177)メルヴィンの実家へ
「忘れ物はないか?」
「うん。アリサが詰めてくれたから大丈夫だと思う」
ギャリーはカバンの中身を覗き込み、忘れ物はしていないかチェックしている。
「お土産は?」
タルコットも同じように覗き込む。
「メルヴィンのカバンに入ってるよ」
キュッリッキはメルヴィンのカバンを指さした。
「ハンカチとちり紙は、服のポケットに入れておくと安心ですよ」
「バナナは持った~?」
カーティスとハーマンの言葉に、キュッリッキはハッとなる。
「バナナはいりませんよ、リッキー…」
またみんなに遊ばれているキュッリッキに、メルヴィンはヤレヤレと頭を振る。
今日はついに、メルヴィンの実家へ行く日だ。
「実家までは遠いのか?」
つまらなさそうにしていたザカリーが問うと、
「割とすぐです。エグザイル・システムからオレの実家まで、徒歩10分くらいですから」
「うへ…、便利なところに住んでたんだなあ」
「さほど広い街ではありませんしね」
「オレらんとこは、こっからだと汽車だし、結構歩くんだよな。馬車捕まんねーと」
「そうそう。もうちょっと駅馬車の数増やしてほしいよねえ」
ギャリー、ルーファス、ザカリーの3人は同郷で幼馴染だ。
「さてリッキー、行きましょうか」
「はーい」
「では、一週間ほど留守にしますね」
「キューリちゃんガンバッテ~」
「いってらー」
「いってらっしゃーい」
みんなに見送られ、キュッリッキとメルヴィンは出発した。
メルヴィンの実家までは、エグザイル・システムで飛んで、徒歩10分で着くという。殆ど近場に出かけるくらいのお手軽さだ。
エグザイル・システムの順番待ちをしながら、キュッリッキはそわそわと落ち着かない。
「今日は目が覚めてから、ドキドキが止まんないよう」
キュッリッキは両手をギュッと握り締め、額に冷や汗をかいていた。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。もっと気楽にして」
「だって、メルヴィンのおとうさんとおかあさんに会うんだよ、緊張するもん」
キュッリッキの様子を見ながら、実際はそういうものかな、とメルヴィンは思う。
自分は両親と普通に家族関係でいるからいいが、キュッリッキは両親と絶縁している。戸籍に入れられていないし、捨てられていた。
もしキュッリッキが家族と円満に家族関係をもっていれば、メルヴィンはキュッリッキの両親に「娘さんをください」と、頭を下げることになっていたのだ。
そんなことになっていたら、やはり自分もこんなふうに緊張に塗り固まって、生きた心地がしないのではないだろうか。
「今日明日辺りは何やら賑わいそうですが、以降は街を案内します。それを楽しみに頑張ってください」
「う、うん」
「次の方どうぞ」
エグザイル・システムの壇上前で整理をしている係員から声がかかり、キュッリッキとメルヴィンは壇上へとのぼる。
「さあ、行きましょう」
メルヴィンはアッペルバリ交易都市の首都、ムルトネンのボタンを押した。
ワイ・メア大陸の西の方にあるフロックス群島に、商人たちが築いた国、アッペルバリ交易都市がある。
国としての規模は小さいが、貿易で成り立っている国で、特に海路での貿易が盛んである。島の一つと大陸は巨大な橋で繋がっていて、陸路での交易も行われていた。
国は有力な商人たちによる評議会が治めていて、体裁は自由都市と変わりがない。しかし、エグザイル・システムを有しているので、アッペルバリ交易都市は『国』として扱われているのだった。
「久しぶりに帰ってきたなあ…。んー、15年ぶりかな?」
エグザイル・システムの建物を出ながら、メルヴィンは懐かしそうに周囲を眺める。
「ついに、きちゃったよ…」
カバンを胸に押し当てるように抱きしめ、キュッリッキはおっかなびっくり足を進めている。
「さあ行きましょう、リッキー」
メルヴィンが差し出した左手をキュッリッキは握って、緊張に緊張した顔を上げた。
アッペルバリ交易都市の首都をムルトネンと言う。元々このムルトネンから国は興り、当初はムルトネン交易都市、と呼ばれていた。しかし国土が広がり、国力をつけてくると、改めてアッペルバリ交易都市と名を変え、ムルトネンは首都名となった。
「全然変わらないなあ。新しくできた問屋や商店はあるけど、街の様子は15年前とあまり変わってないです」
街中だと言うのに倉庫があちこちに建っていて、問屋や商店がとにかく多い。至るところには露店が軒を連ね、商人たちが交渉を盛んに行っている。
ムルトネンは海辺の街でもあるので、船から荷揚げされた荷物を運ぶ馬車の往来も盛んだ。
「なんだか忙しそうな街だね」
「ええ、夕方まではドコも大忙しですよ、毎日。天候が悪かろうと関係なく」
「うわあ…」
活気がありすぎである。
「武器持った人達がいっぱい歩いてるけど、アレが用心棒?」
「そうです。荷物や商隊の護衛などをしています。この国で傭兵は、あまり見かけないと思いますよ」
「縄張りとかの結束が強そうだね…」
用心棒という独自のシステムがあるのなら、世界中に居る傭兵たちの出番はなさそうである。そしてこの国には傭兵ギルドがない。ギルドが進出していないということは、傭兵の需要がほぼナイということだ。
この国で傭兵が仕事をしているところを見ることがあるとすれば、他国で雇われて送り届けてきた、というくらいだろう。
メルヴィンからこの街の話などを色々聞きながら、キュッリッキはついに到着した。
「着きましたよ。ここが、オレの実家です」
首都ムルトネンは、南と北に海、東と西を山に囲まれた街である。
この街の住宅地は、それぞれ東西に分かれて建ち、東側の住宅地にメルヴィンの実家は建っていた。
朱塗りの大門を開けて中に入ると、狭い通路を通って庭のような場所に出る。
「お客人か?」
庭の先にある小さな門の前に建っていた男が、長い棒を携え近寄ってきた。
「門番ご苦労様。オレはメルヴィン、父のアリスターに取次をお願いします」
「え? 御子息様ですか!? は、はいっ! すぐに」
男はびっくり仰天した顔で一瞬飛び跳ねると、緊張を貼り付けた顔で回れ右をしてすっ飛んで行った。
「ねえメルヴィン、自分のおうちなのに、自由に入れないの?」
不思議そうな顔で見上げてくるキュッリッキに、メルヴィンは小さく苦笑した。
「15年ぶりなので、家族以外でオレのことを知ってる人ってタブンいないと思うから。それでいきなり入っていったら大騒ぎになるので、一応客人として」
「そうなんだあ…」
キュッリッキにはよく判らない習慣である。
街の建物や人々の服装など、どことなくコケマキ・カウプンキに似ているなとキュッリッキは思っていた。
暫く待っていると、さっきの男が慌ただしく戻ってきた。
「大変お待たせしてしまいました。ささ、どうぞお入りください御子息様」
「ありがとう」
男の後をついて小さな門をくぐると、とても広い庭に出た。
「うわあ~」
長方形の広々とした大きな庭は、ヴィーンゴールヴ邸の庭よりも広い。そして、中央には十字路の石畳が敷かれ、四方のマス目には水が張られて睡蓮の葉が浮かんでいる。
「す、凄い」
庭以上に圧倒されるのは、左右に大きな屋敷がそれぞれ建ち、奥の突き当たりには更に大きな屋敷が建っている。
左右の建物からは、掛け声のような威勢のいい声が絶えず轟いて、武器の打ち合う音がしていた。
「行きますよ、リッキー」
「う、うん」
圧倒されていたキュッリッキは、小走りにメルヴィンの後に続いた。
「師範! 失礼いたします。御子息様をお連れいたしました!」
男が建物に向かって声を張り上げると、少しして背の高い男が姿を現した。
「ご苦労、戻ってよい」
「はっ!」
案内してきた男は礼儀正しく姿勢を伸ばし、きっちり頭を下げたあと、駆け足で戻っていった。
「お久しぶりです、父上」
「15年ぶりか。よく我が家を忘れていたものだ」
メルヴィンの父アリスターは、顔が息子とよく似ており、メルヴィンが歳を取るとこうなる、といった感じでキュッリッキはドキドキとアリスターを見上げた。
「そちらのお嬢さんが、手紙にあった方だね。――遠いところよく参られた。さあ、中へお入りなさい」
柔らかな声で歓迎されて、緊張が最高潮に達しているキュッリッキは、
「ふつつかな嫁ですが、よろしくお願いします!!」
そう、その場に土下座して頭を下げた。
次の瞬間、「ブッ」と同時に吹き出す音が2つ。
「あははははははは」
高らかに愉快そうな笑い声を上げ、アリスターは腹を抱えた。
「リ、リッキー、そんな挨拶しなくていいと言ったでしょう」
必死で笑いを堪えるメルヴィンが、慌てて膝をついてキュッリッキを抱き起こす。
「だって、だって」
顔を真っ赤にして泣きそうなキュッリッキは、メルヴィンとアリスターの顔を交互に見た。
「いや、失礼失礼。礼儀正しい挨拶に、笑うとは失礼なことをした。さあ、妻も待っている」
「入りましょう、リッキー」
鼻をぐすらせながら、キュッリッキは小さく頷いて屋敷の中に入った。
「何故、泣かせているの?」
開口一番、メルヴィンの母ハリエットは夫と息子を睨んだ。
「い…いや、つい笑ってしまってだな…」
「リッキーの挨拶がその、ちょっと仰々しすぎてつい」
「挨拶されて笑う人がありますか!!」
ハリエットは手にしていたオタマで、2人の頭を勢いよく交互に叩いた。
「これだから男どもはまったく! ごめんなさいね、傷つけちゃって」
「……大丈夫なの」
ハリエットの剣幕に、キュッリッキは多少ひいた。
「想像以上に美しいお嬢さんね。初めまして、私はハリエット。愚息の母です」
藍色の髪を高く結い上げ、凛とした雰囲気をまとった、白い肌の細面な美女だ。
「初めまして、キュッリッキです」
大きく鼻をすすったあと、キュッリッキはにっこりと微笑んだ。
「まるで絵画から抜け出てきたような笑顔ね。さあさあ、こちらへどうぞ」
夫と息子を無視して、ハリエットはキュッリッキを食堂に連れて行った。
「お腹すいてるかしら、ちょうどお昼だから、食べながらお話しましょうね」
大きな円卓前にキュッリッキを座らせて、ハリエットは小さな茶器に温かなお茶を注ぐ。
申し訳なさそうな顔で、アリスターとメルヴィンも席に着いた。
「失礼します。おばさま、お料理運びますか?」
「そうしてちょうだい、エルシー」
「エルシー?」
メルヴィンがぽつりと呟く。
「おかえりなさい、メルヴィン兄さま」
黒髪の美人が、嬉しそうに微笑んだ。
「見違えたよ。大きくなったね、エルシー」
「15年ぶりだもの。メルヴィン兄さまは、昔より凛々しくなったわ」
「そうかな。もう30だし、そろそろ老けてくる頃だよ」
メルヴィンがエルシーという娘と親しげな空気を醸し出して、キュッリッキの心にザワッ、と黒いものが漂う。
「紹介するわね。彼女は私の遠縁でエルシーというの。幼い頃から家族同然で一緒に暮らしているのよ。エルシー、この方はメルヴィンの婚約者のキュッリッキさんよ。ご挨拶なさい」
「初めましてキュッリッキさん」
露骨なまでに素っ気ない声で、仕方なくといった表情で言われて、キュッリッキの頬がピクピクと引き攣り出す。
その場に静かな火花が散り、アリスターとハリエットは明後日の方を向き、メルヴィンは首をかしげていた。
「こんにちは、エルシーさん」
腹の底から絞り出すようにようやく言うと、キュッリッキは無理矢理笑みを浮かべた。
「お、お料理を運んじゃいましょうね」
掌を打ち付け、ハリエットは真っ先に台所へ逃げた。
エルシーはキュッリッキを睨みつけ、「フンッ」と鼻を鳴らして踵を返した。
「急にどうしたんだろうエルシー。機嫌悪いコトでもあったのかなあ?」
状況がまったく飲み込めていないメルヴィンに、
「お前のそういう激鈍なところは、まったく治っていないようだな…」
アリスターはゲッソリと息子を睨めつけた。
「はい、メルヴィン兄さま。兄さまの大好きなものばかり作ったのよ」
「ありがとう。さすが料理〈才能〉だね。どれも美味しそうだ」
エルシーから料理の皿を受け取り、メルヴィンはにっこりと微笑んだ。2人の様子に、キュッリッキはつまんなそうに片頬を膨らませた。
キュッリッキの表情に目敏く気づき、ハリエットは手ずから料理を取り皿によそい、キュッリッキの前に置く。
「さあさあ、沢山食べてね。とっても美味しいわよ」
「ありがとう~」
普段の倍以上――キュッリッキからしてみたら――盛られた皿だが、キュッリッキは怯まず果敢に食べ始めた。何せ義母になる人からのすすめである。
「あれ、箸使えるようになったんだリッキー」
感心したようにメルヴィンに言われて、キュッリッキは得意げに胸を張る。
「いっぱい練習したんだよ」
メルヴィンの祖国では箸を使うと温泉旅行の時に知ってから、こっそりと隠れて練習していたのだった。
「あら、箸の使い方を知らなかっただなんて…」
エルシーが皮肉げにボソリと言うと、キュッリッキはムッとエルシーを睨みつけた。
「箸なんて、この国とコケマキ・カウプンキくらいしか使わないですしね」
メルヴィンがやんわりと言い、エルシーはツンっとそっぽを向いた。
「まあメルヴィン、コケマキ・カウプンキに行ったことがあるの?」
「温泉旅行に行きましたよ」
「あの有名なケウルーレに行けたの!? イイわねえ、傭兵って」
「リッキーが美人コンテストで優勝してくれたおかげです」
「それは凄いわねえ」
「えへへ」
「我が家は美しい花が増えて悩ましいな」
盃を傾けながらアリスターがにこやかに述べると、
「見かけだけ増えてもね…」
エルシーのキツイ一言が炸裂した。
ストレートの長い黒髪に、やや細いキリっとした目には藍色の瞳がはめ込まれ、赤くひいた口紅が艶やかなアクセントになっていて美しい。
キュッリッキとは対照的な美貌だった。
「ホラホラ、お酒もどんどん飲んでちょうだい」
静かに白熱しかかる場に焦り、ハリエットはキュッリッキの盃にお酒を注ぐと、手振りですすめまくった。
無言でエルシーを睨みつけていたキュッリッキは、すすめられるまま酒をドンドン飲み干していく。
「ちょっとリッキー、そんなに飲んだら」
「こんくらいだいひょーふらもん…」
ヒックとシャクリ上げ、すでに目は座っていて呂律も怪しい。
「これ度数高いですよ。母上、すすめすぎです…」
「あら…つい…」
「リッキーは普段あまり食べないし、酒も飲まないから」
「それでそんなガリガリなのね」
「キュッリッキさんはアイオン族なんだそうよ」
「ああ、撃沈しちゃった」
椅子からずり落ちそうになるキュッリッキを、メルヴィンは慌てて抱きとめた。
「お酒弱かったのね…、ごめんなさいキュッリッキさん」
「朝からずっと緊張していたから、余計酔いが回るのが早かったのかな」
体重を感じさせないほどの軽い身体を腕に抱き、メルヴィンは苦笑する。
「翌朝まで眠ってそうかな」
「客間を整えてあるから、客間を使ってもらって」
「いえ、初めてきたところに一人で寝かせるのは可哀想だから、オレの部屋で寝てもらいます」
「寝台の広さは大丈夫かしら?」
「ダブルベッドくらいはありましたよね。リッキーは細いし大丈夫です」
「そう。なら、そうしてちょうだい」
「はい」
「彼女を寝かせたら、戻ってきなさい。色々話したいし」
「判りました」
メルヴィンはにっこり微笑むと、キュッリッキを抱いて食堂を出て行った。
* * *
「ああ…、疲れたわ…」
「うむ…」
食事会が済むと、片付けはエルシーとメルヴィンに任せ、アリスターとハリエットは自室に戻り、椅子に座り込んで卓上に突っ伏した。
「予想して覚悟はしていましたけど、実際目の当たりにすると疲れるわねえ…あの三角関係な空気の重み」
「だいたい、メルヴィンが”恋愛方面にだけは激鈍”なのが問題なのだ。事態をさっぱり飲み込んでおらん…」
「我が息子ながら、呆れますわ。15年も経っていて、全然学んでいないなんて」
ハリエットは尾が引きそうなほどの、長いため息をついた。
メルヴィンを巡り、エルシーとキュッリッキの火花が散りまくりの凄い状態だった。そんな中、メルヴィンだけが全く気づいていない。
「エルシーを引き取った時、あまりにも可愛がっていたから、てっきり結婚対象に見ているんだと思っていたのに……。妹のように接しても、女としては全く見ていなかったのね…」
身寄りをなくして引き取った時、エルシーは3歳だった。
エルシーはメルヴィンを兄以上に慕い、結婚したいと考えていることは判っていた。数多く寄せられる縁談も、全て蹴っていたからだ。
「身贔屓でエルシーの願いを叶えてやりたいが、あの愚息がすでに自分で伴侶を決めて連れてきてしまったからなあ。それを受け入れるしかあるまいて。激鈍のくせにちゃっかりしとる…」
「そうですわね。――キュッリッキさん、年齢の割に幼そうなところはあるけれど、素直な良い子ですわ。それに凄い美人」
「中々に壮絶な過去を生きてきているわりに、荒んだところが見当たらないな」
キュッリッキを寝かしつけて戻ってきたメルヴィンから、キュッリッキの悲愴な過去を聞かされた。
「胸が締め付けられる悲惨さね…」
「愚息が心の支えになったのだな」
「ええ」
「我々の娘になるのか」
感慨深げに呟いたアリスターの顔を見たハリエットは、
「あなた、鼻の下が伸びてましてよ」
そう、冷静にツッコんだ。
「ぬ…」
アリスターは慌てて表情を取り繕う。
「孫の顔が楽しみね」