189)幸せな結婚・前編
「天気ヨシ! 準備ヨシ! 客の入りヨシ!!」
ガエルに肩車をしてもらっているシビルは、小さな指で天を指し、テントを指し、群衆を指して大きく頷く。
「雲一つナイ晴天だよね~。さっすが神様がバックについてる花嫁の奇跡」
ルーファスは嬉しそうに微笑んだ。風は時折優しく凪いでいくくらいだ。
「リュリュさんがウルホ街にも、臨時の乗合馬車をいっぱい回してるらしいぞ」
「行政街のほうへもみたい」
ウルホ街には大陸鉄道の駅があり、行政街にはエグザイル・システムがある。
「こりゃ酒足りっかなァ、美人コンテストの時よか多いんじゃね?」
「今のウチに追加を買い付けに走らせたほうがいいかもだな」
「飲食店も露店を出すし、なんとかなるんじゃ」
海辺の港街ハーツイーズにあるビーチに押し寄せてくる参列客たちに、ライオン傭兵団は目を丸くしていた。
昨年の美人コンテストの時より、明らかに多かった。
「タダで酒飲み放題、料理食べ放題だからな、そりゃ集まるだろうさ」
「それだけじゃないよ。召喚士様の結婚式だよ、世界中が注目してるさ」
「皇国軍の警備も大変だな、ありゃ」
「海に潜って警備にあたる部隊もあるらしいぞ」
「軍艦が遠くに見えるよねえ~」
「特殊部隊も全部出動してるらしい」
「招待客がVIPすぎるからな…」
今日は、ライオン傭兵団が待ちに待った、ビッグイベントの開催日である。
メンバーのメルヴィンと、元メンバーのキュッリッキ、2人の晴れ舞台だ。
何か月も前から入念に準備をして、みな胸が躍っている。
「リュリュさんが派手に世界中に宣伝したっぽい」
「それであの数の群れか…」
ハワドウレ皇国の皇王付き首席秘書官であり、キュッリッキの後見人でもあるリュリュが、今日のおめでたい行事を世界中に宣伝したらしい。
「リュリュさんも親ばか根性が御大並みにあったってこったな」
薄笑いを浮かべるギャリーに、深い頷きがチラホラ起こった。
美しい花嫁姿のキュッリッキを、世界中に見せびらかして自慢したいのだ。
「不測の事態に備えて、抜かりなく手配しておきましょう。失敗は許されませんよ、みんな」
鬱陶しいすだれのような前髪を払いのけ、団長であるカーティスはビシッと言った。
* * *
正装を終えたメルヴィンは、一人姿見の鑑の前に立ち、鏡の中の自分をじっと見つめている。
アルケラの神々が作ったメルヴィンのスーツは、アイボリーに近い白で、少しでも動くと虹色の輝きを放つ。
デザインはありきたりのものだが、淡い光に包まれ、神々しささえ感じる。
「やっと、今日を迎えた」
ぽつり、とした口調でメルヴィンは呟いた。
ベルトルドとアルカネットと壮絶な戦いを経て、最愛のキュッリッキと結ばれた。
2人はすでに他界しているが、キュッリッキの気持ちを思うと、あの2人にも式に出てほしかったと今は考えられるようになっていた。
きっと、歯ぎしりしながら悔しがるだろうが、同時にキュッリッキの花嫁姿に涙しながら感動するに違いない。
複雑な事情を抱えていたにせよ、2人はキュッリッキを愛し、大切に思っていたのだから。
そしてメルヴィン自身、今日という日は一つのけじめである。
キュッリッキは自分の花嫁であると、世界中にお披露目するのだ。
今はもう一緒に暮らしているが、キュッリッキの夫であるということをこれで強く実感できる。
「支度は出来たかい?」
ノックもそこそこに、黒のスタンドカラーの長衣を着こんだ従兄弟のイライアスが顔を出した。黒い衣装はアッペルバリ交易都市での祝いの席の正装である。
「ええ、出来ました」
イライアスに笑みを向ける。
「素晴らしいスーツだな。これがキュッリッキさんの言ってた、神様が作ったってやつか」
「ええ」
「光っても全然下品に見えないのがさすがだな」
心底感心したように頷くイライアスに、メルヴィンは苦笑した。
「エルシーは?」
「アリスター様達と先に会場へ出発したよ。我々も会場へ向かおう」
「はい」
* * *
「本当にお美しいです、お嬢様」
「お嬢様自身が光のようですわ」
「ホント、なんか輝いてるかも…」
鏡に映る自分を見て、目がチカチカするなあとキュッリッキは薄笑った。
メルヴィンのスーツはアイボリーに近い白色だが、キュッリッキのドレスは純白だ。そこへ淡い虹色の輝きがあり、動くと星の煌めきが弾ける。
アルケラの最高神であるティワズ、ロキの2人が渾身を込めて作り上げたという。光の神バルドルも強制参加させられたらしい。
神々の気合がたっぷり織り込まれた、この世で最強の花嫁衣装だ。
「準備終わった?」
そこへオレンジ色のドレスを身にまとった、ブライズメイド姿のファニーが顔を出した。
「わお、夜でもドコにいるか判る感じね」
「マーゴットの凄いドレスとは違った意味で目立つよネ」
「そうねえ、アレは酷かったわあ…」
下品と悪趣味を同居させた、マーゴットのまとったウェディングドレスは強烈に記憶に刻まれている。
「まあ、目立ちはするけど、下品じゃないから大丈夫よ。所謂神々しい、ってやつね」
「ほむ」
「準備は出来たかいキュッリッキちゃん!」
突然ドアをバーンっと開けて、グレーのタキシード姿のリクハルドが飛び込んできた。
「おおお、なんて神々しいんだろう! 女神のように美しいキミをエスコート出来るなんて、長生きはするもんだよねえ」
キュッリッキの足元に跪きながら、リクハルドは感無量の笑顔でしみじみ言う。
リクハルドは今は亡きベルトルドの父親で、見た目はまだ30代で通りそうなほど若々しい。でも実はもう60代だったりする。
2メートル近い長身に、女性をとろかすような甘い笑みが板についている美丈夫だ。しかし女性に接するときのリクハルドは、やはりベルトルドの父親だと実感させるところが端々に見えていた。
「さあ行こう、キュッリッキちゃん、ファニーちゃん」
立ち上がったリクハルドは、流れるように優雅な動作で2人のレディの手を取る。
呆気に取られていたファニーは、ハッとなってキュッリッキの顔を見て、そして苦笑した。
どこか懐かしそうに、そして嬉しそうな笑顔をしていたからだ。
キュッリッキには父母がいない。
血のつながった生物学上の生みの親は存在しているが、キュッリッキが生まれたときに親権を放棄している。
そして1年前に最悪の形で再会し、親子の縁というものは完全に絶たれたのだ。キュッリッキに未練はない。
ウエディング・アイルを歩く時のエスコートをしてくれる相手がキュッリッキにはおらず、身近な執事のセヴェリに頼もうと考えていた。そのことを言い出すと、皇王とリクハルドが奮然と名乗り出て、ちょっとした喧嘩になった。
ダイニングテーブルを挟んで対面した2人は、身を乗り出しながら、
「その役は、当然ワシがするのが筋じゃ!」
鼻息荒く皇王が断固として言う。
「いえいえ、亡き息子の代わりに私がすることこそ当然なんですよ」
ベルトルドの父リクハルドが、顎をそらし跳ねのけるように言った。
アルカネットの父イスモと、リュリュの父クスタヴィも名乗りを上げていたが、リクハルドによって速攻却下されている。
同じ問答を30分以上も続けており、周りはうんざりと2人を眺めていた。
「だったら、ジャンケンして決めたらいいでしょ」
荒ぶる皇王と夫の様子を冷めた目で見つめながら、サーラがめんどくさそうに提案すると、激しいアイコの応酬合戦を経てリクハルドに軍配が上がった。
しょんぼり肩を落とした皇王を、皇后が慰めにかかる。
「まあ、はたから見ると皇王様と歩いてたらおじいちゃんと孫って感じだし、リクハルドさんと歩けば親子って見えそうね」
隅のほうで見物していたファニーは、ゲッソリとしながら薄笑う。
「結婚式は明日だろ? なんで皇王様がここにいるんだ…」
ハドリーはビール瓶を片手に、呆れたように呟いた。
「渋滞して遅刻したら大変だからって、今夜はここに泊まるんだって~」
肩をすくめながらキュッリッキは苦笑した。
明日のハーツイーズ街は人や馬車でごった返すだろう。それを考え、皇王は張り切ってやってきたのだ。
皇后と侍従も一緒に来ているので、現在のヴィーンゴールヴ邸周辺は、超厳戒態勢になっている。
邸内にも多くの軍人たちがひしめき、使用人たちは戦々恐々と仕事中だ。そのことを申し訳なく思いつつ、自分のためにこうして集まって祝ってくれることに、キュッリッキは心の底から感謝していた。
* * *
結婚式会場のあるビーチまで、キュッリッキ、ファニー、リクハルドの3人は車で向かうことになっていた。
メルヴィンや招待客たちは、すでに会場入りしている。
昨夜のことを思い出しながら、キュッリッキは隣に座るリクハルドに視線を向けた。
ベルトルドは母親のサーラによく似ているので、ぱっと見では感じないが、無邪気な笑みを浮かべるリクハルドの横顔は、生前よく見たベルトルドの笑顔にそっくりだ。
(ベルトルドさん…)
今はもう居ない、その魂は死者の国ニヴルヘイムにあるベルトルドに思いを馳せ、キュッリッキはしんみりとした気分になり、目に涙を浮かべた。
ベルトルドが生きていれば、エスコートをせがんだ。
メルヴィンに文句を言い悔しがりながら、でもきっとベルトルドは祝福してくれる。いつものあの優しい笑顔で「おめでとうリッキー」と言って、ギューッと抱きしめてくれるだろう。
「どうしたんだい、キュッリッキちゃん」
俯いたキュッリッキの様子に気づいて、リクハルドは優しい笑顔を向ける。
「ベルトルドさんのことを、ちょっと思い出しちゃったの。リクハルドさんの笑顔、ベルトルドさんにそっくりだから」
「ははっ。あいつはサーラ似だけど、確かに笑顔はよく似てると言われてたねえ」
懐かしそうにリクハルドは笑った。
「こんなにきれいで美しいキュッリッキちゃんを、間近で見られなくてさぞ悔しいだろうなあベルのやつ。帰ったら墓の前で散々自慢してやろう」
腕を組んでウンウン頷くリクハルドの顔は、
(よくないことを考えてるベルトルドさんにそっくりなの…)
キュッリッキは薄笑いを浮かべ、ひっそりとため息をついた。
ハワドウレ皇国の皇都は、城壁に囲まれた巨大な街ハーメンリンナを中心に、海まで扇状に広がる一帯を総称して皇都イララクスと言う。
ハーツイーズ街は皇都に含まれる海の玄関口だ。
普段から広大な港に大小さまざまな船が乗り入れ、荷物や人が下ろされ乗り込んでいく。
港の近くには大きな市場があり、飲食店も多く、たくさんの人であふれかえっていた。
街の沿岸には整備された美しいビーチがあり、海水浴シーズンには観光客でいっぱいになるが、今日の混雑さはそれをはるかに上回る。
神々の世界アルケラから、神やその世界の住人たちを招き、不思議な力をふるうことのできる召喚士様の結婚式が、このビーチで執り行われるのだ。
そのことが世界中に大々的に宣伝され、興味津々の人々が集まっている。
かつてモナルダ大陸戦争の時にスクリーン越に見せられた、召喚された巨大で恐ろし気な神獣たち。
あの神獣を手懐ける一人の美少女のことを、人々はまだ記憶に残している。
また何か見せてもらえるのではないか、と期待する者もいた。タダ酒、無料飲食の点はオマケだろう。
「うわあ、すっごい混雑してるの」
車中から外の様子を見て、キュッリッキは目を丸くした。
キュッリッキたちの乗る車がスムーズに通れるように、ハーツイーズ街の入り口から皇国正規軍により、特別規制が行われている。
石畳の車道を走る車は、独特の音を発しながらビーチを目指す。電気エネルギーで動く車など見たこともない人々は、興味津々で車が通過するのを見守っていた。
車の窓は特別仕様で、外から中があまり見えないようになっている。中から外はくっきりと見ることができた。
「世界中から駆けつけてるのね、あんたの結婚式に」
うようよと蠢く群衆を眺めながら、ファニーも呆れたような声で苦笑した。
「祝うってより、物珍しくて見物に来た、って感じよね。ぶっちゃけちゃうと」
「そうかもしんない…」
「まあでも、祝い事は盛り上がったほうが楽しいし」
リクハルドがにっこりと言うと、ファニーとキュッリッキは顔を見合わせ「だね」と言って笑った。
「それにしてもこの人たち、全部ビーチに入るのは不可能よね。きっと会場のほうも埋まってそう」
「タブン、入りきらないと思う」
ビーチの広さに収まり切れないこの群衆を、どう処理するのか。それを精いっぱい想像し、「無理だな」という結論に達した3人は、ゲッソリとした息を吐き出すのだった。