191)無事に生まれてくれてありがとうなの
「やっほー、キューリちゃ~ん」
「お邪魔するわ」
「いらっしゃい、マリオン、マーゴット」
ゆったりした椅子に身を沈めているキュッリッキは、部屋に入ってきた2人に微笑む。
臨月を迎えたキュッリッキがいつ陣痛が襲ってきてもいいように、なるべくメルヴィンは傍にいることにしていた。しかし、このところライオン傭兵団へ依頼が殺到しているため、メルヴィンも出ないわけにはいかない。
そこでライオン傭兵団の面々は、メルヴィン不在中は交替でヴィーンゴールヴ邸に出向いて、キュッリッキの傍にいることにしていた。
マーゴットは夫であるカーティスの代理できている。
毎日代わる代わる仲間たちが様子を見に来てくれて、キュッリッキは嬉しかった。
小柄で華奢なキュッリッキのおなかは、ぽっこりと大きく膨らみ出っ張っている。
結婚の誓いの真っ最中に、突如キュッリッキが吐き出して、それで妊娠が発覚した。しかも神官の格好をしたロキ神から、お腹の中には双子が宿っていると知らされた。
結婚式という名のお祭りは三日三晩続き、肝心の花嫁であったキュッリッキは、悪阻でノックダウンしていた。
あれからあっという間に臨月になり、いつ生まれてもおかしくない状態だ。
出迎えるためにキュッリッキが椅子から立ち上がろうとするのを、マリオンが慌てて止めた。
「そのままぁ、座ってていいのよう」
「うん、ありがとう」
背もたれに身をあずけ、キュッリッキは小さく嘆息する。
「ちゃんと運動したほうがいいってヴィヒトリ先生は言うんだけど、お腹重たくて歩きにくいんだもん」
「小さくても、2人もお腹に入ってるしね」
マーゴットが同意するようにウンウン頷いた。
「私は一人だったけど、結構重たいのよね」
「元気にお腹の中で暴れてたあ~って言ってたねん」
「出てきたら、そこまで元気いっぱいってかんじじゃなかったけど」
カーティスとの間に一児をもうけたマーゴットは、いまや男児の母になっている。
もう一歳を迎えており、育児は実家の乳母に任せきりで、マーゴット自身はあまり育児に興味がなかった。なので2人目は考えていないらしい。
「メルヴィン仕事で出っぱなしが増えたけど、そんなに依頼殺到してるんだ?」
「ピンキリまでぇ、色々きてるのよね~…。ホラぁ、ベルトルドのおっさんがエルダー街吹っ飛ばしちゃったじゃん、あれで一緒に吹っ飛んでお陀仏になった傭兵たちも多くてぇ、ベテラン傭兵たちが減った分のしわ寄せがどうしてもねぇ~」
「依頼が多くてこのところ黒字続きだからって、カーティスは喜んでるわよ」
すましながら言うマーゴットに、マリオンは疲れた笑みを向けた。新たに作られた事務室で、入ってくる報酬を数えるのが楽しいらしい。
「まあ~、新入りとの連携がまだうまくぅいってないぶん、現場で色々大変だからあ、メルヴィンも出ずっぱりになっちゃうのよねえ」
もともと団員数が少ないうえに、キュッリッキ、マーゴット、ブルニタルの3人が抜け、更にギルドとの取引で新入りを増やした為何かと大変らしい。
「慣れていくしかないよね」
「そう~そう。あたしらもぉ、がんばらないとね~」
マリオンが伸びをしたその時、
「あうっ」
突然キュッリッキが難しい顔をして、苦しそうな声を上げた。
「ど、どうしたのキューリちゃん?」
「な…なんか、出てきそうかも…」
「陣痛が始まったのね」
マーゴットは慌てて立ち上がると、使用人を呼ぶベルを連打する。ほどなくして侍女のアリサが駆けつけた。
「今すぐ車を用意して! そしてハーメンリンナの病院に連絡を。キューリの陣痛が始まったわ」
怒鳴るようにマーゴットに言われて、アリサは飛び上がって驚いた。
「すぐに!」
ドアを閉めるのも忘れ、アリサはすっ飛んで行った。
「ちょ、ちょっとぉマーゴット、どうすればいいのおお??」
キュッリッキの傍らで、マリオンはオロオロとうろたえる。
「まだ破水はしてないわね。凄い痛む?」
「波がある…」
「じゃあまだ大丈夫ね。でも病院に行ったほうがいいわ。いつ本陣痛がきてもおかしくない時期だから」
「陣痛に種類があるのぉ…」
さすが経験者、とマリオンは初めてマーゴットを尊敬の眼差しで見つめた。
マーゴットとアリサに支えられながら、どうにか病院へ到着すると、キュッリッキは破水してしまった。
「分娩室へ運んで」
出迎えたヴィヒトリが看護師たちに指示を飛ばす。
おろおろと見ていることしかできなかったマリオンは、マーゴットに促されて急いでカーティスに念話を送った。
〈いきなり出産ですか!? なら急いでルーファスに連絡してください、メルヴィンを呼び戻さないと〉
〈おっけぇ~~!〉
マリオンはドア叩きを連打する勢いで、遠く仕事に出向いているルーファスに念話を送った。
〈ちょっとナニヨー、仕事中なんだけど~?〉
〈緊急事態なのよう! キューリちゃんがあかちゃん産むんだってば!〉
少し間があくと、
〈仕事してる場合じゃなくないかそれ!!〉
と、素っ頓狂な咆哮が脳内に轟く。
〈とにかくう、メルヴィンをハーメンリンナに戻してよお!〉
〈そうしてやりたいけど…〉
念話の向こうでルーファスが困った声を出す。
〈今、めっちゃブッた斬りモードで仕事中なんだよなあ…〉
音声のみの念話通信状態なので、ルーファスの説明でイメージするしかない。
〈ベルトルドのおっさんみたく、転移させてよルー!〉
〈無理ゲー!!〉
空間転移は今は亡きベルトルドのみが出来た超能力の能力だ。現在確認されている超能力持ちは誰も出来ない。
〈そこをやってこそ、Sランクでしょうがあ~~~〉
〈とにかくっ! 何とか急がせるよ!〉
念話通信が切れて、マリオンは大きなため息をついた。
アジトに残っていたカーティスとシビルが、急いで病院に駆けつけてきた。
産婦人科病棟へ向かい分娩室前まで来ると、ちょっとした騒動になっていた。
カーティスはマーゴットの肩をつつく。
「なにかあったんですか?」
マーゴットはカーティスを振り向きながら、小さなため息をついた。
「キューリが我がまま言ってて、みんなを困らせてるところよ」
「え?」
「いや! まだ、ダメなんだ…もんっ」
「もう破水しちゃったし、陣痛凄いでしょ、産まなきゃダメだよキュッリッキちゃん」
「絶対だめなの! だって…だって…」
激しい痛みを堪えながら、キュッリッキはシーツを握りしめる。
「メルヴィンいないからまだ産まないもん! メルヴィンがついててくれるって約束したんだから! だからまだダメなの!」
脂汗を額に滲ませ、キュッリッキは痛みに耐えていた。
赤ん坊たちは外へ出たがっている。それをお腹から感じながらも、キュッリッキはそれでもメルヴィンが来るまではと譲らなかった。
(メルヴィンがそばにいないと怖いもん…、メルヴィンが手を握っててくれないと、アタシ頑張れないんだもん)
出産の時は絶対傍で手を握っててくれる、そうメルヴィンは約束してくれた。
生まれてくる子供たちが、五体満足でちゃんと生まれてくるか、その怖さを一緒に乗り越えてくれる。だからメルヴィンが居ないときに産みたくなかった。
「メルヴィン…」
苦しそうなキュッリッキを見つめながら、ヴィヒトリは内心焦っていた。
「先生、このままの状態が続くと母体が…」
看護師がヴィヒトリにひっそりと耳打ちする。
「判ってる」
額を抑えたその時だった。
「メルヴィン!」
キュッリッキの歓喜の声で、ヴィヒトリは隣を見て仰天した。
「うわっ! どうやって現れたの!?」
「え? えっと」
戦闘服を血まみれにしたメルヴィンが、爪竜刀を構えたまま呆けたように立っていた。
室内が騒然とする中、ヴィヒトリは素早く立ち直った。
「その血まみれの戦闘服を脱がせて手を消毒! 手術着を着せて早く」
ヴィヒトリの指示が飛んで、看護師たちも慌てて我を取り戻した。
女性の看護師2人に素早く服を脱がされ、手術着を着せられながら手を消毒される。メルヴィンは何が何だか!?と顔に書いてされるがままだ。
「外野は外に出てて! さあこれで大満足だろう! キュッリッキちゃん、とっとと産むんだ!」
分娩室前には、仕事を終えたガエル、ペルラ、ハーマンも急いで駆けつけてきた。
「ギャリーとザカリーも、こっち向かってるそうだ」
途中で連絡をもらっていたガエルが皆に伝える。
出産だからと追い出され、分娩室の扉が閉じられてもう一時間が経過していた。
「初産だしね…ちょっと時間かかってるかんじ」
「2人出さないといけないしねえ」
あの華奢すぎる身体で、いきんだりして大丈夫だろうかとみんな不安である。出産で燃え尽きてしまう産婦もいるんだと聞かされると、尚更不安でいっぱいだ。
「ヴィヒトリがついているから、大丈夫です」
自らに言い聞かせるようにカーティスが言うと、皆神妙に頷いた。
もし翼が生えていたとして、しかし片翼だったら? どこか身体が欠損していたら。それを妊娠中ずっと考えていた。
どこも欠損せず、健康な身体で産んであげたい、元気な身体で出てきて欲しい。
傍らでメルヴィンに励まされながら、大きなその手を力いっぱい握りしめながら、キュッリッキは強く強く心に願った。
一生懸命力を尽くした。痛みなど忘れてしまうほどに。
周りの喧騒をよそに、元気な泣き声が疲労困憊のキュッリッキの耳をつんざく。
「よしよし、よく頑張ったねキュッリッキちゃん」
ヴィヒトリと看護師が小さな赤ん坊を手にしている。
とても小さくて、でも元気いっぱいに泣いている。
「…あかちゃん」
汗で視界が滲み、キュッリッキは力の入らない手で目をこする。そして傍らのメルヴィンを仰ぎ見た。
「あかちゃん大丈夫? どこも悪くない?」
色違いのおくるみにくるまれた2人の小さな命を、父親として初めてその腕に抱いたメルヴィンは、感無量でキュッリッキに強くうなずいた。
「双子はどちらもアイオン族の翼は受け継がなかったみたいだね。身体に欠損もなく健康そのものだよ」
どこかホッとしたようなヴィヒトリが、にっこりと笑いかけた。
「ほらメルヴィン、いつまでも双子を独占してないで、おかあさんに抱かせてあげなよ」
「あ、そうだった、ごめんねリッキー」
まだ目もあいていない小さな双子を、メルヴィンはそっとキュッリッキに抱かせる。
ついさっきまでお腹の中にいた双子。たまにお腹を蹴飛ばしてきてびっくりすることがよくあった。
今は静かに眠っている。
小さな小さな双子を見つめながら、キュッリッキはとめどなく涙を流した。
自分が生まれたとき、母親はこんな風に感動しなかったのだろうか。片方の翼が欠損していただけで、感動なんて吹き飛んでしまったのだろうか。
こうして健康に生まれてきてくれたことに、キュッリッキは心の底から双子に感謝した。
「無事に生まれてくれてありがとうなの」
分娩室の扉が開くと、ライオン傭兵団の皆がワッと押し寄せた。
最初に出てきた看護師が、あまりの勢いにドン引きする。
「おい! もう入っていいのか!?」
合流していたザカリーが、看護師の胸ぐらをつかんで怒鳴る。
「どっ、どうぞ」
その一言で雪崩れ込んだ。
「キューリ、メルヴィン!」
ベッドの周りに仲間たちが押し寄せ、キュッリッキとメルヴィンがギョッと目をむく。
「ちっせえええええ」
「マジ双子かよ」
「寝ちゃってるんだ」
「チンクシャな顔してんな笑えるぞ」
「可愛いなあ~」
キュッリッキに抱かれた双子を見ながら、それぞれ感想を言い合う。
「お疲れさまでしたキューリさん、そしておめでとうございます」
「ありがとカーティス」
「良かったねえキューリちゃん」
「もう名前は決まってんのか?」
「ココでタバコを吸うなギャリー」
「双子が肺がんで死んじゃうよ」
「マジかっ」
「こっちの水色のおくるみのほうはアレクシス、ピンクのおくるみのほうはオリヴェル、って名づけようと思ってます。イイかなリッキー?」
神妙な顔で双子を見ていたメルヴィンは、キュッリッキの顔を覗き込んだ。
「うん、それでいいよ。忘れないように名札つけといてもらわなきゃ」
「まだハゲで目もあいてないしな」
「ハゲってヤな表現だなあ…」
「それを言うなら、まだ生えてきてない、にしとけ…」
ヴァルトやルーファスがいないが、大賑わいなライオン傭兵団に、
「ところでメルヴィン、キミどうやって現れたんだい?」
そうヴィヒトリがぽつりと言った。
* * *
雪原に座り、どこまでも優しい笑顔をたたえる男に、ロキ神はにっこりと笑いかけた。
「こんなところから力を使うなんて、やっぱ俺の子孫だなあ」
「フンッ」
男は迷惑そうに鼻を鳴らした。
「あのままでは、メルヴィンが到着するまでリッキーの身体がもたないからな。愛しいリッキーのためだ、このくらいやるさ」
「おかげで無事出産できた。よかったよかった」
「この俺との子なら、もっと輝くばかりの珠のような子供が生まれただろうに」
「俺の子孫だしな」
ロキ神はニブルヘイム中に轟くほどの大声で笑った。
* * *
ライオン傭兵団は帰り、病室にはキュッリッキ、メルヴィン、アレクシス、オリヴェルの4人だけになった。
「今は名札ついてるからいいけど、間違わないように着るものとか色違いにしないとだね」
「ええ。呼ぶたびに名前を間違えたりしたら、大混乱しちゃいますしね」
一卵性ではなく、二卵性だとヴィヒトリが言っていた。それなら、外見はきっと違うだろう。しかし今は同じにしか見えなかった。
「可愛い子を2人も生んでくれてありがとう、リッキー。そしてお疲れ様」
「うん」
「すごく疲れたでしょう」
「あんなに踏ん張ったの初めて…。内臓とかも全部出てきちゃうんじゃないかって思ったかも」
「え…」
それはすさまじいまでの踏ん張り具合だったんだろうと、メルヴィンはちょっとクラクラしてしまった。
「そいえば、メルヴィンは手大丈夫? アタシ凄い握っちゃったから」
「腫れました」
骨折一歩手前になってたらしい。手当てをしたヴィヒトリが「キュッリッキちゃんあの細さでどんだけの馬鹿力出すんだか…」と薄笑っていた。これでは当分剣は握れないだろう。
「でも、リッキーの大変さに比べたら、どうってことありません」
何時間も痛みに耐えながら2人も出産したのだ。初産ということもあり時間がかかったし、その労力を思えばこの程度の痛みは当然だとメルヴィンは思っていた。
出産を少しでも助けられた、勲章のようなものだろう。
子供の誕生に立ち会えたことが、何よりも嬉しい。
物思いにふけっていると、いつのまにかキュッリッキは眠っていた。
とても安堵した優しい寝顔で。
出産に立ち会うことが出来たのも、キュッリッキを支えられたのも、ありえない奇跡が働いたからだ。
地主同士の小さな争いごとで、戦場で爪竜刀を振るっていた真っ最中に、いきなり分娩室に飛んでいた。
分娩室では考えることもできなかったが、落ち着いた今はふと思う。
「やっぱ、あの人の力、ですよね…」
自分に触れた力の気配が、懐かしいあの人のものだったのが思い出せる。
大きな窓から欠けた月が見える。それを見やって、メルヴィンは小さく微笑んだ。
「ずっと見守ってくれているんですね。リッキーを」
* * *
ヴィーンゴールヴ邸の広い庭には、小さな男の子の笑い声が二つ。
白い小さな仔犬姿のフェンリルと、黒い小さなふとっちょ仔犬姿のフローズヴィトニルが、2人の男の子の遊び相手をしていた。
「もうおなかすいて走れないよう~~!」
フローズヴィトニルは悲鳴を上げるが、
「もっと痩せないとおやつはあげない」
2人と2匹を見守るキュッリッキが、ピシャリと厳しく言った。
「太り過ぎなのだ、お前は…」
フェンリルは嘆息すると、ヤレヤレと小さな頭を振った。
「そうそう」
「ぶすーーーーーーーっ!」
その場にドテッと腹ばいになって、フローズヴィトニルは走ることをやめた。
「もう、すぐサボるんだから」
呆れたようにため息をつくと、キュッリッキは苦笑した。そして出っ張るお腹をそっと摩る。
今キュッリッキのおなかには、3人目になるあかちゃんが宿っている。今度は双子ではなく一人だとヴィヒトリは言っていた。性別は生まれてくるまでのお楽しみが良いので訊いていない。
出産はまだちょっと先だ。
フローズヴィトニルが走るのをやめてしまったので、追いかけまわしていたアレクシスとオリヴェルは、母親のもとに駆け寄った。
アレクシスが母親のおなかにそっと手のひらをあてる。
「あなたたちの弟か妹がいるのよ」
アレクシスの父親譲りの青紫色の髪をそっと撫でる。すると、自分も撫でてほしくてオリヴェルが頭を突き出した。
「はいはい」
オリヴェルは母親譲りの金髪だ。双子ではあるが、外見がはっきりと違うので、間違わなくて済んだとキュッリッキとメルヴィンは心底安堵していた。
「いもうと」
そうアレクシスが一言呟く。
「えええっ!?」
キュッリッキはアレクシスの顔を見て、ついで自分のおなかを見る。
「楽しみにしてたのにぃ…」
ガックリとキュッリッキは肩を落とした。
後に〈才能〉判定で、アレクシスは超能力のトリプルSランク。オリヴェルは魔法のトリプルSランクと判ることになるのだった。