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私の恋が冷めた日(沙耶香:公務員)

作者: 暁

 公務員として働く私(真北 沙耶香(さやか)、28歳)は、今日も帰り道でスマホ片手にスクロールを繰り返していた。


 私が見ていたのは“マッチングアプリ”。


 少し世代が上の人から見たら「出会い系でしょ?」とか言われる誤解を招きやすいもの。

 昔は援交だの美人局だのに悪用されたせいか、その世代の人からは出会い系の印象はすこぶる悪い。もちろんウチの両親も例外ではない。


 でも、これがまた面白いの何のって。


 え~! こんなカッコ良くて優良物件な人ホントにいるの!?


 的な――。


 社会人になってからホントに良い出会いに恵まれなかった私。


 以前付き合ってた彼氏は、ニ年前に浮気が発覚したので即着信拒否して連絡手段も全ブロックして、貰ったもの全部フリマアプリで処分して家まで引っ越し、私の中からそいつの存在ごと抹消処分した――。


 そんなある日の夜。


 高校の同級生達との女子会で民間企業に勤める友達が。


「今彼とはマッチングアプリで知り合ったんだよ!」


 私が「そうなの?」と意外そうな反応をしたら、その子は「はい!」と言って彼氏の写真を自慢げに見せて来た。


「……えぇ!? 普通にかっこいいじゃん!!」


「でしょ? けっこうウチの職場でも使ってる子多いよ! 何個も掛け持ちしてる猛者もいるし、彼氏いるのに使ってる子もいるし!」


「へ、へぇ~」


「沙耶香もビビってないでやってみたら良いじゃん! あんたけっこうモテると思うよ~!」


「そ、そうかなぁ……――」


 そんな話を聞いてから、後日に私は少しだけ怖さがありつつも、友達からオススメのアプリを紹介されて興味本位で始めてみた――。


 マッチングアプリ内では、自分のプロフィールを入力するだけで、勝手に“自分と相性が良さそうな相手”を探し出してくれる。


 任意で自分の写真を載せることが出来るけど、これを載せるか載せないかで、男性からのアプローチに雲泥の差が出る。


 確かに逆の立場になってみれば、顔が分かるかどうかで『可愛い! 口説きたい!』という感情は大きく左右される。


 女側からしてみても、ただ写真がないプロフだけ見たところで何か不安になるし、やっぱりどうせなら『イケメンと出会いたい!』と思うのは当然のこと。


 とりあえず私も必要最低限の項目を入力し終え、いざ自分の写真をアップしようと過去の写真を探ってみたが、イマイチ納得いくものがなかったので改めて撮影を試みてみる。


 あ~違うな、角度悪い。


 ん~、もっとまつ毛盛ればよかったかな。


 よし……いや、顎のラインがマジで気に入らねぇ。


 カラコン入れて瞳デカくするか……いや、パチモンは駄目だ。

 

 いや~、マジで大学生の時の髪色に今だけ戻したい。


 惜しい、ちと照明が――。


 悪戦苦闘すること約15分。


 ようやく納得できる写真を撮った私は、結局ナチュラルな感じに収まったものをアップした。


 アプリ内では他の女性も見れるけど、『これ盛りすぎだろ』と思える人もやっぱり何人かいる。


 写真加工アプリ使ってるんだろうけど、瞳が大きすぎて逆に怖いし、そもそも実物とかけ離れすぎちゃイカンのやない? それだとリアルでマッチしたとき、絶対相手を幻滅させちゃうでしょ。


 大学生の時に同じ学部の子で、スマホ写真は『可憐なウサギ』だけど実物が『普通のボスザル』だった子がいた。


 正直な話、女はブサイクに生まれると結構“人生詰み”的な風に思われがちだが、それでも色んな試行錯誤と努力を積み重ねて可愛くなった子はたくさんいる。

 それに、どんなに綺麗な女性でも無愛想なら“愛嬌のあるブス”の方が私は断然いいと思う。


 だから写真加工アプリは“努力しなくても写真を盛れる楽なチート”に思えて、私はあんま好きじゃない。

 プリクラのモード選択でも盛り系に賛成出来なくて、友達と一回謎にガチで言い争いになった苦い記憶もある――。


 そんなこんなで、仕事を終えるとアプリに毎日男性からのメッセージがたくさん届いてたりする。

 写真を載せたのが功を奏したのか、メッセージの受信トレイに結構な勢いで入っているのを見ると、ぶっちゃけビビる。


 中には『いくらで会えますか』などという瞬殺な奴もいるけど、真面目に私のプロフを読んで『自分もアニメの〇〇大好きです!』というメッセージをくれる人もいた。


 ふと気になってその人のプロフを覗いてみる。この瞬間がまぁまぁなドキドキもの。


 お~、顔は塩系イケメンでIT企業勤め。収入も申し分ない!


 アニメ好きな趣味はもちろん合うし、猫好き、映画好き、スイーツ好きといった感じで、さすがはマッチングアプリといったところ。


 早速、私からも「メッセージありがとう(^^)」という返事を返すところから始めたら、やり取りが楽しくて時間を忘れそうになってしまった。


 ここでよく来るのが「個別のチャットで話さない?」というお誘い。何回かは他の男性とやり取りを経験してるけど、これの誘いが早い男は“何かガッついてて嫌”みたいな感覚に陥ってしまう。もちろん、そういうのは断ってきた。


 でも、今回の男性はそんなことはなく、“親密になるまで個別の連絡先は交換しない”という紳士な姿勢が伝わってくる。アプリ内でも彼は『また明日お話出来たら嬉しいな! おやすみなさい』という余裕っぷり。


 この時、すでに私の中では“会ったらどんな人なんだろう”と意識し始めており、とっくに心の警戒心は解けていた――。


 その後。


 彼とは順調にやり取りを重ね、無事に個別の連絡先も交換した。彼からランチに誘ってもらえたので、快く休みの日に都合を合わせて承諾。

 ディナーじゃなくて“ランチ”ってところがまたいい。よく分かってるわ――。


 久しぶりに男性とランチデート。


 丈の短めなワンピにジャケットを羽織り、化粧も年相応の落ち着いた感じに仕上げて来た私。


 待ち合わせ場所で待ってる間の緊張感がハンパねぇ。


 年齢は四つ歳上と、少し離れてるけど全然許容範囲。むしろ色んなお洒落な店とか知ってそうで、期待に胸が高まって仕方ないんですよ。


 でも、あんま期待し過ぎも良くない。最初から飛ばされちゃうと後は減速していく一方で萎えるから、最初はジャブ程度でも全く問題ない。


「あ……ユーリさん?」


 突如――アプリ内の偽名(好きなアニメキャラの名前)で呼ばれた私がハッと振り返る。


「……あ、はい! こ、こんにちは~!」


 目の前には、高身長で顔も写真そのままなリクさん(同じアニメキャラの名前)が微笑んで立っていた。


「こんにちは……リクです。何か……あ、改めて会うと恥ずかしいですね」


 と、照れくさそうに笑う笑顔が素敵な32歳のリクさん。


 くぁ~、シビレました!!


 マッチングアプリ万歳!!


 出会った瞬間から心中が歓喜の渦に巻かれた私が「ホントですよね~! でもリクさんが写真より全然カッコ良くてビックリしました~!」とお世辞めいたことを返す。

 すると、彼も「いやいや、ユーリさんもお綺麗で会えて嬉しかったです」と言いながら軽く会釈してきた。


 服装は全体的にブラウン系でまとまっており、シックな雰囲気を醸し出しつつも、腕時計はそれなりのブランド物をつけていてセンスが良い。


 これは始めてマッチした相手でもうアプリは用済みかな? 


 そんなことを予見させるほど、リクさんには好印象が持てた――が。


「そしたら、あっちに()停めてあるから、ここで待ってて貰ってもいいかな?」


 ん?


「あ……はい、わかりました!」


 彼が小走りにその場を去ると、私は少しだけ首を傾げた。


 え、車なの? 予約してると思われる店から最寄りの駅選んだはずなのに、車なんて乗るん? さすがに初対面の男の車乗るのは、ちと怖いな……。


 そう思いつつも、高回転なエンジン音を刻んで眼前に乗り付けられた“真っ赤なスポーツカー”に秒で見惚れる私。その車の窓からリクさんが私を呼んだ。


「ごめん、席少しだけ狭いけど隣座って!」


「お……お邪魔しま~す――」


 ふぁ~この車、動画配信で荒稼ぎしてる人が乗り回してた奴やんけ……え、プロフに記載されてた収入でこんな車買えるの? もしかして……年収低く書いてたとか!? そんなパターンあるの!?


「え、めっちゃ緊張するんですけど!」


「そう? こういう車乗るの始めてだった?」


「はい! 走ってるのを見かけることはあったんですけど、乗るのは始めてで――」


 といった感じで高揚し過ぎて、デートの初手に車で来た彼に対する不安はどこへやら。


 私達は車に乗ったまま都内を走りながら、車内での話はこれから行くお店がどこなのかに切り替わる。


「そういえば、実はまだ店とか予約してなくてさ」


「あ、そうだったんですね! 私は全然どこでも大丈夫ですよ!」


 まさかの店予約してなかったパターン。でも、リクさんなら“穴場のお店”とか知ってそう。


「じゃあ、イタリアンと和食だったらどっちがいい?」


 いきなり渋滞にハマって自慢の高回転スポーツカーの速度が地味に徒歩以下となってるのは置いといて、リクさんの質問の仕方が秀逸。

 下手に「何か食べたいものある?」と漠然とした聞き方をするのではなく、簡単な選択肢を出される方が答えやすいもの。


「え~と……じゃあイタリアンで!」


 食べ方を見られる和食は出来るだけ回避しておきたい。育ちが一瞬にしてモロバレる。淑女教育でも受けてれば話は別だけど……。


「イタリアンね! それなら良い店知ってるよ!」


「え~楽しみ~! ――」


 その後のリクさんとは、メッセージでやり取りしていた内容をネタに話が盛り上がった。変に車の自慢をすることもなく、私がする話も彼は心地の良い相槌を打ってくれるから安心して話せた。


 はぁ……彼に対するトキメキが止まらない。


 もうこのまま羽目外しちゃって、夜までお酒とか飲んで付き合っちゃってもいいかなぁ~――。


 それから少し経ち。


 助手席で夢見心地に浸りながら座っていると、車が大衆ファミレスのある交差点に差し掛かる。


 そして、リクさんがウィンカーを出した途端――高級スポーツカーはブォンッという音を立てて“大衆ファミレスの駐車場”へ侵入し始めた。


 2秒だけ呼吸停止したけど『リクさんに限ってここはあり得ないでしょ』と当然のように思った私は、すぐ息を吹き返した。

 彼がここに入った理由として考えられる、パッと思い浮かんだ候補は3つ。


 1.道を間違えて方向転換したい。

 2.トイレ借りたい。

 3.店のオーナーとして挨拶したい。


 1はちょっとカッコ悪いけど、普通にあり得るミス。

 2は『コンビニのトイレ使いたくない』的な感じでアリ。

 3は正直一番微妙だけど、リクさんならワンチャンあるかも知れない程度。


 そうなると現実的に1か2のどっちかになるのかな?


 すると、ハンドルを回しながらバッグで駐車し始めたリクさんが、苦笑いしながらその口を開いた。


「けっこう混んでたね~、やっと()()()()


 正解は4。


 123を匂わせといて大衆ファミレスでランチすることになったら私がどんな反応するか見てみたい。


 でした。


 え、絶対そうだよね!? これ私が“試されてる的なノリ”ってことでいいんだよね!?


 とはいえ、ここへ来る前に「どこでも大丈夫」と言ってしまった手前もあるから拒否権なんかないし、仮に断ったら“もっと良いとこ行きたいアピール”みたいになるのも嫌だった。


「そ、そうだね~。やっぱ休日だからかな……ははは」


 なんて当たり障りない返しをした私がシートベルトを外すのに躊躇っていると、リクさんは「多分ね~」と軽く受け流しつつ、エンジンを停止してベルトを外した。


 ……ちょっと待って嘘でしょ。まさか本気でここでランチするつもりなの!?


 え、一体どこまで私を試そうとしてるワケ!?


 そう戸惑っているうちに車から降りてしまった私に、駐車場にいる一般客から視線が集まる。


 ってそりゃそうでしょ。


 どう考えても大衆ファミレスの駐車場に場違いな高級車が停められたら、誰でも『何あれ?』って感じの目で見るから。 


 そこへ、リクさんがスマートキーのボタンを押したら、“キュイキュイッ”みたいな機械音と共にハザードが点滅して車がロックされた。

 その音で周囲から余計注目されたのが、すごい恥ずかしかった――。


 なんだかんだありながらも店内へ入ると、その様子は高校生の時ぶりの雰囲気がまだ残っており、懐かしい気持ちと落胆の入り混じる複雑な心境に陥った。


 辺りを見渡せば、ファストファッションを着こなすベテラン主婦達が談話してたり、子供連れの家族が楽しそうに食事をしている。

 そんな中、髪型をハーフアップにセットしてアクセも厳選し、服装から何から高級フレンチレストランに入っても恥ずかしくないように準備してきた私は、何とも虚しさで胸がいっぱいになってしまった。


 これ私も完全に場違いだわ……。


 めっちゃ学生のバイトっぽいホールスタッフから案内されて席へ着くなり、リクさんが立てかけてあったメニュー表を取って私に向けて見せてくる。


「はい、好きなの頼みなよ~」


 嫌いなの頼む人はいないでしょ。


「……うん」


 友人からお茶に誘われていたのをやんわりと断ってここに来た私はすでに若干イラついており、まぁまぁのガチ具合で『帰りたいな』とまで思い始めていた。


 決して大衆ファミレスが嫌いなんてことじゃない。けど、反応を試されるは何か嫌だし、なんていうか……少しでもいいから“配慮”して欲しかっただけ。


「ユーリさんと実際向き合って見ると、まつ毛長いし猫目でホント可愛いと想う」


「え、そう? あ、ありがとう……」


 はいはい、即行でメニュー決めたいから少し黙ってて。こちとらさっさと食べて、早くこの場から脱出したいんだわ。

 

「うん、何回かアプリで会った人の中では一番好みだね~」


「へぇーそうなんだ。そこまで言われるとなんか照れるわー」


 ん~、何が一番調理に時間()()()()()んだろ? 確かここは、一番人気のドリアが早く出して貰えてた気がするけど。


 リクさんではなくメニュー表とひたすら睨めっこをしていたら、不意に彼から「あ、ドリンクバーも頼む?」と訊かれる。


「え、ああ……私はお水だけで大丈夫だよ。あれ頼んでも案外飲めないし」


「お~、それは俺も同感。元取ろうとすると腹タプタプになっちゃうしね~」


 よし、ナイス価値観の一致。てかドリンクバーなんて頼むわけないでしょ。今だけは食後の余韻に浸る気分なんて毛頭ないわ。


「あ、じゃあ私……このドリアにしようかな」


 ほぼ最初に決めてた料理を、あたかも悩んでたかのような言い回しで伝えると。


「え、それだけで足りる? 遠慮しなくていいのに」


「ううん、全然大丈夫だよ!」


 いやそんな配慮いらんて!


 心中でそうツッコんでいたら、彼はメニュー表を立てかけてボタンを押した。


 “ピンポーン”。


 うわぁ……店員呼び出しのピンポンがこんな嫌な響きに聞こえるなんて、今後ほとんどないだろうな。


 こうして、さっきとはまた別の学生っぽいホールの子に注目を済ませた私達は、料理を待つ間に雑談を交わしていた。


 どんな内容を話していたかは、メニューの表紙にある“間違い探し”をやっていたせいで全く覚えてない。


 料理が来た後も、他の席でカップルがお互いにスマホと睨めっこしていたのを見て、『そんな感じならデートしなくても良くない?』と思っていた。


 二人っきりなのにスマホなんて眺めてたら、相手に『無関心ですから』って言ってるみたいで失礼じゃない? 


 さすがの私でも、リクさんに対してそれは出来ないわ――。

 

 そんな感じで料理を食べ終えた私は、「ちょっとごめんね」と言って、すぐ化粧室へと入った。化粧直しをするつもりではなく、リクさんに“会計を済ませる時間を与えるため”に。


 初デートとなると女側も気を遣って、とりあえずバッグから財布を取り出す。『デート代は男が払って当然』と思うような“がめつい女”に見られたくないと思うのが女の心情。

 そこで相手の男と茶番地味た問答が始まっても結果なんて分かりきってるし、私からしたらやり取りそのものが正直もう面倒くさい。


 私も20代前半は逆に『割り勘のほうが気が楽』と感じる方だった。でも、さすがに30近くにもなれば『全部とまでは言わないけど、せめて多めに出して欲しい』と思うのが本音。


 相手が同じくらいの年齢ならそれなりに収入あるワケだし、何より『お金を多めに出す価値がこの女にはある』って心理が働いていることの証明に繋がる。


 そして、気の利いた男なら“女がトイレに行くタイミング”を逃さない。合流した際に会計がすでに終わっていれば、こっちも「えぇ!? そんないいのに~!」の一言で片付いちゃう――。


 ある程度の間を置いて席へ戻ろうとしたら――テーブルの上に丸められた会計用紙が、まだ筒に刺さっていることに気付いた私。


 出た……こっちが完璧なお膳立てしやってんのに、この期に及んでスマホなんか弄ってんなし。

 そう苛つきながらも平然とした表情で席に戻る私。


「……ごめーん、待たせちゃったね!」


「全然平気だよ~! じゃあ、そろそろ出よっか!」


「そうだね!」


 はぁ……。


 と、心の中で溜息を吐きながらバッグの財布に手を伸ばす。ふと彼を一瞥してみたら、会計用紙片手に何やらスマホで計算をしている様子。


 まさか……。


「えーと、ユーリさんはドリアだけだから486円ね。細かいのある?」


 ぐはっ……!!


 両替してくるの忘れちゃったよ~……て違うわ!!


 こいつ“ガチな奴”じゃん!!


 さっきの『遠慮するな』ってどういう意味だったの!? 結局自分で払うなら世話ないやん!!


「あ、ごめ~ん……細かいのなくて、千円札でもいい?」


「楽勝だよ~! こんなこともあろうかと銀行で小銭両替しといたんだ~、偉いでしょ?」


「……え、え~さすが! すごい準備周到だね!」


 その瞬間、私の中で何かが弾けた。


 いや大して偉くねぇから。


 こっちが求めてるもの履き違えるのにもいい加減限度ってもんがあるでしょ。そんな暇あったんならお洒落なお店でも予約しとけってんだよ。


 てか自分のこと「偉い?」って確認していいの5歳くらいまでじゃない? 良い歳こいた男がドヤ顔ぶら下げて言うもんじゃないっしょ普通。一旦落ち着いて身の程弁えよっか――。


 完全に“アウトローモード”にスイッチが切り替わった私がリクさんの後について行くと、レジの前に立った彼が目を凝らしながら財布の中を覗き始めた。


 ん、どした?


 怪訝な表情をする私の前で『しっかり者でしょ?』とでも言いたげな顔をしたリクさんは、長財布の内ポケットから『クーポン』を悠々と取り出した。


「こういうのもチリツモだからねぇ~」


 と彼が呟いた途端――私の全身に悪寒にも似た鳥肌がゾワゾワと聳り立つ。


 はいもう無理。

 

 だからダメだって『クーポン』は。


 一円単位の精算は百歩譲ってナシよりの微アリだけど、クーポン君……まだ慣れ親しんでない異性との間柄でお前だけは絶対ダメだ。それが活躍するのは友達やら家族とかで来た時くらいでしょ。


 君はどんなイケメンすらも地獄に堕とす“破滅のジョーカー”なんだから、デートの時だけは財布から出てくんなって。


 ていうかさ。


 チラッと見えたけど『総額割引クーポン』ってことは、それ使ったら私が地味に損することになるよね? 


 なんで割引後の総額で精算しなかったん? ぶっちゃけちょっと小賢しいことしてくれてる? 今時恋愛未経験の中学生でもそこまで暴走しなくない?


 そもそも『チリツモ』って、あんたにはもはや一生塵なんて積もらないでしょ。山になる前に相手と破局迎えてそれまでの交際費が完璧無駄になるだけじゃない? むしろ逆に地面掘っちゃっててメッチャ草生えるんですけど。


 まさか、表に停めてるのも親の車か何かじゃない? ――。


 店を出た私はすぐさまリクさんに「じゃあ今日はありがとう! 私はここで帰るから!」と笑顔で告げた。


「え、もう帰るの!?」


 驚きを隠せない様子の彼をよそに、私は偶然通りかかったタクシーを捕まえた。


「うん、ちょっと急用思い出しちゃって……ホントごめんね、バイバイ!」


 タクシーの後部座席に乗り込むと、窓から見えたリクさんが目を点にして私の行方を追っていた。

 マッチングアプリでメッセージのやり取りしていた時には、全く想像もしていなかった結末。


 リクさん……ごめんね。


 恐らく悪気のない彼には申し訳ない気持ちも滲んできたけど、やっぱり一緒にいて違和感しかない彼とは合わないと思う――。


 散々な日に終わった夜。


 今日の出来事に疲弊したせいか、私は住んでいるマンションのベランダで夜景を前に意気消沈していた。


 そんな時にふと、気晴らしに一人で飲みにでも行きたい気分になったので、どうせならと少し奮発するつもりで高級なところを探してみた。

 日々の生活をなるべく節制しつつ地道に結婚資金は貯めてたし、あんま自分に“ご褒美的なもの”なんて上げたこともなかったから、今回くらいはいいよね。


 スマホで検索していると、都内にある高級ホテルのバーラウンジが目に止まった。お洒落なカクテルなんて柄でもないけど、たまにはこういう雰囲気のところにも一人で行ってみたい。


 てか、高!


 こんなの平気で泊まれる人の気が知れないわ。庶民の感覚で見ると、高級ホテルの“高嶺の花感”ってやっぱすごい。


 とはいっても今更他のところを探す気もない。もうノッちゃってるし。

 何件か見比べてみたら、無理のない値段で重厚感のある落ち着いた雰囲気のホテルが見つかったので、空いてる部屋を覗いてみる。


 お、ギリギリ1部屋だけあった! さすがに休日の今日は無理だったけど、明日なら何とか入れそう! ――。


 翌日。


 私は、ホテルの最上階にあるバーラウンジのカウンター席で飲んでいたら、偶然――大学生の頃から社会人一年目まで付き合っていた元彼の侑李(ゆうり)と再会する。


「よ、浮かない顔してどした?」


「……侑李?」


 大手の建設企業に入社して忙しくなった彼とは、会える頻度が減ったことでヤキモキした私が「別れたい」なんて、本心でもないことを言ったせいで破局した。

 些細な喧嘩をした勢いから、軽はずみで口走ってしまったことだった。


 社会人になって環境の変化に慣れないストレスもあったけど、そのことをずっと後悔していた私。

 リクさんから試されたことに嫌気が差してたのに、侑李の気持ちを確かめるみたいことを、私も彼にしちゃってた。


 彼は長い出張を経て都内にある本社へ戻ると、骨休みするためにこのホテルを時折り使うらしい。


 私が昨日起きたリクさんとの話を聞かせたら、侑李に大爆笑された。


「そいつエグいな~、マジウケんだけど!!」


「いや全然笑えなかったから。トイレで子供とぶつかって『ごめんなさい』って謝られた時とか、何か私メッチャ泣きそうになっちゃったし」


 その後侑李の話を聞いてみると、彼は私と別れた後は誰とも交際せずに一生懸命働いて結婚資金を貯めていた。私も大学卒業時に侑李から「結婚のためにお金貯めよう」と提案された名残りで続けていたことだった。


「ねぇ、ホントに誰とも付き合ってないの?」


 奢ってもらったカクテルを飲みながらそう訊いてみる。ホントに疑問だった。付き合っていた当時より、かなり垢抜けて大人びた格好良さを感じたから。


「派遣の子に告白されたことはあったけどな。好きじゃない子とは付き合えない」


 大学生の時は私が折れるくらい猛烈に迫ってきたのに、自分に言い寄ってくる子には全然興味を示さない頑固な奴。


「好きな人くらいはいるんでしょ?」


「……そりゃあな」


「えー教えてよ」


「は? 沙耶香に決まってんだろ」


「ふ~ん」


 何だ、私か。


 ……ってえぇ!?


 寂しさを紛らわすために他の男と付き合ったり、マッチングアプリまで使ってた私に対し、侑李はずっと変わらず私を想い続けてくれていた。


 嬉しかった。


 本当に――。


 こうして、運命的な再会を果たした私と侑李は一年後に結婚。式を挙げた後も幸せに暮らした。


 こんなドラマみたいな出会いが出来たり、大切なことを気付かせてくれたのも『マッチングアプリがキッカケなのかな』なんて、感謝の気持ちが湧いていたのはここだけの話――。

最後までご愛読頂き、誠にありがとうございました! 『面白かった!』と思って頂けたら、ブックマークおよび下の評価からいくつでも構いませんので★を付けて頂けると次回作の励みになるので幸いです!

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