24)イソラの町・2
連続での長いオペが終わり、肩を何度も鳴らしながらヴィヒトリは手術室を出た。
「ぬっ」
出たところで、軍服に身を包んだ男に、物凄い形相で睨まれドン引きする。
「お久しぶりですね、ヴィヒトリ先生」
「ああ、アルカネットさん、かぁ…」
「ビックリしたあーっ」とは胸中で叫ぶ。
温厚な表情のアルカネットしか知らない。こんな威圧的で、見ただけでチビりそうな表情など初めて見る。
しかも軍服姿だから、アルカネットだと気づくのに若干時間がかかった。
ヴィヒトリは血まみれの手袋を脱ぎ、専用のゴミ箱に捨て、手術着を脱ぎ始めた。
「その姿は軍に復帰されたんですね~。今日はどうしたんですか? 副宰相閣下の体調が悪いんです?」
「あの方は、相変わらずピンピンしてますよ。今日は別件できました」
「ほむ?」
手術着全てを脱ぎ捨てると、ヴィヒトリは黒縁のメガネをかけ直した。
「あなたが手術を終えるのを待っていました。今すぐ私と一緒に、ソレル王国へ行ってもらいます」
「へ?」
「これを見て下さい」
アルカネットは魔法を使い、ベルトルドから見せられた、キュッリッキの惨憺たる姿の記憶をヴィヒトリに伝える。
「う…、生きて、いるんですかこれ…」
「もちろんですよ。死なせないために、あなたを迎えに来たのですから」
極力感情を抑えるような声で、アルカネットは絞り出すように言った。
「この女の子は、一体誰なんです?」
「最近ライオン傭兵団に入ったキュッリッキと言います。仕事先の事故で、こんな大怪我を負ってしまったのです」
「キュッリッキ…」
ヴィヒトリは少し首をかしげ、「ああ」と呟いた。
何かを知っているようだったが、それ以上のリアクションはなかった。
「もうひとり、ドグラスという外科医も同行させます」
それには目を丸くする。
「よくドグラス先生を捕まえましたねえ。時間外勤務が大嫌いな人なのに」
「ベルトルド様の命令ですから、嫌とは言わせませんよ」
「なるほど。それじゃあ、あのタヌキ逆らえなかったでしょうね」
あはは~っと呑気に笑い声を上げるヴィヒトリだったが、アルカネットの顔があまりにも涼しいので、すぐに笑いを引っ込めた。
「向かってもらう場所は小さな診療所のようなので、ここにあるような設備は期待できないでしょう。あまり悠長にしている時間もありません、準備をすぐに済ませなさい。急いで向かいますよ」
「判りました」
ヴィヒトリは自分の診察室に向かって駆けていった。その後ろ姿を見送りながら、アルカネットは小さく呟く。
「あともう少しの辛抱ですよ、リッキーさん」
手術道具や薬品などを揃えて外来ロビーに行くと、涼しい顔のアルカネットと、緊張で塗り固まった中年の男――ドグラスが待っていた。
「お、お待たせしました」
ヴィヒトリが引き気味に言うと、アルカネットは組んでいた腕を解いた。ドグラスは俯いたまま、ヴィヒトリを見ようともしない。
「お2人とも、荷物はしっかり持っていてください。時短のために飛行魔法で移動します。エグザイル・システムまで行きましょうか」
アルカネットがスッと右腕を上げると、ヴィヒトリとドグラスの身体がふわりと浮いた。2人は慌てて荷物をしっかりと抱きしめる。
「行きます」
一言そう呟くと、アルカネットの身体も浮き上がり、3人は病院からサッと出ると、宙に舞い上がっていった。
アルカネットと医師2人がソレル王国のエグザイル・システムに到着すると、いきなり銃口が多数突きつけられた。
周りは2個小隊ほどの、ソレル王国兵たちに取り囲まれている。
エグザイル・システムは飛ぶとき台座の上に乗っていくが、飛んだ先では台座の下に到着する。その為台座の下には、沢山の人が飛んできてもいいように、広めのスペースが必ず用意されていた。
辺りを睥睨しながら、口ぶりだけはいつもと変わらず穏やかに言った。
「なんの真似でしょうか?」
しかしそれに応える者は誰もおらず、ピリピリとした緊張だけがこの場を支配している。
誰何する声もなく、銃口と剣先が向けられ、明らかに敵意ある魔力の高まりも感じられた。
ハワドウレ皇国のエグザイル・システムのある建物ほどではないが、ソレル王国首都アルイールの建物も立派である。
遺跡観光を看板に掲げる国らしく、遺跡をモチーフとした美術的デザインが美しい。それを物珍しげに眺め渡し、ヴィヒトリは小さく欠伸をした。
「連続オペで、ボク疲れてるんだよね。さっさと行きましょうよアルカネットさん」
「ええ、そうですね」
淡々と言いながらも、僅かにアルカネットの声音には苛立ちが含まれていた。それを敏感に感じ取って、背後に控えていたドグラスは、恐々と身を強ばらせている。
アルカネットは一歩前に踏み出すと、いきなり両腕を大きく横に広げた。
「イスベル・ヴリズン」
一言、魔法名を言い放つ。
すると、アルカネットの両掌から氷柱のようなものが無数に飛び出した。
凍てつく冷気を纏い、鋭い切っ先がソレル王国兵たちに突き刺さっていった。
「うひゃ…」
ヴィヒトリは首をすくめて小さく悲鳴をあげる。
辺りは一瞬で騒然とし、氷柱攻撃を免れた兵士たちが発砲し始めた。しかし、
「トイコス・トゥルバ!」
板のような土の壁が床からせり上がり、銃弾を全て防いでしまった。
弾が尽きるまで攻撃は続いたが、土壁を壊せた者はいなかった。
(凄いなあ…。これが噂に聞く、アルカネットさんしかできないっていう、無詠唱魔法ってやつか)
ヴィヒトリは生唾を静かに飲み込む。
魔法〈才能〉を持つ者は、体内に魔力を内包している。
使う魔法の属性魔力を引き出し、魔法の形に作り上げるために呪文が必要になる。そして作り上げたその魔法を放つ時に魔法名を言う。
魔法を作り上げるスピードは個々人で異なるが、アルカネットの場合呪文が必要ない。一瞬で完成させてしまうのだ。
俗に言う、無詠唱魔法である。
(アルカネットさんも、ベルトルド様と同じOverランク。『神を引っ張り出さないと、倒すことができない』なんて言われる、大魔法使いだもんなあ)
魔法を知らないヴィヒトリが見ても、アルカネットのレベルは桁違いと判るほどだった。
ソレル王国内は、現在超厳戒態勢が敷かれている。
軍施設が襲撃を受けて、収容者が攫われてしまったからだ。
エグザイル・システムは国外脱出手段の一つになるため、犯人たちやその仲間が出入りしないよう、兵士たちが配備されている。
誰が飛んでくるか判らないため、現れるたびに兵士たちは銃口を向けて脅していた。特別アルカネット個人を狙っていたわけではない。
それが降伏の態度を示さず、いきなり強力な魔法で反撃してくるので、兵士たちは大混乱だ。
アルカネットは素早く防御魔法を張り巡らせる。そしてパチリと指を鳴らすと、3人の身体が浮き上がった。
アルカネットを先頭に、ゆっくりとエグザイル・システムの階段を滑り降りると、出口に向けて加速した。
不意をつかれたソレル王国兵たちは一瞬出遅れたが、すぐさま発砲し、魔法攻撃が迫る。
しかし攻撃は掠りもせず、建物を抜けた3人はそのまま外に躍り出た。
ヴィヒトリはチラリと隣のドグラスを見る。日焼けした褐色の肌が、色落ちしたように明らかに蒼白になっていた。
弱者に対しては尊大だが、強者に対しては卑屈になる。そんなドグラスだが、さすがに不慣れな戦場の空気は、精神的に厳しそうだ。
(大事なオペが控えてるんだから、しっかりしてよね…)
胸中でひっそりとため息をつく。
彼は性格に難有りだが、外科医としての腕は確かだ。
(アルカネットさんが助けようとしているあの少女は、彼にとってもベルトルド様にとっても、よっぽど大切なんだろうね。普段の温厚な雰囲気が鳴りを潜めるほど必死になってる)
だから。
(どんな状況に置かれようと、ボクとドグラスの身は、アルカネットさんが絶対に守る。その点は安心して良い)
明らかに焦るアルカネットの後ろ姿を見つめ、ヴィヒトリは目を細めた。
エグザイル・システムの建物の外には、やはりソレル王国の別動隊が詰めていた。
「一難去って、また一難……」
ヴィヒトリがうんざりしたように呟く。
「面倒な方々ですね。こちらは一刻を争う事態だというのに」
感情をむき出しにして、露骨に苛立ちを滲ませた声で吐き捨てる。
「帰りのこともありますし、エグザイル・システムのある場所で魔法は使いたくありませんでしたが……もう使っていますけど。少し、足止めをしておきましょうね」
セルフツッコミしつつ、アルカネットはにっこりと微笑み、両手を広げて一言呟いた。
「イラアルータ・トニトルス」
早朝の静かなアルイールの街に、突如空から無数の雷の柱が降り落ちた。
空気が震え、地面が唸る。凄まじい轟音と紫電の光が舞い、いたるところで爆発や火事が起こった。
銃口を向けていた兵士たちも、その様子を見て一斉に騒ぎ出した。指揮官が悲鳴にも似た声を荒らげて、何やら指示を飛ばしている。
「……」
一瞬の出来事に、ヴィヒトリはあんぐりと口を開けて絶句し、ドグラスは白目をむいて気絶してしまった。
「私にとって、こんな街など関係ないのですよ」
あまりにも素っ気なく、アルカネットは騒然となる街を一瞥しただけだった。
(情けも容赦もなさすぎっ! 絶対敵に回しちゃダメな人だ!)
心がガクブルと震え、ヴィヒトリは自らに言い聞かせていた。
「さあ、行きますよ」
黒いマントを翻し、何事もなかったかのように、アルカネットは優しい笑みを浮かべた。
* * *
アルカネットがソレル王国で、『ちょっとした』騒ぎを起こしていた頃。
ベルトルドの命によって参集された第二正規部隊、ダエヴァ第二部隊、魔法部隊の軍人たちが、クーシネン街に集結していた。
皇都イララクスのエグザイル・システムがある街だ。
現在ベルトルドの命で、エグザイル・システムは急遽軍が徴集しており、一般人の渡航は禁止されていた。
それを知らずに飛んできてしまった一般人は、速やかに建物の外に退去させられていた。
整然と並ぶ軍人たちの前に、ブルーベル将軍が現れた。
「総帥閣下の命により、一時的にダエヴァと魔法部隊の皆さんは、ワシの指揮に入ってもらいます。魔法部隊の皆さんは第二正規部隊に入ってください。アークラ大将が直接指示を出してくれます。ダエヴァの皆さんは、直接ラーシュ=オロフ長官の指示に従っていただきます」
列の先頭に並んで立つアークラ大将とラーシュ=オロフ長官が、敬礼で応じた。
「今回の我々の任務は、ソレル王国首都アルイールの制圧です。王宮、行政施設、司法、軍施設を抑え、抵抗してくるであろうソレル王国兵を相手にします。ですが、くれぐれも一般人に危害を加えてはいけません。婦女暴行、窃盗などもキツく禁じます。もしそれらが行われていたら、その場で処刑です。抵抗してくる一般人にも危害を加えないように。応対については、アークラ大将とラーシュ=オロフ長官に仰いでください」
皆一斉に敬礼で応じる。それを見て、ブルーベル将軍は頷いた。
「まず、ダエヴァ第二部隊の超能力使いの皆さんが、最初にあちらへ飛びます。恐らく武装した兵士たちが待ち構えていることでしょう。飛んだ瞬間狙われるかもしれませんので、防御を張って飛んでください。安全を確保したら、順次乗り込みますよ」
まさか、アルカネットが暴れた後とは知らないブルーベル将軍たちは、入念に準備をしてソレル王国へと向かった。
* * *
晴天に恵まれた湿度の高い朝、天地に鳴り響くほどの獣の咆哮が、静かな町全体を飲み込んだ。
何事かと町民は起き出し家屋の外に出ると、そこにありえないものを見て仰天した。
イソラの町の外は、だだっ広い草原と、東に海が見えるだけの静かなところだ。
1時間ほど歩けば、小さな漁港に出る。それ以外は遠くにナルバ山が見えるくらいで、遮るものは何もない。
そんな長閑な草原に、天に届くほどの巨大な白銀の狼が佇み、町を睥睨しているのだ。
「ありゃよ…、どう見ても行方不明だったフェンリルじゃね」
ギャリーは傍らのブルニタルに視線を向ける。
「確かにそうですね。ちょっと大きすぎますが、フェンリルでしょう」
あそこまで大きくはないが、一度フェンリルが仔犬の姿を解いた姿を、みんな見たことがある。それであれがフェンリルだと判った。
フェンリルはその冷たいまでの水色の瞳を、ひたとライオン傭兵団へ向けていた。
ランドンはキュッリッキにつきっきり、ルーファスは死んだように眠っており、3人を残して全員外に出ていた。
町民たちと同じく、咆哮で起こされたのだ。
「原因は判りませんが、復活してきたんでしょう。しかしキューリさんが臥せっている状態なので、どうしましょうねえ…」
やや寝ぼけ眼でフェンリルを眺め、カーティスは困ったように首を傾げた。足元に座るヴァルトが大あくびをする。
遺跡の中でキュッリッキを見つけたとき、フェンリルの姿はなかった。
(姿を見えなくしているのかと思ってましたが、瀕死の状態の彼女を前にしても現れないので、どうしたのかと気になっていたのですが……)
まさか今になって姿を現したかと思えば、天にも届く大きさである。
「取り敢えず、オレが話に行ってみましょうか? 言葉、通じますよね?」
メルヴィンが名乗りをあげると、一同揃って首を縦に振った。
「任せましたよ!」
軽く顎を引いてメルヴィンが一歩踏み出すと、巨大なフェンリルの顔の横に人影がひらりと舞い降り、空中で止まった。
誰だろうとその人影の姿を凝視して、みんなの顔が、血の気がひいていくように恐怖に青冷め始めた。
距離は遠く離れているが、見間違いようがない。
鮮やかな紫色の髪の、すらりとした長身の男。
ベルトルド邸の執事、アルカネットだ。
――ついに来た!
来るのは判っていたが、実際来ると恐ろしい。
何故なら、ベルトルドとアルカネットが溺愛しているだろうことが丸判りのキュッリッキを、瀕死の重傷状態にしてしまったのである。
直接怪我をさせたのは自分たちではないが、責任の重さは感じていた。
恐怖の説教が飛んでくることを想像して、情けないほど縮こまった。
「ん? おい、ありゃ…」
ザカリーは眉間に皺を寄せる。
「……人間を唆した黄金の蛇と、人間が知恵を授かる黄金の林檎を模した刺繍入りケープ、黒衣の軍服」
呟くように言うザカリーの言葉に、カーティスとシビルはギョッと目を剥いた。
ハワドウレ皇国軍特殊部隊の一つである、魔法部隊の軍服を着ているというのだ。
魔法部隊の軍服は特別なデザインになっていて判りやすい。
マントの裏地は深紅、部隊の長官をあらわす色である。遠目からでも黒と赤のコントラストは、はっきりと見えていた。
「な…なんであの方が、魔法部隊の軍服を着用しているんでしょう」
カーティスの呟きに、答えられる者はいなかった。
* * *
フェンリルの目線を辿り、そこにライオン傭兵団の姿を確認する。
あの町がイソラだということが判り、アルカネットは小さく頷いた。
「迷わず着けて良かった」
あそこにキュッリッキがいる。
今頃助けを待っているのだと思うと、急いでいきたいところだったが、巨大な狼の姿を見つけて寄り道をした。
この世界でこんな巨大な狼など、キュッリッキが相棒だと呼ぶフェンリルしか思いつかないからだ。
傍らの巨大なフェンリルに顔を向けると、微かに首をかしげる。
「フェンリルですね。このような場所で、何故大きくなっているかは判りませんが、こんな姿では町に入れませんよ。これからリッキーさんのところへ参りますから、仔犬の姿になってくださいませんか?」
フェンリルはちらりとアルカネットを見る。そして唸るように喉を鳴らしたあと、銀色の光に包まれ、徐々に縮小して仔犬の姿になった。
アルカネットは小さな仔犬姿になったフェンリルのそばに降り立ち、そっと抱き上げる。フェンリルはおとなしくアルカネットの腕に抱かれた。
フェンリルの足元で待機していたヴィヒトリと、また意識を手放しそうなドグラスを連れて、再びアルカネットは宙を飛んだ。
* * *
――巨大狼を手なずけるとか、あのひとスゲー!
一部始終を見ていた一同は、驚きながらも妙に感服してしまった。しかしこちらに飛んでくるアルカネットに気づき、皆背筋を伸ばして一列に並ぶ。
一瞬で辺りに張り詰めた緊張が漂う。
アルカネットはライオン傭兵団の列の前に舞い降りる。
遠巻きに自分たちを見つめる町民を一顧だにせず、アルカネットは柔和な顔を向けた。
「リッキーさんはどこですか? お医者様を連れてきました。案内しなさい」
「は、はいっ」
アルカネットの背後にヴィヒトリを見つけ、カーティスは僅かに目を見張る。それに対し、ヴィヒトリはニッコリと笑った。
「こちらです」
カーティスが先頭に立ち、院内へ入っていく。その後に、アルカネットと医師2人が続いた。
案内される間、アルカネットは一言も発せず医師を従えて歩いた。
表情は穏やかで威圧する雰囲気もなにもなかったが、黙っていること、それだけで十分威圧的なのだ。
無言の圧力を背中越しに受けながら、カーティスは心の中で大量の汗を流し続けた。
処置室に入ると、1人黙々と魔法をかけ続けるランドンに、アルカネットは労いの言葉をかけた。
「ご苦労様でしたランドン。あとは私が引き継ぎます。ゆっくり休みなさい」
「アルカネットさん…」
目の下に隈を浮かべたランドンは、振り向いて小さく頷いた。
長時間かざしていた手を引っ込めると、ふらつきながらベッドの傍らを離れた。その身体をカーティスが抱き止め支える。
アルカネットは抱いていたフェンリルを、キュッリッキの枕元に放してやった。
フェンリルは小さく悲しげに鳴くと、意識を失っているキュッリッキの頬に、何度も何度も顔を擦り付けた。
愛しい少女の、目を背けたくなるほどの酷い傷を見て、アルカネットは沈痛な面持ちで顎を引いた。
右の肩から胸のあたりまでの肉が、ごっそり抉り取られ骨が見えている。膨らみこそ小さいその乳房も、上半分が無残に削り取られていた。
「これだけの深い傷を負って事切れなかったのは、奇跡であり幸運といって良い…。それに、ランドンの回復魔法の効果が幸いしていますね」
傷口は綺麗なままに保たれている。
「どれほど怖い思いをしたのでしょう…。さぞ痛かったでしょうに」
透視することはできないが、これだけの傷を見ればある程度想像はつく。
血の気がひいて真っ白なほどに白くなったキュッリッキの頬にそっと触れ、次いで傷口に触れる。すると痛むのか、意識のないキュッリッキが小さく呻いた。
その様を見て、アルカネットは身震いした。そして何かを堪えるように手を握ると、背後に控える医師を振り返る。
「早急に治療を始めてください。けっして、死なせてはいけませんよ」




