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片翼の召喚士  作者: ゆずき
後日談編
194/226

190)幸せな結婚・後編

 結婚式は本来、神殿で執り行うものである。

 太陽の神と月の神を奉る神殿は、規模にかかわらず街には必ず一つ在る。

 新郎新婦2人のみで、神の代理たる神官の前で愛を誓い、結婚の誓いをする。そして、役所へ届け出る書類の作成や手続きを済ませ、晴れて正式に夫婦となるのだ。

 親族や招待客たちの前で披露するのは、そうした手続きが済んでからパーティーをするのが慣例だ。

 しかしメルヴィンとキュッリッキの結婚式は、慣例とは違う形が取られようとしていた。




 ビーチの一角には、360度軍人たちの生け垣に囲まれた白い大きなテントが張られている。そこには主役の一人であるメルヴィンと、


「これは盛大だねえ。会場に入りきれない人々がたくさんいるようだよ」

「は、はあ…」


 絶えず光の粒子が零れ落ちる黄金の長い髪に、人懐っこい笑顔を張り付けた美丈夫が、何故か神官たちが着用するローブを纏っている。

 神々の世界アルケラの最高神のひとり、ロキ神がいた。


「やはり祝い事だから、この大群衆の前で愛を誓いあうのが一番だと思うんだよね、俺は」

「しかし…」

「だいたい結婚とは関係ない太陽と月の神に誓ったって、意味がないんだよ? あいつら空に浮かんでるだけだから。むしろキュッリッキを一番に愛してる俺の前で誓ってくれたほうが、ご利益いっぱいだよメルヴィン君」

「そう…なんですかね…」

「ウン、ウン」


”一番愛してる俺”の部分に引っかかりながらも、つい納得してしまった。

 何故太陽と月の神が、神殿の主神となったかは判らないらしい。千年前からそういうことになった、としかメルヴィンも知らない。

 確かに神殿の中で隠されて誓うよりは、大勢の前でしっかり誓ったほうが良さそうにも思えるが、恥ずかしさもあるのだ。


(はあ…。なんだか、どんどん凄いことになっている気がするな…)


 背中に汗が滑り落ちる。

 本来神は人の前に姿を現さないものだ。

 一万年前にアルケラ最後の巫女ユリディスが消えてから、キュッリッキが生まれるまで人間の世界に巫女は存在せず、神々の存在もまた遠いものとなった。

 新たなアルケラの巫女であるキュッリッキを通し、一部の人々は神の存在に触れた。

 今こうして目の前でふんぞり返る神は、亡きベルトルドとアルカネットの遠すぎる祖先にあたる。

 愛しい巫女の婚礼だからと、2人の婚礼衣装を引っ提げて早朝に降臨してきた。そしてすぐ帰ると思いきや、神官役をやると言い出して、メルヴィンと一緒にビーチに来てしまったのだ。


「我ら神々にとって、キュッリッキはもっとも愛おしい存在だ。結婚の誓いを承認する役は、俺の手でやりたい」


 そう言ってにっこり微笑むロキ神の顔は、驚くほどベルトルドやアルカネットに似ていた。


(なんていうか…)


 メルヴィンは胃のあたりにそっと手を当てると、


(ロキ神を通して、ベルトルド様とアルカネットさんの強烈なプレッシャーを突き付けられてる気がしてならないよ…。早くきてリッキー!)


 ワケノワカラナイ痛みがチクチクと神経を嬲っていく気がして、メルヴィンはひっそりとため息をついた。




「失礼致します」


 テントの外から、パール=エーリクが声をかけてきた。


「キュッリッキお嬢様がご到着なさいました。お式のほうを始められるそうなので、メルヴィン様と神官殿、準備をよろしくお願い致します」

「は、はいっ」

「やっと来たか。さあ行こう、メルヴィン君」

「はい」


 先頭きって意気揚々とテントを出たロキ神は、目の前の光景に目を丸くした。

 いきなり立ち止まったロキ神の背にぶつかって、メルヴィンは首をかしげる。


「どうかしましたか?」

「いやあ、人間って面白いねえ。ほら見て、人間のガードレールだ」


 式を行う祭壇までの道のりは、正規軍の軍人たちで隙間もなく左右埋め尽くされている。

 メルヴィンの目には見えないが、更に超能力(サイ)使いや魔法使いたちにより、見えない防御癖も築かれていた。


「たくさんの観客がいますからね。何もないように守ってくれているんでしょう」

「良き心がけだ」


 ロキ神はにこにこと頷いた。




 正規軍人たちの作る道を通り、ロキ神とメルヴィンは祭壇に上がった。

 祭壇は真っ白なバラと百合の花と、白いシルクのリボンでぐるりと囲んで飾られている。そして祭壇の周囲も正規軍人たちにより、ガードが完璧に築かれていた。

 やや遠巻きにして、招待客たちが座って祭壇上を見守っている。

 そこに親族やライオン傭兵団を見つけ、メルヴィンは緊張に顔を強張らせた。


(やっぱり、緊張するな…)


 人生初の結婚式。あまり何度もやるものではないが、初めての儀式を前にメルヴィンは緊張を隠せない。柄にもなく心臓がドクドクと落ち着きなく動いているのが判る。


(でも、やっと式を挙げられるんですね)


 ベルトルドとアルカネットの喪が明けるまではと、悲しみに暮れるキュッリッキのために我慢した。本音を言えば、一年前にすぐに式を挙げたかったのだ。なので、ようやくだという気持ちが強い。

 キュッリッキと出会い、初めて心の底から溢れんばかりの恋をした。幾人か付き合ったことのある女性はいたが、キュッリッキほど深くは愛せなかった。

 彼女を見ているだけで心の中は幸せで満たされ、触れるだけで彼女の全てを我がものにしたくて心が急いた。他の男が彼女に近づくだけで嫉妬が心を嬲り、浅ましい己の一面を垣間見る。

 結婚して家庭を共に築きたいと思えたのも、キュッリッキが初めてだ。自分の子供が欲しいと望んだのもキュッリッキだけ。

 これまで辛いことの多かったキュッリッキに、飽くほどの幸せの中で過ごさせたい。何れ生まれてくる子供たちと共に、幸せな家庭を作るのだ。

 そのことを思って表情が和んだところに、花嫁到着を知らせるファンファーレがビーチ一帯に鳴り響いた。




 正装したリクハルドに手を取られ、車から降りたキュッリッキの美しい花嫁姿に、ビーチは大歓声に包まれた。

 青空の元、陽の光を弾いて煌めく純白のウエディングドレス。女性たちの恍惚としたため息が辺りを席巻した。

 ファンファーレの音をかき消すほどの大歓声と拍手に、キュッリッキはびっくりして首をすくめる。


「ほーら、しゃんと背筋を伸ばして!」


 後ろでファニーが叱咤する。


「だらしのない歩き方をしないのよ、優雅に自信たっぷりにね」

「ふぁーい」


 優雅な歩き方はどんな感じだろうと悩み、キュッリッキはひっそりとため息をつくと顔を上げた。

 普段通りに歩けば問題ないかな、と自己完結する。


「では参りましょう、姫君」


 リクハルドがにっこり笑顔を向けると、キュッリッキは無言で頷いた。

 ビーディングベールで包まれたキュッリッキの顔は、白い靄がかかったようにはっきりとは見えない。ベールをあげ、はにかむその美しい顔を最初に見ていいのはメルヴィンただ一人。

 特別に敷かれた赤い絨毯の上を、リクハルドとキュッリッキはゆっくり進む。その後ろを、ファニーがベールの裾を手にして続いた。

 一歩一歩を踏み出すたび、キュッリッキは自分の人生を振り返っていた。

 両親に捨てられ、引き取られた孤児院では、誰一人優しくしてくれなかった。

 片翼のため、同族から蔑まれ冷たくされて居場所もない。

 結婚したいなど、微塵も考えたことがなかった。


(本当に色んなことがあったの…)


 ベルトルドと出会い、ライオン傭兵団に入ってから、様々なことがあった。

 楽しいことも、辛いことも、哀しいことも、たくさんたくさん経験した。

 そしてメルヴィンと出会い、生まれて初めての恋をした。

 愛し愛される喜びと幸せを知ることが出来た。それは、今は亡きベルトルドのおかげだ。


(ありがとう、ベルトルドさん)


 けっして許すことのできない行いをされたが、それを上回るほどの愛をもらった。

 片翼を取り戻してくれて、何よりメルヴィンに出会わせてくれたのだ。


(メルヴィン…)


 ウエディング・アイルの先に、祭壇の上に立つメルヴィンが見えた。


(もう後ろは向かないの。メルヴィンとまっすぐ前を向いて、一緒に歩いていくの)


 自分にはもったいない程の、素晴らしい男性であるメルヴィンと共に。

 祭壇前にたどり着いたキュッリッキの手は、リクハルドからメルヴィンへと優しく手渡された。




 花婿と花嫁が揃って神官の前に立つと、会場であるビーチは驚くほど静まり返った。

 本来神官の前で誓いを立てる新郎新婦の姿は、神殿の一室に在り、その他の人々が見ることはできない。それが、今回はオープンにされ、儀式は全てさらけ出されるのだ。

 儀式の様子は全世界にLIVEで中継されている。世界中にあるモニターには、この様子が映し出されていた。

 当然これは、皇王とリュリュが画策して実現していることである。


 波音さえも静けさの中に溶け込む中、凛としたロキ神の声が涼やかにビーチに流れた。


「我ら神々が最も愛する巫女キュッリッキ、そして、我らから愛しい巫女を奪う人間メルヴィン。2人の婚礼を執り行う」


 本来の神官の口上と違うことに、控える神殿の神官たちは顔を見合わせる。壇上の神官が本物の神であることに、神官たちは気付いていた。


「汝らの本当の誓いを、我が前に偽りなく示せ」


 ロキ神は穏やかに、しかし威厳をもって命じた。


(あれ、打ち合わせと全然違うな?)

(返事するだけでよかったんじゃなかったっけ?)


 メルヴィンとキュッリッキは揃って首を傾げた。

 困惑する2人に、ロキ神は意地悪な笑みを向ける。

 急に黙り込んでしまった壇上の様子に、会場が少しずつざわめき始めた。


「心に思ったことを、率直に言えばよい」


 微笑みながらロキ神は助け舟を出す。


(ふふ、考えてる考えてる)


 儀式に際して、神官が述べる口上は知っている。しかし唐突に意地悪を思いついた。ふと、あの時のことを思い出したからだ。


* *


 薄く灰色がかった曇天と、一面真っ白に覆われた雪原、そこに景色に溶け込んだように地面に座る、白い服を着た男をロキ神は見つけた。


「キミは眠りに就かないのかい?」


 ロキ神が陽気に話しかけると、男はチラリとロキ神を見て鼻を鳴らした。


「眠らん」


 つっけんどんな口調に、ロキ神はクスリと笑った。


「何を見ているんだい」


 男は急に優しい表情になり、とてもとても愛おしそうに、


「俺のリッキーを見ている」


 そう声も優し気に言った。


「あの子の人生は、この先まだまだ続くよ」

「ああ」

「メルヴィンという人間の男と共に」


 男の眉がピクピクッと痙攣する。


「し……仕方がない…」


 絞り出すような苦しげな声になって、男は握り拳を震わせた。

 その様子に、ロキ神は声を立てて笑った。


「そういえば、紫色の髪の毛の子はどうしたんだい?」


 一瞬寂し気な表情をして、男は地面を優しく摩る。


「リューディアと再会をした。そして、リューディアはアルカネットを受け入れ、そして2人は安らかな眠りに就いている」


 閉ざされた氷の中で。


「貴様の血の覚醒で、アルカネットは超能力(サイ)まで備えていることに気づかず、勝手に聞こえてくる他人の心の声に苦しんだ。実の親の本音まで見えてしまい、傷ついていたんだ」


 Overランクというとてつもない強大な力を持って生まれてしまったアルカネットを、心底恐れていた両親。


「訳も判らず、あいつは自分を守るために人格を増やしてしまった、無意識にな。全部、お前のせいだバカ者が!」


 男の噛みつかんばかりの形相に、ロキ神は冷や汗を浮かべて視線を明後日の方向へ流して誤魔化す。


「全てを見ていたリューディアは、アルカネットの想いも全て受け止め、そして一緒に眠りに就いた。アルカネットはようやく、魂からの安息を得たんだ」

「そうか…」


 冷たい氷の中で、少女に守られるように、子供のように眠るアルカネットが見えた。


「幸せそうな顔だね」

「ああ」

「キミはもう、リューディアのことは決着がついているんだね」

「当たり前だ。俺はもう、リッキーだけを愛している」

「迷いがないね」


 ロキ神は優しく男に笑いかけた。


* *


 死の国ニヴルヘイムの雪原で、今もきっとこの婚礼の様子を見守っているのだろう。

 死して尚、ああして見守り続ける男のためにも、2人の本当の誓いを聞かせてやりたくなったのだ。




 会場がざわつく中、メルヴィンが動いた。

 キュッリッキのほうへ身体を向け、意を決したように真剣な表情でキュッリッキを見つめた。


「オレは、恋愛に関しては凄くその、どん…かんで、リッキーから想われていることにも暫く気付いてなくて、リッキーを沢山傷つけてしまってました。守ると口にしながら、中々実行出来ず、肝心な時に守れてなくて、どうしようもない愚か者で…」


 突如の懺悔に、会場が再び静まり返る。


「でも、誰よりも、神々よりも、オレはリッキーを愛しています。何があろうとオレ自身もリッキーも、そして生まれてくるだろう子供たちも守り、幸せな家庭を築きたい。どうかオレの妻になってください、キュッリッキ」


 ちょっと照れ臭そうに表情を緩め、メルヴィンは微笑んだ。

 そしてキュッリッキの顔を覆いつくすベールをそっとまくり上げ、幸せに瞳を潤ませる花嫁の顔を見た。




 夫となるメルヴィンの真摯な誓いを受け、キュッリッキの胸は感無量でいっぱいに満たされた。


(あたしも、あたしの本当の想いを伝えるの!)


 ブーケをぎゅっと握りしめ、キュッリッキは溢れてくる想いを言葉にしようと口を開きかけた。

 しかし、


「う……」


 腹の底から迫り出してくる何かを、


「おええええっ」


 その場に思いっきり吐き出してしまった。




 会場は一気に騒然となり、ライオン傭兵団は驚いて飛び上がった。LIVE映像は急遽爽やかな海の景色に切り替わって音声が途絶えた。

 式の真っ最中に、突然花嫁が吐き出して倒れたのだ。


「リッ、リッキー!」


 気を失ってひっくり返りそうになるキュッリッキを、メルヴィンは慌てて抱きとめた。


(おや、おや…)


 その様子を目を丸くしてみていたロキ神は、にっこりと微笑んだ。


「大丈夫だよ、メルヴィン君」

「え、えっ、え?!」


 腕の中のキュッリッキと、にこにこと微笑むロキ神を交互に見て、メルヴィンはぐるぐると目を回していた。




 休憩用のテントに運ばれたキュッリッキは、駆け付けたヴィヒトリと2人きりになって診察を受けていた。


「いやあ…、さすがキューリさんですね、見事なゲロ」


 吐いていた時の様子を思い出し、シビルが薄笑いを浮かべて肩を落とす。

 突然の事態に、ライオン傭兵団はテントの周りに集まって、あれやこれやと言い合っていた。


「ねえファニーちゃん、キューリちゃんヘンなものでも食べてたの?」

「いえ、朝食しか食べてなかったと思うんだけどなあ」


 朝食堂で会ってから会場入りをするまでの出来事を思い出し、ファニーは眉を寄せて唸る。

 朝食は普通に食べてたし、不調を訴えてもいなかった。


「緊張のあまり吐いちゃったのかしらネぇ」

「緊張して吐くようなタマじゃあるめえ」


 マリオンの言葉を受けて、ギャリーはそれはねえよ、と首を振った。


「ちょっと小娘どーなってンのよ!?」


 そこへリュリュが血相を変えてすっ飛んできた。


「ったく、体調崩してたの?」

「元気そのもの、だったけど」


 ファニーは心配そうにテントを見る。

 メルヴィンの家族や皇王もテント前に押し寄せて、ヴィヒトリが出てくるのを見守っていた。

 それから30分後、ようやくヴィヒトリが出てきた。


「うわっ、すげー人だかり」


 あまりにも大勢詰めかけている様子に、ヴィヒトリはびっくりしてのけぞった。


「先生リッキーの具合は!」


 真っ先にメルヴィンがヴィヒトリに詰め寄る。


「心配イラナイよ、横になってる。落ち着くまでは寝かせておいて。もう少ししたら起き上がれるようになるから」

「病気なんですか? ドコが悪いんですか」

「そうじゃないから、落ち着いて」


 真っ青になって詰め寄るメルヴィンのほうが、今にも倒れそうだ。


「おめでとうメルヴィン、これでキミもパパだね」

「え」

「赤ちゃんが出来てるんだよ。まだまだちっちゃいけどね」


 にっこりと笑顔のヴィヒトリの言葉に、居合わせた人々から歓喜の大歓声が起こった。




「おめでとうメルヴィン!」


 ビーチを震わせるほどの大歓声に、一般客たちは訝しんだが、花嫁が妊娠していることが伝わると、一緒になって祝い騒ぎ出した。

 祝福コールはやまず、あちこちで勝手に祝杯が始まっている。

 仕事のために警備を続ける正規軍は大騒ぎこそしなかったが、皆あたたかな笑顔を浮かべていた。


「オレ達も始めようぜ祝杯をよっ!」


 ザカリーとヴァルトが酒樽を転がしてきて、ヴィーンゴールヴ邸の使用人たちがグラスを載せたトレイを運んできた。


「いやあ、子供はケッコンした後とか言ってたくせに、子供同伴結婚式になってんじゃんかよっ」


 ギャリーはビールのジョッキを片手に、メルヴィンの肩をバシバシ叩いて笑った。


「こ、これは予定外ってことで…」


 照れ照れしながらメルヴィンは苦笑する。まさか結婚式当日に妊娠が判明するとは想像もしていなかった。


「貴方もついに父親ですか…。仲間ですね、メルヴィン」

「はは、そうなりました」


 嬉しそうに微笑むカーティスも、最近息子を授かった一児の父親だ。


「オレ、リッキーの傍に行ってきます」

「ええ」


 主役そっちのけで盛り上がる客たちに笑みを残し、メルヴィンはテントに入っていった。




 テントの中は、魔法によって外の騒音を遮断され、静けさに満ちている。

 簡易ベッドに仰向けに寝ているキュッリッキは、すでに目を覚ましていた。


「リッキー…」


 ベッドの傍らにそっと膝をつき、メルヴィンはキュッリッキの小さな手を優しく握る。


「ごめんねメルヴィン、いきなり吐き出しちゃって。服、汚れてない?」

「大丈夫ですよ。ドコも汚れてませんから」

「よかったの」


 ホッと息をついて、キュッリッキはゆっくりと瞬いた。

 ウィディングドレスも汚れていなかった。


「あのね、アタシのおなかの中に、メルヴィンの赤ちゃんがいるんだって」

「はい」

「不思議、全然判らなかった…」

「そうなんですね。オレもちっとも気付いてあげられてませんでした」


 情けないな、と心の中でメルヴィンはため息をつく。

 体調の変化や何か、気付けたことはあったはずなのにと、自らツッコミまくって気分が凹む。


「これからどんどん大きくなって、おなかもおっきくなって、春ごろには赤ちゃん出てくるって」

「春ごろかあ、楽しみでしょうがありません」


 キラキラと顔が輝いているメルヴィンに、キュッリッキは優しく微笑んだ。しかしすぐ表情を曇らせ、顔を仰向ける。


「アタシ、お母さんって存在がどんなものか、よく判らない。ベルトルドさんのお母さんやメルヴィンのお母さんを見ても、やっぱりよく判らなかった」


 実の母親には、育ててもらったことなんてない。優しくしてもらったことも、厳しくしてもらったことも、何一つないのだ。

 子供が出来れば、否応なく母親になってしまう。心構えがどうのと言っても、産めば母親なのだ。


「怖い…、アタシ、怖い」


 赤ちゃんの居るお腹を中心に、不安が全身に波紋のように広がる。ジワリ、ジワリと広がるのだ。

 おかあさんになってみようと決心をした。でも、いざ妊娠してみると、不安だけが押し寄せてくる。おなかの中に不安の塊が出現したような気になってきてしょうがない。


「アタシみたいなのが、本当に母親なんかになれるか判んない。きっとなれない、母親ってもの知らないもん。無理だよ、絶対!」

「そんなことありません!」


 メルヴィンはギュッとキュッリッキの手を握る。


「確かにリッキーは、普通の家庭というものを知らない。けど、誰でも手探りから始まるんです。リッキーもまず自分で思ったように接していけばいい。迷ったら、オレの母に相談したり、グンヒルド先生に訊いても良い。そうして自分で作り上げていくんです、母親というものを」


「自分で…」

「オレだって、父親がどういうものか判っていませんよ」

「でも、メルヴィンにはお父さんいるよ?」

「オレの父は、道場で剣術の師であり、国の評議員です。今思い起こしても、普通の家庭の父、というのとは大きくかけ離れていました。もちろん親子として接してくれたことも有りましたが、そうだなあ……師匠、って感じですね、正直」


 思い出せるだけ過去の記憶を思い出すが、誰もが思い浮かべるような『家庭の父親』という表現から見事にかけ離れすぎていた。

 敬愛はしているが、父親というより師匠という表現がしっくりくる。


「だから、オレも自分が思うような父親として、ちゃんとできるか正直不安です」


 本気で困るメルヴィンの表情を見て、キュッリッキはどこか安心したような気持になった。

 自分だけではない、メルヴィンだって初めてのことなのだから。


「メルヴィンも、不安なんだね…」

「はい」


 胎内に新しい命が宿り、数か月を経て生まれてくる。それまでキュッリッキは、お腹の命に対する不安、無事生まれてくるかの不安、生まれてくる赤ん坊が片翼になってはいないか、たくさんの不安を抱えていくのだ。

 そんなキュッリッキのためにメルヴィンが出来ることは、傍にいて支えてやることだけ。励まし、少しでも不安をぬぐってやることだけだ。


「リッキー、赤ちゃんにとって、良いおとうさん、良いおかあさんになれるよう、一緒に頑張りましょう。時間はまだまだありますから、ね?」


 励ましてくれるメルヴィンの顔を見て、キュッリッキは小さく笑んだ。


「それと」

「うん?」

「赤ちゃんの名前を考えないと…」


 キュッリッキは一瞬目を丸くしたが、すぐ真顔になると、


「それは、メルヴィンが考えてくれるよね?」

「え」

「あんまり悩んでばかりだと、赤ちゃんによくないからって、ヴィヒトリ先生言ってたもん」

「そ…そうなんだ…」


 キュッリッキにサクッと返されてしまい、これは大変な宿題が出来てしまったと、メルヴィンは頭を抱えた。




 陽が沈みかける頃、キュッリッキとメルヴィンがテントから出てきた。


「あ、リッキー大丈夫なの?」


 テントの近くにいたファニーが、気付いて心配そうに駆け寄った。


「うん、もう気持ち悪いのおさまったの」

「そっかあ。まだ顔色あまりよくないけど、無理しちゃだめよ」

「はいなの」

「それにしても、凄い盛り上がってますね」

「主役が居なくったって、人は盛り上がれるものなのよね」


 肩をすくめてファニーは苦笑う。

 キュッリッキが妊娠していると判ったときから現在まで、ビーチは大盛り上がりをしてる。

 酒に歓声に音楽に、もはや何を祝っているのかすら判っていない勢いだ。


「大丈夫かな、キュッリッキ」

「ロキ様」


 神官服を着たままのロキ神が、ニコニコと群衆の中から出てきた。


「面白いねえ人間たちは相変わらず。誰彼かまわず酒を進められて、もう何杯飲んだか判らないよ」


 その割に全然酔った様子はない。


「ロキ様大酒飲みだもんね」

「トールとよく飲み明かしているからね」


 アルケラに遊びに行くと、よくロキ神とトール神が、大甕から酒を汲んで飲んでいる姿を見たことがあった。


「ところでキュッリッキ、誓いの続きをしようか」


 一瞬何の事だろうとキュッリッキはきょとんとなったが、自分の番になって吐いて言いそびれたことを思い出す。


「そうだった」


 キュッリッキはチラリとロキ神を見て、そしてメルヴィンのほうを向く。


「えと…」


 ポッと頬を紅く染め、キュッリッキはメルヴィンの顔をじっと見つめる。


「アタシが愛してるのはメルヴィンだけ。メルヴィン大好き!」


 そう叫ぶように言って、キュッリッキは元気に微笑んだ。


「あんたってコは、もうちょっと飾って言いなさいよ誓いなんだからもう」


 ファニーは呆れて額を押さえた。


「いえ、ストレートで心にグッときました。ありがとう、リッキー」


 メルヴィンはキュッリッキを抱き寄せキスをした。


「これで誓いの儀式は完了だ。俺から一つ、祝いを贈ろう」


 2人の様子に満足したように笑むロキ神は、くるりと群衆のほうを向くと、


「花嫁のおなかには、双子が宿っているぞ!」


 そうビーチ中に轟くほどの大声で叫んだ。


「ええっ!?」


 キュッリッキとメルヴィンはその場に飛び上がって驚いた。そして、ロキ神の言葉に群衆はさらにテンションを上げて盛り上がった。

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