールが俺を見ながら当然のように聞いてくる。
先生が休み時間をくれたなら、当然遊ぶのが自然な流れ。
「遊びに行こう!」
「アリア、お前は?」
「あ、あなたたちが一緒に遊びたいって頼むなら……私も一緒に遊んであげてもいいけど?」
「お前はそのまま帰って寝ろよ。」
「はあっ!?」
「二人とも、いい加減にしろよ……」
アリアは鼻で笑って顔を背けた。
「さあ、それじゃあどこ行く?近くのレストラン?それとも市場でも見て回りながら軽く食べ歩きする?それか——」
「エドワード。」
その声を聞いた途端、思わず深いため息をついた。
振り返ると、シャーロット先輩が俺に向かって歩いてくる。
「はい?」
「一緒に来て。」
シャーロットの言葉にアリアが眉をひそめ、俺の横に来て腕を組む。
「先輩、この男爵の坊やは先輩と一緒にいるには身分が低すぎます。他の生徒会の子たちと遊んだらどうですか?」
「え?一緒に遊ぶ?」
「自由時間は気楽に遊べって先生がくれた時間ですよ。エドワードだって昼間、生徒会の連中に付き合って疲れたでしょうから、自由時間くらいは少し休ませてあげてください。」
アリアの言葉に、シャーロットはアリアの方へ歩いて行き、鋭い目つきで見下ろした。
「それはお前が気にすることじゃないけど。」
その瞬間、アリアは怯えた顔をし、腕を放して後ずさる。
「そ、それは……」
シャーロットは深いため息をついた。
「ちょっと話がしたいだけだよ。話が終わったらすぐに返すから。」
「ここで話せないことなんですか?」
俺の質問にシャーロットは頷いた。
ここで話せないことって何だろう。
気になるから、とりあえず行ってみるか。
「ちょっと待っててくれ。すぐ戻るから。」
「うん、分かった。」