181)ミセス・サーラの嘆き
「明日はパーティーですよ。もう寝ませんか? リッキー」
ベッドに腰掛けて、メルヴィンは脱力気味に声をかけた。いつもなら、もう寝ている時間を過ぎている。
「あともうちょっとやるの!」
キュッリッキは奮然と言い返す。
「そ、そうですか…」
昼間はカーティスと一緒に、アジト再建現場を視察したりしていたので、キュッリッキのことは帰宅してからギャリーたちに聞いている。
美麗な翼を広げ、踏ん張るような表情で必死に力む姿は、とても眠りに誘える様子ではない。
「ぐぎぎぎぎ…動けー、動けえ」
念仏のように何度も呟きながら、しかし翼はウンともスンとも動かない。
「んもー! なんで動かないのよー!!」
両手を上にあげて、キュッリッキは叫んだ。
毛足の長い敷物の上にペタリと座り込み、悔しそうにバシバシ敷物を叩く。そのすぐそばで、フェンリルが呆れたように首を振り、フローズヴィトニルは欠伸した。
翼の大きさが揃えば、簡単に飛べる。そうキュッリッキとフェンリルは思っていた。ところが実際は、飛ぶ以前に翼が動かない。
アクセサリーのように、背にくっついているだけ。
両頬をぷっくり膨らませ、拗ねているキュッリッキにメルヴィンは苦笑を浮かべた。そして立ち上がると、キュッリッキの隣に膝をつく。
「リッキー、焦らないで」
「だって」
「これから毎日でも、練習できるんですから」
「…ずっと、飛びたかったんだもん」
メルヴィンはアイオン族ではない。
翼を広げ風に乗り、自由に羽ばたくことがどれほど嬉しいことか判らない。自分がどれだけ夢見ていたことなのか、メルヴィンは知らないのだ。
そんな気持ちを込めて、キュッリッキはメルヴィンを軽く睨みつけた。
「リッキー…」
キュッリッキの気持ちが心に突き刺さり、メルヴィンは悲しそうに表情を曇らせる。それに気付いて、キュッリッキはハッとなって顔を背けて俯いた。
「ごめんなさい」
慌てて謝った。
(アタシのバカ!)
飛べないことに苛立って、メルヴィンに八つ当たりしてしまった。そのことをキュッリッキは恥じた。
そんな様子からキュッリッキの気持ちを感じ取り、メルヴィンは優しく微笑む。
「いえ、リッキーの気持ちにも気づかず、オレのほうこそ無遠慮でごめんね。でも、もう遅いですから寝ましょう」
「うん…」
優しく言ってくれるメルヴィンに、キュッリッキは頷くと翼を消した。
翌日、昼前に3人の来客があった。
「お招きありがとう、キュッリッキちゃん」
両手を広げて笑顔全開の女性は、まだ30歳前半にしか見えない美女だ。
「いらっしゃい、サーラさん、レンミッキさん、カーリナさん」
キュッリッキは嬉しそうにサーラに抱きつく。
「お招きありがとう」
同じく30歳前半にしか見えないレンミッキが、美しい顔を優しい笑みで満たした。
「私まで来ちゃって、良かったのかしら…」
遠慮するように控えめに笑んだ女性は、年相応に60歳前後くらいの容貌のカーリナだった。
「もちろんです。遠路はるばる、みなさんお疲れでしょう」
メルヴィンも3人を歓迎した。
「リクハルドさんとイスモさんとクスタヴィさんは?」
レンミッキとカーリナともハグをしたキュッリッキは、不思議そうに首をちょこんと傾げる。
「あの3バカ亭主どもは、お仕事があるのでこれなかったわ。リクハルドがいるから、食事には困らないわよ」
にこっと笑顔で言い捨てるサーラに、キュッリッキとメルヴィンは、
(さすが、ベルトルドさんのお母さん…)
そう、内心霜が降りた。
今日はクリスマスパーティーをヴィーンゴールヴ邸でおこなうので、シャシカラ島の3家族を招待していた。
サーラは亡きベルトルドの母、レンミッキは亡きアルカネットの母、カーリナは健在のリュリュの母だ。
ベルトルドとアルカネット亡き後、遺灰を届けるためにリュリュに連れられて、キュッリッキとメルヴィンはシャシカラ島を訪れ、彼女たちと知己を得た。
数日の滞在ではあったが、3家族と2人は仲良くなったのだった。
「3人とも、いつまでゆっくりできるの?」
「年明けまでは滞在させていただこうかと思っているのよ。ご迷惑じゃなければね」
控えめに言うレンミッキに、キュッリッキは「全然かまわないの」と、にっこり笑った。
「好きなだけ居てね。そだ、ハーメンリンナの中、案内してあげるの!」
両掌を打ち付けキュッリッキははしゃぐ様に言う。クリスマス週間と新年の数週間までは、ハーメンリンナの中の装飾は派手の極みである。壁の外側は惨憺たる有様だが、内側は別世界なのだ。
「まあ楽しみ! それに、イララクスの中のあちこちも、観光していきたいわね」
そうサーラが言ったとき、キュッリッキとメルヴィンの顔がひきつった。
「?」
首をかしげるサーラに、
「い…、今はちょっと…」
メルヴィンが声のトーンを下げて呟いた。
現在の街の有様を見れば、「何故こうなったの!?」と事情を聞きたがるだろう。まさか、「あなたの息子がやったんですよ」などと口が裂けても言えない。そうメルヴィンが内心ひっそりと嘆息していたのに。
「ベルトルドさんが木っ端微塵に吹っ飛ばしちゃったから、今あちこち工事中なの。――あ、全部じゃないけど」
「え?」
「リ、リッキー!」
「あっ」
ペラペラと白状したキュッリッキに、シャシカラ島のマダム達の驚きの視線が集中する。
その様子を遠巻きに見ていたライオン傭兵団は、残念なため息を露骨に吐き出していた。
* * *
「サーラさん、パーティー始まる前に酔いつぶれちゃうよう…」
ソファにふんぞり返って脚を組んで座るサーラに、キュッリッキはおっかなびっくり声をかけた。
シルクの光沢がより際立つ真紅のノースリーブなドレスに、3重に巻いたネックレスはゴールド。化粧は厚くはないが、形のいい唇にはドレスと同じ色の紅がカッチリひかれている。
「イイのよっ! 全くあのガキゃあ、Over〈才能〉だからって好き放題しちゃってもう!」
うっかり口を滑らせたキュッリッキから衝撃の事実を聞いて、そこからメルヴィンやライオン傭兵団から詳細を説明された。
その後ゲストルームで撃沈していたサーラだが、パーティーのために着替えて、メイドに案内されてパーティールームへ入ると、酒の置いてあるテーブルに近づき、瓶ごとウィスキーをふんだくり今に至る。
サーラはウィスキーを何杯も煽って、すっかり出来上がっていた。
まさか死んだ息子が生前皇都を半壊させたなどと聞かされるとは、流石に思わなかっただろう。とんだクリスマスプレゼントである。
アルコールで白い肌は赤らんで、すわったあの鋭い目つきは怒ったときのベルトルドにそっくりだ。
「サーラちゃんは一度アルコールが入ると、中々止まらないのよね」
ウフッとレンミッキは微笑む。サーラとは対照的に、黒いノースリーブのドレスをまとい、アクセサリーはシルバーだ。
「スイッチも入ったわね…。久しぶりに見たわ、サーラの酔っ払った姿」
フゥとため息をついて、カーリナはヤレヤレと肩をすくめた。光沢のあるブラウン生地の、シンプルなドレスを身につけている。アクセサリーはちょうどいい大きさの真珠だ。
「キューリがヨケーなこと言うからだ、バカめ!」
「わざとじゃないもん」
黒いタキシード姿のヴァルトにツッコまれ、キュッリッキは渋面で明後日の方向に視線を泳がせる。
キュッリッキに悪気は全くなく、するっと口が滑って言ってしまっただけだ。それによってサーラがどういった反応を示すかなど、親を持たないキュッリッキには想像がつかなかった。
あんなふうに荒れるものなんだと、今は申し訳なさでいっぱいだ。
もっともいち個人の力によって、皇都の広範囲を一瞬にして吹っ飛ばすなど、ベルトルド以外だとアルカネットくらいしか出来ない荒業だ。そんな破壊力など無縁の、世間一般の親たちの想像を絶するレベルである。
「皇都を吹っ飛ばしただけじゃあきたらず、大陸を半壊させたなんて…。最近の海難事故の多さもそれが原因だったのね。海が荒れる日が多かったけど。――ああ…、どう世間様にお詫びすればいいのよう」
テーブルに突っ伏して、サーラは大声で泣き出した。説明を受けてる最中に、新たな罪状まで明かされてしまったのだ。
「あらあら、サーラちゃん泣かないで。ウチのアルカネットも共犯なんだから、ベルトルドちゃんだけの責任じゃないのよ」
優しい笑顔の下に怒気を潜ませ、レンミッキはサーラの背中を優しく撫でる。
(さすがアルカネットさんの母親だあ…)
様子を見守るライオン傭兵団は、心の中でがくぶると震えだす。
(強い血の繋がりを感じる)
あのそつのない優しい笑みの下の、真の表情がうっすらと見えるのだ。
「やーだもお、だぁれ、この喧しい泣き声は」
「いらっしゃい、リュリュさん」
気づいたキュッリッキが顔を向けると、淡いパープルのタキシードに身を包んだリュリュが、颯爽とパーティールームに入ってきた。その後ろから、軍服姿のパール=エーリクとパウリ大佐が続いた。
「喧しいって言うな! オカマの分際で!!」
「ンまっ、サーラおばちゃんいたのっ! 思わずベルと勘違いしちゃったわよ」
きっとベルトルドを女にしたら、あんな感じだろう。恐ろしい程似ていると、パウリ大佐とパール=エーリクは心の中で深く頷く。
「ママとレンミッキおばちゃんも。見えないオヤジ衆は、寂しくお留守番かしら?」
「ええ、女3人でお邪魔させてもらってるわ」
どこか気まずそうな表情で、小さくカーリナが答えた。それには「そう」と素っ気ない声で、カーリナには顔を向けずリュリュは呟いた。
リュリュもまた、家族とは複雑な関係である。改善していくよう踏み出したばかりで、まだまだ時間はかかりそうだった。
「それにしても、なんだってサーラおばちゃん荒れてるの?」
「えっとね…」
説明責任をとれ、と言わんばかりのライオン傭兵団の痛い視線にチクチクされて、キュッリッキは仕方なく経緯をボソボソ語った。
聴き終わったあと、リュリュは肩をすくめながら苦笑する。
「まあ…、計画のためにモナルダ大陸で各国の王様達ぶっ殺したとか、召喚〈才能〉持った女子たち大勢を生贄にしたとか、ブロムストランド共和国の首相と首都を吹っ飛ばしたとか…トテモじゃないけど言えないわねえ」
お小遣いをはたいてストリップ劇場を買収した話のほうが、いくらかマシかもしれない。などと、ルーファスは思ってしまう。実際、多額の負債を抱えて自殺を考えていた元オーナーと、失業する不安を抱えていたストリッパーたちは首を吊らずに済んだ。
ベルトルドのしでかした粗相は、全てにおいてレベルが桁違いなのだ。もう当人が死んでしまっているので、責任を取らせるわけにもいかないが。
「クリスマスパーティーとベルとアルのお別れ会だから、いっそのこと全部洗いざらい聞かせてあげてもいいかもねン」
「そ、それは酷過ぎますから…」
ゲッソリとカーティスに止められ、リュリュはフフンと意地悪く笑った。