夫の愛妾
厨房にも立ち寄ってみた。
すると、料理人たちが右往左往している。どうやら食品の貯蔵庫で火事があったらしく、食材が焼けてしまったとか。間の悪いことに、今夜皇族主催の晩餐会があるらしい。晩餐会に出すはずの食材がなくなってしまったという。
「落ち着きなさい」
ムダにプライドの高い、わたしよりもずっと年長の料理人たちを頭ごなしに怒鳴りつけた。
「晩餐会はだれが参加するの?」
ちょっと待って。そういえば、そのようなことを執事長が言っていたっけ?
すっかり忘れていたわ。
「皇族のみです」
料理長が睨みつけてくる。だから、睨み返してやった。
「焼けたものはしょうがないでしょう。皇族だけだったら、なんとかなるわ。いますぐに、ここにある食材をリストアップなさい。それから、皇宮の御用達の商人を呼んでちょうだい」
気おくれしてしまうけど、悪女ですもの。勇気をふりしぼって高飛車に命じてみた。
それから、料理人たちと残っている食材を確認してみた。
焼失したのは、高級な食材ばかりである。残っている食材と、実際に商人と会ってすぐにでも仕入れられる食材をきき、リストアップしてからメニューを決めてゆく。
田舎の図書館で借りたレシピ本が役に立ってくれた。貧乏で食材が手に入らないから作れるわけもないが、いつか作りたいと思って紙に書きだしたのでうろ覚えしている。
料理長はいちいち文句を言っていたが、そこは悪女らしくピシャリと口を封じた。
作り方は、実際に作る際に指示を出すと言っておいた。
ということは、お昼以降は大忙しになりそうね。まずは厨房で料理を作り、それからすぐに自分自身の身づくろいをしなくてはならない。
身づくろいに関しては、適当にそれっぽいドレスを着て髪をとかしてもらい、薄く白粉でもはたいておけばいい。
いま着用しているドレスだって、ドレスよね。田舎でいつも着ていたようなシャツにスカートじゃない。どちらも、穴が開いたり破けたりしたら繕い、だましだまし着続けていた。生地だってこすれてしまってテカテカになっていたし、色あせてもいた。
それでもまだ着ることが出来る。
お父様や双子の兄たちは、わたしよりよほど動きが激しいので衣服もすぐに傷んでダメになってしまう。
そんなことも、今の雇用契約が終了したら解消されるかもしれない。
そうかんがえるとうれしくなってしまう。
廊下の窓から東屋が見える。先程は皇妃と側妃たちがお茶を楽しんでいたけど、今は男女が二人熱心に何か話をしているみたい。っていうか、言い争っている感じがする。
女性の方は、わたしの夫のはずの皇太子が愛してやまない愛妾のラウラである。
男性の方は?
こちらに背を向けている為、確信は持てない。だけど、あのがっしりした肩は、第三皇子のフレデリク・ザイールじゃないかしら。
見るともなしに見ていたら、男性の方は立ち上がって去ってしまった。
じつは、まだラウラに紹介もしてもらっていない。まぁ、皇太子殿下は紹介をするつもりもないんでしょう。
悪女としては、皇太子殿下の愛妾をいじめるべきよね。
というわけで、自己紹介がてらいじめにいくことにした。
「こんにちは」
彼女を驚かさないよう、前にまわってから挨拶をしてみた。
それなのに、彼女の体がビクンと強張った。
可愛くって可憐な感じがする。その反面、どこかセクシーな雰囲気も漂っている。
日頃は仔犬みたいに可愛いのに、あっちの方になったら女豹に豹変する。
そういう性質なのかもしれない。
男性からすれば、そういうギャップがたまらないのかも。
あの冷たい美形の皇太子がゾッコンになっている、というのも無理はないかもしれないわね。
驚き顔でわたしを見ている彼女を、さりげなく観察してみた。
顔も体も小柄である。だけど、出るところはしっかり出ている。
着用しているドレスは、ド派手な真紅で胸元は大胆に開いている。胸の谷間が、男性の性欲をかきたてそう。
もしかすると、彼女はそれを売りにしているのかしら?
さらに視線を下へおろしてみた。
視線が東屋の木製のベンチに座っている彼女の腹部にとどまったとき、嫌でも釘づけになった。
わずかに出ている気がする。
もしかして、すでに妊娠しているの?
どういうこと?
混乱してしまっている。
「皇太子妃様、よね?」
可愛らしい顔なのに、ずいぶんと態度は大きい。
彼女はこちらを見据え、そう尋ねてきた。
「ええ、そうよ。そういうあなたは、皇太子殿下の愛人よね?」
わざと意地悪な言い方をした。
「それが何か?わたしの方が愛されているから、とっちめようとでも?たかだか侍女の身で、この容貌と性格で寵愛を受けているから、意地悪をしようとでも?」
あらま。こちらが尋ねるまでもなく、事情が知れたわ。
どうやら彼女は、可愛いのにおつむは残念みたい。
それに、性格も残念だわ。
「愛されているとか寵愛とかそれ以前に、まず作法を学んだ方がよさそうね。わたしは、メグ・オベリティ。オベリティというのは旧姓。いまは、メグ・ランディ。あなたの名前は?」
本来なら彼女の方がわたしのもとに挨拶に来るべきだったのに、彼女はそのことすら知らないみたい。
皇宮には作法を教える教師がいるはずなのに……。っていうか、侍女だったのならそのくらいの作法は知っていて当然なのに。
わざと、ね。それとも、皇太子に入れ知恵でもされているのかしら?
悪女に近寄るな、とか?
「ラウラ・ガストーニ。モンターレ王国の王女になるはずだった者よ」
はいいいいい?
彼女の自己紹介は、わたしの度肝を抜いてくれた。
参ったわ。彼女、わたしなわけ?もしかして、わたしが偽物?
まぁいいわ。ちょっと様子を見てみましょう。
本人を前にして、堂々と嘘をつく事情がわからないから。
っていうか、皇太子ってわかっていて黙認しているわけ?
ますます謎が増えてゆくわ。
「その亡国の王女様が、どうして侍女に?」
「あなたってバカなの?国が滅んで働かなきゃならないからよ」
バカはあんたよ、偽者さん。
モンターレ王国は、ちゃんと存在している。ただ先代の国王がその座を奪われ、王太子夫婦とその息子たちと亡命しなくてはならなかった。そのとき、わたしはまだ産まれていなかった。
偽者を気取るならちゃんと調べることね、おバカさん。
「なるほど。それで?その可愛さと性格のよさで皇太子にお手つきをされて、寵愛を受けるようになったのね。まるで小説みたいなお話よね。まぁ、ハッピーエンドになることを祈っているわ」
「ハッピーエンドにしてみせるわ。それには、あんたが邪魔なだけ」
「おお、怖い。おおいにがんばってちょうだい」
「ええ。あんたを追いだしてやる。いまのところは、せいぜい大きな顔をしておくことね」
小説に出てくる側妃や愛妾まんまの台詞ね。可愛い顔が台無しだわ。
でも、バカすぎていていっそ清々しい。
彼女に背を向け、その場を去った。
自分の部屋に戻ると、侍女のカミラとベルタがイライラした様子で待っていた。
「皇太子妃殿下、お待ちしておりました。先程、皇太子殿下の執事が参りました。本日、皇族の方々の晩餐会が行われるそうです。妃殿下にもご出席なさいますようにと」
「ええ。知っているわ、カミラ。先程、皇妃殿下より知らされたの」
「ドレスはいかがなさいますか?」
「そうね、ベルタ。二人に任せるわ。一番派手で下品なデザインのドレスにしてちょうだい。じつは、わたしはその前に用事があるの。準備はそれが終ってからになるから、化粧とか髪とかは適当でいいわ。髪、このままでもいいし。付け毛なんていらないから。出来るだけ、皆さんに『うわっ、皇太子妃ってなんなの?』って思われたいの。いえ、ちょっと待って。どうせ皇太子殿下の愛人はド派手でしょうから、逆に地味ーな色で保守的すぎるデザインの方が反感を持ってもらえるわね」
一方的に告げると、二人は顔を見合わせた。
「承知いたしました」
「承知いたしました」
それから、同時に頭を下げた。
「ところで、皇太子殿下の愛妾って、侍女をやっていたんですって?」
尋ねると、二人はまた顔を見合わせた。
「あの人は、すべてが色仕掛けです。侍女になれたのも皇宮に配属されたのも」
「皇族付けに抜擢されたのもです。そして、皇太子殿下の目に留まったのです」
カミラに続いてベルタが言い、同時に肩をすくめた。
「侍女としての仕事っぷりは、それはもうひどいものです」
「ですので、侍女たちの間では『やりマン』と呼ばれています」
つぎは先にベルタが言い、カミラが続けた。
「わかったわ、ありがとう。じゃあ、準備はよろしくね」
そして、急いで厨房へと戻った。