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片翼の召喚士  作者: ゆずき
奪われしもの編
24/226

20)不協和音

 遺跡の前で待機していたハドリーとファニーは、依頼主のケレヴィルの研究者達を見て、慌てて立ち上がる。


「良かった、無事だったんですね」


 安堵の息を吐きながら、ハドリーはシ・アティウスの前に駆け寄った。


「こちらは皆、大事無い。君たちこそ無事でなによりだ」


 薄暗さのある山の洞穴の中では、色のついたレンズの奥の目は判らない。しかし、淡々とした口調から察するに、特別怒っている風ではなかった。


「その血は…」


 ファニーが表情を曇らせると、ああ、と小さく呟いてシ・アティウスは頷いた。


「返り血を浴びただけで、怪我はしていない」

「ふぅ、びっくりした~」


 胸に手を当てて、ファニーは嘆息する。


「君たちを助けたのも、ライオンの連中かな?」

「はい。縄でぐるぐる巻きにされて、あそこの(あなぐら)に放り込まれていたところを、リッキーが」


 そう言って、ハドリーは仲間たちと話しているキュッリッキを指差す。


「お恥ずかしい限りです。護衛についたあたしたちまで捕まるなんて」

「いや、あれはさすがに無理だったろう。多勢に無勢だ、気にすることはない」

「すみません…」


 しゅんっと肩を落とすファニーに、シ・アティウスは僅かに表情を和ませた。


「我々の護衛任務は、ライオン傭兵団に移ったようだ。指示したのは、所長でもある副宰相だ」

「では、オレたちの仕事はここまでですね」

「うん。契約した依頼料はきちんと支払うから、安心してくれたまえ」


 ハドリーとファニーは少し顔を見合わせ、了解して頷き合った。


「なんか、スイマセン」

「気にすることはない。どうせ支払うのは、ケレヴィルという組織だからな」


 すましたように言うシ・アティウスに、ハドリーは苦笑ってみせた。


「それでは、我らは遺跡の状態が気になるので中を見てくる。ご苦労だった」

「はい、ありがとうございます」

「ありがとう~」


 ハドリーとファニーは、遺跡に入っていくケレヴィルの研究者たちの背中を見送り、ホッとしたように肩の力を抜いた。


「良かったねハドリー、依頼料、ちゃんと貰えるわ」

「ああ、なんか申し訳ないけど助かる」


 今回のシ・アティウスらケレヴィルの研究者たちの護衛依頼は、かなり報酬額が良かった。

 普段受ける護衛報酬の約2倍もある。このテの依頼は、もっと実力の高い傭兵に声がかかる。しかし日頃から人付き合いを大事にするハドリーの人徳もあり、ギルドの受付担当から声がかかった。


(最初はシ・アティウス個人のみの護衛だったから、オレとファニーの2人でも手に余ることはなかった)


 楽勝だと高をくくっていたら。


(そこから護衛サイドの人数が増えて、更に襲ってきた相手がソレル王国軍だったこともあって、しくじっちまったんだよな…)


「話が上手過ぎたんだ」そう、ハドリーは心の中でぼやいた。


「今日はこのまま遺跡に泊まって、明日帰ろうよ」


 フェニーの提案に、ハドリーはふと天井を見上げる。


「オレらの顔を覚えてるソレル王国兵なんて、いないよなあ?」


 その言葉に、ファニーが嫌そうに顔をしかめた。


「自分で言うと萎えるけど、あたしらみたいな小物相手に、いちいち覚えてる連中なんていないわよ…」

「だよなあ」


「はあ…」と情けないため息が、2人の口から切なく漏れた。

 印象を刻み付けるほどの活躍は、全くしていなかった2人である。刻み付ける以前に、大勢で取り押さえられてしまった。

 殺されなかっただけ、マシなほうだった。




* * *




 ライオン傭兵団は全員が顔を揃えると、遺跡の前で大きな輪を作って、各部隊の武勇伝を披露し合っていた。

 しかしいざ戦闘の話になると、”バトル3馬鹿”はキュッリッキのチート支援の話題に集中する。


「カーティス、今度戦闘のある仕事が入ったら、ボクにはキューリを支援につけてくれ」


 おかっぱに切りそろえた黒髪を揺らしながら、タルコットはカーティスを軽く睨む。


「それはダメだろう。俺と組むんだ」


 隣に立つキュッリッキに、ガエルは凄みのある笑顔を向ける。


「キューリは俺様に支援をすればいい!」


 向かい側に立つヴァルトは、ぎゃーすか喧しく喚きたてた。


「モテ期ですね、キューリさん」


 キュッリッキの足元で、シビルが肩をすくめる。


「だいたい、ガエルがボクたちより数を稼げたのは、全部キューリの支援のおかげだろう。ボクたちと同等の支援じゃない限り、今回の数は無効だ」

「そーだそーだ! そのトーリ!!」


 タルコットに指摘に、ヴァルトが全面的に支持する。


「確かに支援はこちらが優秀すぎたが、それを巧みに活かしての戦闘だ。間違いなく俺の勝ちだ」


 もっともな正論に、タルコットは悔しそうに鼻を鳴らした。


「カーティスのしょぼい強化じゃなきゃ、俺様が負けるはずねえ!」


 握り拳を作り、ヴァルトは洞穴に響くほどの大声で叫んだ。


「ヴァルトと違って、ボクは防御もしっかりしながらの戦闘だった。それでこれだけの数を稼いだんだから、当然ボクの勝ちじゃないと納得できない。それに、ヴァルトは跳ね返した弾で倒した数も足してるぞ」


 バッとヴァルトはタルコットに顔を寄せた。


「入れてねーよ! テメーも見てただろ!」

「知らないな。ズルはよくない」

「ナンダト~~!」


 ガヤガヤ盛り上がる3人を冷ややかに見やって、カーティスはゲッソリと溜息をついた。


「毎回苦労して強化魔法を施し、回復や弱体支援をしている私に向かって、なんて言い草でしょうかね全く…。まあ、馬鹿たちはほっといて、今後の通達事項ですよ」


 パンパンっと手を打って、みんなを意識を向けさせる。


「カーティス、たいへんなんだね…」


 キュッリッキは呆れ顔で薄く笑った。


「まあ、いつものことだ」


 タバコをふかしながら、ギャリーも薄く笑う。輪のあちこちから、同意する頷きや苦笑が飛び交っていた。


「ケレヴィルの方々は、もう少し調査を続けたいそうです。恐らくソレル王国軍は、再びナルバ山に攻め込んでくるでしょう。遺跡は死守して欲しいとのことなので、麓で迎撃することになります」

「夜間攻めて来ることはなさそー?」


 手を挙げてルーファスが言うと、


「多分、今夜は無いと思います」


 かわってブルニタルが答えた。


「そーだよね。散々暴れてきたし。まあ、すぐ立て直し出来ても、夜間中に奇襲は無理かあ」


 両手を腰に当てて、ルーファスは苦笑した。


「ただ、探りを入れに来ることはあるかもしれません。夜通し警戒を続けるのは必須だと思いますが」

「そうですね。全員疲れていると思いますが、グループ分けをして警戒に当たりましょうか」


 ブルニタルの発言を受けて、カーティスが決定する。


「それなら、みんなにもこれ渡しておくね」


 キュッリッキは掌に乗せていた綿毛を、軽く宙に放る。


「なんでえ、それ?」


 不思議がるギャリーたちに、ブルニタルが素早く説明した。


「本当に召喚士というのは、すごいものなんですねえ」


 カーティスは満足そうに頷き、小さな綿毛を頭に置いた。




* * *




「なんだか急に、賑やかになったわね…」


 ファニーは傍らのハドリーに、そっと囁く。

 無言で相槌を打つと、ハドリーはライオン傭兵団へ視線を向けた。

 ケレヴィルの研究者たちを救出するため、副宰相の命令で送り込まれてきたライオン傭兵団。


(たった一日で作戦を成功させて、こうして団員全てが集結している。――戦闘員は一人で一個大隊、一個師団級の戦闘力を持ってるっていうよな)


 装備、武器など、パッと見ただけでも、相当の品だと判る。その上チート〈才能〉(スキル)者だらけときた。


(魔法や超能力(サイ)を持つ高ランクの連中が、一つところに集まるなんて、めっちゃ稀だよな。すげーモン見てる気分だよ…)


 ライオン傭兵団は、全ての傭兵たちにとって憧れであり、嫉妬の対象でもある。


(そんな連中の所に、親友のリッキーが入った)


 フリーでチマチマ稼ぐには、勿体無い〈才能〉(スキル)の持ち主なのだ。本来なら国に召し上げられるほどの、貴重な〈才能〉(スキル)である。


(だけどリッキーは、そんなこと気にしてない。仕事があればなんでも受けていた。それはファニーの影響が強いせいもあったし、リッキーは自分が特別な〈才能〉(スキル)を持つ存在だという意識が、まるでないからな)


 ようやくその〈才能〉(スキル)に相応しい場所に入れたと安堵して、ハドリーはつい親のような気持ちになってしまい苦笑した。




 盛り上がっていた彼らは、今は幾つかの輪を作って談笑している。

 所在無げに、ファニーと隅に座って彼らを眺めていたハドリーのところへ、ルーファスが笑顔で歩いてきた。


「やあ、キミたち、キューリちゃんの友達なんだってね」

「ああ」

「それにしてもさっ」


 ルーファスは素早くファニーの隣に座ると、すかさず擦り寄り強引に手を取って握る。そのあまりにも唐突な行動に、ファニーはビックリした顔を向けた。


「ファニーちゃんって言ったっけ、こんな可愛い子を縛って(あなぐら)に放り込んでおくとか、ソレル王国兵も酷いことするよねー」

「そ、そうね」

「ねね、どこに住んでるの? 仕事終わったら飲みに行かない? オレ凄くイイ店知ってるんだよね~」

「えっと…」


 顔を近づけてきて囁くように言うルーファスを、ファニーは顔を引きつらせながら少しずつ避ける。

 ハドリーは素知らぬ顔で、明後日の方向を向いていた。

 キュッリッキほどの美人ではないが、大きい目と愛らしい顔立ちに、ボンッと大きな胸で、ファニーもかなりモテるのだ。

 ルーファスは申し分のないハンサム顔なのだが、ハドリーだけは知っている。


(コイツの好みじゃねーんだよな…)


 それをはっきり言うわけにもいかず、ハドリーはヤレヤレと内心で溜息をついた。




* * *




 キュッリッキはファニーたちの様子を遠巻きに見ながら、少しふくれっ面になった。


(ファニーがちょっとくらい胸おっきいからって……)


 ルーファスは「巨乳専!」と豪語するだけあって目敏い。ファニーに目を留めると、すぐにちょっかいを出し始めている。


(ファニーに手を出すのは全然かまわないけど、アタシには、顔を見るなり頭をクシャクシャっと撫で回して褒めるだけ。殆ど子供扱いなのに)


 ファニーはキュッリッキより3つ年上だが、その扱われ方の差に、なんだか酷く不公平感があるのだった。




「召喚士というのは君かね?」

「ふにゅ?」


 突然話しかけられ、ふくれっ面のまま顔を向けると、衣服が血まみれの無表情な男がキュッリッキを見おろしていた。

 顔や頭の血は拭われていたが、白衣にはべっとりと黒々とした血が染み付いていて、その姿にギョッとする。


「私はアルケラ研究機関ケレヴィルの研究員をしている、シ・アティウスという」


 差し出されたシ・アティウスの手を握り返し、キュッリッキは僅かに首をかしげた。


(アルケラ研究機関? って、なんだろう…)


 不思議そうに見上げてくるキュッリッキを見下ろしながら、シ・アティウスはベルトルドから中継された、ソープワート王国軍を消し去った、凄まじい召喚の光景を思い出していた。


「太古には、この世界に実在していたという神の国アルケラ。突如国ごと姿を消し、今となっては召喚〈才能〉(スキル)を持つ者だけが、アルケラの実在を確認できるだけにとどまっている」


 唐突に話し始められて、キュッリッキは思わず背筋を伸ばす。


「もはや空想世界のことだと思われ、伝説化されてるが、アルケラが存在していた形跡が、これら遺跡には遺っていてね。そうしたものを調べることを、仕事にしている研究機関のことだ」


 キュッリッキの疑問を見透かしたように、シ・アティウスは淡々と説明する。


「アルケラのこと、信じてくれているの?」


 ぽつりとした呟きに、シ・アティウスは大きく頷いた。


「もちろん信じているとも。そうでなければ、ケレヴィルなどに勤めたりはしない」


 ちょっと考える素振りを見せたあと、キュッリッキは抱えていた小さなフェンリルを持ち上げて、どこか必死に訴える。


「あのね、あのね、アルケラは、ちゃんとあるんだよ。この子だってアルケラから来たし、小鳥たちもだよ。幻じゃないの、アルケラはあるの」


 その様子に、初めてシ・アティウスは相好を崩した。


「もちろん我々も信じて研究をしている。そうでなければ、危険な思いをしてまで、この遺跡を調べに来たりしない」

「うん、そうだよね」


 キュッリッキも破顔した。


「皇国には、召喚〈才能〉(スキル)を持つ者たちがそこそこ集められている。君は宮廷のどの召喚士たちよりも、強い力を秘めているようだね。正直召喚士がそんなに凄いことができるとは、知らなかったくらいだ」


 シ・アティウスの背後にひっそりと控えていた他の研究者たちも、「そうだそうだ」と頷きあっていた。

 他の召喚士たちを知らないキュッリッキには、やはり違いがピンとこなかった。

 自分と同じようにアルケラを視て、住人たちと話ができて、通じ合い、こちらの世界に招き寄せられるものだと思っていたから。


(いずれ、他の召喚士に、会ってみたいかも)


 どんな人たちだろう、そう思いを馳せた。


「帰ったらケレヴィルの研究施設で、色々調べさせてもらいたい」

「そしたら、他の召喚士とも会うことができる?」

「ああ、会わせてあげるよ」

「うわあ」


 キュッリッキの顔が喜びで輝いた。

 喜ぶキュッリッキを見つめながら、シ・アティウスはアルカネットから見せられた、彼女の報告書を思い出していた。


(正直、驚くほど不遇な過去を持つこの少女が、フリーの傭兵になり、類まれな力を振るっている。宮廷の無能者たちに、今すぐ見せつけてやりたいものだ。同じ〈才能〉(スキル)でありながら、雲泥の差があるのだということを…)


 内心で冷ややかに思っていると、


「こんな狼っ子調べてたら、噛み付かれちゃいますよ」


 キュッリッキの背後から、ザカリーがニヤニヤ顔で話に割って入ってきた。

 シ・アティウスは小さく首をかしげたが、キュッリッキは殆ど条件反射のように肩を怒らせ、噛み付くような顔でザカリーに振り向いた。


「なによっ!」

「ホラッ」


 ザカリーはからかうように、身体をヒョイッと避けてみせる。


(何で話に入ってくるのよ)


 キュッリッキは忌々しそうにザカリーを睨みつけた。その目を真っ向から受けて、ザカリーは内心苦笑する。




 あの日、キュッリッキの秘密を覗き見したことで、以来話しかけても応じてくれず、声をかければそっぽを向くか、無視をされ続けていた。


(秘密をバラす気なんて、毛頭ねえんだけどな)


 信用されていないことだけは、判っていた。


(秘密を見ちゃったから、それはしょうがないと思う。でも、そろそろお怒りを解いて欲しいんだよな…)


 可愛い子専を自負するザカリーは、10歳も年下のキュッリッキを、本気で好きになっていた。


(背も低くて華奢で、本人は全く自覚していないけど、凄い美少女だ。アジトの近所でもすぐ評判になっちまった)


 手を出そうとする輩も多い界隈に、気が気じゃない。最も、ライオン傭兵団の一員と知って、手を出す怖いもの知らずはそういない。


(あの細っそりした身体を、そっと抱きしめてみたい。柔らかな肌に触れながら、桜貝色の唇にキスをしてみてえ…)


 妄想するにとどめているが。


(いつかは、全てをオレのモノにしたい)


 好きだという気持ちを自覚してからは、求める気持ちがどんどん強まっている。

 笑いかけて欲しくて必死にちょっかいを出すが、なかなか成功しない。

 こうしてからかったときくらいしか、顔を合わせてくれようともしないので、ザカリーとしては、キュッリッキを怒らせるしか手段がなかった。




 一方、キュッリッキはザカリーに話しかけられるたびに、心底ビクビクしていた。


(アイオン族なこと、片翼のこと…、みんなにバラされるんじゃ…。彼はアタシの秘密を話すんじゃないか…)


 その不安が、態度を頑なにさせている。


(ザカリーのことは、好きとか嫌いとかじゃないの。ただただ不安で不安で、その存在自体が怖くてたまらない!)


 ヴァルトも秘密を知る者だが、同じ種族で事情も知っていることから、無闇にバラすことはないだろう。そう考えている。

 まさかザカリーが、自分を本気で好きになっているなど、知る由もなかった。




 ザカリーの乱入のせいで、キュッリッキとの話が中断されたシ・アティウスは、ヤレヤレといった気分で肩をすくませた。

 その様子を見ていたカーティスは、ザカリーとキュッリッキが揉めているのを見かね、口を挟む。


「あんまりキューリさんを、からかわないで下さいよ、ザカリー」

「別にからかっちゃいないよ。だってよ、退屈なんだもん。なあ」


 ザカリーは強引にキュッリッキの肩を抱き寄せる。

 あまりにも素早い行動に、キュッリッキはビックリした顔で、ザカリーの腕の中に抱き寄せられ目を見張った。


(ヤダ…)


 足元から嫌悪感が這い上がってきて、吐き気を覚えて顔をしかめる。


「ザカリー、そのくらいにしておいて下さい、嫌がってますよ」


 理由は知らないまでも、ザカリーが話しかけるとキュッリッキの態度が意固地になるのは、カーティスにも判っていた。

 目を合わせようともしないし、話しかけられても無視している。今も本気で嫌がっているのが、露骨に顔に出ているのだ。


「退屈だしさ、神殿の中で楽しいことしようぜ」


 神殿の中、と言われて、キュッリッキの表情が咄嗟に強張る。

 その様子を怪訝そうに見て、ザカリーは首をかしげると、なにか思い当たったように頷いて頬を掻いた。


「あー、なんか、神殿が怖いとか言ってるんだっけか」

「……」


 キュッリッキは身を固くしたまま、むっすりと更に黙り込んだ。


「だって、何もなかったんだろ? 例のエグザイル・システムらしきものだけがあったとかでさ」


 ザカリーがシ・アティウスに顔を向けると、無言の肯定が返ってきた。


「大丈夫だって。オレが一緒にいてやるからよ」


 にやけた笑顔を向けながら言うザカリーの顔を、キュッリッキは力いっぱい引っぱたく。そして腕の中から逃げ出した。


「ザカリーのバカ! 大っ嫌いなんだからっ!!」


 我慢の限界をありったけ声に乗せて、吐き出すように叫んだ。

 空洞の中に轟くような大声に、何事かと皆一斉に2人の方を向く。

 叩かれた頬に手をあてながら、さすがにザカリーもムッとして、キュッリッキを睨みつける。

 これまでの不満が、一気に感情を昂ぶらせた。


「ったく……何なんだよ、いっつもふくれっ面でよ! あのことは別に」


 そこまで言いさして、慌てて口を噤み、内心で舌打ちする。


(やべっ…)


「おい!」


 ヴァルトが制止するように声をあげた。

 今まで怒っていたキュッリッキの表情が急に怯え出し、大きく見張った目からは大粒の涙が溢れだした。

 たよりなげな身体を震わせ、ポロポロと落ちた涙がフェンリルの頭で弾ける。

 フェンリルはキュッリッキの腕の中で、表情を険しくさせてザカリーを睨みつけていた。


「いや…そんなつもりはないから、そのっ」


 慌てて取り繕うが、ザカリーは狼狽し、言い訳を必死に考えるが思いつかない。

 つい口走りそうになったことを、激しく後悔した。まさかこんなに泣かれることになるとは、どうしていいか判らなくなった。

 2人のやり取りを、みんな困惑を浮かべながら見ている。

 キュッリッキとザカリーがギクシャクしていることは知っていたが、泣かせているところは初めて見る。

 キュッリッキは一度しゃくり上げると、踵を返し神殿へと向かって走り出した。


「あ、おい」


 ザカリーの手は、キュッリッキの肩を掴み損ねて空ぶった。

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